東日本大震災を題材にする作品は必ず必要だと思う。
現地で起きた直接的被害と、現地が故郷の人にとって、特に生き残った人々にとってこの震災が何だったのかを人々に知ってもらわなければならないという強い思いがある。
この作品は、老人ホームという特定の場所からそれを伝えている。
冒頭登場した入居者の菊田老人 いつも失禁するように部屋の中で放尿する。
その後始末をし始める主人公ハルカ 介護士にとってイレギュラーな排せつ物の後始末は最悪の仕事なのだろう。
彼女のいたたまれない気持ちが、過去に経験した人生の最悪だった出来事への回想となる。
それは上京して始めた東京での新生活 介護専門学校へ通いながらバイトして、自由なひと時を彼氏と過ごす。
そんな中発生した3.11 行きたくても行けなかったいとこの結婚式の日 誰ともつながらない電話
ハルカはすぐに帰省するが、海から引き揚げられた自宅の車の中に残されていた家族4人の遺体。葬式と実家の後片付けを済ませるとすぐに東京へと戻る。
仕送りのなくなった彼女は、バイトを掛け持ちしながら生計をたてなおすが、訪れた彼氏宅に見知らぬ女がいた。
土砂降りの雨の中を逃げるように走って転ぶと、手に持っていたオレンジが散乱した。いつか彼氏が「これうまい」と喜んだもの。この時の辛さが、今の排泄処理という無様さに呼応するように感じるハルカ。
しかし菊田は自信が末期がんだと知っていて、いつもハルカが当直の日に放尿するようだ。介護士仲間はそれを菊田の甘えではないかと言う。
さて、
震災後は各地で自助グループのような形式でグループセッションが開催され、自分自身の胸の内を言葉に出す取り組みが行われてきた。
ハルカもいたたまれなくなったとき、その会に参加して自分自身の話をして、他の人の話を聞いていた。
これが被災地での新しい日常となっていた。人と人とが支えあわずにはいられない環境が新しい日常なのだ。
この新しい日常に加え、老人ホームの日常とそれぞれの人間関係を交えながら、各々が「生きること」について葛藤する様子を、この作品は描いている。
物語の核となっているのは、
高校時代の恩師であるユミコ先生と、吹奏楽部。その先生が夫とともに老人ホームに入居した。そして先生は認知症を発症していた。
ハルカは徐々に認知症の症状が顕著になっていく先生と散歩に出かける。
実は先生はバツイチで、前の夫との間に娘がいた。しかし娘は小児がんで6歳で死亡。娘が入院していた時に毎日出掛けた散歩が、先生の記憶の中にこびりついている。
娘の名前はハルカ。高校でハルカと出会った時、娘と再会したような気分になったのかもしれないと、夫から聞かされた。
「ありがとう、あなたに会えて本当によかった」
さて、
先生のこの言葉はどんな意味があるのだろう?
先生はハルカを娘だと勘違いしている。
「お母さん、私、しっかり面倒見るからね」と言ったハルカの言葉でわかる。
先生は、生まれてたった6歳で死んでしまった娘を、認知症になっても忘れることなどない。
これこそがこの作品が最も伝えたかったことだと思った。
うまく言葉で説明できないが、亡くなってしまった方々に対する思いが、このセリフに込められている気がしてならない。
ハルカの返答は、彼女の成長を意味する。
彼女の母もまた震災で亡くなった。でも自分を娘だと思ってくれている人がいる。
「私は娘として生きる」
このことが、それぞれ家族を失ってしまった人々の心の支え合いなのかもしれない。
一瞬にして非日常と化した現地 言葉でいう「復興」 被害場所は日に日に整備されていくが、人の心はそう簡単にはいかない。
この物語は、介護施設に入居するという人生の大きな変化を通し、それを受け入れていくしかない各々の入居者たちと人間関係、そしてそのお世話に翻弄する介護士たちの世界を通し、非日常から日常への人々の心の変化を描いている。
若干斜に構えて見ていたが、しっかりと制作者の思いが感じられた。
良い作品だと思う。