ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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ずっと早く終わんないかなぁと思ってました
最初こそ中々ぶっ飛んだ映画だなと思いましたが、終始意味不明(心理的不安感を継続させる狙い?)で、後半はずっと早く終わってほしいと思いながら観てました。
こちらの頭も「ボー」っとしてきます。。
さて本作、鑑賞前から何やら「難解?」そうな評判を聞いており、ならばと、前情報は予告すら観ない徹底した状態で挑みました。さらに『ミッドサマー ディレクターズカット版(170分)』に味を占めたのか?今回は179分。。それもあったので昨夜は早めに寝たのに、寄る年波で寝貯めが出来ずに夜中に目が覚め、結局「寝られないから確定申告を終わらせる」始末。とは言え「面倒くさいことが終わった!」と喜んで映画館に向かったのですが。。。
いやぁ、、難解というか、正直言うと殆ど解りません(苦笑)。
序盤はディストピア×カオスでその内容どころか、ボーの身に起こることの一つ一つが変過ぎて笑えます。と言うか、あまりの変さにこの世界観がどうして成り立っているのか、或いはこれはボー(と私たち)だけに見えているのか?と思えるほど、「おかしな人」と「そうは見えない人」が同居している中、明らかに平常心でないのがボーだけという状況。そのきっかけきっかけでボーが気を失い、そして目が覚めるとまた状況が一変しているという繰り返しなのですが、少しずつ展開のある物語はボーに試練を与え、且つ解決せずにどんどんと山積みされていきます。
序盤に続き、前半、中盤、後半そして終盤と大きく5つほどの構成だったと思いますが、ちょいちょい臭わせるように挟み込まれる「過去のシーン」と「ボーの見る夢」で、徐々に明かされる因果に対し「見ないよう」にしたり、「記憶から消す」ことで「平然と生き続けている」ことを責められているようで、観ている私もボーと一緒に身につまされます。そして皮肉なことに、これだけ追い込まれてもまだ「死にたくない」ボーに対しまた苦笑。ある意味図太いです。
とは言え、やはり179分は長い。。その上、後半から終盤にかけてはかなり宗教的であったり、いよいよあからさまに現実と非現実を行ったり来たりするボーに対して、こちらの頭も「ボー」っとしてきます。観客は私同様に「おひとりオジサン」が多かったような気がしますが、いびきは聞こえてこないまでも私の周辺も「半ば気を失っているんじゃないか?」という雰囲気。そしてようやくエンドクレジットまで行き着いても「実はまだ何かあるんじゃないか?」と殆ど席を立つ人はおらず。完全に終わって客電が点き、難しい顔をしてバラバラと帰り始めるオジサンたちに交じり、私は「ああ、映画評に何を書いていいやら」と思いながら映画館を出ました。その後、この作品を特集したラジオ番組を聴きたい気持ちを押さえ、いつも以上に何も言ってない映画評を書いております(すいません)。。
『ヘレディタリー 継承』『ミッドサマー』と続いてホップ、ステップからの、かなり難度の高いジャンプは正直言うと万人受けする作品ではないと思いますが、アリ・アスター監督作品ファンなら観る前からめげずに是非挑戦してもらいたい一作。とは言え、一度観て解ったという人は早々いないなと思いますのでその点はご留意ください。
さて、これ以上書くことも思いつかず、、聴かずに保存していたラジオ番組の「監督インタビュー」や「感想戦」のポッドキャストを聴いてみて味わいなおします。お粗末様でした~
監督、きがへんになりそうです
意味深な予告に惹かれ、名優ホアキン・フェニックス主演ということで、公開初日に鑑賞してきました。先に観た「ハイキュー‼︎、」はほぼ満席でしたが、こちらの観客は10人程度で、話題性はあったと思うのですが、観客動員には結びついていない感じでした。
ストーリーは、不安障害を抱えてセラピーを受けながら一人暮らしをしている中年男性ボーが、アパートの隣人、街の住人など、全ての人に恐怖を感じながら生活している中、実家の母が事故死したらしいことを知り、入浴中に天井から見知らぬ男が降ってくる、全裸で車にはねられる、若い女の子から理不尽になじられる、森の中で不思議な芝居を観るなど、奇異な出来事を経験しながら、実家を目指す姿を描くというもの。
そう言われてもどんな話かわからないと思いますが、だいじょうぶです。私もわかっていません。はっきり言って、序盤から何がなんだか、わけがわかりませんでした。でも、終盤に、やっとの思いでたどり着いた実家で、ことの発端と一連の不可思議な体験の謎の真相がわかりかけます。「なるほど、そういうことか」とわかりかけたと思ったのですが、その後やっぱりまたわけのわからない展開へと続き、そのまま終幕となります。
全編通して、現実と妄想や幻覚、あるいは記憶とトラウマが複雑に絡み合った、得体の知れない気持ち悪さが漂います。観客の感じるこの感覚は、おそらく不安障害を患うボーが味わっている感覚そのものだと思います。これは以前に観た「ファーザー」とよく似た感覚です。ありふれた日常の中の些細な出来事が、最悪な事態に発展したり、悪意をもって自身に降りかかってきたりと、ボーは常に不安や恐怖を感じているのでしょう。
そんなボーを形成したのは、母・モナでしょう。全ての愛を注ぎ、いろいろな意味で自分の管理下に置こうしたことが、ボーの親離れを妨げ、外の世界への恐怖を植えつけたのではないでしょうか。モナにとってそれは、自分を穢す性器としか見えない夫への不満、出産の痛み、育児の苦しさから、自分を癒す行為でもあったのかもしれません。
本作では、水がキーアイテムとして描かれます。セラピストの処方薬を水なしで飲んで焦り、母の死の動揺を入浴で落ち着かせ、幼き日の浴室での出来事を回想するなど、水は安心感と恐怖心をもたらす表裏一体のアイテムとして描かれます。もしかすると、羊水のメタファーとして母そのものを表しているのかもしれません。そう考えると、ラストシーンの巨大プールのもつ意味もいろいろと解釈できそうです。
主演はホアキン・フェニックスで、これまでの出演作とまた一線を画す、さすがの演技で魅せてくれます。脇を固めるのは、ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、ドゥニ・メノーシェ、パティ・ルポーンら。
アリ・アスター考
彼の作品を観るのは今回が初めて
敬遠してきた理由は
まず、長い、尺が長い、長すぎると言っても過言ではない
話がカオス、カオスに過ぎて、観客が置き去りにされるのではないかという不安
しかし今回観ようと思ったのはホアキン・フェニックスが出ていたからで映画館の座席に着いて、長いからと構えて鑑賞開始しました。
なるほど、噂に違わぬカオス、夢か現か幻か、境目のない状況が続いていく、これは凄いな、辻褄とか伏線回収とか細かいことをぶっ飛ばしラストまで続くそれは素晴らしく感服しました。
次回作も期待できます。
わたしも恐れている
アリ・アスター監督って昔のゴダールとかトリュフォーの立ち位置になりつつあるな…これ観て面白さがわからない人は映画好きじゃない、とかとか。
久々の気合いの新作「ボーは恐れている」は今までのわかりやすさ?を全て捨て去った虚実入り混じりの脳内ムービー。多分これ発達障害への理解と関心の度合いで入り込みかたが変わってくるのかも?あと毒親に育てられてるかどうかで全然印象違うんじゃないかな?と思ったり。2回観ると視点がポピュラスみたいな神視点になるのでオススメです。
とはいえもーね、映画3時間はもーね、ボー無理なのよ多動には…ポンポさーん!のちにもう一回見たけどー!
(このタイミングでSNSに流れてきた監督の卒業制作のお父さんが好きすぎるやつ後味悪くてボウ!)
3時間見終わったあと後どっと疲れた
序盤から???続きで、これは理解するものではないのか、私の教養が単に足りないだけなのか分からなかった
どこまでがボウの妄想でどこまでが現実なのか、わからない
いや、なんでよ!って頭の中で何度つっこんだか
なんでボウだけがスラム街の人たちから狙われてるの
なんで朝になったら全員ボウの家からしっかり帰ったの
なんでお風呂場のそんなところにおっさん残されてるの
エレインは急に人形にでもなったの?
なにより、これが本当のお父さん?
そんなわけある?!て思わず声が出そうになっちゃった
私にはこの映画早かったかな。これからも追いつける気がしないけど、、、
音楽のないエンドロールは初めてでした
漫画かよ‼️❓ナンセンスホラー‼️❓
大富豪の狂乱母親の仕掛けで片付けるので、主人公の生活環境も、旅路で出逢う人や全ての出来事が母親が作るものなんだろう、そら、主人公も精神やられるわ。
てか、全部、観客をハラハラドキドキさせるだけの構造なんで、なぜ、なんで、なんて考える意味はない、父親の姿すらカラクリだろうし。
でも、三時間を飽きずに観させるあたりは見事だ。
十分楽しんだけど、それぞれのパーツは、日本の漫画でよくあるパターン、既視感半端ない。
あの、少年時代の少女がチャーミングでした。
観終わると何にも残らないスカスカの映画ですが、シナリオはさすが、演出もさすが、演技もさすが、でした、ありがとうございます😊
意味不明だが、ホアキンの演技が最高だった。
『ボーはおそれている』鑑賞。
*主演*
ホアキン・フェニックス
*感想*
久々の映画レビュー。ホアキンが出てるので、観に行きました。
日常のささいな事でも不安になってしまうボーが、怪死してしまった母親の元へ帰省しようとしたら、色んな事に巻き込まれてしまう映画で、また、とんでもない映画だったな~(^^;
3時間、、長かったな。。主人公のボーを見ていて辛かった。ストーリーを全てに理解するのは、ハッキリ言って無理です。妄想と現実を交互に繰り返しているので、途中からワケ解らなくなります。
コメディなのか、ホラーなのか、摩訶不思議な映画でした。。
ホアキン・フェニックスの演技が凄まじかった。。ジョーカーとはまた違った雰囲気で、たまげました。。
ハチャメチャ感、エロあり、意味不明だったけど、ホアキンの演技が最高でした。
予定不調和、極まれり
へー、純愛でクローズするんだと思ってからの、物語の進み方がダッチロール。あまりの乱高下で、酔いそう。
しかも、プロローグと韻を踏む、キレイなエンディングと思わせてからの、断末魔プレイがすごい。◯◯オチであってくれ!
そうボーが思ってもおかしくはない。
こんなヤバいヤツしか住んでいない街から引っ越しできないんだったら、善行を積んで、来世に期待するしかない。
とにかくヤバさのレベルが違う。全身タトゥーの追い剥ぎからダッシュで逃れないと、自分のアパートにたどり着けないし、全裸の殺人鬼もウロウロしている。ホアキンさん、ジョーカーに続いての全力疾走、お疲れ様です。
一番ヤバかったのは、ゴスロリ感のあるトニちゃん。全身にトゲがあるような感じで、絶対近づきたくない。
少年時代のトラウマが、ところどころでインサートされて、ポーの母親の輪郭が徐々に見えてくる。毒親に人生を狂わされた男の物語には間違いないが、予定不調和な展開で、怪我したボーを世話する奇妙な家族、ファンタジーな劇中劇、阿鼻叫喚なシーンなどたっぷりとしか時間を使って観客を惑わせる。
鬼才アリ・アスターと怪優ホアキン・フェニックスの組み合わせは、とんでもない作品を産み出してしまった。
スリラーと言うより、 ちょっとぐろい、 ファンタジックコメディー、...
スリラーと言うより、
ちょっとぐろい、
ファンタジックコメディー、みたいな?
精神病んだ人の側から見た冒険、
的な説明が欲しかった
もっと短くまとまっていたら良かった
変わった映画
この映画は以前、NHKの朝番組で紹介され気になっていた映画です。紹介文にもありますが、完全なるコメディスリラーです。
映画を見だしてから気が付いたのですがA24の作品でした。だから出だしはまず不気味です。そして主人公は絶えず怯えています。中盤からはそれが可笑しくなって来ます。しかし時々スリラー部分もあるので、まるでジェットコースターに乗っているようです。
映画を通してこれが現実なのか、主人公の頭の中の物語りなのか釈然としません。それが多分この映画の魅力なのだと思います。また主人公役のホアキンの演技が特筆ものです。まぁそれだけでもある意味観る価値はあるでしょう。
確かに長くて先の見えない展開が続けど、(加えて爽快な気分にはなりにくいけど)なかなか得難い鑑賞体験ができる一作
本作の監督、アリ・アスターは、家族に関するつらい経験があり、その体験や苦しみを作品に取り込んでいることを様々なインタビューなどで示唆していたけど、本作はそうした監督の葛藤を、これまでの作品以上に率直に表現しているように感じました。
しかし物語の筋は決して直感的でわかりやすい、といったものではなく、ボーが母親のもとに行こうとしているのはかろうじて理解できるものの、悪趣味なコントのように様々な障害が立ちはだかって、ボーは焦りが募らせていく状況を追う展開になります。極点に言えば物語の大半はボーが足止めを食っている状況を描いるだけなんですが、それでも観客を引き込んでしまう監督の作劇術、というか様々な趣向を凝らした映像設計はみごとです。『ヘレディタリー/継承』(2018)や『ミッドサマー』(2019)を連想してしまう場面も多く、監督のファンであれば深読みのしがいのある作品です。
映画的に面白い、というだけでなく、FPSやオープンワールド、ホラーなどなど、もしかして様々なジャンルのゲームの映像表現を取り入れているのでは?と思う映像も多く、物語の筋とは関係ないところで楽しくなりました。後半に差し掛かるあたりで登場する女性の「状態」など、普通に観ると全く意味が分からないのですが、もしかしてゲーム中のフリーズを表現したものでは…と解釈するとその後の展開も納得できたりして。アリ・アスター作品は初めてだけど、ゲームは好き、って人はこういう点でも楽しめそうです。
非常に面白く鑑賞したのですが、それでもほぼ3時間の上映時間は長い…。内容に触れない範囲でいえば、台詞回しの(もしかしたら意図的な)冗長さも要因の一つかもしれません。
例えば、
誰か「お前は何も分かってない!」
↓
ボー「いったい何のことだ?」
↓
誰か「聞きたいか?」
↓
ボー「何のことだ!言ってくれ!」
↓
誰か「本当に聞きたいんだな!?」
↓
ボー「頼むよ…。何のことか教えてくれ…」
↓
誰か「じゃあ教えてやろう…(この後さらに説明的な台詞が続く)」
といった会話のやりとりが割と出てきます。このあたり調整したら、もしかしたら15分くらい上映時間が短くなったかも!このパターンが出てきたら、1分くらい仮眠を取っても全く問題なく物語についていけます。
見どころ、読み込みどころの多い(そしてつっこみがいのある)本作ですが、作品に負けず劣らず、パンフレットもまた、デザイン・内容もともに素晴らしく、物語の要素を絶妙な形でちりばめています。製本大変でしょうね…。おそらく大量生産できる代物ではないので、本作を楽しんだ人はパンフレットの購入も強くおすすめ!
ボーはおそれている
母親を愛さなくてはならないとゆう強迫観念に洗脳された息子ぼーの心象風景??そのダダ漏れを見せられた印象。
街のゾンビ(みたい)に急襲〜事故で家庭看護〜と、森に行くまでの受難は緊張感を持って楽しめましたけど。。 天衣無縫な感じなのは良いのですが。。
結局母親も犠牲者なのですが、やはり交換条件付きの愛を貰う子供の(善意で植え付けられる)プレッシャーは筆舌し難いものかもです。
なるべく作家の系譜を追わないようその作品だけにフォーカスして鑑賞するようにしてますが 調べてみると前前作?の継承から、あれれ?と少し眉唾な印象な監督でした。やはり自分はこの人は苦手なんだなと改めて分かりました。
なんてことない、ウマが合わなかったということで処理した。
笑っていいのかなんなのか
恐れていたことから予想外過ぎることまで、次から次へと災難に見舞われる主人公、最後までなんともシュールでカオスでした。
悲劇的な状況も構図やタイミングなどでコミカルに見せる演出で、笑っていいのかなんなのか。
何でそうなる?、やっぱりか!、そっちかよ!、と笑ってしまう場面もありますが、常に不穏感がありホラー成分が強かったと思います。
やはり、ボー役のホアキン・フェニックスの演技が素晴らしく、シュールな滑稽な状況でも、切実に不安や困惑が伝わるまなざしで、リアルな恐怖と笑いの表裏一体感があります。
ボーの真面目で丁寧な物腰も好感が持てますし、ボーの目線で話が進みこちらも困惑させられます。
なんとかハッピーエンドにならないかと願いましたが…
ストーリーでは色々と分からない部分もありました。
外科医の娘が言っていたテストとは?
外科医の写真が母親のポスターの中にあったようで、外科医は母親の部下でまわし者?、テストは母親の葬儀に何を置いても駆け付けるかどうかのテストという意味なのか?、と一応は解釈しましたが…
他にも理屈では分からない部分があり、序盤からもうボーの妄想、悪夢なのか?という気もします。
が、ラスト、冒頭にループするような終わり方で、全てが生まれる前の胎児の夢、むしろ母親の不安が投影された母親の悪夢(経済的には裕福になれる夢)なのか、というようにも感じました。
胎児の夢と言うと、勝手に「ドグラマグラ」を思い出してしまいましたが。
生まれる前から絶望的な夢か…と思うと辛いですが、あくまで夢なので、現実に生まれ出たら希望もあるかも…と考えたいです。
毒親に支配された子の心象風景……みんなどん底になあれ
アリ・アスターとホアキンのタッグで3時間、と聞いただけで、面白さとしんどさのどちらが上回るか早くも不安になる。今回、私の苦手なグロはかなり控えめだったため割と耐えられた。ただし、ラストの救いのなさは容赦がない。
本作は端的に言えば、毒親持ちの息子・ボーの心象スケッチ、である。どこまでが作中で現実に起こったことかはわからないが、彼の妄想が少なからず紛れ込んでいることは間違いない。荒唐無稽かつシュールな展開でありながら、毒親に支配された心のありように関しての解像度は高い。
序盤、セラピストにかかっているボーが住む街のあまりの治安の悪さに笑ってしまう。実際にあんなとこ住んでたら健常者でも精神を病むでしょ。これはあくまで神経症のボーから見た外の世界ということなのだろうか。薬を服用する描写が、現実との境界線を余計に曖昧にする。終盤で、このエリアは母親が作った更生地区であることが示唆されるが、それでもあの極端な状況は解釈の余地がありそうだ。
置き引きや生活騒音のトラブルなど、出来事の一部のパーツは単体で見れば現実感のあるもので、その不安を生々しく想像できるだけに、余計にうわあ嫌だなあという気分になる。
なんだかんだで車に轢かれたボーが担ぎ込まれたのは、彼を轢いた外科医の家。結論から言うとこの外科医家族は束縛的なボーの母親と通じているという設定で、バイタルの測定器と称してボーにGPSを装着し、病院や警察には連絡しない。夫婦は表面的には明るく親切で理想的な家族だが、彼らの息子が戦死した悲しみにとらわれており、向精神薬を常用し、娘には構わない。隣人は戦争のトラウマで精神に異常をきたしており、監視を察知して逃げ出したボーを追ってくる。
逃げ込んだ森の中で劇団と出会い、劇中劇のシークエンス。「オオカミの家」を手がけたレオン&コシーニャ監督が描き出す風景は、素朴なタッチの中に不気味さを内包していて、アリ・アスターの世界観によく合っている。その風景の中で、ボーはかりそめの堅実な人生を体験するが、自分には息子はいないはず、と気づいて現実に戻る(きつい)。追ってきた精神異常の帰還兵が劇団員たちを射殺。
何とかたどりついた実家でエレインと再会、セックスするも彼女は腹上死(さすがに妄想かな)、壁の写真から自分の出会ってきた人間たちが母の会社の社員であることがわかり(これも陰謀論的な妄想かも)、生きて現れた母親にボーは掴みかかって首を締める。倒れた母の元を離れボートで漕ぎ出してみたら……はい、トゥルーマン・ショーでした。
いやはや、どこからどこまでが現実かはたまたボーの妄想なのかわからないが、少なくとも言えるのは、ボーの目に母親は、中年になってもなお彼の人生全てを支配し得る存在に見えているということだ。毒親によるトラウマの根深さよ。
回想シーンで、バスタブに入ったボーの視界に少年が映る。彼は屋根裏部屋に閉じ込められる。ボーは一人息子のはずである。閉じ込められたのは、いわばボーの分身、彼の魂の伸びやかな部分であるようにも見えた。
終盤、昔腹上死したはずの父親と称して屋根裏にハリボテのような男根が登場するが、あれは母親のミサンドリー(男性嫌悪)の生んだ亡霊のようなものではないだろうか。そもそも、一族の男性が代々腹上死というのも、母がボーに性行為への恐怖を植え付けて男性としての成長を妨げ、いつまでも子供として支配するための嘘かもしれない。父親とは実際は憎しみあって別れたのでは? でなければ、パパは男根ですはないだろう。
ラストシーンの個人的な解釈だが、あれは「毒親の精神的支配を受けた子供は、物理的な束縛を逃れた後も毒親の価値観の呪縛を受け続ける」ということを表しているのではないだろうか。スタジアムはボーの心の中であり、幼い頃から彼を支配してきた母親が原告として内在している。スタジアムの観客は、ボーの受難の傍観者でしかない世間か、あるいは母親の会社の社員たちかもしれない。脳内にこのような状況が形成されると、もはや物理的に母親の元を離れても無駄である。
ボー自身のおこないについて、母親の考えに沿って批判する検察官と、ボーの自我の側に立って抗弁する弁護士が争い続ける。どちらもボーの心が作り出した声だが、最後に弁護士は強制排除され、自分の心の中にさえ味方のいなくなったボーの自我は崩壊する(ボートの転覆)。
支配的な親に抑圧された子供の心の最悪な結末。
さまざまな解釈を呼ぶ要素は多いが、どう考察しても結果としてどんよりした気分になる。とりあえず、アスター監督の「みんな、どん底気分になればいいな」という狙いは実現できているのではないだろうか。
もしかしたら、毒親からの自立に成功した人は、アスター監督に共感を示されたような気がして、過去の苦しみが昇華されたようなある種の癒しを得られるかもしれない。現在進行形で毒親に支配されている人は……ラストがラストだけに、見ない方がいいかも。
何これ、まともに感想が出てこない
明らかに一般向けではないですね
この内容で3時間は普通の人にとっては拷問レベルでしょう(苦笑)
わけが解らなすぎて、全く面白くなかった
アリ・アスター監督作品が初めてだったので、「ミッドサマー」の皆さんのレビューイメージが強く、怖いのが苦手なのでビクビクして観ましたが、そこは全然問題ありませんでした
解った風な事は言いません
理解しようととも、したいとも思いません
どおせ“ぶってる”だけで、大した意味ないでしょ、という感じの作品
全288件中、221~240件目を表示