バビロンのレビュー・感想・評価
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デイミアン・チャゼルの音楽センスが健在。3時間超は配信視聴向きかも
映画の道に進む前はジャズドラマーを志し、実体験に着想を得た「セッション」やミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」でその音楽的センスを演出に活かしてきたデイミアン・チャゼル監督。この「バビロン」でも劇中曲やBGMの使い方だけでなく、長回しと短いカット割を使い分ける編集のリズムにもスリリングな音楽のようにぐいぐい引き込まれる心地よさを覚えた。
あいにく公開時に見逃して配信での鑑賞。序盤の乱痴気騒ぎのパーティーや日没間際の野外ロケでのシーンなどは大スクリーンに映えそうだが、トイレを気にせず軽く飲みながら観られたのは良かった。
チャゼルが「セッション」で名声を博す前の2009年にはすでに本作の構想があったが、無名監督にしては壮大すぎる企画とみなされたのか売り込みは不発。だがプロデューサーのすすめで、業界での成功を夢見る男女の軸は残しつつ、時代設定を変え、ミュージカル映画としてストーリーを作り直したのが「ラ・ラ・ランド」だという。ちなみに「バビロン」のネリー役には当初エマ・ストーンが予定されていたが、コロナ禍による撮影の遅れでストーンが降板したのちマーゴット・ロビーが起用された。
古き良きハリウッドを描き、ブラッド・ピットとマーゴット・ロビーが共演している点でも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」と比較されるが、個人的には「バビロン」の方が好み。往年の“ハリウッドの夢”を支えた多様な人種や出自の人々すべてに対する憧憬と敬愛が伝わってくるのが、チャゼル監督作品の美点だと思う。
ロマンチストな監督が稚気大開放にして描くハリウッド混沌期
まだまだ有象無象がひしめくカオスだった1920年代のハリウッドから、清廉潔白を表看板にした大資本の時代へ。その劇的な変化を、サイレントからトーキーへの過渡期と重ね合わせるのがこの映画の趣向。乱痴気騒ぎに過ぎない序盤のパーティーシーンには面白みを感じられなかったが、映画の撮影シーンの混乱から作品が生まれるエネルギーには惹きつけられる。ただ、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」を手本にした、かなり露悪的にカリカチュアされたハリウッドという印象ではあり、歴史の再現というよりも一種のダークファンタジーだと思って観た。良くも悪くも人生観や世界観が未成熟く思えるのはこれまでのチャゼル(どうやら発音はシャゼルが正しい)と変わらないし、それが個性でもあり、物足りなさでもあるのだが、チャゼルが一貫して極度のロマンチストであることは浴びるほど伝わってきたので、やっぱり嫌いになれない。糞尿ネタで嬉しがってんじゃねえよと眉をひそめつつも、どこかしら可愛いんだよな。
トーキーで失ったもの
サイレントからトーキーへと移り変わる時代のハリウッドの狂騒と哀愁。『雨に唄えば』の変奏として見ごたえはある。だが、何か足りないというか、いまいち本物の狂気感がないなという感じがある。メインプロットとサブプロットのバランスをどう考えて構成したのかとも感じた。マーゴット・ロビーとブラッド・ピット、2つのメインプロットに、字幕作りのアジア人女性や黒人ジャズミュージシャンのサブプロットなどが挿入されていく。マイノリティの置かれていた立場の検証として興味深いのだが、映画全体にどのような効果を及ぼしたか。
サイレントからトーキーへと変わり、前向きな変化だけがそこにあったわけではない、滅んでいくものへの哀悼がある点はこの映画の美徳だろう。笑われ、退場させられた人たちにも人生はあった。
個人的にはトーキー化によって映画が何を失ったのかを端的に描いた点が良かった。マーゴット・ロビーがマイク位置の場ミリのポイントに上手く立てないで苦戦するシーンがある。華麗に踊りながら行こうとしたらずれてしまって、音が拾えない。だから、ただ地味に歩いて移動するしかない。自由奔放な動きでスターになった彼女の没落は、映画が自由な動きを失ったことと符号する。声を得た代わりに運動を制限されたのがトーキー化だったわけだ。
美醜と狂騒のステップと、それを上回る創造性の爆発と。
本作はキメラのように幾つもの要素を持つ。一つは美醜の混濁した狂騒劇としてのイメージ。とりわけ冒頭パーティーで高鳴る音楽に乗せて夥しい数の人々がステップを加速させていく描写は圧倒的だ。が、かと言ってチャゼル監督がこの序盤30分のうちに巧く各キャラを印象付けられたかというと疑問が残るし、しつこいほど繰り返されるビザールな描写に(汚物が垂れ流されたり)嫌気が差す人もいるかもしれない。その一方で、本作はハリウッド黄金時代の空気感と、『ジャズ・シンガー』による業界の大激震を刻んだ秀逸な”映画史の教科書”のようなところがあり、時代の裂け目に堕ちていく人々の悲哀とサスペンスと『ラ・ラ・ランド』にも似た悲恋と郷愁をも併せ持つ。正直、長すぎるしまとまりに欠けるものの、ラストの創造性の爆発には驚嘆したし、本作に強く惹かれる自分がいるのも確かだ。少なくとも燃える野心と実験精神を持った怪作であることは間違いない。
現代のポリコレから断罪したハリウッド全盛期のスキャンダルへの哀悼と嫉妬
サイレントからトーキーに変わる映画産業の大転換期にあたる1920年代後半から1930年代前半のハリウッドを舞台にして、様々なスター始め俳優、プロデューサー、監督、他スタッフの映画人が入り乱れる群像劇。それは時代再現のノスタルジーでなく、現代のポリティカル・コレクトネスの視点から断罪するかの暴露趣味と、そのカオスのエネルギー表出に潜むハリウッド全盛期に対する作者デイミア・チャゼルの嫉妬まで汲み取れるという、何とも複雑怪奇な印象を抱く。サイレント時代のハリウッドを題材にした作品では、ほぼ同時期を扱ったミシェル・アザナヴィシウス監督の「アーティスト」(2011年)と、古くは映画の父D・W・グリフィスの「イントレランス」をオマージュしたイタリアのタヴィアーニ兄弟監督の「グッドモーニング・バビロン!」(1985年)や美男スター ルドルフ・ヴァレンティノを主人公したケン・ラッセル監督の「バレンチノ」(1977年)を連想するが、この作品の醜悪と淫靡の大胆不敵な描写力には驚きを隠せない。映画としての綺麗事を排した勇気ある挑戦とも言えるが、このチャゼル監督の演出エネルギーに感心しながらも映画美術の点では物足りなさを感じてしまった。これがイギリスのピーター・グリーナウェイやメキシコのギレルモ・デル・トロのような映像美であったならと惜しい気持ちもある。
ブラッド・ピットが演じたジャック・コンラッドのモデルは、「肉体と悪魔」でグレタ・ガルボと共演したジョン・ギルバート。トーキーになって声のイメージダウンで人気を落とし失意の中亡くなる有名スター。「アーティスト」の主人公のモデルと重なる。主演女優らしい存在感のマーゴット・ロビーのネリー・ラロイのモデルは、スキャンダル女優として名を馳せたクララ・ボウ。ロビーは美しさと演技力を持ち合わせた素晴らしい女優さんと再認識する。チャゼル監督の分身であろうマニー・トレスを演じたディエゴ・カルバは、登場する映画人の中で唯一のまとも人間を好演している。ルイ・アームストロングをモデルにしたジャズトランペットのシドニー・パーマーを演じたジョヴァン・アデポは、描き足りない脚本のせいか、それほど印象に残らず。トビー・マグワイヤのギャングのボス役は怪演で好印象を持つ。ジャックの友人のプロデューサー役のルーカス・ハースは、1985年のピーター・ウィアー監督の「刑事ジョン・ブック目撃者」の名子役でした。役者を続けていたのをこの作品で知る。女流監督ドロシー・アーズナーをモデルにしたルース・アドラーを演じるチャゼル監督夫人オリヴィア・ハミルトンが登場する場面がいい。特にトーキーでのスタジオ撮影の録音で苦労するエピソードが面白く、撮影機の音を封印するためにカメラマンが箱に閉じこもるところが可笑しかった。このシークエンスと並びこの作品で光る場面は、冒頭のドイツ出身の監督オットー・フォン・シュトラスベルガーの野外撮影シーンの迫力と夕陽を生かした演出のこだわりを見せるところ。演じるのは「マルコヴィッチの穴」の監督スパイク・ジョーンズ。短髪の頭でドイツ人役から、これは明らかにエリッヒ・フォン・シュトロハイムをモデルにしている。プロデューサー泣かせの制作費が掛かる超長編映画の製作は、現代では不可能であるし、誰からも相手にされないであろう。シュトロハイムは、サイレント時代を象徴する映画監督でもっとも異質の巨人だ。このシュトロハイムの代表作の一つ「愚なる妻」や最晩年のサム・ウッド監督の「チップス先生さようなら」の大物プロデューサー だったアーヴィング・タルバーグが登場するのは珍しい。アカデミー賞のなかで個人名が入る最も名誉ある賞。37年の短い生涯で数多くの映画制作に携わった天才プロデューサー。演じるのが「イングリッシュ・ペイシェント」の監督アンソニー・ミンゲラの息子さんマックス・ミンゲラという人。そして、一番驚いたのは、ネリーの父ロバート・ロイを演じたジュリア・ロバーツの兄であるエリック・ロバーツ。同年代だけに時の流れを感じ、「コカコーラ・キッド」「暴走機関車」が懐かしい。
この映画の良い点は、そのキャスティングの的確さとジャスティン・ハーウィッツの音楽。映像を邪魔せず、また映像を補う迫力もあり、そしてクラシック音楽の使い方も個人的に好みだった。3時間を超える脚本には不必要と思われるおちゃらけシーンもあって、その表現意図を理解しがたいものが残る。最後のマニー・トレスが映画館上映の「雨に唄えば」から彼自身の映像の記憶が蘇り、走馬灯のように駆け巡るモンタージュがいい。それは映画の歴史を振り返るデイミアン・チャゼル監督個人の映画に捧げるオマージュとなり奇麗に終わる。現代の映画制作からは想像できない、飛び抜けて不道徳で情熱的で正直で直向きであった映画人の姿。
ハリウッド版『蒲田行進曲』+ …
2022年(日本は2023年)公開。
監督と脚本はデイミアン・チャゼル。
冒頭、象の脱糞シーンに強烈な衝撃を受ける。
「まじか?」
この時点では、どんなジャンルの映画なのかすらわからない。
続いて、謎のパーティー会場にはいり、主なキャストが出揃う。
映画が産業としての地位を固めつつある中、出自やキャリアを問わない、カオスの中の出会いを象徴しているシーンだろう。
トップスターのジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)、
女優志望のアバズレ系ギャルのネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)、
一旗揚げたいインテリ風メキシコ人マニーことマヌエル・トレス(ディエゴ・カルバ)、
の面々だ。
1920年代ハリウッド黄金期が舞台に設定されている。
”映画バブル” を満喫する業界人の乱痴気ぶりと、トーキー登場に戸惑う現場の姿を背景に、無声映画時代のスター俳優&成り上がりの若い男女の成功と没落を描く。
マニーのネリーに対する一途な想いは、『フォレスト・ガンプ/一期一会』におけるフォレストのジェニーに対するそれにも似る。
懐古的なトーンは『蒲田行進曲』と同じだが、
最近のアメリカ映画に共通の、露悪的な性描写も加わる。
古いタイプの私は、その部分がどうしても好きになれない。
必要に感じないのだ。
ぼかさないとダメなカットがなくても、
業界の退廃ぶりや堕落したさまは伝えられる。
そろそろ止めてほしい。
監督のデイミアン・チャゼルは『ラ・ラ・ランド』同様に、”業界の空気感” を映像化するのが抜群にうまい。
自信と不安が背中合わせの若さの演出も出色の出来だ。
ノウハウを持ってるだけでなく進化させてる。
中でも、
トーキー映画撮影現場の混乱ぶりを伝えるシーンは秀逸。
もちろん、デフォルメされていると分かっていても
現場の緊迫感やイライラが伝わってきて、心臓マヒを起こしそうになった(笑)
日本公開時には、R15だ、R18だと混乱があったようだが、R指定なしで作れたはずじゃない?
ということで、☆3.5
つまらない人生はイヤ!
スターになりたい!
裕福になりたい!
名を残したい!
映画界に憧れハリウッドに集まる
薬物、たばこ、汚物
イカれたヤツそして借金等々
1920年代当時はそんな感じだったのか
マーゴットロビーのハチャメチャな
イカれてる役がいいのかどうかは
分からないけど振り切ってましたね
マニーと偶然に出会って意気投合
そして大物スター
ジャック(ブラットビット)と知り合う
この主要な三人が織り成すstory
ネリーはちょっとした気っ掛けで役を
得てそこからスターの地位を築いていく
マニーはジャックに信用を得て重要な
役職を任され二人とも順調満風な時代
しかし…映画の音声が無声から有声に
色も白黒からカラーへと変わっていく
ジャックも時代と共に消えていった
ネリーの方は賭けで借金をつくり
マニーに泣きついて助けを求め
マニーは怒りながらも好きなネリー
の為にお金の工面をする
そしてプロポーズ
しかし…ネリーはいなくなる
マニーはネリーと結婚することが
できなかった
ネリーは『つまらない人生』は嫌
と言っていたから
平凡すぎる暮らしは向いていないかも
と思った
マニーはその後家庭をもって
子供もいて幸せそうだが・・
映画界で働いていた
若い頃を回想して……涙を流す
マニーの涙がとても切ない
LaLaランドの時と同じ切なさだった
…やっぱり
マーゴットロビー
の華やかさが魅力かな
不条理な権力
2024年3月11日
映画 #バビロン (2022年)鑑賞
#デイミアン・チャゼル 監督作品
#セッション と #ラ・ラ・ランド はよかった
#ファースト・マン も少し重苦しいがよかった
しかし、これはちょっと物足りない
#ブラッド・ピット の役は必要だったかな?
まだまだ若い監督だから次に期待しよう
極彩色の甘い生活、地獄篇⁈
100年前のキネマの天地、ハリウッドを夢見た若者の地獄めぐり。
監督は、ララランドよりも先にこちらを構想していたらしい。
ついに実現した絢爛豪華なダークサイド超大作に圧倒されまくり。
情熱は狂気、欲望の炎は全てを焼き尽くし、後の祭りとなる。
怖い怖いおとぎばなし。
なんだかみていて、我が事のようでした。
よくここまで生きてこれた。
終わって、ホッとして。
オマージュがたくさん
・ウルフ・オブ・ウォールストリート
・華麗なるギャツビー
・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
が、ごちゃ混ぜになった世界観。
(終盤はラ・ラ・ランド?)
どこかにレオナルド・ディカプリオいるんじゃないかと探してしまった。
映画のパワー、残酷さ、虚しさ、そしてまたそこから生まれる希望。
映画が本当に好きな人が作ったんだなーとものすごく伝わってくる。
久しぶりに映画に興奮した
最近はもっぱら、空き時間に手軽で簡単に欲望を発散出来る映像ツールが増えたので、長い時間をかけてみる映画に昔ほど心動かせていなかった。(歳をとって集中力がなくなっただけかもしれないけど笑)
このバビロンも、最初は映画館で観ようと思っていた。でも、最近忙しいし、いつか配信されたら観よっかな。と流して忘れてしまっていた。Netflixで何かないかなーと探っていたところ、偶然出くわして、おー、まぁ観てみるか。とおもいたって観ることとなった。するとまぁ凄い。
ゴージャスでクレイジー。暗部と賞賛のコントラスト。美しいと思える物を全力で作る人々。そして、残酷に移りゆく時代。
ラスト付近のヒロインの「人生は最高よ」というセリフ。あぁ、美しい映画だなぁと思った。
映画ってやっぱり面白いって思い出させてくれた。賛否両論の映画ではある。でも私には刺さった。改めて映画や小説など、時間はかかるけど素晴らしいものを沢山みたくなった。有難う!
長い
サイレントからトーキーへ移り行く頃の映画界の話。
露悪的だが前半の映画作りに七転八倒する様は当時の撮影状況が窺い知れて興味深く観れた。
しかし後半はフィルム・ノワール的な展開にうむむ・・・となってしまった。
あとギャンギャン喚くキャラばかりで3時間は疲れた。
下世話でクドい「雨に唄えば」
「セッション」も「ラ・ラ・ランド」もどっちかというと嫌いな作品だが、こちらは楽しめた。「雨に唄えば」を下品に下世話にした映画。デミアン・チャゼルはとにかく念押しのクドいショットが多いのが苦手なのだが、この映画ではそれが割と良い方向に作用していた。しかし、このクドさでこの長さなのでかなりしんどかった。美術が素晴らしいので何とか観られた。
ハリウッドの歴史?
サイレントの時代からトーキーに変わる頃のハリウッドのドタバタな様子。どの程度が事実に近いのかわからないけど、サイレントの時代の撮影風景がとんでもない状態で興味深い。それに人が死んでしまってもお構いなしな状況。無茶苦茶だ。冒頭のパーティーの様子も乱痴気ですごいなぁ。でもそこで踊りまくるマーゴット・ロビーがとてもチャーミング。
今作を観ると、トーキーになったことで、人気に翳りが出た俳優もいたんだろうなあと改めて思う。逆に人気が出た人もいたんだろうなあ。
今作、なかなか興味深く面白かったが、なんといってもマーゴット・ロビーが魅力的。彼女の代表作でしょう。
崩れゆく黄金の塔
にわかの映画ファンには少し難しい
小ネタがすごく沢山ありそうで、おそらくものすごく面白かった!と思えるのは生粋の映画ファンなのでは
こめられてるのは愛と狂気と哀愁と期待、かな
変わる時代。生まれる物、消されるもの。抗い破れるもの、受け入れ乗りこなすもの どちらも等しくあの頃は楽しかったという感慨を抱いている寂しさ
全然全く羨ましくないし美しくないし素晴らしくもないんだけど、最初のパーティ。そこにいる人々。そこにいた登場人物たち。浮かべていた笑顔、野望、夢。この先起こることを知らずただ踊り狂うその人たちが、何故かやっぱり少し羨ましくて美しくて素晴らしく思えてしまう
不思議な映画だった
すごく音楽が耳に残る
夢のような世界一のところ
同じバビロンでもベルリンバビロンの狂騒的音楽とダンスの方が良かった。ララランドに近しい音楽で、ストーリーも映画業界にし猥雑にしてと、私としては今ひとつ。初めの頃のまぁぐちゃぐちゃながら勢いで制作している現場は楽しそうで良かった。草創期って何でもこんな感じかな。
すぐドラッグが出て来て、あー不快。ネリーも何だか好きになれない。コンラッドやはりそう言う結末にしちゃうのね。うーん面白いかなぁいや今ひとつかなぁ
クレイジー
なんだけどいつか見た、何か懐かしくもある作品。狂喜乱舞の映像から始まる今作。面白かった。時間は感じさせず。
プラピとマーゴットロビーがの存在感が凄い。特にマーゴットのあれだけの存在感は魅了される。演技素晴らしい。ハリウッドが夢中になるのもわかる。
この時代を見事に描いたデイミアン監督も凄い、映像見事です。
トビーマグワイアがまさかの悪役、最高です。
天使や亡霊たちと永遠を生きられること
本作を観ていると、タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を思い起こす。
時代はずれがあるが、ハリウッドの撮影現場、俳優たちの破天荒な生活、黒い組織との関わりなどなど。
『ワンス・アポン-』も本作も、ブラッド・ピットとマーゴット・ロビーが共演している点も。
ただ、ハチャメチャぶり、エログロナンセンスぶりは、本作が群を抜いている。
特にオープニングのパーティーシーンは、チャゼル監督の底なしの世界観から発せられるバイタリティで満ち溢れている。良くも悪くも。
印象に残ったシーンがふたつ。
老齢の女性記者(ジーン・スマート)が、トーキー映画の変革期の波に乗り遅れたスター(ブラッド・ピット)に言った言葉。
「現世での”時”は過ぎても 天使や亡霊たちと 永遠を生きられるのよ」
この激動の時代を生きるためのバイブルのような言葉に思えた。
もうひとつは、メキシコ→ハリウッド→メキシコと人生が流転し、そしてまたハリウッドの映画館に舞い戻った元プロデューサー(ディエゴ・カルバ)が観賞するシーン。
映画人と過ごした日々が、走馬灯のように繰り広げられる。
このシーン、ぱくりとも思えたが、あの名作『ニューシネマパラダイス』のラストシーンと重なって涙が溢れた。
「現世での”時”は過ぎても 天使や亡霊たちと 永遠を生きられるのよ」という言葉が、再びよみがえった。
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