本作については当サイトの新作映画評論の枠に寄稿したので、ここでは補足的な事柄をいくつか書き残しておきたい。
まず、評では原作と映画で直接または間接的に言及した史実や事件を時代順に5つ挙げた。そのうち731部隊とミドリ十字などによる薬害エイズ事件は、人体実験に軍医として関与した内藤良一がのちに日本ブラッドバンク(ミドリ十字の前身)を創業したという点でもともとつながりがあった。だがそれ以外の3つの出来事にも事件が起きた背景などに共通する傾向を見出し、小説のストーリーに組み込んだのはやはり吉田修一の作家としての構想力の賜物であり、読み進むほどに圧倒される思いがした。
原作を未読で映画を鑑賞した場合、圭介(福士蒼汰)や佳代(松本まりか)の内面が小説ほどには描き出されていないことも相まって、情報が整理されずすっきりしない印象を受けるかもしれない。とはいえ、映画で気になったり引っかかったりした部分を確認するために小説を読んでみるのももちろんありだし、興味を持った事件があればネットで検索して解説記事やWikipediaなどで情報を補うこともできる。小説であれ映画であれ、「湖の女たち」をきっかけに歴史を俯瞰して日本人の国民性を見つめ直す契機になれば、それはきっと意義のあることだと思う。
ちなみに、実際の滋賀の人工呼吸器事件では、冤罪被害にあった看護助手の女性が取り調べを行った刑事に対し「特別な感情を持った」ことも、解説記事や書籍(「私は殺ろしていません 無実の訴え12年 滋賀・呼吸器事件」中日新聞編集局)などに記録されている。吉田修一は彼女に起きた2つの出来事を、佳代と松本郁子(財前直見)という2人のキャラクターに振り分けてフィクション化した。取り調べ対象の女性が男性刑事に特別な感情を抱くというのは、犯罪被害者が犯人に心理的なつながりを築く「ストックホルム症候群」や、患者が医者や看護師に恋愛感情を抱く「転移性恋愛」に似た状況なのかとも思う。そのあたりの論考を進めても面白くなりそうだが、評では字数の制約もあり触れられなかった。
評論で割愛した要素をもう一つ書き残しておきたい。小説と映画の舞台として、琵琶湖近くの「西湖地区」「西湖署」などの架空の固有名詞が登場する。調べてみると、呼吸器事件が起きた湖東記念病院の近くに琵琶湖の内湖の一つ「西の湖」がある。第一にはこれを元に「西湖(さいこ)」という架空の地名を当てたのだろう(なお、滋賀県ではないが山梨県の富士五湖の一つとして「西湖」は実在する)。ただし映画にも造詣が深い吉田修一だから、サスペンス映画の古典的名作であるヒッチコックの「サイコ」も念頭にあったのではないか。「サイコ」と「湖の女たち」の物語上の共通点として、沼/湖に沈める・引き揚げる行為が重要な意味を持つこと、鳥を愛好するキーパーソンがいることが挙げられる。こじつけかもしれないが、そんな見方もまあ面白いのではないかと。