最後まで行く : インタビュー
藤井道人監督がたぎらせる、今も変わらぬインディペンデント魂
岡田准一と綾野剛が共演する「最後まで行く」が、5月19日から全国で公開される。2014年に韓国で封切られ、観客動員345万人の大ヒットを飾ったイ・ソンギュン主演、キム・ソンフン監督の同名映画を果敢に日本リメイクした、若手随一の実力派・藤井道人監督に話を聞いた。(取材・文・写真/大塚史貴)
韓国で大成功を収めた「最後まで行く」は、これまでに中国、フランス、フィリピンでリメイクされており、なかでもフランス版は「レストレス」のタイトルでNetflixで世界配信されると、全世界でNetflixグローバル映画ランキング1位を獲得するほど多くの人に受け入れられた。
映画は、藤井監督と平田研也(「22年目の告白 私が殺人犯です」)が共同で脚本を執筆し、日本ならではの特色とアレンジを加味。悪い時には悪い事が重なり、陰謀に巻き込まれていく刑事・工藤(岡田)と、それを追う謎の監察官・矢崎(綾野)が織り成す年の瀬の96時間(4日間)の物語が、圧倒的な緊張感とスピード感で描かれている。
■タックルする岡田准一と壁に打ち付けられる綾野剛を見て…
藤井監督にとっては、主演の岡田は小学生の頃から憧れの存在だったという。一方の綾野とは、「ヤクザと家族 The Family」やNetflix版「新聞記者」で真っ向から対峙しており、いわば盟友といっても過言ではないだろう。現場で相対した際、ふたりの振舞いの中で“腑に落ちた”ことはあっただろうか。
藤井「ふたりとも、赤ちゃんなんです。目の前の事をどれだけ楽しめるのか、瞬間的なことであっても妥協をしないという点で、とても似ている。僕のチームの集中力も似ているので、その点が最も腑に落ちたところですね。この人たちと一緒だったら、絶対に面白いものができる! と感じられるんです。誰ひとりとして『これでいいか』と思わない。
劇中、綾野さんが岡田さんにタックルされて、壁に打ち付けられるシーンがあるんです。すごい痛そうで、実際に痛いんですが(笑)、岡田さんがモニターチェックをしながら『もう1回やったら上手くいくと思うんだけど、剛くん、やってもいい?』『全然大丈夫です!』みたいな会話が交わされていて、その後も何回も壁に打ち付けたりしているわけです。そんな事ができているスターたちって素敵ですよね。観客の皆様に届けるんだ! という熱量が同じだったことが、良い思い出です」
■「カメレオン監督」が譲れないもの
藤井組には、俳優部をその気にさせてしまう空気が流れているのだろう。詳述は避けるが、あるシーンで矢崎扮する綾野が変態的な笑顔を浮かべるのだが、どの現場でも硬軟自在に出せる類のものではない。
藤井「あの顔って、演出してできるものではないですよね。ただ、信じてくれている…というのはあるかもしれません。『藤井組は、この表情をしてダメなら怒ってくれるし、良かったら喜んでくれるチームだ』って剛さんが思ってくれているんだと思います」
その綾野からは、「カメレオン監督」と呼ばれているようだが、監督として譲れないものを聞いてみた。
藤井「一度引き受けたからには妥協しないというか、自分が納得できるものを最後まで突き詰めるというのは、ジャンルを問わず意識していること。プロデューサーに選んでもらった身ですし、責任を与えていただいているわけですから、『これでいいか』がないから、そう言ってくれている一因なのかもしれませんね」
■「最後まで行く」と「ヴィレッジ」の異なるコンセプト
真摯な面持ちで語る藤井監督だが、この数年で映画界だけでなくテレビドラマ、配信プラットフォームからも引っ張りだこの存在になった。それは、監督作「新聞記者」が日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞したことが大きな契機になったことは言うまでもない。今年は連続ドラマ「インフォーマ」で総監督の役割を担ったほか、昨年6月に死去した河村光庸さんが製作総指揮を務めた意欲作「ヴィレッジ」が現在公開中だ。
比較するつもりは毛頭ないが、「ヴィレッジ」も「最後まで行く」も、もがき続ける男の姿を描いている。インディペンデントの雄ともいえるスターサンズと相まみえた「ヴィレッジ」と時期を同じくして、邦画最大手の東宝と組み、エンタメ作品を…という意識を持ち続けながら「最後まで行く」を撮り切ったことには、大きな意義がある。
藤井「『ヴィレッジ』は問題定義をしたい、映画を通じて問いたい、語りたい…というものが根底に流れていて、これはスターサンズの河村イズムです。『最後まで行く』は、コロナ禍で映画館から離れてしまった人たちに対して、もっと純粋に映画を楽しんで欲しいという思いがありました。年に1度しか映画を観ない人たちにも、『日本映画ってこんなに面白いんだね』と言ってもらえるような純度の高いものを目指したというのが、大きなコンセプトの違いです。
それと、狭い世界の中から抜け出せない人の話という意味では両方似ているのですが、全くアプローチを変えてトライしました。昨年1月に『最後まで行く』を撮り、4月から『ヴィレッジ』を撮っていたので、頭がぐちゃぐちゃになりそうでしたが、どちらの現場も楽しかったです」
■5年前の“絶望”から何ひとつ変わっていないこと
藤井監督と腰を据えて話をするのは、18年5月に映画.com編集部を訪ねて来てくれて以来5年ぶりとなった。その時は、出演者が引き起こした事件により撮影中止を余儀なくされた監督作「青の帰り道」の再撮影を無事に終え、公開への道筋が見えたというタイミングだった。伊藤主税プロデューサーと共に思いの丈を赤裸々に語ってくれた藤井監督の眼差しが忘れられず、聞いてみた。「藤井さんの中で変わったこと、何ひとつ変わっていないことは?」と。
藤井「今までは凄い少人数で作る映画の船でしたが、小さな船に色々な人が乗りたいと言ってくれるようになって、さらにクルージングを楽しんでくれるようになった。少しずつ船が大きくなってきているという実感はあります。これまで『どうせ無理だよね』と言っていたひとつひとつを変えられる可能性を秘めた船になってきていて、そこは凄く嬉しいんです。
変わっていないことは、無茶をするというか、いつも通りインディペンデント魂と申しましょうか。観たことのないものを生涯に1本作るんだ! と思いながら打席に立ち続けているという意味では、昔から変わっていないのかもしれません」
■メジャーもインディーズも「結果が出なければ次はない」
八面六臂の活躍をみせる藤井監督を見て「随分と遠いところへ行ってしまったな」と口にする人も散見するが、実のところ筆者は根底に流れる“激情”は何ら変わることなく、今もたぎらせ続けているように感じていた。その思いは、近年の作品を観ればよりクリアになっていった。藤井監督はいま、映画製作についてどのようなビジョンを持っているのだろうか。
藤井「『最後まで行く』『ヴィレッジ』に通ずるのですが、狭いコミュニティで満足しないことです。世界がどんどん変わり、機材やデジタルも進化し続けています。映画業界自体が完全に変革期を迎えるなかで、ゲームチェンジャーに名乗り出ても良いのであれば、ちゃんと手を挙げるひとりでありたいとは思っています。
シネコン、ミニシアター、配信って共生できる可能性があるのに、どこかドメスティックに『僕はここだから』って、自分たちのコミュニティを定義づけているように思えてならないんです。その壁って空気のようなもので、本来は存在していないもの。それを壊していきたい。インディーズで撮っている人たちにも、『メジャーってこれだけ魅力的なんだよ』って伝えたい。
『何が違うんですか?』と聞かれたら、『ほぼ何も変わらない。ただ、インディーズもメジャーも、次がないということは一緒。結果が出なかったら次はない。1度不味い料理を出してしまったら、お客さんが来なくなるのと一緒』と答えるでしょうね。大きいところで映画を作る魅力はあるし、若い人たち、後続の人たちがもっと魅力を感じてくれるようになったら面白いのかなと感じています」
■ルールやしきたりへの嫌悪感、反骨心
5年前のあの日、「この映画から1本のために人が集まるという大切さや奇跡を学んだ。あれから、何もかも無駄にしなくなった」と話していた。想像を絶する忙しさに身を任せるようになった現在、無駄とは言わないまでも取っ払いたいと感じるものはあるだろうか。
藤井「ルーティンだったり、『have to(しなければならない)』ですかね。ルールだから、というものについては基本的に聞かないようにしています。自分の中で納得できないものはやりたくないですから。先人たちがたくさん戦って勝ち得た権利というのもあるとは思うのですが、ビジネスが変動していくなかで我々に適用する意味が分からないんです。ルールも変わっていくべきだし、そこに対しての決まり、しきたりみたいなものへの嫌悪感、反骨心はより増えたかもしれませんね。
インディーズの頃は外から見ていただけなので、何とでも言えたんです。今よりもっと悪い言葉で。でもメジャーでやってみて、メジャーの葛藤や美しさ、中で働く人たちの努力をたくさん見たからこそ、変えなければいけないことも明確に見えてきたと感じています。ちゃんと態度で示さないと。僕はSNSで言葉を発することを自分の中で禁じていて…。言葉だけではなく、自分から体制とか進んで変えていかなければダメだなと思っているんです」
■素敵な人たちは、どこの業界にもいる
「中で働く人たちの努力をたくさん見たからこそ…」という発言を、より掘り下げてみるために、メジャーで仕事をすることの意義を問うてみた。
藤井「現状、僕にオファーしてくれるメジャーの方って、変わった人が多いんです(笑)。あえて僕に話がくるということは、その時点でプロデューサーの方も変わっているのでしょうね。『物好きですね、面倒臭いですよ?』って伝えるんですけどね(笑)。
それでも、とことん付き合ってくれる方が多い分、メジャーもインディーズも変わらない。今回もコロナで大変なことがいっぱいあったんですが、誰も逃げずに向き合ってくれたことに恩を感じています。インディーズも何も関係なく、素敵な人たちというのは、どこの業界にもいるんだと感じました」
社会派作品からエンタメ大作まで、規模の大小に関わらず魂を注入する藤井監督が、いま心から撮りたい題材があるという。
藤井「大河を描きたいんです。年齢を重ね、家族を持ち、組織を持ったとき、自分たちはどの土の上に立っているんだろうって思う機会が増えたんです。我々の先祖や諸先輩方の人生、昔の写真でしか観ることの叶わない街の変遷というものを、NHK的なことではなく映画の中で描いてみたい。
ですが、まだそこまで僕が成熟していない。だからこそ言えるんですけどね。田中角栄氏について描いてみたいんです。どれだけ清濁併せ呑んで生きてきたんだろうか……って。現代って、清濁の『濁』ばかりが世の中に広がってしまう。あの時代だからこそ、ああいう方が存在したけれど、今の時代には本当にああいう人は不必要なんだろうか? ということが気になるんです。これは自分が監督じゃなくても観てみたいですけどね」
日本映画界が抱える問題にも自分なりの見解を示す藤井監督の世代が今後、日本の映画マーケットそのものに活力を与えるような動きを見せてくれることを期待して止まない。「日本人として、日本にちゃんと持ち帰れるような作品をA24で撮ってみたいんです」と、穏やかな口調で語る姿に、藤井監督の心根がやはり何ひとつ変わっていなかったことを確信した。