ザ・クリエイター 創造者のレビュー・感想・評価
全318件中、1~20件目を表示
死はどこへと繋がっているのだろうか?
人間が「死」の存在に気づいて以来の未解決問題である。
人類が誕生して以来、この問いに答えを得た者がいるのだろうか。
AIと人間の戦いを描いた本作ではあるが、ここに登場するAIは、もはやターミネーターのようなものではなく愛という複雑な感情ですら搭載され文化をも築いている。そして、そのAIもがたどり着いた「死」のその先はどこなのか。
彼らも「オフ」のその先が未解決問題なのだ。
人間もAIも孤独であれば「死」や「オフ」のその先など気にしなくてもいい。愛する世界や愛する者があればこそ、別れがたいものがあればこそ「その先」が気になるのだ。
おもしろいと思ったのは、クリエイター創造者であるマヤが運び込まれていたのはチベット仏教寺院のような場所だった。仏教では人の創造を語っていないのに。
そして母なるマヤの元で「誕生」した救世主アルフィー。ある意味無原罪のお宿りよね。
ここで「なんのために生まれ、なんのために生きていくのか」という生命体全てへの問いかけも出てくる。まさに「死」を考えると「生」を考えることになる。メビウスの輪のようだ。
人はいつか死ぬことを理解して生きていく。
でももし、死なないとわかったらどう生きて行くのだろうか。
壮大かつ緻密にデザインされた近未来の神話
ギャレス・エドワーズは我々が触れたことのない静かなる驚きの映像世界を展開させる人なのだと改めて思い知った。とりわけ本作は舞台となる近未来を断片的に垣間見せるのではなく、地球規模で壮大かつ緻密にデザインし、今すでにAI技術の転換期の隣り合わせにある我々に「手の届きそうな距離のリアリティ」として実感させてくれる。それでいて悲観的なビジョンばかりを提示するのではなく、深い感情や体温で満たされたエモーショナルな物語を根付かせていることが極めて尊い。数々の名作映画の影響を感じる一方、それ以上にエドワーズの過去作を思い起こす瞬間も多かった。実写と特殊効果を生々しく融合させた『モンスターズ』、人間の理解や常識を超えて”生命体”を広く見つめた『GODZILLA』、一つの使命を繋ぐため身を捧げる『ローグ・ワン』という旅路を辿ってきたからこそ、この作品は今、まさにキャリアの集約地のごとく産声を上げたのだろう。
見ごたえがあった
ツッコミどころが多い(これはレビューで見る常套句)という意見もあるが、ツッコミどころがほとんどないエンタメ映画があるなら教えてもらいたい。ストーリー展開はありがちな感じだが、主人公に共感させる演出はうまいし、優れたVFXと、スケールのでかいお金のかかってそうな未来像も手伝って飽きずに最後まで見られた。
個人的には切ないストーリーに弱いので、見終わって余韻に浸ることができた。子供のAIがかわいいし、そして切ない。全編で駆使されているVFXも自然で違和感がない。
内容的には、ベトナム戦争やイラク戦争などのように、なんでもかんでも力ずくで思い通りにしようとする現実のアメリカのやり方への皮肉が込められているのかもしれない。
余談だが、『ゴジラ-1.0』がアカデミー賞の視覚効果賞をとったことが「ハリウッドに並んだ」みたいに受け止められているが、この映画を観ると、やはりお金をかけたハリウッドのVFXは邦画の比じゃないと感じる。
色々と酷い映画
サイエンス・フィクションとして考証や設定が酷すぎる。
脚本も面白みに欠け、ご都合主義で非現実的。
「んなわけねーだろ」の連続で観ていて呆れる。
底流に普遍的なテーマがあるわけでもない。
作り手はAIとの共存とかを込めたつもりか知らんが、余りにちゃちくて消化不良。
何よりアジア人差別てんこ盛り。
東南アジアを主な舞台にしているが、何故か日本が主人公と敵対するAI陣営に加わっている。
中国人には沢山観て欲しいためだろうか。
舞台の東南アジア人は50年経っても現在より文化的に遅れた生活をしている。
敵方の科学力を考えればノマドとか言う空飛ぶ基地なんぞ一発で撃墜されるのが普通。
ちょいちょい過去の作品からの盗用も目立つ。
主人公は黒人、女性指揮官も登場しアメリカ側のポリコレには十二分の配慮をしつつ、どえらいアジア人差別の映画。
ディズニー絡みのSFにはロクなものがない。
渡辺謙も出る作品を選べよ。
激しく考え込んでしまう
この作品にはっきりと見えるのが、価値観の転換点
これもまたLGBT法から波及したものだろう。
この作品の絶妙な部分がLGBT法のように逆差別をしない点だが、逆にこの価値転換をするには戦争のように「決着をつける」必要があるということも、この作品は暗に示している。
人類の歴史とは戦争の歴史であり、争いでは何も「解決」しないというあたかも正論のような概念がまかり通っているが、戦争や内戦が勃発するまでの過程で話し合いや取り決めなどによる「折り合い」は大岡越前の三方一両損のようにはいかず、結局誰も納得できるものではなく、その先にあるのは「決着をつける」以外の方法がなくなるというのが「人類が得てきた教訓」なのではないだろうか?
LGBT法をバックに逆差別し始めた人々
ヴィーガンによる肉を食べる人に対する口撃
シーシェパード…
人類はこれまで「解決」してきたことなど何もなく、すべてが「決着」していただけだということ。
彼らのような逆差別による口撃が戦争のきっかけになっている。
しかし、この脚本の練りこみ方は凄い。
核爆発事故の責任をAIの所為にして、でっちあげたAIの是非の論争が戦争になったという背景はいかにもアメリカ的だが、AIからシミュラントなるアンドロイドを徹底破壊するに至ったのは、その設計においてニューアジアにとてもかなわなかったという背景がある。
西側は近代的に発展しており、都会的 かつ軍の勢力が強いことが伺える。
それに比べニューアジアでは20世紀的な暮らし方だが、農産物の生産にシミュラントが活用されていて、問題発生時に駆け付けるのが警察だ。
ここで監督が仕掛けているのが「正邪論」
誘導的なのは、ニューアジアの風景がアメリカ人にとってはベトナムに見えること。
天才設計士のニルマートと未知なる武器「アルファウォー」を捉えるのがこの戦争の表面上の目標
そのために潜入捜査し、ニルマートの娘マヤと結婚までしたジョシュア
このジョシュアがマヤとの暮らしの中で感じたのが「幸せ」という概念なのだろう。
それが都会生活と田舎生活 ファスト生活とスロー生活の違い。
西側が起こした戦争は、9.11とまったく同じ構造
つまり、自作自演でアメリカが以前からずっとしてきたこと。
ジョシュアのセリフに「人類よりもオレの家族」というセリフがあるが、彼にとって救うべきものが何か、失って初めて明確化したことが伺える。
彼にとっての戦争とは、任務ではなく味方によって襲撃されて家族を失ったことにほかならない。
さて、
タイトルの「創造者」だが、ニルマートだったマヤが胎児をスキャンして創ったアルフィー
彼の名前をジョシュアが付けるという点にも大きな含みを感じる。
それは「祝福」という概念
聖書の神の言葉「私はアルファでありオメガである」
いくつもの含みがある
救世主 神 キリストの再臨 そして新人類の誕生
口の悪い女大佐は、ネアンデルタール人とホモサピエンスを引き合いに出す。
本編には描かれていないが、つまり、新人類は人類を滅ぼす可能性を示唆している。
この物語が「人類」にとってハッピーエンドではなかったのかもしれないという含みがある。
AIの人権と彼らの感情、愛などはプログラムなのか発生したのか?
人の死は基本的に呼吸と心臓が止まることだが、細胞はまだ生きている。
そこから取り出す記憶と意識
この記憶と意識に加え感情があれば、それはもう人間として認めざるを得ないのだろうか?
ジョシュアは何年かの間シミュラントや彼らを人間扱いする人々と暮したことで、アンドロイドと人間という区別をしなくなったのだろう。
加えて彼自身が片腕と片足がブレインマシンインターフェイスになっている。
このことが半身人間、半身機械両方の感覚がわかることを表現している。
彼にとってマヤとお腹の中の子の喪失は堪え難いものだというのもわかる。
両方人間だ。
マヤが創ったアルフィー その作り出す過程から、自分の息子のコピーだというのを理解し始める。
マシンである彼と一緒に戦火を逃れながら情が移っていく。
しかし、それがクローンであればまだしも、機械とAIだ。
ここに視聴者の中に芽生える葛藤がある。受け入れざるを得ないのか、それとも分類すべきなのか?
マヤは生前自分の分身を提供していたことで、ノマドの中にもその一体があった。
これをアルフィーが見つけ、マヤの記憶を移植した。
アルフィーは途中から言葉遣いが女性的になる。
つまりそのメモリにあるのがマヤだ。
アルフィーの中にはマヤの記憶も収められている。
そして天国という概念
ジョシュアの死生観は、この作品において非常に興味深いところ。
このあたりからアルフィーの中のマヤが覚醒し始めている。
肉体よりも記憶と意識と感情
これを持ったAIこそ新人類なのかもしれない。
この物語の示すコピーとは、肉体だけにとどまらず、記憶や意識や感情までも示しているのではないだろうか?
そのマヤの想いは、マヤの肉体をしたシミュラントに自分の記憶をインプットすること。
それはもう一度肉体を持ってジョシュアに再会したいから。
そしてジョシュアとマヤとの感動の再会となった訳だが、そもそもノマドの中になぜたくさんのシミュラントがいたのだろう?
徹底的に破壊するのが西側の目的だったはずだ。
監督はここに自作自演で戦争を仕掛け、そこにある土地や資源を奪ってきた「西側諸国」のやり方を忍ばせた。
大佐がアルフィーを確保させた理由
アルフィーを処分すれば西側が有利になる。
または西側とは人類史における「過去」を表現したのかもしれない。
この部分を同時に表現するという脚本の練りこみ方は凄すぎる。
ただ、
少々納得できない点がアルファウォーで、ジョシュアがアルフィーが「武器」だと見抜いた点、それがアルファウォーだという点を西側と共有するまでの過程を急ぎ過ぎていたこと。
そもそも練りこまれた物語とSFなので、この部分は丁寧に表現してほしかった。
さて、、
昔から教科書に載っている人類の進化の絵
サルから大きなサルへ、そしてたったサル 毛の生えた猿人 武器を持った猿人 ホモサピエンス クロマニヨン人
実際それはは間違いで、アウストラロピテクスからホモエレクトス、ネアンデルタール人、ホモサピエンスは若干の差はあれ同時発生していた。
それが発生であって創造ではないのかもしれない。
この作品の創造主というタイトルは、どうしても神という概念に直結する。
私は、ここがキリスト教世界で切っても切り離せない箇所であり、絶対譲れない箇所だと思うが、もうそこは卒業してもいいんじゃないかなとも思う。
さて、、、
ノマドは地上で崩壊したが爆破炎上していない。
おそらく、
肉体のジョシュアはこの墜落で死んでも、その記憶は復活されるのではないだろうか?
つまりこの物語には先があり、自分のコピーが生き続ける未来
自分を増殖できる未来
従来虐げられてきたことが終焉し、ひと時の平和が訪れるが、この人というものに染みついた争いの種がなくなることなどあるのだろうか?
気の合わない誰かを殺害し滅ぼし、そうして何種類かの人格だけになっていく未来
人類がAIになっても、何だか恐ろしい。
新潟県小出町
日本語や中国語、東南アジアの言語、そこに英語が支配者のように存在する。特にニューアジアの『ブレードランナー』ぽい夜の街にも数々の日本語表記が多くて笑ってしまいそうになったけど、渡辺謙演ずるハルンが双眼鏡を覗いたときにターゲットの「ノマド」という文字が映し出される直前に「小出町新潟県」という文字が出てきてビックリ!渡辺謙が新潟県出身なのは知ってたけど、ここまでギャグをかますか(笑)。尚、小出町は合併により魚沼市となっています。
音楽は壮大なオーケストラ曲がよく似合うハンス・ジマーだけど、それよりもディープパープルの曲(チャイルド・イン・タイム、他)が流れてきたのには驚きだった。その他にもアジアのロックバンド曲もあったり、全般には60~80年代の曲が多い。軍事基地ではAIを使ってないことを強調するためか、冒頭からアナログ感覚を植え付けてくれたのだ。尚、ボカロ曲や新しい学校のリーダーズ(英語表記はAtarashii Gakko!)はご愛嬌か。
大まかなストーリーは、アメリカ軍の潜入捜査員ジョシュアがニューアジアの現地でマヤという女性と恋仲になり、出産間近という中で軍が急襲してくるという序盤から、死んだと思ってたマヤが生きていることを知り、AI少女アルフィーの力を借りて命令を無視して探す旅に出るというもの。ロサンゼルスで100万人の犠牲者を出したのはAIの核攻撃によるものだという人類対AIという戦争をおっぱじめたという近未来の設定だ。
しかし、描かれる映像としてはベトナム戦争を想起させるものであり、「AIは捨てた」と主張するアメリカ側の論理があるにもかかわらず、実際には西側諸国に対抗する新興国ニューアジアがAI開発を止めないという理由で工場を破壊しまくり、人間をも殺しまくり・・・“グラウンドゼロ”というネーミングから考えても9.11の報復戦争の描写としか言いようがない。
また、ニール・ブロムカンプ監督の『第9地区』『エリジウム』『チャッピー』をも思い出してしまう映像オンパレード。格差社会や貧富の差までは描かれてないけど、むしろ戦争の風刺が強く感じられた。相手はロボットだからと、現地の人間をも殺していく冷酷さにはゾッとさせられた。
ただ、AIとロボットの違いが理解しにくいのが残念なところだったか。ロボットは奴隷として作られ、人間の命令に忠実ということなら、憎々しい女性大佐の部下である下の兵士たちもロボットみたいなものだと強調してくれたら尚可。ロボット三原則なんて通り越しちゃってるところが新しいかも。今年初の映画鑑賞(アマプラだけど)でしたが、映画脳がちょいとオンになったかも。去年はオフしっぱなし・・・いやスタンバイだったかな?
未来描写より顔のアップばかりの戦争映画
景色や背景を見たいのに顔のアップばかりでした。夜のシーンになる度に眠くなりました。昼になると今度は、煙や砂埃で背景が見えません。
4章くらいに分けて、章ごとにタイトルまで付けています。「友達」、「母」など、分ける必要がなさそうですが、『2001年宇宙の旅』(キューブリック監督作品)のオマージュのつもりかもしれませんね。
BGMは、眠れるサウンドとしては良かったです。CGは素晴らしいのですが、デザインとカメラワークが面白みに欠けていました。
AIの製造工場の描写は、精密機器を扱っているとは思えない雰囲気でした。
AIの仕組み等テクノロジーについては、『ガンダム』の世界のように視聴者に説明する氣がさらさら無いのでしょう。
終盤、アルフィーのスピーディーで有能な活躍ぶりが、それまでのスローでだるい眠くなる時間を忘れさせてくれました。
シリアスだね〜
この映画、デューンと同じで笑いが一つも無い。シリアス過ぎるが美しい。人間の創造力とAIの純粋さ、人間の残酷さとAIの可能性。全てがこの映画に詰まってて、最後まで葛藤出来る素晴らしい作品になっている。必ずこの残酷な空想を描いた物語は、現実のものになるでしょう。戦争や破壊を繰り返し、人間の役目が終わった時、本当の美しい世界が訪れるという事を伝えたかったんじゃないかな、この監督と脚本家さんは。
それにしても、ユナちゃんの圧巻の演技と渡辺謙のシリアスさに全てが持っていかれたね〜。何の予備知識も無く観たので、最後までアルフィー役のユナちゃんが女の子なんて気付かなかったわ。最後の泣き叫ぶシーンの声が可愛いなって思って調べたら女の子なんで、この映画の最大の衝撃でしたわ笑
新しさの無い寄せ集め
マ王、普段はそれなりにドタバタした生活をしてんのよ💦
映画ってマ王唯一の趣味だからストレス解消も兼ねて観に行くのよね😁
だからまぁせめて新鮮なストーリーくらいは用意してくれてると期待してたんだけどさぁ、この映画🌀
もう冒頭からデジャヴの連続😬
あまりにも多い既視感に「あれぇ〜?試写会で観たんだっけ?」と感じるほどだ😑
ザ・寄せ鍋映画、コレが率直な感想である😤
でまたストーリーもドイヒ〜過ぎて何をどうコメントしたら良いのかなのさ😵💫
兎に角、全編通してワクワクが感じない⤵️
戦争としての定義が狭くて浅い(その程度でモタモタと今日まで戦争を長引かせてたの?)
また各キャラクターはどう鑑賞しても薄口の存在に感じてしまう(せめて渡辺謙は頑張ってほしかった)
どうしてこんな映画を世に放ったのか?
と思ったらやっぱりディズニーじゃん💨
奴ら潤沢な資金でテキトーな映画を作っては「名作だぁ」と叫びながら喧伝しやがる(アナ雪辺りから)
あの会社は「ジョン・カーター」で大赤字を出しても小揺るぎもしねぇからなぁ🤨
色々と観る角度があるかもだけど、冷静に映像や物語を考察すれば過去の映画の面白そうを繋ぎ合わせたフランケンシュタイン映画(要は完璧にはなれない劣化版)
そんなワケでマ王には何一つとして響かない映画でした🥸
映画館での鑑賞オススメ度★★☆☆☆
キャラクター透明度★☆☆☆☆
ディズニー悪意度★★★★★
微妙すぎる
ローグワンの監督なのが各シーンで感じられる 視点がAI寄りなのが良...
ローグワンの監督なのが各シーンで感じられる
視点がAI寄りなのが良かった
昨今のAIに仕事を取られるみたいな考え(というか誤解みたいなもの)を崩したいのかな?
AIはツールであるべきととらえる人が多いように感じるがその先にあるAIとの共存
AIともに生活している様子は一つの理想形だと思う
監督のもしもAIだったらが思う存分見れて嬉しい
縦長のノマドは重圧感あってデザインとてもいい
どうしてもブレードランナー+ベトナム戦争系の既視感あって新鮮さが薄め
共存が普通過ぎて映画としてはワクワク感が弱め
アルフィーの力がBluetoothのより強力なやつとか無線的な何かだとは思うがちょっとテレパシー能力的なものに見えてしまう
現実のAIも著作権とか色々な問題解決してシンギュラリティが起きて映画の中のようなAIに進化してほしいわー
映画館で見るべきだった
2024
20本目
ローグワンの監督ギャレスが指揮をとっただけあって映像がかなりいい。世界観もあり私は見応えあって好きな作品だ。
AIの反乱的映画は今までもあったが、これは少し先を行ってます。
ターミネーターのように機械vs人間のようなはっきりとした図式はなく、”AIと共存する世界”vs”相入れない世界”の戦争。AIにも感情があり、人間を憎んでいるわけでは無い。だからこそ共存しお互いを支え合って生きている。
この戦争の発端となる核爆弾だが、理由がなんとも人間らしい。人間臭いと言うべきか…なんか悲しくなる。
とにかく近年のSF映画では上位です。
あまり、SF映画って涙流す感動より
爽快感や映像美な見方をしちゃうが、心をエグッてくるようなシーンも多く、涙が出るようなシーンもあった。
ジョシュアとアルフィーの最後のやりとりは感動した。
今ではないが、将来なるのではないだろうか?
それもまた人間らしい理由で…
ぜひ観るべき作品。
SFビジュアル(CG)は素晴らしい!
お面が大事
戦場は“新アジア”で見た目はベトナム。よってベトナム戦争を自己批判しながら、地獄の黙示録とブレードランナーを合わせた印象で、アルフィー=ニルマタはカーツ大佐であり、シュミラントはレプリカントだった。
要点はアルフィーが見目麗しい子供であること。言わば無垢な子供の外観をしていることによってアルフィー=ニルマタは殺傷をまぬがれる──というAI側の戦略が描かれている。もっと言うなら愛らしいお面を貼り付けときゃ人間は欺ける──という話でもあった。
ただし悪いのは人間でありロサンゼルスへの核攻撃にしても人間側の誤爆だったのをAIの攻撃だとでっちあげて戦争をやっているわけで、AI側は元来必要のない戦闘を強いられている。名バイプレーヤーAllison Janneyが血も涙もない陸軍大佐を演じていた。
とはいえAIに血や涙はない。
けっきょく手塚治虫やあまたのSF作家たちが提起してきた人とロボットの関係性や、機械が意識を持ち得るのかという命題に漂着してしまうとThe Creatorは楽しめなくなる。
しんだのかオフしただけなのか、それともスタンバイなのか。機械に過ぎないならなぜMadeleine Yuna Voylesの笑顔にぐっとくるのか。美醜で心ざわめくなら、みんな端正な顔のシリコンお面を貼り付けときゃいいはずだ。兵士がみんなアルフィーみたいないたいけな子供であれば戦闘も有利に運べるにちがいない。
はたしてそれは考えすぎなのか。この映画で観衆がシンパシーを寄せるのはゴム素材と思しいお面に過ぎない。
DNAをドネイトすることでAIの分身をつくることが推奨されているが、お面を貼り付けるだけなら、選び放題ではなかろうか。
The Creatorに限らずそもそも人は顔の造形(外見)によって感情の動きがちがってくる。人間は内面の味方ではなく、外見の味方をするもんだ。だからアルフィーをニルマタにしたんじゃないか。・・・とか考える偏屈はThe Creatorを楽しめないという話。
しかし映画はお金もかかっていて壮大な話を効率的にまとめている。さまざまな既視素材が思い浮かぶ──とはいえ二番煎じにはならない品質(プロダクションデザイン)も備えていた。
『彼(ギャレスエドワーズ)はインスピレーションの源として、『地獄の黙示録』(1979年)、『BARAKA』(1992年)、『ブレードランナー』(1982年)、『AKIRA』(1988年)、『レインマン』(1988年)、『殺し屋たちの挽歌』(1984年)、『E.T.』(1982年)、『ペーパームーン』(1973年)といった映画を挙げている。』
(wikipedia、The Creator (2023 film)より)
が、見終えて俯瞰してみると食い足りなさが残って、RottenTomatoesにあった──
『これは、AIによって書かれたように感じられるAIについての映画だ。』
というconsに頷けてしまうものがあった。
imdb68%、RottenTomatoes66%と76%。
全318件中、1~20件目を表示