ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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嫌な気持ちで笑うしかない
「ボーはおそれている」
「ミッドサマー」「ヘレディタリー 継承」のアリ・アスター監督作。主演はホワキンフェニックス
アリアスターの過去作はホラーだったけど、これはコメディだ‥状況はかなりホラーでもあるけど
主人公を徐々に居心地悪いほうに振り切って、すべて最悪な状況になっていて笑うしかない
後半はもう虚か実かわからない、幻想的な悪夢が振り切ってたなー、少しでも親とか血族に悩んでる人は頭抱えるくらい嫌ーな話で笑うしか出来ない、面白かったです
おそれていたことが…全くハマらんかった
ボーの大冒険
今作ではボーの出自、10代、30-50代は描かれるが、普通の青春を描くメインとなる20代はすっぽ抜けており、ボーがどう生きていたかは最後まで理解できないまま終わっていく。
だからといって、この映画の楽しみが損なわれるわけではないが、残念な点だった。
まー最初からキテレツな街の住人で、妄想か精神内か定かではない映像でこっちをくぎ付けにさせる。物語として、薄いものになるのかと思いきや、後半にかけて、物語に傾き始めて、最後にはネタバラシまでかます。(ただこれが精神内で起こっている事象だったと考えるのが筋だとは思う。)
びっくりな映像が多くて、ホラーというよりもブラックユーモアで、最近の日本映画ならやっていることは「みなに幸あれ」と同方向のように思った。
3時間という長い時間ではあるが、全編に渡り画的に驚かす部分も多々あり、後半は急に物語重視になる。だけど、「ヘレディタリー/継承」と同じように屋根裏に行くとサプライズがあるというのは監督からのプレゼントだと思いたい。
なかなか良かったです。個人的にはミッドサマーより格段に面白い。
Crazy Days Crazy Feeling
今週は…これくらいかなー
久々の洋画だなーという感じで観賞
アリ・アスター監督作品
「ミッドサマー」はスクリーンで
観ましたしとにかく心理的生理的
嫌悪感をテーマにしたがる人ね
というイメージ
で今作はどうだったか
親からのDVをきっかけに
不安障害にさいなまれるボーの
心象風景や心理を描写し続け
どこまでが現実で空想か
怪しくする造り
それがねぇ…
ヤマを感じなくて羅列
みたいな感じで想像以上に
退屈でした
ミッドサマーはプロセスが
明解だったんで観れましたが
描写ばかりで奥行きがない感じ
そもそもボーの暮らす街
めちゃめちゃカオスなんですが
あれも現実ではないんだろうな
ってわかっちゃうんですよね
ここでスリルがすっかりなくなって
しまいました
ああもうなんでもありなんだなって
評価はしようがありません
ゲージツ的なビジュアルを
褒めるしかないんでしょうが
バービーとかでもう見た感じの
やつとか目新しさは感じなかった
油彩みたいに塗ってく表現って
CMっぽく見えるよね
A24の映画って
何本か観ましたけどみんな
意識高い系なかんじで
わからん人には結構みたいな
突き放した作りが
イヤですね
今後は避けようと思います
「不安」や「不快」は堪能できるが、3時間は長過ぎる
くぐもった話し声と断続的な騒音が聞こえてくる真っ暗な画面が、生まれる時の赤ん坊の主観映像であることが明らかになってくるオープニングに、まず驚かされる。
この赤ん坊は、床に落とされて頭を打ったらしいのだが、これが、この物語の主人公だとすると、彼が経験する不条理な災難の数々は、脳に障害を負った者が見る妄想なのかもしれないという仮説が成り立つ。
実際、彼が住んでいた街の治安の悪さは、笑ってしまうほど現実味がないし、その後の展開も支離滅裂で、一貫した論理の整合性もなく、まるで夢か幻覚のような雰囲気が漂っている。
身に覚えがないのに夜中に音楽がうるさいと文句を言われたり、無抵抗なのに警官から撃たれそうになったり、葬式に来ないことは母親を辱めることだと責められたり、親切だった婦人に戦死した息子に成り代わろうとしていると疑われたりと、強迫観念に囚われている人の感覚とは、まさにこういうものなのだろうとも思わされる。
ようやくと実家にたどり着いた主人公が出会う人々も突拍子もなく、初恋の人と結ばれて主人公が死ぬのかと思ったら、「そっちの方か!」とはぐらかされたり、すべては死んだはずの母親が、主人公の愛を試すために仕組んだことだと分かったりするのだが、それでもどこか現実離れした違和感が残り続ける。
屋根裏に幽閉されていた主人公の父親が男性器の化け物だったり、主人公がスタジアムのような場所でボートに乗ったまま裁判に掛けられたりといったファンタジー色の強い場面が登場するに至り、「すべては主人公の妄想だ」という仮説は確信に変わるのだが、それでも、最後までそうした真相が説明されることはない。
オチもタネ明かしもないまま、見た者に解釈を委ねるのは、それはそれでいいのだが、ようやくとエンディングを迎えるのかと思いきや、延々とエピソードが続く展開には、少々うんざりさせられた。
その一方で、まるで、なかなか目が醒めないまま、悪夢を見続けるような感覚も味わえるのだが・・・
ただひたすらボーと観てた
抽象的で何を意味してるのかよくわからなかった
んー、現実だか妄想だか区別がつかないシーンが多く、判断は観客にお任せって映画だな。俺的にはボーは最初のシーンで全裸殺人鬼に殺されていて、その後のシーンは死んだボーがあの世に行くまでに人生を振り返りながら裁きを受けているような状態なのかな、と思う。何も断定的な情報がない映画なのでわからないが。途中でボートの上で倒れてるシーンチラッとあったから多分死んでる。
んー、3時間は長かった。どこに進んでるかわからないシナリオ。抽象的で俺には理解が追いつかなかった。でも悪くはなかった。星3.7,.俺に深い洞察力があれば星4だったろうな。
ママ、気がへんになりそうです。
かなり攻めた構成で万人受けからは程遠い。
そして難解で解釈も複数できるだろう。
序盤でカウンセラーが話す共存する感情。
ボーが持つそれらの感情を終始描いているか。
母親に生きていてほしいけど死んでほしい。
会いに行きたいけど行きたくない。
そんな矛盾するように見えるが共存する気持ちがボーの見る世界には常に顕現している。
ボーにとっては鍵を盗まれたのも、殺人鬼に追われたのも、ペンキを飲む子供を助けようとしたのも、母を愛していることも現実である。
言い訳のための自己正当化なのか、本当に起きている出来事なのかを知る術は観客には無い。
メメントのように共存し相反する視点を対照的に描くのではなく、キュビズムのように一つの流れを途切らせず物語が進む。
本来一つの視点からは見ることのできないものを、無理やり一つの視点から見させられる歪さは他では味わえない。
想像を超える衝撃!!
アリ・アスターの思う壺
「みんな、どん底気分になればいいな」
なりました。気分悪〜。
主人公が次から次へと災難に見舞われる。
本人にとっては悲劇でも他から見れば喜劇。
普通は、こういうのは、笑わせて、最後にはほろっとしたり、小さな希望があったりして、終わるんだろうけど、全く普通じゃない。
笑わせようなんて思ってないんだろうし、突き放される。
繰り返し見ると、その度に面白さに気づくんだろうけど、何回も観たいような映画じゃない。観ないくせにソフト買って大事に取っておくような作品でもない。
でもなんか癖になるというか好きな人は好きなんだろうな。
エマ・ストーンに続いて、ホアキン・フェニックスが惜しげもなく裸体を晒して、まさに体当たりのはまり役。
(つい最近、ナポレオンだったのに。好きな俳優さんじゃないけど、良い俳優さんなんだな)
コメディだったのね
コレは妄想なのか?現実なのか?
【"独占監視欲の強い母性の猛毒。そして母の豪奢な家の屋根裏に居たモノ。”今作はアリ・アスターの猛毒コミカルスリラーである。ママ、NOBUはこんな変な映画を観て、きがへんになりそうです・・。】
・ボー(ホアキン・フェニックス)は良い年乍ら、ボロッチイアパートで一人暮らし。町は荒れていて、全裸で人殺しをする男や路上に倒れている男など明らかにオカシイ世界に住んでいる。
ボーはセラピストのフリール医師(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)から精神治療を受けており、”必ず水と一緒に呑むように”と言われ”ジブノチクリル”と言う薬を処方される。
・ボーは父が腹情死した日に企業家の母モナ・ワッサーマン(パティ・ルポーン)に久しぶりに会いに行こうとするが、夜中に訳のワカラナイ手紙(音楽の音量を下げてくれ!)を扉の下から何度も入れられ、寝過ごしてしまい、慌てて部屋を出ようとしたときに忘れ物を取りに戻った瞬間に部屋の鍵と荷物を盗まれてしまう。
- 呆然とした情けない表情のボーを演じるホアキン・フェニックスの姿が可笑しいし、今作品はホラー要素だけではないぞ!と確信する。-
・更に、ボーは”ジブノチクリル”を呑んだ際に、アパートが断水になり慌てて向かいの店に行き水を買うのだが、その間に自分の部屋の中には路上の人達が入り込んでいる。
荒らされた部屋に戻り、呆然とする中、母に電話をすると運送会社の男が電話に出る。彼は慌てた様子で、”シャンデリアが落ちて、お母さんと思われる人の頭と首が潰れてしまった・・。”と語るのである。
・その後もボーが呆然と入浴していると天井に男が必死の形相で、張り付いている。男の顔には毒グモがおり男が落ちて来て、ポーは全裸で男ともみ合い(脳内、大爆笑。)そのまま路上に出たものだから、警官に殺人犯と間違われ、逃げ出したところで車に轢かれる。<暗転>
・気が付くと、ポーは彼を轢いた外科医のロジャー(ネイサン・レイン)とグレース(エイミー・ライアン)夫婦の娘トニのピンクの部屋のベッドに寝ている。(全体的に凄く変なシーンである。)ロジャーとグレースは戦争で亡くなった息子の部屋ではなく、娘の部屋を使っているからである。
・そして、グレースがボーの耳元で囁いた言葉、”チャンネル78”。ボーがチャンネル78を付けると、そこにはボーの姿が映っていた・・。
ー 何となく、先が見えて来たぞ・・。クスクス。-
・ロジャーとネイサンの家には息子の同僚で精神を病んだジーヴス(ドゥニ・メノーシェ)もキャンピングカー内に住んでいる。
自分が両親に愛されていない事を知っているトニは、兄の部屋にペンキをブチマケ、序でにペンキを呑んで失神。怒ったグレースはボーが”僕じゃない。”と言っているのに、ジーヴスに逃げ出したボーを追わせる。
ー ドゥニ・メノーシェに追いかけられたくないなあ・・。クスクス。-
■ボーは、家に電話すると弁護士から”貴方が帰って来ないと、埋葬できない。”と告げられ更に焦るのである。
そして、森の中であった不思議な劇団の少年少女や父らしき男と会ったり(この辺りはボーの妄想の様な気がする。)しながらようやく母の家に着くと式は既に終わっている。
首のない棺の中の死体。
(この後、この死体はモナ・ワッサーマンのメイドのマーサだったことが分かる。殺したのは、勿論モナ・ワッサーマンである。)
・そして、何故か式の様子がボイスレコーダーから流れる中、女性が遅れてやって来る。彼女はボーが少年時代に旅先の船上で知り合ったエレイン(パーカー・ボージー)だった。彼女は母モナ・ワッサーマンの経営する会社の社員だったのである。
ー モナの且つて息子に近寄った女を雇うモナの独占欲が伺える。-
・ボーはエレインと母のベッドで情を交わすが、且つての父の様に腹情死になりそうな感じがして情けない声を出すが、気が付くとエレインは騎乗位のまま死んでいるのである。
そして表れた死んだ筈の母モナ・ワッサーマンがドドーンと登場する。
脇には、フリール医師もニヤニヤ笑いながら座っている。
・全ては、彼女が仕掛けた事だった事が判りオロオロするボーを、母は彼を屋根裏に追い込む。そこで彼が見た鎖に繋がれた自分の双子の兄弟とデカい男根のお化け。
ー 再び、脳内大爆笑。ジーヴスが男根のお化けにナイフを刺すも効かず・・。-
■ボーは、全てを仕掛けた母の首を絞めてしまい、母は崩れ落ちる。
ボートで逃げるボーだが、いつの間にか大観衆が見ている湖の様な場所で、過去彼が母にして来た少年時代からの数々の行いを弾劾されるのである。
母は、そんな息子を冷たい目で、見下げている。
そして、ボーの乗ったボートは転覆し、誰も居なくなった湖の上で船腹を上にして漂っているのである・・。
<今作は、独占監視欲の強い母性が発する猛毒をベースに、それにより情けない男になってしまったボーの姿をコミカル且つスリラー要素も絡めて描いた作品である。
壮大なスケールの、アリ・アスター監督のぬ遣りたい放題ワールドを堪能したい作品でもある。>
「母性」と「ユダヤ」と「強迫神経症」と
A24プレゼンツのアリ・アスター監督作品というと「ミッドサマー」が思い浮かびますが、同作が世間的に話題なった割には個人的にあまりしっくりこない作品でした。それでも今回本作を観に行ったのは、主役がホアキン・フェニックスだったから。直近で観た「ナポレオン」は、物語の方はちょっと残念でしたが、ホアキン・フェニックスの演技は素晴らしかったし、何と言っても「ジョーカー」の時の驚愕の演技力が脳裏に焼き付いており、相当な期待と漠とした不安を抱いて本作を鑑賞しました。
結論から言うと、内容が盛りだくさんで、一筋縄では理解が難しい作品でした。そこでキーとなる要素をいくつかピックアップして、それぞれの観点から本作を振り返りたいと思います。
まず本作の物語の軸となっているのが、主役のボーが離れて暮らす母親に会いに行くというものなので、「母性」というものに焦点を当ててみます。ボーの母は物語終盤に姿を現しますが、一代で大企業を作り上げた敏腕経営者。ボーに対する愛情も勿論あるようですが、支配欲が強く、半ば従業員に対してパワハラ的に接するような態度でボーと接してきたようで、そんな母親を「ボーはおそれて」育った模様。一方父親が生きているのか死んでいるのか、何故いなくなったのかなども不明な状態で物語は進んで行きました。
こうした展開は、まさに母と息子の葛藤の物語な訳で、良くある物語と言えば良くある物語です。終盤になって母と息子が対峙する場面では、ボーが長年の葛藤を乗り越えて自立できるのかが焦点になります。一方で置き去りにされていた父親は、字義通りシンボル化されて天井裏に閉じ込められており、あえない最期を迎えることに。この辺り、父権の失墜と女権の隆盛と言う今の社会状況のメタファーと解することも可能なのかも知れませんが、ジェンダーギャップ指数が世界146か国中125位と、依然として男権が強い日本にいると、あまり響かない展開ではありました。
ただ母子の葛藤の物語を自分に当てはめて考えてみると、今や年老いてしまった我が母が、かつて強かった当時を思い起こすことになり、それなりに懐かしさを覚えたところです。まあ我が母はボーの母同様に意志強固ではありましたが、息子のセックスにまで口を挟まなかったので、その点ボーよりも遥かに幸運だったのでしょう。
続いてキーとなっていたのは「ユダヤ」ということ。アリ・アスター監督はユダヤ人なので、自らの出自となるユダヤ人の受難の歴史を、ボーに背負わせていたという解釈も可能でしょう。アパートの隣人から言われなき嫌がらせを受け、鍵を盗まれて自室を得体の知れない連中に乗っ取られるボー。この辺りの物語序盤の展開は、まさにユダヤ人の歴史と重なるもの。そして「約束の地」たる母の元に苦難の旅をするボーの姿も、彼らの歴史に重ね合わせて描かれていたように(勝手に)解釈したところです。
そして3つ目のキーが「強迫神経症」。本作は、とにかくボーが苛められ続けるというお話ですが、これらの受難はボーの強迫神経症と思しき症状から来る想像の産物だったと言っても良いかと思います。街にはヤバい奴が溢れている、外に出ると奴らに襲われるかも知れないという恐怖心は、特に治安の良くない場所に住んでいる人なら共有している感覚でしょうが、それが強くなり過ぎると何も出来なくなります。本作のボーはまさにそんな負のスパイラルに陥った状態でした。
そして「悪夢」の連鎖と言うべきか、こんなことが起こったら怖いなといった強迫観念が生まれた次の瞬間に、想像通りに最悪なことが発生する。誰しも「悪夢」を見ることはあると思いますが、それが延々と続くのですから、まさに「ボーはおそれている」となるのは当然でしょう。ただ実際にそれが起こったことなのか、ボーの心の裡にのみ起こったことなのかは、観た者の解釈次第でしょう。
余談ですが、昨年10月にガザ地区を支配するハマスの武力攻撃に端を発して、イスラエルとハマスとの間で紛争が続いています。緒戦ではハマスの奇襲が成功したものの、その後は圧倒的な戦力を持つイスラエルが反撃に転じており、それが行き過ぎてジェノサイドをしているのではないかという批判すら国際社会で起こっています。本作のアメリカ公開は2023年4月なので、今般のパレスチナ紛争より前に創られている訳ですが、本作の最終盤にボーが「最後の審判」を受ける際に、自分が飼っている魚には餌をやるのに、貧しいホームレスは拒絶するどころか(偶然にも)痛めつける結果となったことなどの罪状で裁かれてしまいます。アリ・アスター監督が今回のパレスチナ紛争を予見していた訳ではないでしょうが、第三者的に観るとボーの運命は中々に暗示的だったと感じたところでした。
以上、いくつかのキーワードで本作を振り返ってきましたが、それが正解なのか不正解なのかは勿論分かりません。ただ様々な切り口で自分の置かれた状況と異なる世界を描いた作品であり、正直然程には感情移入できなかったというのが正直な感想です。
あと物語の展開とは別に、期待していたホアキン・フェニックスの演技は期待通り。不安に苛まれつつ都会で暮らすボー、そして艱難辛苦を掻い潜って母の元に旅するボーの姿を、悲劇的でありつつもどこか喜劇的に演じた姿は、流石だと思わずにいられませんでした。
そんな訳で本作の評価は★3.5とします。
終始意味不明を貫き通した創造美?
ホアキンのビジュアルだけを信じて観賞しましたが、それはそれで間違っていないとは思いました。ただ、内容があまりに雑多で、率直に戸惑うところが多すぎる印象でした。
ミッドサマーを見たとき、確かにあのイメージや装飾的な映像をもっとと思ったし、あんなひどい内容(←あくまで個人的な感想)を見せられるくらいだったらもっとあの美的感覚を見せてほしいなんて思ったりもしましたが、あそこまで自由気ままなイマジネーションの連なりを見せられると、嫌気を感じてしまう・・・というか3時間というのはさすがに苦痛です。この半分でまとめてくれたら、たとえ意味不明でも全く印象が違ったような気がしますが、そんな意味不明なことを言っても仕方がないので、あくまでこの3時間もある大作はミッドサマーとはまた違った苦行といった感じでした。
かといってオチをつけてーなんて言えるような作品でもないし・・・それなりに楽しめるし見応えはもちろんあるので、単に面白くなかったと済ませていいのかも─としばらくあれこれ作品を思い返してみて、そう思うに至りました。もっと深く追求すればかなり面白いのかもと思わなくはないのですけど、疲れます。これを深ぼりするのは嫌だなぁ
なんなん、これ?
多分この監督とは私合わない(笑)
三時間飽きずに観れたけど、終始違和感が消えなかった。
そもそも日本人と外国人とは感性の土壌が全く違うと思ってる。それは多分宗教だと思う。根っこにそれがあるかどうか?エクソシストとか怖くないし。
で、これ。毒親の話ですよね?
日本では娘と母親の確執みたいのはあるけど、息子と母親ではこうはならないと思う。これ、娘だったらわかるんだけど。世代が違うからかなぁ。
あ。でも日本でも漫画ありますね。血の轍。やっぱ世代だね。
私世代までは息子だったら溺愛の対象で自分の傷をぶつけない。多分。
だいたいしたら死んじゃうって刷り込む?だったら自分がいたします(笑)
そして旦那の姿はアレなの?いや、この人男性嫌いなんじゃないの?彼女のトラウマこそが知りたい。
ボーはADHDかアスペルガー?だからあそこまでいろいろ刷り込まれちゃったのでしょうか?
私もADHDぽいので、あの強迫観念はわかりますが。
水もいっぱい出てくる。羊水?
そして最後まで解放されない?
ブラックコメディとして観ればいろいろ面白いんだけど、
やっぱなんなん?という思いが消えませんでした。いや、ホアキン頑張ってたし、よくできた映画だとは思います。
一発一中家系
シャンデリアが落下して頭が飛び散り死亡した母親の葬儀に向かう40代後半のメンヘラ男の話。
数ヶ月ぶりに実家に帰ろうとしたら鍵と鞄を盗まれて、仕方なく翌日チケットを取ろうと思ったらカードが使えず、母親に電話をしたら…。
セラピストのカウンセリングに始まって、アパートの外は既にヤク中みたいな奴らが蠢く治安の悪いカオスな状態だし、裸で飛び出した件なんかはバリバリコメディ!?
葬儀に向かう展開になってはいくけれど、そもそもから何が夢で何が現実というよりも全てが幻視の様で、夢をみる幻視をみている夢という感じなのかな?
ダラダラ長々何をみせられてんだかの繰り返しで飽きてくるし、ボートの件でツメられるところを見るに、葉っぱから実家着までのものはいらないってこと?
最後も良くわからない落とし方で全然締まらず、何かあるのか勿体つけた様な見せ方のエンドクレジットの最中も後も何もなし。
メンヘラ男の母親との確執とかトラウマとか罪悪感とか、そんな男にしてしまった母親の驚異とか、そんなものってことですかね?
コメディとしてみても苦笑もののネタぐらいしかないし主人公はアラフィフですよね?いやー長いよ…。
訳判らんけどホワキンは素晴らしい
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