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〇作品全体
戦争や虐殺を題材にした映画は、その多くが臨場感や緊張感によって、暴力と恐怖を突き付ける。死が迫る状況を描くことで、人間の本性や、目をそむけたくなる事実を突き付けてくる。
しかし、本作に武器は登場せず、弾丸や砲弾が飛び交うこともない。映される大半はアウシュビッツ収容所の隣に住む、穏やかに過ごす家族の風景だ。映像の端には収容所から漂う煙や遺骸、悲鳴があるけれど、ただそれだけだ。
「ただそれだけ」なのだが、それによって天国にあるような穏やかな生活と地獄のような収容所の対比がやけに際立つ。その構成が印象に残った。
「アウシュビッツ収容所」を知っている現代のわれわれからすると、ルドルフ一家は醜い人間だ。すぐ隣にあれほど凄惨な現場があるというのに、彼らは平和な日々を過ごしている。それどころか虐殺を肯定的にとらえ、「引っ越し」という、地獄に比べれば非常に小さな問題で夫婦喧嘩を始めている。壁の向こうにいる人々からすればそんな悠長なことを言っていられないというのに。
しかし、平和で理想的な日々を過ごす彼らからすれば、隣の状況なぞ知ったことではないのだ。日常を生きることに集中する彼らにとって「アウシュビッツ収容所」は「仕事」であり「お父さんの勤め先」でしかなく、そこで起こっている出来事は別の世界の話でしかない。彼らの関心は、彼らの日常にこそある。
それを強調させるのが短いテンポのカット割りだ。同じカット内でカメラを動かすのではなく、様々な画角で人物を映していく本作のカット割りには「どこから映しても、収容所は塀の向こう」であることを強調する。
収容所は高い壁と、優雅な庭園の緑によって遮断されている。その壁は分厚く、どこから撮っても映りこむのはせいぜい屋根くらいで、あとは煙と叫び声。煙と音は確かに存在しているが、別のカットにある青空や新緑によって煙はかき消され、音は子どもや犬の声で遠くなる。物理的な塀以上に厚い「精神の壁」を印象付けるカットワークは、収容所の世界を映さないからこそ非常に効果的だ。
戦争における天国と地獄の対比はいくらでもやりようがある。それでも、ここまで地獄を間接的に描いた作品はそうないだろう。
隣にある地獄から目をそらした天国の世界。そこから溢れる醜悪さが強烈であったし、その醜悪さがナチスドイツだけではなく、現代においても存在していることが暗に提示されていて、心に突き刺さる作品だった。
〇カメラワークとか
・横位置のカットがいくつかあった。奥には塀があって画面横の移動しかない。しかし被写体は奥の塀には無関心で、真っ直ぐと進む。塀とその向こうは「所詮背景」という突き放しをしているように感じた。
・ルドルフが出世を決めたあとのパーティーでは二階から見下ろし、魚眼気味のカットが面白かった。広い空間でパーティーを楽しむ人々を、レンズでギュッと凝縮させる。「毒ガスを効率的に散布する方法」を思案するルドルフの視点をこのカットだけで語っているのが面白い。
・終盤、ルドルフが事務所から帰るときの廊下の映し方がかっこよかった。闇に覆われた夜の廊下。その奥にある小さな光で、現在のアウシュビッツ収容所へつなげる。あそこで収容所での惨状を映像化しても良かったのだろうが、そうではなく、展示された大量の靴や煤で汚れた収容所を映しているところに「収容所の世界を映さない」こだわりを感じる。
・冒頭の黒い画面、中盤の赤い画面。こういうのは映画館で見てこその衝撃があるだろうなと感じた。
〇その他
・収容所の惨状を映さなかったのは、この物語を歴史の物語にしたくなかったからだろうなと感じる。凄惨な世界のすぐ隣にある日常。そのグロテスクを強調させたような作品だった。
・地獄の描き方が新鮮だった分、終盤にルドルフが体調を崩したり、ルドルフの妻が召使いへの態度を悪化させたりしているのはステレオタイプなラストだった。崩壊の兆しを描いているのはわかるけど、収容所の中を描かなくても「アウシュビッツ収容所」を描けるように、ドイツの崩壊やその兆しを描かなくても、そのときが来ることは明確なのに。
・ジョナサン・グレイザー監督が「この映画には善人も悪人もでてこない」みたいなことを語っているインタビュー記事を読んだけど、う~ん、それは無理があるなあって感じだ。召使を邪険に扱い、暴言を吐くルドルフの妻の心は「悪人」だろう。塀の向こうにいる人間に対し、危険を冒して食べ物を与える行為は「善人」でなければなんなのか。
「善人、悪人がいない」というならば、もっと描かなくていい部分があったと思う。例えば「アウシュビッツ収容所」は非倫理的な犯罪として誰しもが理解している。それに属する・反発するという行動は「善人か悪人か」という基準そのものだろう。となりでおぞましいことが起こっていながら、そこに踏み込む・踏み込まないというそれぞれの判断を描くのであれば、そうした情報は削ぐべきだ。
ルドルフの妻はうまい具合に自己の世界だけで生きていることを描いていたな、と途中までは思ったのだが、召使いに焼却を仄めかす暴言を吐いたことで、「悪の思考をもっている」という感想を抱いてしまった。「壁の向こう」という悪を描かない英断を下したのだから、描かないことにもっと自信を持ってほしかった。