碁盤斬りのレビュー・感想・評価
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囲碁の面白さを十分には伝えてくれなくて残念。適役の斎藤工が光っていた
白石和彌 監督による2024年製作(129分/G)日本映画。配給:キノフィルムズ
劇場公開日:2024年5月17日
脚本の加藤正人氏の趣味が囲碁ということでか、かなり囲碁の場面が多くてビックリ。昔、
囲碁に熱中した時もあったが、登場してくる局面の理解は出来ず、その解説的なものも乏し
く、その点では不満を感じてしまった。
敵石を召し取って生き残ったと思ったら、下から跳ねられて殺されてしまう『石の下』手筋が2回登場してたことを、プロ棋士の解説YouTubeでようやく理解できた。
草彅剛演ずる主人公柳田格之進の設定も寡黙すぎて、思っていることが掴めず、脚本に不満を感じた。クライマックスの中川大志と國村隼の代わりに碁盤を斬った理由も、良く分からなかった。武士のプライドがあるとしても、そこまでのことを二人の商人がしたとも思えなかったから。まあ、前半と打って変わった様な草彅剛の過激な復讐劇には、魅力は感じたが。
敵役の柴田兵庫を演じた斎藤工には、やはり惹かれるものを感じた。囲碁の戦いで敗戦模様に陥り、突如切り掛かる俊敏さが何ともカッコ良かった。
監督白石和彌、脚本加藤正人、製作総指揮木下直哉、エグゼクティブプロデューサー
飯島三智 、武部由実子、プロデューサー赤城聡 、谷川由希子、ラインプロデューサー
鈴木嘉弘、協力プロデューサー根津勝、撮影福本淳、照明市川徳充、録音浦田和治、美術監督今村力、美術松崎宙人、装飾三木雅彦 、上田耕治、衣装大塚満、メイク床山、山下みどり
編集加藤ひとみ、音楽阿部海太郎、音響効果柴崎憲治、VFXスーパーバイザー
小坂一順、キャスティング田端利江、スクリプター中須彩音、制作担当相場貴和、助監督
松尾浩道、
出演
柳田格之進草彅剛、お絹清原果耶、弥吉中川大志、梶木左門奥野瑛太、徳次郎音尾琢真、長兵衛市村正親、立川談慶、中村優子、柴田兵庫斎藤工、お庚小泉今日子、萬屋源兵衛國村隼。
The 時代劇
草薙が主演で、清原果耶が出演しているので、見てみた。碁のシーンを中心に江戸を描き、締めが斎藤工との切りあいで、いい時代劇だったとは思うが、平凡かな。
草薙、清原、斎藤と好きな俳優が出演しているので、3.5
落語みたいな話だなと思ったら落語だったよ
落語のストーリーを映画にするための脚色は悪い事じゃないと思う。
ただそれを上手く載せるのは難しいよねと思った。
まあ脚本が良くない。びっくりするほど良くない。
テーマを上手くストーリーに載せられてないので結局セリフで全部役者に言わせてる。
登場人物の心の変化や機微が全く描けてない。
どうして兵庫は格之進を目の敵にしたのか、何故細君は国許に残っていたのか。最後に誰にも言わず旅に出なければならなかったのか。
格之進は誰からも嫌われていたって事です。
そんな嫌われ者でも何人かは上手くやれる人が居るもので、そんな人しか出てこないんですごく良い人に見えてしまってる。
何でもかんでも正しさを求める人なんか付き合い辛いだけです。
これらをちゃんとストーリーに載せられずに中途半端にセリフだけで進めちゃうから、誤った解釈で溢れてる。
俳優を褒める声が多いので演出は上手くいってると思います。こんな脚本でも観れる映画になってるのは監督の演出力が高いせいでしょう。
テーマをちゃんと脚本の落とし込めなくても、優秀な監督を持ってくればそれなりに観れる作品になるって事が分かる映画です。
映画としては2点ですが、色々と考えさせてくれたので個人的には良い映画とします。
あとずっとホワイトミストはいただけない。
もうちょい番手を落とした方が見やすい。
間違いなくネタバレしてしまうタイトル
フルバージョン柳田格之助
原案は古典落語の演目「柳田格之進」です
原案は古典落語の演目「柳田格之進」です。映画版のシナリオには同藩・囲碁のライバルとの一連の確執が追加がされています。長らく語り継がれてきた演目だけあってストーリーはよく出来ており楽しめる内容です。セットや小物・VFXも良く作り込まれていて、カメラワークも含め時代劇映画としての完成度は高いと感じます。
個人の好みになるかもですが気になった点を列記します。主に設定やシナリオです。
・格之進が寡黙で陰気な設定である
ややネガに振り過ぎに思いました。草彅剛の演技も始終辛気臭く、映画全体が重いです。
・ライバルとなぜそこまでの確執が生じたのか腹落ちしない
映画版で追加されたキャラであり、もう少し明快な設定を与えたほうが良かった。
・返済期限が重要な意味を持つ割には、主人公たちの「刻に追われる」演出が弱い
借りた大金の返却期限は大晦日。かつ、そこに非常に重要な条項が加わっており、格之進はそれこそ自らの命を削ってでも間に合わせるべく動くべきですが、その緊迫感が十分に演出されていません。タイムトライアルのような陳腐な見せ方は望みませんが、結果としてヌルい顛末になったのはお手盛り感があります。
・賭け碁
時代考証的にいうと当時賭け碁はご法度であり厳罰の対象でした。映画のようにそこいら中でというのは史実からは異なります。賭け碁がややもすると当たり前のようにある世界を描かなければ映画が成立しないわけではないですし、どうしてそうしたのかな?という疑問は残ります。思うに、原案での囲碁は格之進と源兵衛が囲碁仲間で時折盤を囲んでいたという程度なので、そこから「碁盤斬り」へ持ち込むには囲碁の役割は弱かったので、その辺りを盛ってこうなったのでしょう。
退屈だったなぁ
草彅剛じゃ無かったら途中で見るの止めてた。
役者は上手い人揃えてるのよ。
でも、何か盛り上がらない。理由の一つが碁が良く分からん。盤面を見ても、どっちが優勢とかも分からないから、気持ちが入り込めない。今、碁のルールとか分かる人がどれだけ居るんだろう?って思う。が、その辺りのフォローが何も無い。もう一つが、本来の落語の人情話に仇討ちをプラスしてしまい、その仇討ち関係(藩の内情含め)の絡みが今一伝わらない。
何と言うか、脚本が全体にフワッとし過ぎてる。
真っすぐな時代劇
個人的にはかなり見やすく楽しめた。
國村隼が珍しく?良いやつの役だったことに驚き。
“時代劇”を意識した演出も随所に見られ、監督のやりたいことを強く感じられた。
しっかりと復讐を遂げようとする主人公の姿は、コスパ志向(嗜好)にとりつかれ、安直なポジティブシンキングに毒されている自分にはかなり新鮮に映った。
基盤斬りって…そういうこと
キャスティング完璧!
時代劇に見た新しさ
この物語は抑揚があり、当時の日本人の考え方に焦点をあてていて面白い。
ただ、それを「考え方」と一括りにするにはいささか「?」が残る。
無鉄砲で顧みずな性格や、一本気で考え方を曲げないとか、この物語のように清廉潔白を心情に生きているのが当時の人々なのかもしれないが、「いざ、仇討ちに」出発した直後にあらぬ嫌疑をかけられたことでいったん自宅に戻ってくるというシーンは首を傾げたくなった。
お絹も「仇討ちに出ていったのに、なんでおかしな問題を抱えて戻ってきたの?」と、突っ込みたくなっただろう。
また、期限直前の門仕舞いと、そこで晴れた嫌疑だったが、どう考えても優先順位はお絹だろう。
娘をないがしろにしてまでゲンベエに文句を言いに行くことが、この時代の考え方、行動の仕方なのだろうか?
当時の考え方を散りばめていたのは、柳田の行動が正当なものだというための伏線なのか?
頭で理解しつつも、このあたりがどうしても悶々と残ってしまう。
さて、
柳田の清廉潔白という一途な思考が碁に表現され、それを知ったゲンベエが彼の美しい心に魅了され、萬屋ケチベエというあだ名を体で表したような人格がまるで別人へとなった。
それはあたかもいいことのように思えたが、こと藩においてのそれは、家臣たちへの重しとなり、結果多くの家臣が路頭に迷うことになった。
敵役の柴田は口先だったが狩野探幽の掛け軸を売り払い、それを家臣たちへ配り生活の足しにした。
この言葉が柳田の心に大きく変化をもたらした。
そもそも柳田は、ゲンベエと碁を打っている最中に訪ねてきた家臣から柴田のことを聞かされ、腹の中が煮えくり返ってしまう。
それが碁に現れ、ゲンベエが思わず「いけません」と言ってしまう。
大きな心の乱れ
それは明らかに清廉潔白を欠いたことだったが、そもそも大きく心が乱れてしまうほど柳田は未熟だったと感じた。
ただそれは当時の思考
妻の仇を討つことこそ、武士の務め
正しいことは常に時代によって変化する
あの時代の価値観は現代の価値観とは違う。
時代劇の難しさ。
さて、
すべてがうまくいった。
ご縁があり、お絹はヤキチと結ばれる。
祝言の2次会だろうか、ゲンベエは柳田にあの日の決着をつけようと持ちかける。
ところが柳田は姿を消した。
柳田が、
ゲンベエとヤキチの首を切る直前、刀は首の代わりに碁盤を切った。
冒頭、貸し玉半年分の請求 お湯も沸かせないほど身の回りのことができない柳田
時間をかけて彫る印鑑も二分にしかならない。
そんな食べてゆくのも困窮した生活をお絹にも強いてきた。
掛け軸を売って生活費にすることは、殿に対する謀反
今までは考えもしなかった事だったが、時に頑なな心よりも方便の方がいいのかもしれない。
彼の中の優先順位が入れ替わろうとする。
刀をすでに振りかぶったとき、柳田にはそのようなことが多々目に浮かんだのだろう。
二人を切れば、萬屋が廃れる。
それはまた不幸を作り出すことになる。
もしかしたら俺(柳田)は、自分の折れないこの思考の所為で皆を不幸にしてきたのか?
このように思ったのだろう。
同時に、お絹に貧乏生活をさせ続けた元凶の碁に終止符を打とうと考えたのだろう。
碁との決別
考え方を改めてもなお、決めたことは決して譲らない。
だから碁を持ち掛けられたとき席を立ったのだろう。
直角にしか曲がれない侍の思考
ようやく娘を嫁に出し、一人また次の場所へと旅立った。
従来ありがちな仇討ちと何かを足したものに、
そこに碁というものをさらに付け加えることで、一瞬の判断で斬ったりする反射的な時代劇の概念を、少し考えてから行動するという概念にしている。
どっちがいいのか考えてから行動する。
会社の考え、教育、人は誰でも何らかのドグマや信じていることによって行動しているが、おそらくそれらは使える場面と使えない場面がある。
出来事が起き、反射的に思った判断はこの場面では正しいのかどうか?
少し考えてから行動しても遅くはないのだろう。
この部分は素晴らしい教えとして受け取りたい。
新しい概念を持った時代劇 面白かった。
確かに、時代劇は衰退。棒読みの演技に酷い殺陣
落語では語られない場面も観られます
先日(2024/09/21〜9/22)、2回に分けて観ました。
序盤に落語家の立川談慶さんが登場したのは、嬉しいサプライズでした。柳田格之進役の草彅剛は実直な浪人を演じていましたが、やはり草彅剛が浪人を演じているに過ぎず、悪い意味で予想通りでした。振る舞いはそれっぽかったですが、凄味を感じるには至りませんでした。
やはり本作での功労者は、萬屋源兵衛を見事に演じ切った國村隼に他なりません。丁寧な言葉遣いに見え隠れする“嫌味なあるじ像”を見事に体現してくれました。その嫌味なあるじは、人を見る目に長けており、柳田格之進の実直さに碁を介して気づき、少しずつ立ち振る舞いが変わっていきます。その移り変わりに國村隼の演技力の底深さを感じました。
落語でいうところのサゲ間近、柳田格之進が約束を果たしに萬屋へ赴き、刀を振り下ろした場面。柳田格之進の台詞がなかったのが残念でした。仇に介錯するシーンを前に観せ、緊張感を与える所までは良かったですが😕
落語の一席では語り尽くせない部分を、映像で観られたのは良かったです。落語は人の業の肯定といいますが、『柳田格之進』の一席もまさにその通りで、誰にも起こりうる失念や偶然による間違いや不運を考えさせられ、とても意義があると思います。
本作を気に入った方は、是非落語の方もご覧になってみて下さい‼️
❇️『本当に碁盤を切るんかい😅』 ★彡技名ではないんやな。
碁盤斬り
❇️『本当に碁盤を切るんかい❗️⁉️😅』
★彡技名ではないんやな。
1732年🇯🇵江戸(享保17年)徳川吉宗時代
身に覚えのない罪を着せられ、武士で貧乏長屋に夫婦で暮らしている主人公(草薙さん)囲碁の勝負で萬屋店主(國村さん)と信頼を深めていた。
ある日、昔の出世や囲碁勝負の遺恨て揉めていた武士(工さん)との復讐劇。
◉63点。
★彡主人公の草薙さん。こんな友達はいらないな。クソ真面目すぎて面白くない。💩
🌀吸いも甘いもやねんな。
🟢感想。
1️⃣『心の動きを囲碁で伝える。』
★彡碁石の音や打ち手の采配で心の表現するのが良かった。
2️⃣『そもそも囲碁のルールがわからへん💢』
★彡雰囲気と表情でそこそこ楽しめた。
3️⃣元々落語らしいのだが、どこで笑うのか落語をいつか観てみたい。
🈲ネタバレ少しあるよ!。
3️⃣『主人公の堅物で身勝手さが』
★彡①何故妻を殺されたのに碁で勝負できるの?
②ワイなら娘を吉原に入れるならプライドは捨てるね。
③疑われたのに娘を嫁にあげるかね?普通?
④結婚式なのに途中で消えるかね?普通。
⑤國村さんのうっかり八兵衛には納得できない。
⑥クソ真面目すぎて斉藤工さんが民が言っていた事は一理あるのでしょうか?
⑦斎藤工さんアッサリ討たれるねんな。
⑧クソ真面目なのに絵巻は貰い売るんかい💢
グラグラやな?
⑨國村さんとの碁石勝負捨てて消えるなんて失礼礼儀極まりない💢。だったら嫁を託すな💢
駄目な侍やん。落語やな?
👘🍶🗡️
碁盤斬りの意味は最後にわかる
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