ヤジ排除における北海道警の違法行為の問題点はよく描かれている。
が、一方で原告側たちがヤジを飛ばしてまで安倍政治の何が問題だと思っているのかは、なのかはよく伝わってこない。こういった映画を好む左派にとっては言うまでも無いのかもしれないが、それではドキュメンタリー映画としては説得力が低い。
問題のある政治に対しては辞めろと声を上げても良いのだと思わせるだけの説得力を欠いている。
ヤジ問題と直接関係ないが、桃井希生氏が「トランスジェンダーの人に勇気づけられた」とコメントしているが、非常に底の浅い正義感を感じる。
マイノリティー=正義ではない。そもそもトランスジェンダーは数は少ないが必ずしも抑圧されたマイノリティーかと言えばそうではない。特に女性を自認する男性である「トランス女性」の場合は。
それこそ海外では未手術のトランス女性であるリア・トーマスという水泳選手が他の女性選手ガイやがる中、同じ女子更衣室を下半身丸出しで使ったり、男子では箸にも棒にもかからない記録しか出してなかったのに「女子選手」として次々に記録を塗り替えている問題を知らないのだろうか。「トランス女性」と言う名の自認女性男性に奪われた女子スポーツでのメダルの数は3桁以上にのぼる。
他にも罪を犯して捕まった後に女性を自認し、女性刑務所に収監された「トランス女性」が女性囚人をレイプしている事件も多発している。
日本でもトランスジェンダーの経産省職員(身体男性)が、性的適合手術を受けることを条件として職場の一部の女子トイレの使用を許可されいわば本人専用のトイレがあるにもかかわらず、実際には手術をせず、他の女性と同じ女子トイレを使えないことを不服として裁判に訴え、最高裁はあろうことかこの「トランス女性」の訴えを認めた。
トランス問題においては本来のマイノリティーである身体女性の人権が無視されている。スポーツや着替え排泄など身体性が重要視される場所において、男性の身体を持つ人はトランスだろうが何だろうが、マイノリティでもなんでもない。紛れもない強者だ。
マイノリティは正義、与党の悪行は広く知られている、という思い込みで発言しているから左派は支持を得られない、という左派の問題点がむしろこの映画で浮き彫りになったのではないか。与党や県警の問題点を追求するなら左派はもっと慎重になるべきだ。