正欲のレビュー・感想・評価
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不思議な感情
自分の知らない世界がここにありました。
題名の感じからLGBTQに関してのお話だと勝手に思い込んで見ていたので、水に性欲をいだいているお話だということに驚きましたが、この映画を見て、人には理解してもらえない人、自分だけが疎外感を感じて生きている人は、この世に沢山いるんだろうなと考えさせられました。
生きづらい世界の中でも光を見つけて、理解し合える人と生きている2人は素敵な関係でした。
あの学生の男の子は、男性が好きなのかと予想してみていましたが、水フェチだったんですね。
学生の女の子も、兄からのトラウマ(?)で男の人が嫌いだけど、それでも男性を好きになってしまう。
唯一藤原くんと話せたのは彼が女性に対して性的な感情が無いことを、彼女なりの本能から気づく感覚的な安心感があったのでしょう。
わりと冒頭で、新垣さんが寝ていてベッドに水が溢れ出てくるシーン、性的興奮を表現する絵の撮り方なのはなぜかなぁ?と思ってみてましたが、あとになって理解できました。
最初はよくわからず、水でうなされてるのか?けどなぜか性的シーンに見えるけど、どういう表し方なのだろうって見てました。
思い返せば食事から帰ってきてすぐに滝の動画を見ていたり、コップから水が溢れ出ているのにその水を止めないシーンがあったり。
全て分かった上でもう一度見返すと、より一層ところどころで色々な感情を汲んで見ることのできる作品だなと思いました。
学生の女の子の役者さんの演技力が群を抜いて素晴らしくて驚きました。初めて見てお名前を存じ上げませんでしたが、すばらしかったです。
ここにいていいって言われてる気がすると新垣さんが映画中何度も言っていました、SEXの擬似体験をしてみたいや、いとおしいとおもう気持ちや、(ふつう)なことを経験してみたいということも、なんだか胸に刺さりました。
覆い被されたあと、新垣さんが感じた気持ちの中には、愛おしさもあったんじゃ無いかって思えました。
けどそれは私がそう思うだけで、本当に水フェチの人はあの状況でも、理解し合える人を失いたくないや、ここにいていいって言ってもらえてる気持ちのみだったのかもしれません。
正しい欲って、なんでしょうね。
普通ってなんですかね。
あなたの普通はその人にとって普通じゃないし、
理解できなくても、理解しようとする気持ち自体の大切さや、歩み寄る心が欠落していた稲垣さんがこの世界の世間の目を表しているように思えました。
私は滝を見るのがすごく好きです。
ですが性的に興奮したことがなく、例えば同じ動画を好きで見ている人同士でも、着眼点や視点が違ったり、全く同じ見え方をしていなくて、もしかしたら真反対なことを見ていることもあるのかもしれないなと思いました。
色んな人がいるってより思う作品だったとともに
自分を、自分の感性や気持ちを、すごく大切にして生きていきたいって思いました。
明日を生きるためのものしかない、
そうじゃないひとのものがないとか、
なんだか、色々考えさせられる作品でした、見てよかったです。
ゴローちゃんの目が一番普通じゃないところが良かった😀
まず映画とは何かを考えさせられました(テーマとはもう一段深いというか、関係ないところですが!)。一つ一つの映画が一人一人の人間、もしくは人間たちの物語に例えられるとして、それら映画の面白さや面白く無さは映画自体の存在になんら影響を与えないのではないかと。
と、、回りくどくなってしまったがこの映画解像度が低い?のか高すぎるのか?単に私の波長に合わなかったのかのめり込めなかった。
正常と異常というテーマの難しさ、いやシンプルだからこそ、深みのある議論がむつかしいのかな。いやこのテーマで深みのある映画は多々あるではないか(以下省略)。
ところでこの映画、日本の田舎の風景描写がなかなか良かった。主人公の男の住んでる道路沿いの山の麓の一軒家とかとても良かった。
また、やはり吾郎さん、ガッキー、磯村さんの華、もしくは俳優力(人間力?)で最後まで見てしまった。でもこの淡々とした脚本は故意か?いやそれは当たり前か、でもこのお三方の芸風?(=演技指導?)にとても合ってた。それはテーマの"水"のようにということかもだが、ぼーっとこの映画を見てたらそれはそれで心地良かった。
「理解する側だって思うなよ」
っていうセリフが刺さった。
あぁそっか、「理解する」って思ってる時点で、自分はマジョリティの立ち位置なんだな…。
正直、自分は「明日、死にたくない方の人間」なので、苦しんでる佐々木や桐生や諸橋には「思いつめすぎなんじゃないのかな…」と言いたくなるのだが、そんな自分の中にも「無事に死ぬために生きている」とか「(自分の中の)正直な部分が終わってる」と思う部分はある。
それがあっても、今こうやって生きていられる(しかもマジョリティの立ち位置のつもりになって…)のは、「自分をわかってくれている人がいる」って思えているからだろう。
そういう点で、劇中の彼ら彼女らそれぞれに、わかってくれる存在ができていく展開に救われる思いだった。
対比的に、世の中的には、結婚もし、子どもにも恵まれ、出世もしている寺井は、我が子に対して四角四面な対応しかできないことによって、関係が崩壊していく。
彼が、自分の考える明確な正しさをもとに「知らないと思うが」と前置きしてまで正論で断じてしまうのは、検事という職業柄ゆえか、それともエリートとしての成功体験がベースなのか。
彼の言動を通して、世の中の「普通」や「当たり前」や「正しさ」の曖昧さや危うさが、ズバズバと投げかけられてきた。
それ以外にも、劇中では、人を傷つける呪いの言葉が至る所で出てくる。しかも、一見、それらは呪いの言葉らしく見えないところがタチが悪い。
とにかく「ありえない」と平気で言えるような奴にならないように生きたいと思った次第。
おもわず書き留めたいセリフも多く、役者たちの演技も素晴らしい。彼ら彼女らの表情だけで、深い思いが伝わってくる。
全体として、とてもいい映画だった。
いなくならないから
映画を観て原作も読んだ「少女は卒業しない」の朝井リョウの原作映画化「正欲」を
TOHOシネマズ日比谷でポイント鑑賞。
磯村勇斗が給水器の流水を見つめるファーストカットの意味が後で判った。
TVの「逃げ恥」とは違う新垣結衣の目、眼差しに彼女の新境地を見た。
また、彼女が自分の部屋で水に浸るシーンは、邦画では珍しいイマジネーションの表現だと思った。
ノーマルとアブノーマルの境界は何処だ。
ラストの垣対決で新垣結衣が稲垣吾郎に言い放つ「いなくならないから」が強烈。
帰りに三省堂で原作文庫本を買った。
原作を読んでみて、映画の脚本の方が良いと思った箇所は新垣結衣がコロッケ買った時に稲垣吾郎と出会った事があった事になっていたところ。原作では最後に接見するまで接点がない。一度でも普通の主婦(?)の姿に接していた事が、最後の「いなくならないから」のインパクトを強めていたと思った。
生きずらさ
“いなくならないから“
温度低めのラブストーリーだったけれど、吸引力は強かった。
この世の現実の世界を、
生きて行くことが難しい・・・
生きづらい・・・
そう感じている多くの若者たちに
観てもらいたい映画。
ショッピングモールの契約社員の夏月(新垣結衣)、
中学の時に転校して行った佐々木佳道(磯村優斗)、
2人は、“水“で儚く繋がっていた。
2人は10数年ぶりに再会する。
友人の結婚式で、
そして、
家でむしゃくしゃした夏月が車を河原にぶつけた時、
通りかかった佳道、
佳道はホームセンターで自殺一式を買い揃えていた。
自殺する決意でいた、
思い出話しをするうちに、
2人の共通項・・・
中学生の時、蛇口を壊して、水を噴射させて、
大目玉を食らった思い出、
2人には水飛沫に、心を開放させる性癖・・・
(その共通項を再確認するのだった)
抑圧した自我を解放するのが、
水
水しぶき、
水のほとばしり、
2人は水フェチ、と言う共通言語があった。
夏月と佳道の生命は、
固く絞められた蛇口に閉じ込められた“水“だった。
その狭いトンネルの中だけが息の吸える世界
2人が再び出会うことで蛇口を開け、
生命は息を吹き返し、
新しい居場所を見つける。
ある事件が起きる。
2人を引き裂く試練のような事件。
夏月は呟く、
きみの世界から、
“いなくならないから“
私の世界から、
“いなくならないから“
もう決して、
“いなくならないから“
呼吸のように必要な君
呼吸のように、私たちは必要
探していた“片割れ”なのかな?
愛することを欲する
夢見ることを欲する
自分であることを欲する
あなたがあなたであることを
欲する
それが“正欲“?
ラストに掛かるVaundyの「呼吸のように」
凄く内容を把握してマッチしている。
だけど、こんなに前向きに、ひたむきに、力強く
夏月と佳道は“求め合う”のだろうか?
ちょっと温度高めで、戸惑う
真平均の人間は存在しないが、乖離度の小さい者は親しまれやすく、普通の人間と呼ばれることが多い。
原作を読んだ後に見るとガッカリする映画
原作では啓喜や夏月、佳道は各々自身が感じる他者との違いに違和感や違いを感じ悩むキャラクターとして生き、精一杯もがきながらも決して他人に直接攻撃的な言動、行動を起こす事が無い。映画では啓喜は嫌な父親かつ高圧的な検事となり、夏月は佳道への嫉妬?裏切りと感じた事により佳道宅の窓ガラスを割る行動をするなどの奇怪な行動を起こす。
恐らく原作では田吉が引き受けていた人間の嫌なところを思う存分発揮するキャラクターの要素を映画では引き受ける役所が無く(田吉は出てこない)各々に振り分けたからだと思う。
啓喜は自分の価値観では特殊性癖者を受け入れれないが、他者を思いやる検事だし、もう少し妻や息子への愛情を持ったキャラクターだと思う。夏月は自分の特殊性癖に対しての葛藤が映画での夏月のように自分勝手なキャラクターでは無いと思う。
正直、修は死なないと佳道と夏月の関係性を深めれないと思うのでシナリオ変更のミスだと思う。
しかし、他の方の印象はいい映画だと見受けられるので原作を読む前に観たかったと感じた。
八重子役の東野絢香さんの演技は凄く良かったと思うので彼女の他の出演作は是非見ようと思う。
シビアなレビューですが、原作通りに作るだけでは映画の良さも出ないと思うので、原作読まれる前に是非観てほしい作品だと感じました。
個人的に刺さりすぎて号泣
原作未読で鑑賞。
小説を原作にしている作品特有の、物語のガタツキとかちょっと引っかかる部分はあるけど、
個人的に刺さりすぎて号泣してしまった。
自分は、正しいとされるものに近い欲をもつ人間で普通に結婚しているが、
子供を持てとゆう圧力に強い嫌悪感を感じるし自分が結婚している理由が、上手く人生立ち回れないし恋愛結婚出産のレールを当たり前のように受け入れられない自分を許容してくれる存在が見つかったから結婚したんだよな〜。っと作中の2人が世間と上手く渡りあう為に手を組むってゆう気持ちとすごく近いとゆうことをこの映画を観て言語化できるような気持ちになった。
そしてガッキー演じる夏月の、世間の圧力が強すぎて、うざい死ね!ってゆう感情でキレてでも世間は死なないから
じゃあ死ねばいいのか?死んでやるよ!
ってゆう怒りかたの思考が共感ありすぎて泣いちゃった。
そして、死んだ目のガッキーが素晴らしいかった。そして後半普通の可愛いガッキーになってた。ガッキー身長大きくて可愛い。
映画としては群像劇ってのもあって、多分削られてる部分あるだろうな〜ってとことか、この描き方は微妙かもって箇所あったり、あと逮捕されるとこでただ着衣した状態の水遊びの映像しかないのに、あそこまで強制力のある拘束できるのかな?ってけっこう気になって、(こうゆう部分小説ならあんまり気にならないけど映画の場合気になる)
むしろそれぐらい熱心に警察には取り締まって欲しいけど。
あと、夏月のみ
あの水遊び会に行っていなかったので結果的には守られてるけど、「私も行きたい」に対して「大丈夫な人か分かってからね」
っていゆうのは、マイノリティな性癖を持つ物の弱者性と夏月の“女性”であるとゆうまた別のレイヤーの弱者性も描かれてる部分なんだろうなと思った。
この映画の中で田舎の結婚してないものの生きづらさがしっかり描かれていて
それを、みんなが大好きなガッキーが素晴らしい演技で演じているとゆうのが
地味に嬉しい。
いわゆる普通の人でもこんな風に生きずらい人はめちゃくちゃ多くいると思う。
実家暮らしなのも、嫌なら1人暮らしすればいいじゃんって言われるかもしれないけど、結婚するまで色々あって家出てなかった自分としてはリアルだなぁって思った。
映画で不足している点が多いという意見がけっこうあるので、原作読みたい!
映画館で鑑賞
すべての人が生きづらくない世の中とは?
先に原作を読んでから鑑賞しました。
まずは、わずかな動作や表情の変化で、微妙な心の動きを表現している、夏月役の新垣結衣さんの演技がピカイチでした。これだけでも観る価値があると思います!
また、この作品が映画初出演という、八重子役の東野絢香さんの、いかにもコミュニケーションが苦手な、オドオドとした演技にも惹きつけられました。
一方、朝井リョウさんの作品で感動した分、やはり映像化したことで損なわれた部分もあったのかなと思いました。
大事なエピソードが省略されていたり、やや過剰な表現や余分なフレーズが加わっていたりしていたのは、少し残念でした。限られた時間で、わかりやすく、辻褄を合わせるために必要なことだったのかもしれませんが。
(この点は、原作を読まずに、純粋に映画だけ観て評価する際にはまったく問題ないのかもしれません)
稲垣吾郎さん演じる啓喜は、「観客の大多数が啓喜に感情移入して、最後に価値観を揺り動かされる」(パンフレットp35より)という流れを監督は意図されていたようですが、実際にはあまりにも多様性への理解がなさすぎる(あまりに時代錯誤過ぎ)点が鼻につき、私は啓喜に最初から「感情移入」することができませんでした。
その分、夏月をはじめとする「水フェチ」の登場人物たちには、最初から感情移入することができ、一つひとつのエピソードに胸が苦しくなりました。
(※ここからは、映画評というよりは、この作品が提示している課題に対する感想です)
この作品は、極めて少数派である性的指向を扱っているからこそ、大多数の性的指向(異性愛者)であっても、性的なことは「恥ずかしい」ものであり、「異常ではないか」と不安になるものであるという観点からは、何ら変わりはないということに気付かされます。
「ダイバーシティ」だとか「LGBTQ🏳️🌈」などと声高に叫ばずとも、人として生きている以上、様々な性的指向がある(あるいは「ない」)のはごく自然のことだということを。
そして、異性愛者が自分たちと「同じ」ことを求めることで、性的少数者が息苦しさを感じることと、夏月と啓喜ら同じ性的指向をも持つ者同士が肩を寄せ合うことは、やっぱり単なる一時しのぎであって、根本的な問題解決にはならないのでしょう。だからこそ「いなくならないから」と誓い合う必要がある(相手がいなくなった途端に、元の生きづらさに戻る)という、危うい状況は変わらない。
生きづらい世の中をアップデートするためには、やっぱり「自分と異なる世界があること」を想像し、「決して分かり合えないことを受け入れる」ということなのだろうと思います。
そう考えると、八重子と大也の関係こそに、未来への希望があるような気がします。
(と、思わせる関係性までもしっかり作品に描き込んでいる朝井リョウさんは、つくづく凄い!)
もう戻れない
夏月が佐々木に「もう戻れない」と言うシーンが良かった。
普通でない人の多くは、他人に理解されることを諦めているだろうから、夏月のように「もう戻れない」という心境に至ることは多くないのではと思う。
夏月はこの後、普通に生きられるのだろうか。。と考えながら映画館を出た。
他に印象に残ったセリフ
・生き延びるために手を組みませんか
・居なくならないから
・普通のこと
マジョリティに対しても説得力があった。
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