怪物の木こり : インタビュー
サイコパス的な魅力? 見る者を引き込む亀梨和也、演技者としてのこれから
「映画 妖怪人間ベム」(12)、33役を演じ分けた「俺俺」(13)、天才スパイに扮した「ジョーカーゲーム」(15)、そして大ヒットホラー「事故物件 恐い間取り」(20)など、バラエティ豊かな作品群で多彩な顔を披露し、映画俳優としても目覚ましい躍進を見せる亀梨和也。
このほど三池崇史監督が、第17回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した倉井眉介による小説を映画化した超刺激サスペンス「怪物の木こり」で、連続殺人犯に立ち向かう、サイコパスの弁護士役というインパクトの強い役柄で主演する。歌手、俳優、スポーツキャスターと八面六臂に活躍、端正なマスクはもちろんのこと、巧みな話術とふとした時に見せる深遠な表情で、見る者たちを“亀梨ワールド”に引き込む類まれな才能を持つ亀梨そのものが、ある意味魅力的なサイコパス的存在とも言えるかもしれない。
亀梨でなければ演じられなかったであろうハマり役の二宮というキャラクター像、世界的鬼才とのタッグ、そして一度は芸能界を退くことも考えたという、30代半ばからコロナ禍前後のキャリアと心境の変化などを赤裸々に、かつ哲学的に語ってくれた。
――三池監督との初タッグ作となります。今回三池監督の演出や現場について教えてください。
サイコパスという設定を演じるにはアプローチの仕方が色々あるので、どういう風に構築していこうかな……と最初はいろいろやりたくなってしまうんです。三池監督の過去の作品も見ていたので、作品のテイストは少なからずわかっていましたが、今回は新しいものを作ろうということで、その瞬間瞬間のフィーリングや、監督の要望を楽しみたい、という気持ちで臨みました。
サイコパスをテーマにした作品は既にたくさんありますし、受け取る側のサイコパスはこういうものだというイメージも存在します。クランクイン前にそれをどう崩せるか、と監督と話し、今回は、“引き算”だ、という結論になりました。僕が演じる二宮は、物語の中でその行動に十分サイコパス的な要素があるので、そのキャラクターを構築する上で、派手な演技はしないように決めました。
こんな風に方向性について監督、プロデューサーとクランクイン前にしっかりお話できたので、現場での芝居は僕に任せてくれていたと思います。今回、表情の筋肉の使い方、そして目の動かし方を細かく意識して作りました。ネタバレになってしまうので、ビフォーアフターという言い方をしますが、ビフォーの時とアフターの時で、目の動かし方、首の使い方を変えています。ビフォーの時は、人を見る時も首と一緒に動くようなことを意識しましたが、アフターの方は目だけで見たりする、そんな変化をつけました。僕の中での準備がいわばビフォーでもあったので、アフターになる流れのちょっとしたニュアンスが大事だったんです。
――本作のサイコパス監修を務めた脳科学者の中野信子氏が、「サイコパスは魅力的な自分を演出する力を持っている」と仰っています。今回サイコパスを演じて、亀梨さん自身も自分のサイコパス要素を感じることはありましたか?
僕は自分の演出能力が高い、とよく言っていただくのですが、実は、自分の人生や活動であまり戦略めいたことってないんです。どちらかというと仁義や流れ、巡り合わせというものを大事に生きています。
でも、様々なお仕事をさせていただいているので、それが成立している時点で、自分はちょっとサイコパスなのかもしれません。その瞬間、その瞬間でキャラクター設定を作れること、それはどれも偽りではないですし、何がこの瞬間で一番適しているかという選択です。こういう自分を出したい、ここではこう思われたいというような計算でやっているわけではないんです。
人格の二面性のようなものは誰しも持っているものだけれど、例えば、僕は1日の中で朝、映画を撮って、お昼からバラエティとアイドルのリハーサルに参加して、夜はスポーツ番組に出て……ということを日常やって、仕事として持っているものが多いから、その場その場の顔みたいなものが強く出てくるのかもしれません。その切り替えは僕の中では自然にやっていますが、客観的に見るとちょっと奇妙かもしれないですね。
――今回亀梨さんが演じた二宮はクレイジーでありながら、ちょっとした色気もある魅力的なキャラクターです。亀梨さんから見た二宮の魅力はどんな部分だと思いますか?
人をある程度支配できるようなキャラクターなので、内に持つ強さや能力はもちろんあると思いますが、今回キャラクター作りにあたって、三池監督やキャラクタースーパーバイザーの方たちとお話する中で、衣装やヘアメイクも若干のナルシスト性はしっかり出していいんじゃないか、ということになったんです。亀梨の感じをフル活用してもらえれば間違いないと思って(笑)。
僕は別にナルシストだとは思っていません。でも、若い頃にある程度、そういう時間も経て今に至ると思うので、もしかしたらどう見られているのか、ということは築き上げてしまったかもしれないです。カッコつけているつもりじゃないですけど、二宮、やたら決まっていますねー(笑)と言われた時もありました。
――1999年にドラマ「3年B組金八先生」シリーズで俳優デビューして25年。キャリアを積み上げ、演じる楽しさ、難しさをどのようにとらえていますか?
若い頃は台本のセリフがたった一行でもすごく嬉しかったんですよ。こんなこと言ってしまうと怒られるかもしれませんが、最近はセリフが多ければ多いほど覚える作業が大変なのでちょっと……みたいな側面も出てきます。とはいえ、ありがたいことに主役や大きな役をいただくことが増えて、本当にやりがいを感じています。やればやるほど、自分の癖もわかってきますし、演じるキャラクターの種類が増えていくのを実感しています。
そして、出演作品が増えれば増えるほど、皆さんが僕に抱いてくれる印象、そしてそれをどう崩すのか、と考えます。俳優の仕事を始めた頃、自分の特徴をうまく活用できる役は非常にありがたかったです。そして、中盤は亀梨くんっぽくない役柄、今までの印象と違うキャラクターの作品をいただくことが増えました。ビジュアル含めて結構ポテッとしてほしいとか、ボヤっと日常に紛れてほしいとか。この十年くらいはいわゆる亀梨っぽくない役を自分の中で構築して挑んできました。そんな経験があったからこそ、今、亀梨の引き出しが増えて、この作品や、今後の作品でも、俳優業を歩み出させてもらった時に近い役柄のオファーをいただくことが増えて、すごくやりがいを感じています。
僕はお芝居では、「本当にこんな人いるよな」と思わせたいんです。作品が終わった後も、街を歩いているような、キャラクターが現実にも生きている感じ、空気感を残したい。とはいえ妖怪、サイコパスという現実味のない役を演じることの面白みもあります。子供の頃、スーパヒーローものとかを見て、あの建物にもしかしたら○○マンがいるんじゃないか……と想像されるような、そういう存在として俳優業をやっていきたいです。
――この作品に出演したことが、亀梨さんの人生プランの上でも大きな転機になったようですね。スペインで開催された第56回シッチェス・カタロニアファンタスティック国際映画祭に参加されました。現地の反応を肌で感じ、今後のキャリアについて考えましたか?
海外の映画祭は過去にも経験していますが、僕はこれまで巡り合わせや人と人との繋がりを大切にしていて、あまり人生のプランを立てて生きていないタイプの人間だったんです。でも、40代を目前にして、ある程度自分の中で指針を作っていこうかなと思って。何を手放し、何を自分の中に蓄え、新しい何かを手に入れるのか――そういうことをちゃんと考えながら進んでいかなければいけない、そんなことを考えていたタイミングで今回の映画に出演し、海外の映画祭にも行かせてもらう中で、まだまだ本当にやっていないことがあるし、たどり着きたかった場所があると感じました。
正直言うと、ちょうど30歳頃に自分のセカンドキャリアを考えたとき、それは芸能界じゃないのかもしれないと思ったんです。だから35歳ぐらいまでにある程度区切りをつけて、人生をフラットにしたいと思っていた時期がちょっとあって。でも、コロナ禍を経験し、そして今現在もここにいますが、これも巡り合わせだなって。だとしたら、もう一度ちゃんと自分の原点に立ち返って自分と向き合おうと思ったんです。
そんな流れの中でこの作品に出られたのは、チャンスというよりは、ありがたいなと。だからこそどういう形で自分が存在できるか、(芸能界に)いるならやり切ろうと思いました。そして海外の映画祭に行き、こういう時間、こういう場所にいることを、しっかり自分の視野に捉えながら過ごす。ここから先はそういう2~3年にするのも悪くない、してみたい、という思いが湧き出てきました。ここ数年は自分に期待したり、何か湧き出すような力が弱まっていたのですが、2023年はそれを取り戻し、また湧き出てきたことにちょっと喜びを感じています。
責任やプライドや美学の中で、亀梨和也という優先順位を下げた状態の時間が長かったので、今年からその亀梨和也というものをちゃんと捉えることをテーマに生きようって決めたんです。だからイエスノーであったり、物事と向き合った時の、ある種の繊細さが出てしまう瞬間があったりするかもしれません。感じの悪い人間になったわけではなくて、よりセンサーが敏感になっているという解釈をしていただきたくて。その分、結果で返していきたいと思います。
――完成作を見ての感想、そして改めて本作の見どころを教えてください。
自分が出ている作品なので、恥ずかしさもありますが、本当にいい作品だと思います。サイコパス対連続殺人鬼というと強いワードに聞こえますが、ヒューマンドラマとしての温かみもあり、人間とは、人とは、自分とは一体何なんだ? というメッセージ性もあります。サイコパスは一つのキーですが、サイコパスじゃなくても、僕らの普通の生活の中で仕事やプライベート、かかわる人に対していろんな側面がある。そこで、本当の自分ってなんだろう?って、考えさせられる作品に仕上がっています。
普通の人も置かれた環境によって、自分では知りえない自分が出てくることもありますよね。もし、ものすごい飢餓状態で、ここにご飯があったら人が見ていないときに食べてしまうこともあるでしょうし、日本でこの映画を観られる状況にいる人は、「つらいことがあれば幸せなことがある」なんて言えるくらいには恵まれた環境にあると思います。そうではない辛い状況下にいる人は同じこと言えるかな? とも思うんです。
だから人の行動や判断って、それは本当に自分の考えだけの選択なのか? 普段と同じ出来事、環境の中でも心理状況がちょっと変わっただけで、不意に訪れる感情もある。そして今の世の中、何でも知ることが良しとされている風潮もあるけど、すべてを知ることは正解なのか? わからなくていいこと、互いに知らなくていい関係値や距離感もきっとある。そういう気づかなかったことに気づく恐怖もこの映画は描いていて、深いな、と思うんです。
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演技者としての心構え、そして自身のキャリアに対する気持ちの変化も明かしながら、巧みな比喩を交えて本作の奥深い魅力を語った亀梨。サイコパスと普通の人間の違いとは何か? 人間にとっての本当の幸せとは何なのか……複雑な難役を体現した亀梨の姿をぜひスクリーンで確認してほしい。