落下の解剖学のレビュー・感想・評価
全451件中、341~360件目を表示
音だけ聴いていた人と、視覚情報も交えた人との認識の違いとは何か
2024.2.26 字幕 京都シネマ
2023年のフランス映画(152分、G)
夫殺しを疑われる女流作家の裁判を描く法廷劇
監督はジュスティーヌ・トリエ
脚本はジュスティーヌ・トリエ
原題は『Anatomie d'une chute』、英題は『Anatomy of a Fall』で、ともに「落下の解剖学」という意味
物語の舞台は、フランス山岳地帯のとあるコテージ
そこにはフランス人作家のサンドラ(サンドラ・ヒューラー)と夫のサミュエル(サミュエル・タイス)、そして11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド=グラネール)が住んでいた
また、多忙な二人の代わりに週2階ほど代母としてモニカ(ソフィ・フィリエール)が手伝いに来ていたが、
その日、サンドラを訪ねて学生のゾーイ(カミーユ・ラザフィールド)がやってきた
ゾーイは作家として成功しているサンドラのことを聞きたいと思っていたが、サンドラは質問をはぐらかしながら、ゾーイと「おしゃべり」をしたいと言い出す
だが、3階の屋根裏部屋から突如大音響が流れ出し、それによって、二人の会話は中断せざるを得なくなった
やむを得ずにゾーイを帰したサンドラは寝室の作業場に戻り、ダニエルは愛犬スヌープ(メッシ)とともに散歩に出かけた
物語は、散歩から帰ってきたダニエルが、玄関先で父が倒れているのを発見するところから動き出す
司法解剖の結果、頭部の外傷が事故以外を否定できず、また警察の捜査途上でのサンドラとダニエルの証言の揺らぎを感じた検察は起訴に踏み切ることになった
サンドラは旧友のヴァンサン(スワン・アルロー)に助けを求め、「夫殺し裁判」に向かうことになったのである
映画は、夫転落死の顛末を追う中で、夫婦関係が徐々に暴かれて、崩壊していく様子を描いていく
検察側の状況から導き出された創作と、サンドラが見てきたものが対立する構造になっていて、殺人を断定する凶器も見つかっていないのに、検察はやけに強気で「有罪に思えそうな材料」を突きつけてくる
この裁判をダニエルが傍聴し、時には証言台に立つのだが、映画のメインは後半における「追加の証言」ということになっていた
映画が導き出すのは、落下事件によって解剖されていくものであり、「夫婦関係」「司法」「事件を取り巻く社会」などの「解剖」が同時に行われていくように見えてくる
その中で、「事実と思われるもの」を導き出すことになるのだが、それが真実かどうかはわからない
ヴァンサンがサンドラに忠告するのは「真実よりも人がどう思うか」であり、検察側は陪審員の心証を誘導することに傾倒しているように見える
また、ラストの追加証言では司法からの要請でダニエルの付き人になったベルジェ(ジェニー・ベス)が「どちらかに決めなければならない」という趣旨のことをダニエルに告げる
その言葉が決定機となって、「ダニエルが理解できる物語」というものが紡がれていくという構図になっていた
いずれにせよ、火曜サスペンス的なオチを期待していたら肩透かしを喰らう内容になっていて、有能な探偵も出て来はしない
検察も有罪ありきで動き、家庭内秩序を暴露していくのだが、それらを全て「耳で聴いていたダニエル」が、総合的に「理解できる物語を紡いだ」と言えるだろう
この瞬間の検事(アントワーヌ・レナルツ)の表情が全てを語っていて、ダニエルの理解を超える物語を紡げなかったことが敗因となっている
ダニエルが話し声を聞いたエピソードは、おそらくは前日に録音された時のケンカだと思われ、記憶の混在が起こったというよりは、ダニエルの意図がそこに介在していたようにも思える
ダニエルは積極的に何が起こったかを理解しようとしていて、その着地点が見えない仲で、家族を守るためのエピソードを紡いだという感じになっていて、その反証ができない検察が敗北した、という流れを汲んでいる
オチとして弱いと思えるが、サンドラとダニエルがともに「再会を怖がった」ということを話していたので、裁判では登場しない二人だけが知る物語があるのだと思う
それを守るためにダニエルが言葉を選んだように見えるのだが、映画の主題でもある「真実よりも印象」というものを如実に表した結末になっていたのではないだろうか
人間心理の解剖学‼️❓
ミステリーではない
法廷ミステリーかと思ったら全然違った。
法廷パートは淡々と進み、メインは関わる人達のドラマかな。
ミステリーと思って見ていたので、若干の肩透かしを食らったけど、展開と演技に引き込まれました。
これは視点や考え方で色んな捉え方が出来る。
結末がどうとかではなく、それぞれのキャラクターがどうかんがえているのか、何を思っているのかを、考えながら観るのが楽しい。
この映画から何を得るのかは人それぞれ。
群像劇として楽しむのもよし、今の時代と照らし合わせて見るのもよし。
想像とは違ったけど楽しめました。
まぁ会話の間が独特なのでちょっと長さは感じるんだけどw
法廷モノと思ったら
夫の死にかけられた殺人疑惑を争う法廷モノ。と思って観たら、子供や周囲を巻き込んでの、法廷を通して、家庭崩壊を時間をかけて、じわじわと解き明かしていく、ドロっとした心理サスペンスだった。みんな色々な事情があるんだよね、きっと。潔白を訴えてるのにグレーな印象を与えた主人公の人の名演と脚本が良かったなあ。子役の子も良かったよね。
そして主人公が犯人か事故かもわからない、モヤっとした展開がなんとも言えない余韻です。(主人公が犯人かも?という想像の余白がある)
スカッとした逆転劇などないので、え?終わり?な人もたぶんいる。
裁判が淡々と
日本のメジャーどころの配給作品なら二転三転しそうな題材で、ある意味で淡々と裁判が進む。
でも退屈ではなく、息子さんが健気で、犬も助演賞ばりに良い芝居、表情をしてるように見えた。
真相はわからないけど、あの小説家先生は好きにはなれない。からか、ひっくり返りを期待してしまった。
サスペンス風の法廷劇と家族のドラマ
予告編はサスペンス・ミステリー的な感じで宣伝してるけど、それで結末を期待すると足元をすくわれる。
率直に言って、「裁判の結末なんて」「事実なんて」どうでもいいというのがこの作品のゴールであると言ってもいい。
法廷劇ってヤツは、勝ったか負けたかが物語の結末において重要な要素であるはずなのに、そもそも刑事事件において「勝ったか負けたか」なんて、たいした意味はないんだということに気付く。
そう。
その後も続く日常においては「勝ったからナニ?」なのである。
「負けないこと」にしか意味はないのだ。
むしろ「事実に基づく正しい判決なんて誰も期待していない」のは、我々観客が「おいおい、まだ俺たちをびつさせるどんでん返しがあるんだろ?」と思いながら迎えたラストを期待していたことで、ハッとさせられる。
あ、あの野次馬メディアと俺たち同じじゃん。
「お前達観客が欲しいのは、事実や
正しさではなく、より刺激的な結末なんだろ?」
ただ、それだけだと物語としてはただの肩透かし。
次々に明かされる証拠によって容疑者が二転三転する様なサスペンスに見せかけて、実は用意されたゴールはそんな場所ではない。
この作品はちゃんと家族や夫婦、そして法廷制度やその意義についてのメッセージを投げ掛けて来ていることに、後で気付くんだ。
法廷では本来大きな武器になるはずの「言葉」、それなのにその言葉の意味の曖昧さに自らの人生を委ねなくてはならない脆弱性。
さらには母国語で話すことができない不安。
大事なことは「事実かどうか」や「客観性」ではなく「陪審員たちを納得させるだけの説得力の有無」のみ。
決して主人公の女性は、そういう意味での「清廉潔白」な人物ではない。
エゴと欲望にまみれた俗人。
でも、だからこそ我々は身近に感じることができる。
「あれ、あなたですよ。」
「どーします?」
…たださぁ。
やっぱりエンタメ風味でお客さん誘ってる分、評価は高くならないよね。
巧みな演出とキャスティング
ミステリーではないので、盛り上がりやドンデンを期待すると残念に終わるかも。
夫婦の内面を殆ど描いていないのと、サンドラが悪そうに見えない。よくこんな女優さん探して来ましたね。そしてあの坊主検事のあの憎たらしさでサンドラに肩入れしたくなるように誘導された。で、弁護士とのいい感じの仲の違和感や、どんどん後出しでサンドラ不利になる上で、「おや?」という感情が湧き上がる。で、序盤は証言がぐらぐらのダニエルが不憫で感情移入するようにできていて巧みでした。最初はサンドラがダニエルをハグしてましたが、ラストは逆にハグされてましたね。成長したということか。
最後は勝訴しても何も得るものが無く、むしろ失った物の方が多い裁判の虚しさがすごくリアルだった。裁判後のシークエンスにヒントがあるのかも。もう一回見て自分なりの考えを固めたくなった。
描きたかったものは…
数々の賞を受賞、ノミネートで期待値が高かった作品。ミステリーかサスペンスか…むむ、気をつけて、これはフランス映画!
いつもならその言葉にならない感情を映像ににじませるフランス作品を楽しむが、これはちょっと違う。最初の5分で英語なんだ…と思ったが個人的に、最初のシーンで音にストレスを感じ、その後も噛み合わない会話や議論にモヤモヤ、イライラ、ストレスを感じるシーンが多かった。落とし所はどこになるのか…と考えながら見るようになり、まさかとは思ったけど…やはり最後までストレスは解消されず。裁判の運び方や、激しい夫婦の口論も含めてネチッこい議論にストレスが募る。裁判さえ感情的に進められる感じが、複雑と言うより、不快とさえ感じる話の運び。夫婦のことはその夫婦にしか分からない、ってことならばここまでストレス与える話にする必要はないのでは。その個々の感情と価値観をぶつけ合う議論の流れを堪能する作品なのか?
最愛の息子を傷つけるかたちとなり、旦那を亡くし、自分の過去の不貞も暴露されつつ強くあろうとする主人公は立派。作品はともかく、複雑な心情を演じきった主演女優の演技はお見事だった。長かった、そして疲れた。
真実の真実は?
終わった後に残ったものは?
無実の証明って難しい。
非常に客観的に、出来事を淡々と映し出している。大きな出来事が次々と起こるというわけではなく、法廷での大逆転劇が起こるわけでもない。現実って確かにこうやよね。
個人的には、傍観者とはいえ主人公たちの様子を見ているとどうしても主人公に感情移入してしまう。特に車で主人公が泣き崩れるシーンには胸が痛くなった。
真相はどうなのかはわからないが、一つの出来事をきっかけにこんなにいとも簡単にすべてが変わってしまうのか。何かをきっかけに全てが変わってしまうという点については自分にも無関係ではないと思う。単純にこうなりました!よかったよかったとはいえないなんともやりきれない後味が残る。
2時間32分あるので、普段あまり映画を観ない人には結構きつい映画かもしれない。(前述のとおりドラマチックな展開もないので)
他のかたはどう感じたのか鑑賞後話してみたくなる映画やった。
余韻と、余白
真実とは、裁判判定とは、
様々な現代テーマが潜むヒューマンサスペンス
152分いっきみ。
それでも彼女の心の奥底に積もる雪解けは程遠いだろうと感じた!
雨、そして雨。レイン&レイン。
ほんのちょっぴり御日様射してきて~ウレピ-(*´ω`*)
でも洗濯物がぁ 乾かへんやないかぃ・・・
あ、そうだ! そんな気分が凹む時は 映画を観よう!
という言い訳の流れで、
今日は「落下の解剖学」観に行きますた。
このタイトル、きっと難しそう そう思った貴方、 正解です。
まんまと パルム・ドール受賞、アカデミー賞ノミネ-トの文字に踊らされましたね。大丈夫、私もその一人。
原題からすると 翻訳は”転倒の解剖学”、転倒なんですね。
でもワザワザ ”落下”に変えてます。その時点で少しネタバレなんですね~キット。
正直な気持ち 想定してた内容とは異なってましたわ。(。´・ω・)?
もっと深い雪山の山荘サスペンスなんかと思ってたが・・・違った。
人の見えない深層心理に迫る ダレトクでもない裁判の話でしたゎ。
------
とある人里離れた雪積もるフランス山荘に住む夫婦と息子、3人家族に起こる心の葛藤と引き起こされる悲劇。
ある日、夫(サミュエル)が家の屋根裏窓から落ちて死亡。果たして事故か?自殺か?他殺か?
それを巡って、妻(サンドラ)に疑いをかける検察側と、無実無根を訴える妻側。それの裁判の行方をゆっくりと話展開してゆきます。
一番心揺れ動くのは 夫婦の息子(ダニエル)、事故で視覚障害になった事で学校にも行きづらく、家でも両親の些細な喧嘩(言い合い)に堪えている。彼の唯一の味方盲導犬役(スヌープ)だけであった。
果たして、彼女(母)は無実なのか。
-------
まぁ良くもこんな 無味無臭な夫婦に良く起こる 些細な出来事を
穿って話立てして展開広げたなと感じました。
凄く静かに、そして山荘に漂う空気感がそのまま 場内に流れているのを感じます。裁判所での息子の最後の証言に 息を飲みます。
それは きっちりとした感情の裏付けがあり、紛れもない証だったであろうと感じました。
映画中に出てくる、”俺にも時間が欲しいんだよ~”・・・夫の訴え。共感した方も多いのでは。この一見不平等と思える訴えが 総てを現わしていそうです。
映画館で映画を良く鑑賞されるアナタは、パートナ-や家族に”また映画かぁ~”って言われてませんかw。
ちょっとネ、映画観て自己嫌悪になったりしそうです。
昨今、子育ては夫婦でとか推進派が多い中 本当にそうなるとどうなるの?
ちょっと未来はこうなる事も有りそうな・・・。
夫も部長、妻も課長とか。晩婚で子供が出来たら同じような事が勃発しそうな展開を垣間見た次第。
最後に裁判で無罪判決を受けた彼女が、”勝ったら何かご褒美が貰えるのかと。”
この言葉の意味。 きっと心の何処かに愛される思いを描いていたんでしょう。そう成らなくて、犬の傍で寝る淋しい彼女。いたたまれない思い。
あと少し、ほんの少しだけでも夫に対して丁寧に向き合って心の会話が出来ていたら、きっともっと夫婦の絆は切れずに繋がっていたと思います。
久し振りのフランス映画、寝そうで寝ないで観て下さい!
コレわっと、思った方は劇場へ。
愛の欠落
タイトルはオットー・プレミンジャー監督『ANATOMY OF A MURDER(邦題;或る殺人)』からの引用だろう。ジェームス・スチュアート扮する弁護士が、女房を寝とった酒場の主人を殺した軍人の無罪を勝ち取るお話だ。売れっ子作家の女房サンドラが同じく作家の旦那サミュエルを殺したのか、はたまた単なる自殺だったのか、を問うリーガルミステリーという点は共通している。さらにいうと、容疑者が真っ黒にも関わらずそれとは逆の判決が下るというオチもおんなじだ。
しかし、2023年のパルムドールに輝いた本作の場合、事実はどうだったのかが最後まではっきりとはわからない。単なるミステリーとは明らかに異なった余韻を漂わせて終幕するのである。劇中ちゃんと回想シーンが出てくるじゃないか、とおっしゃる方がいるのかもしれないが、監督のジュスティーネ・トリエに言わせるとあれは事実に基づいた回想ではなく、登場人物たちの(曖昧な)記憶らしい。女流作家サンドラ(サンドラ・ヒュラー)の弁護士がこんな台詞を言うのだ。「事実はどうでもいい、周りがどう思うのかが重要なのだ」
この監督の映画を観るのは今回初なのだが、トリエの近作のシナリオは、ほとんど同じ映画監督でトリエのパートナーでもあるアルチュール・アラリとの共同執筆で仕上げているらしい。まさに本が書けずに鬱になっていた(らしい)旦那のサミュエルとサンドラの夫婦とほぼ同じ関係にあるのである。因みに本作の役名とそれを演じる役者の芸名もほぼ同一で、虚構と現実(イメージと事実)を曖昧にぼかす演出効果を狙っているのだろう。
この後、サミュエルが落下した時についた血痕分析、フランス人とドイツ人の経済格差婚問題、サンドラの性癖(バイセクシャル)、ひいては事件が起きていた時に夫が大音量でかけていたインストルメンタルに男尊女卑の意図が隠されているとかいう事件には直接関係ないジェンダー問題まで飛び出し、そのたびに陪審員並びに観客は、やっぱ有罪じゃね、いや自殺だろ、などと監督トリエのイメージ操作によりコロコロと意見を変えさせられていることに気がつくのである。
自分には優しかった父ちゃんの無念は痛いほどわかるのだけれど、問題は起こった事実よりも目の見えない僕にとって今何が必要かってことなんだ。アルベニスのスペイン組曲アストゥリアスを力奏し革命を起こす気満々だったダニエルだが、いつの間にかショパンの葬儀曲に使われたプレリュード第4番を割って入ったサンドラに弾かされてしまうのだ。お父さんの自殺を素直に認めなさいと。初めから誰がこの家のBOSSかってことを最もよく理解していたのは、本作で堂々のパルムドッグ賞に輝いたボーダーコリーのスヌープ(本名メッシ)だったというわけなのだ。
モヤっとしました
ここ最近不作続きでした。「DUNE」のリバイバル、「ボーはおそれている」、「君たちはどう生きるか」どれも残念な出来で、私の感覚が一般的な評価と大幅にズレてしまっているみたいです。とは言え今後も感じたままを恐れずにレビューしていこうと思います。
で今作もパルムドール等で高評価を受けた話題作という事で、今作こそ私ののぼせ上がった頭をガツンと目覚めさせてくれるのではないかと期待して鑑賞しました。結果、裁判の場面は中々に引き込まれるものがありましたが、裁判の勝ち方も明確な勝訴ポイントが示される事も無く何となく勝った感じでしたし、真相が明らかになる事も無くモヤっとしたままで終着してしまい消化不良でした。「必ずもう一捻りあるはず!」と期待しておりましたが、敢えなくエンドロールが始まってしまいました。
母親が無罪を勝ち取って帰宅した際に、息子から「ママは何故パパを殺しちゃったの?」的は発言があり、息子による謎解きが展開されて・・・みたいのを観たかったなぁ。
【落下する映画】
夫が落下した真相、事が“解剖”されていくことで表出する妻の真相に、妻自身も落下していく。陪審員の目線で裁判の行方に見入る没入感で、見ているこちらも映画の深みに落ちていく。
◆概要
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門パルムドール受賞(女性監督では史上3作目)作品。第96回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門ノミネート。
【脚本】
ジュスティーヌ・トリエ
アルチュール・アラリ(トリエ監督の私生活のパートナーで、戦後約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉をめぐる実話「ONODA 一万夜を越えて」を監督した人物でもある)
【監督】
ジュスティーヌ・トリエ(本作が長編4作目)
【出演】
「ありがとう、トニー・エルドマン」ザンドラ・ヒュラー
【公開】2024年2月23日
【上映時間】152分
【製作費】€6,200,000(約10億円)
【英題】「Anatomy of a Fall」
◆ストーリー
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。
◆
◆以下ネタバレ
◆
◆落下
ボールが階段を落下していき、スヌープがそれを咥えて去っていく冒頭。まさに本作での“落下”を象徴づけるものであり、またスヌープがキーである事もここに記される。サミュエルはまさに落下して死亡。サンドラも、夫婦の不仲はもちろん、バイセクシャルや不倫まで公の面前で暴かれる。夜の車内で泣きじゃくる(苦笑いから大泣きするザンドラ・ヒュラーの演技力!)彼女もまた、学生から取材を受けるほど人気のあった冒頭からは地に堕ちるほどに転落していた。本作で印象的なズームインが2つ。一つは、散歩中のサンドラとダニエルが見た、検察による落下検証。一つは、サミュエルとの口論が法廷で暴かれたサンドラをダニエル越しに捉えた映像。どちらも“落下”で共通するシーンのズームインに、撮影手法からこだわる本作の本気度が伝わってくる。
◆解剖
監督は「映画を⾒ている観客も、⼦供や陪審員と同じく、視覚という要素が⽋落した状況に置かれることになる。だから裁判で、何が⽋けているのかという錯乱状態の後に、すべてがつながっていく」と語っている。ダニエルが初めて証言台に立つシーンでは、家のテープの感触を間違えた事を、検察側は悪意を探るように尋問し、弁護側はサンドラの不利にならぬよう解釈する。このシーンのダニエルが象徴的で、見ているこちらも右に左に首を振りながら、検察と弁護の解釈を行き来する感覚に。監督の言葉の通り、見ているこちらもいつの間にかダニエルや陪審員と同じ目線に立っているのが面白い。精神科医の証言も夫婦の口論の録音データすら、検察の陳述でサンドラに非があるように思えて、弁護の陳述でその逆に思えてくる。ダニエルがついにたどり着いた“状況証拠”にも、“過度に主観的だ”と検察は一蹴。“解剖”がなされていく法廷の場は、“証言”が“証拠”になり得ない。そんな特有のもどかしさ、審理の難しさに終始見入る感覚だった。
◆ラスト
無罪を勝ち取るも、“ただ終わっただけ”と虚無感にさいなまれるサンドラ。テレビ番組で“妻が殺していた方が面白い”と言ったように、世間は好奇の目でおそらくその後も彼女を囲む(真実を突くダニエルの証言時にこそ傍観者が皆無、つまり世間の目が向かないというシーンが虚しい)。最後にダニエルがこぼした言葉は“ママが帰ってくるのが怖かった”。父の自害を証言しても、無実の判決が下っても、あの一連の裁判でダニエルもやはり母への疑念を心の奥底に宿した、そんな映画表現だった。ただしサンドラ自身にも心から信頼できるパートナーができたわけで、ダニエルとの長いハグも真の親子のそれに思える。最後にサンドラに寄り添ってきたのはスヌープ(薬で瞬きが止まったあの演技がすごい!)。冒頭で落下したボールを咥えて階段を登る、つまりスヌープはそのボールの落下を止めて元に戻したわけで、本作を通じてもサンドラを救ったキーマン(キードッグ?笑)そのものでもあった。あえて最後まで事の真相こそ明かされていない本作だが、無垢な存在であるスヌープがサンドラに最後に寄り添ったという表現は、本作が彼女に下したあたたかい真の判決、そう解釈してもいいように思えた。
◆関連作品
〇「愛欲のセラピー」('19)
トリエ監督作品で、ザンドラ・ヒュラーも出演。プライムビデオレンタル可。
◆評価(2024年2月23日現在)
Filmarks:★×3.8
Yahoo!検索:★×3.4
映画.com:★×3.6
全451件中、341~360件目を表示