正欲のレビュー・感想・評価
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新垣結衣の本質を感じた
この映画は凄い。とても感動した。
稲垣吾郎も良いのだけれど、やはりこの映画は新垣結衣と磯村勇斗でしょう。
特に新垣結衣は、ガッキーと呼ばれ逃げ恥以来アイドル的立ち位置になっていた気がしますが、彼女の本質は女優なのだと思い知る、凄い演技でした。
宇野祥平も、罪の声で知った俳優でしたが、セリフさえ少ないものの相変わらず良い味を出していました。あんなに目で語れる俳優は稀だと思います。
そして東野絢香さん、失礼ながら彼女のことは初めて知りました。この先どんな作品に出られるのか、とても楽しみな女優さんです。
なかなかこのような素晴らしい作品には出会えません。映画館に来て良かった。多くの観客とこの感動を一緒に味わえて、本当に幸せでした。
よくぞ映画化してくれました‼️とスタンディングオベーションを贈りたい
この映画は観る人を選ぶと思われますが…私はすごく好きな作品になりました!
新垣結衣さんの演技がとにかく素晴らしかった!
他人には理解して貰えない趣味嗜好を抱え、自分を閉ざして生きている桐生夏月(新垣結衣)。
職場でも親切心でいろいろと話しかけてくる同僚に、常にイライラしています。
この同僚、親切心は分かるんだけど…明らかに迷惑顔してるんだから、自分の思いや価値観を押し付けちゃ、ダメだよね(^◇^;)
夏月と、同じ思いを共有していた同級生・佐々木佳道(磯村勇斗)は、高校卒業以来、久々の再会でお互いの生きづらさを楽にする手段として同居を始めます。
男女ではなく同志として生きる2人の生活は、傍目には異様に思われるかも知れないけど、私にはなんだか微笑ましくて素敵に思えました。
ある日佳道は同じ趣味嗜好(フェチ)を持つ人物をSNSで見つけ、接触を試みます。
他人には理解しがたいフェチについて語り合える友がいる喜び、そして嬉しさ。
ですが、同じと思っていたその仲間の1人はグラデーションの色ように、微妙な違いが混ざっていたのです。
その人物のおかげで、物語は想像もしていない展開になります!
(あの男さえ居なければ、こんな事にならなかったのになぁ😞)
逮捕される事になった、佳道を問い詰める検察官・寺井啓喜(稲垣吾郎)。
啓喜は自分の考えに絶対的な自信を持ち、怒りに激昂して声を荒げるなど、ちょっと古いタイプの人間。
中の人吾郎さんとは全く違う人物(^◇^;)
これはどうやって終わらせるのかなぁ?と不安になりましたが💦
終盤、夏月は佳道について何も語らず『佳道が語っている事がすべて』だと言います。
自分の思いを話しても嫌悪感を持たれるだけ、理解など誰にもしてもらえないと分かっているから。
でも佳道に伝えたい言葉は『居なくならないから』
この言葉に救いがあって、私はとてもいい終わり方だと思いました。
この作品は、いろいろと語りたい事がたくさんあって、うまく纏めらませんが、、、
とかく大声で主張した人が正しいと思われがちな世の中に、生きづらさを感じている人が多いから、登場人物に共感してヒットしているんだろうなと、感じました。
個人的には、事務官役の宇野祥平さんが、印象に残りました。
理解出来ないような案件や人物にも、決めつけないで理解しようと努力する事が、とても大事と思えたので。。。
彼には、事務官ではなく是非検事になって欲しい!?(笑)
新垣結衣の演技が素晴らしい
普通って何なんでしょう
新垣結衣でないと成り立たない作品
圧倒的マイノリティの「推し」
クライマックスの言葉が刺さります!
マイノリティの方たちの生きにくさは、大衆の私には分かりません。
だけど、多様な嗜好や考えの人がいることは、受け入れたい。
この映画は、そういうマイノリティを中心に置いたもので、まさに今の時代の私たちはどう考えるのかを問題提起したものだと思います。
昭和の人は、昔は上からの強制に耐え、今はZ世代の人たちの理解をしなければならない的な風潮で‥昭和の人たちはいつまでも間に挟まれて大変なのよね😅とかも思いつつ
それは置いておくとしても
水に官能的な刺激を受流という設定は、ある意味とても美しい情景にも見えました。
ちょっと思うこともありますが、このクライマックスのために(無理くりでも)必要だったのでしょうね。
マイノリティの中のマイノリティ
小説読みかけだったけど、序盤にダイバーシティなんてマイノリティの中のマジョリティのためのものにすぎない、といった記述があってすごく納得したのを覚えている。
世のDEI活動は女性、LGBTQ+、障がい者とかに割と集約されており、もちろんそれが最早マジョリティであっても未だ根深い差別や無配慮が残ってるからこそ声を上げ続けないといけないのだろうけど。声を上げることすらできない、自分を肯定できない、自分だけが世の中と違うと悩んでる人は見過ごされてるんだろうなとよく思う。
水フェチ自体はそれほど隠すことでもなさそうだけど。。周りにはそう思えてもその真髄までは理解されないという気持ち、人と違う負い目がシャットダウンさせるのかな。水見てるの好きなんですよー、と軽く誤魔化すことすらできない何か特別な神聖な思い入れがあるのか。もしくは水を見て体が興奮しているのを見られたら子どもなら容赦なく攻撃しそうだし、そんなトラウマもあるのかも。
そしてそんな特別な「違い」がなくても、昔の同級生に会いたくない、自分の思いや自分が誰であるかを説明できない、別に生に執着はない、そんな辛さはわかる気がする。たまにそんな時がやってくる。無邪気に同窓会に誘ってくる人たちはきっとちゃんといつでも自分を語れる、胸を張れる生き方をしてるんだろうなと思うし、そんな人たちが行きたくない、今は誰にも会いたくないという心の闇を理解できないのもよくわかる。
人のことを分かった気にならないで。決めつけないで。それだけで救われると思うこともある。そんなメッセージを自分なりに消化しました。
見えない価値観
多様性にも含まれない人たち
地球最後の男。
検事の寺井は典型的な保守的人間。息子が学校へは行かず、YouTube動画を始めたいと言っても、頭ごなしにそれを否定する。
「普通」から道を外れた人間は負け癖がついて自分が楽な方へ楽な方へと行きたがるものだと、まったく息子の気持ちを理解しようとはしない。
おもちゃを散らかしっぱなしの息子にしつけをしない妻も息子を甘えさせてるだけだとして彼らの話に真剣に耳を傾けない。
水がほとばしる様に快感を覚えるとして罪を犯した人間の記事を見せられても彼の「普通」では考えられないこととして同じく頭ごなしに否定をする。自らの固定観念に縛られて、その範疇からはみ出すものはすべて理解できないものとして。
寺井のような人間が今の社会ではいわゆる主流派と呼ばれる人間ではないだろうか。個々人の個性やそれぞれが持つ嗜好を理解しようとはせず、画一的視点でしか人間を判断できない。彼らが考える常識や普通からはみ出すものは彼らにとって理解できないという理由で全力で排除しようとする。
寺井がただの一般人ならばさほど問題ないのかもしれない、しかし彼は行政権の担い手である検事なのだ。彼のような価値観で行政権力を行使することがどれほど個人の権利を侵害することとなるか。
最近話題だったLGBT法案。結局議論もろくに進まずに骨抜きに終わってしまった。権力の担い手たちが個人の権利を尊重できない国ではマイノリティーの人々は生きづらい。彼ら保守的な人間にとってLGBTQの人々は理解できない存在だからだ。
しかし近年、LGBTQの人たちが声を上げ始めた。自分たちの存在を理解してもらおうと街中でデモ行進を行ったりと。これは大変な進歩だと思う。
かつては自分の性的嗜好を誰にも理解してもらえず一人苦しんでいた頃に比べて。それが同じ嗜好を持つ者同士がネットワークを築き、孤独の苦しみから解放されて勇気を持てるようになった。自分の気持ちを世間に対して主張できるまでに。
SNSもこれに大きく寄与したことは確かだ。この広い世界で自分と同じ境遇の人間を探し出せるツールとして。自分をわかってくれる人とのつながりを感じることで自分は孤独ではないとを実感できた。これは大きな救いになったと思う。
引きこもりの寺井の息子も動画をやることで自分が孤独ではないことを知る。そんな息子を応援してやりたい母親。だが、寺井にはSNSの弊害にしか目がいかない。息子にとっては世界と通じ合えるSNSが寺井にとっては得体の知れない危険な人間と遭遇するというデメリットしかとらえることができない。
確かに幼児性愛などの危険な嗜好を持った人間がいることも事実だ、だがそうだからと言ってSNSのすべてを否定する根拠にはできないだろう。
夏月と佳道もけして他人には理解されない嗜好を持っていた。誰にも自分たちを理解してもらえない、地球で一人孤独に暮らす異星人のごとく孤独感にさいなまれて自死を考えるほど追い詰められていた。そんなお互いを理解し合える唯一無二の者同士が再会し、共にこの地球で生きてゆくことを決意する。
誰よりも孤独だった二人はかけがえのない理解者を手に入れた。それは二人にとって何よりの幸せだった。
同じ嗜好を持った人間同士でネットワークを築こうとした矢先、佳道は児童虐待の嫌疑で取り調べを受ける。
担当するのは寺井である。寺井にとって幼児性愛者と佳道、そして大也は同じに見えてしまう。彼には理解できない存在として。
佳道や夏月の言うことが理解できない寺井。彼は二人の気持ちをなぜ理解できないのか。なぜ息子と妻の気持ちを理解できないのだろうか。
できないのではなく、自分の固定観念に縛られて理解しようとしないだけなのではないか。
孤独だった佳道と夏月はかけがえのない伴侶を見つけた。もうひとりではない。けしていなくならないからと夏月は佳道に伝える。その言葉を聞いて愕然とする寺井。
固定観念に縛られて生きてきた寺井は妻と息子に去られていまや孤独の身だ。自分が当たり前だと思っていた、自分が主流派だと。
しかしそれはいつか逆転する時がやって来る。自分の信じていた常識や普通が通用しなくなる日が。
いまや個人の権利、価値観が尊重される時代。古い価値観に縛られて個人の感情を否定する時代ではないのだ。あってはならない感情はこの世にはない。
かつて寺井の信じた価値観は通用しなくなり、マジョリティーと思っていた自分がいつしか気づけばマイノリティーになっているのだ。そうして時代は移り変わってきた。
接見室から出ていく夏月、その夏月を見送り一人部屋に残された寺井の姿が閉じられるドアで見えなくなるラストシーンはとても印象的だった。
作家のリチャード・マシスンの「地球最後の男」は突然変異で吸血鬼となってしまった元人類たちとたった一人で戦い続ける男の物語だが、実は吸血鬼たちこそが新人類であり、ひとり人間として吸血鬼たちを殺し続けていた主人公こそが伝説の怪物として新人類から恐れられる存在だった。いつしか自分は主流ではなくなっていたという皮肉な物語。
古い考えにとらわれて気づけば世界はがらりと変わり、自分一人が取り残されていた。寺井のような人間こそが地球最後の男になるのかもしれない。
試してみようそうしよう
面白くなかったのは多分キャスティング
濡れてない濡場
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