「私的好みでない吉田恵輔 監督の演出だからこそ、表現できた時代を切り裂く秀作」ミッシング komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
私的好みでない吉田恵輔 監督の演出だからこそ、表現できた時代を切り裂く秀作
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
私的はやはり吉田恵輔 監督の演出は好みではないなと、映画の終盤近くまで思って見ていました。
端的に言うと、娘を行方不明で失った若い夫婦を描いたこの映画『ミッシング』は、大きな柱をいわゆる”マスゴミ”とSNS上の常軌を逸した誹謗中傷の描写が占めていたと思われます。
ただ、吉田恵輔 監督の演出の仕方は、そこかしこで人間の悪意を肥大化させた描写になっていたと思われます。
表層極端に表れるSNSの誹謗中傷はともかく、テレビの報道スタッフもあそこまで悪意が肥大化した振る舞いをし続けるのはちょっと極端ではないか、との疑念は個人的には感じていました。
娘を行方不明で失った主人公・森下沙織里(石原さとみさん)の振る舞いも、多くの場面で人間の嫌な部分が肥大化され崩壊気味に描かれていたと思われます。
この人間の、悪意や嫌な部分を極端に描く吉田恵輔 監督の演出は、やはり好みが分かれるとは思われました。
人間には多面性があり、1人の中の良/悪をもう少しバランス良く描いた方が、広く普遍的にリアリティをもって受け入れられる作品になるのになと思われています。
ただしかしながら、仮にそのような1人の中の良/悪をもう少しバランス良く描く演出のやり方では、吉田恵輔 監督が監督をする必要は一方でなくなるでしょう。
また、吉田恵輔 監督の脚本演出でなければ、今回の時に狂気に満ちた石原さとみさんの卓越した演技もなかったと思われます。
そして、吉田恵輔 監督の脚本演出でなければ、ラスト辺りの、森下沙織里の夫の森下豊(青木崇高さん)が、同じ娘の行方不明の境遇を経験した母親に助けの声を掛けられた時、自分がいかに狂った世界にこれまでいたのかがあふれ出る自身の慟哭の涙で彼が気がついただろう場面の到達も、なかったと思われます。
ラスト2シーンの、主人公・森下沙織里の、部屋の中の光のシーンと、横断歩道のシーンは美しく、この映画のラストの到達は、吉田恵輔 監督の演出が好みでない私のような者にも僭越、2024年を代表する邦画作品の1つだと確信、思わされました。