正欲のレビュー・感想・評価
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普通とは?普通じゃないとは?
鑑賞してから一週間、ようやくレビュー書きます。
一言でいえば、ダイバーシティ、多様性なんでしょうけど。。。
難しいテーマでしたね~。
登場人物のもつ性的嗜好、欲望について、パラレルに描き、
それが他人に理解してもらえず、「普通」の人として生活する息苦しさ。
「地球に留学しているみたいな感覚」という言葉が物語っていた。
でも・・・
人はそれぞれであり、それを分かり合える人と出会えることが大切さ、
偽装かもしれないけど、それでお互いを支えあう、夫婦という形。
改めて、今の世の中の難しさ、多様性について考えさせられる作品でした。
稲垣吾郎さん、映画は初めてでしたが、登場人物の中では唯一のマジョリティ、
「普通」の検事のはずなのに、家庭は崩壊、調停中。。。
ガッキー、映画やドラマはあまり観たことないけど、大ファン笑
でも、イメージと違う役で大変だったかな、と。
最後のシーン、セリフは、びしばしと検事さん、そして観ている方に
突き刺さったのでは。
磯村勇人さん、いろいろな映画で拝見していますが、
今回もなかなか難しい役どころでした。
でも、ガッキーとの絡みは、役得としか言えません。ずるいです笑
映画を観終わって、そのまま舞台挨拶の中継を観ました。
そして、家に帰り、特典でもらったしおりを見ると、
「(ab)normal desire」とタイトルにこっそり書かれていることに気づいた。
(アブ)ノーマル・・・どれが普通で、どれが普通じゃないのか。
ホントに、難しいテーマでした。
言いたいことはわかるのだけどこう何というか伝わらない…。
今年389本目(合計1,039本目/今月(2023年11月度)21本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
11月3週は異様なまでに数が少なく、2週より前の作品の「未視聴の回収すらできる」というラインナップです。
さて、こちらの作品なのですが、「感想が書きにくいなぁ…」というのに大半つきます。
結局「特定のものへのこだわり」という論点や、LGBTQほかの論点があるのだろうということは多くの方がわかるのではと思うのですが、一歩進んで「映画の主義主張は何か」という点がいまいちはっきりしない(というか、実際には存在しない?)のがかなりつらいです。おそらく「性的マイノリティ」問題を「間接的に」描いた結果こうなったのではなかろうか、と思えるし、一応その「特定のものへのこだわり」も理解はしなくはないですが(実際、程度の差はあっても何かへの「こだわり」はあるんでしょう)、結局多くの方が触れているように「一歩進んだその先にある、映画の主義主張」がはっきりしない点などはどうしてもあげられます。
さらに輪をかける事情が、実はこの映画は「ご当地枠」であり、具体的には「広島県福山市」です(広島市ほかはほぼ出ない)。一方で福山という地名は明示的に出るし広島弁ほかもでる一方で、広島文化もほぼ出てこず(お好み焼きすら出てこないという状況)、「ご当地枠」で見るのもつらく(いわゆる「映画に出てくる場所の巡礼巡り」すらできない)、その観点でもかなりきついです。
※ しかもその割に、なぜか協力地に久留米市が出てきたりと無茶苦茶がすごく(広島弁は明確にわかるので広島の成分があることはわかっても、なぜか久留米やら栃木やらなにやら無関係な場所がエンディングロールで次々出てくる)、どう見たらよいかがかなり謎な作品です。
ただ、「多くの方に伝わるように描くと3時間コースになってしまう」のも確かで(この映画自体も2.5時間コース)、時間調整などもした結果こうなったのでは…とも思え、積極的に無茶苦茶というシーンまでもはないといったところです。
採点は以下のようにしています。
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(減点0.2/ラストの警察が出てくるところの逮捕状の読み上げ)
・ この「罪名」は慣用的に使われているのみで正式名称でも何でもないのでややまずいです(読み上げ時には正式名称が必要)。もちろん各都道府県、市町村ほかの条例で「その名称」になっていることはありますが、「法違反」と「条例違反」はそもそも違います。
※ 条例違反に対しても懲役刑を課することはできますが、2年以下という縛りがあります(地方自治法)。
(減点0.2/結局何を述べたいのかがいまいちはっきりとしない)
多くの方が書かれている通りなので省略します。おそらくマイノリティを扱った結果こうなったのではなかろうか、と思えます。
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マイノリティと薄氷
正欲
youtuberが好きも嫌いも、どちらにしても良くある思想で、マジョリティ同士が愚かだと罵り合っている。
対比して本当のマイノリティは、違う次元で生きていて、必ずしも正しさを求めず、一度運命と再開したならば、繋がりが絶たれることは二度と無い。
結婚式のビデオレター、同じ言語を用い、同じ料理を食べていても、また運転の仕方も同様だが、どこかぎこちなく見える。
人に愛情を抱けない中で、人間同士の繋がりを何故求めているのか。
これまでの経験から他者との共感は期待できない。だから住んでいた町、昔唯一分かり合えた人のことを、ただ思い出しては眺めている。
インターネット画面を無為に見て、家に帰れば家族が存在する。辛うじて世間一般からは外れない(ように見える)が、変化はいつまでもやってこない
運命の日の後、飛び出した世界で善良に生きようと、悪いコミュニティに繋がり、同罪にされる。
世間と迎合する代わりに、二人で力を合わせようとするのは、それでも不自然な感覚だろう。
マジョリティである稲垣検事の方にも不幸があるのが、現代の問題だと思った。
価値観がどんどん多様化するということは、物事の善悪の判断もどんどん変化するということか。
子供が学校に行かずに、ユーチューバーを目指す。ユーチューブを始めた子供はイキイキとして、それを母親も応援する。
検事の父親は、子供の将来への不安、不特定多数の大人と関わる危険から、それに反対する。
そのせいで家族の中が悪くなり、離婚裁判まで行ってしまう。
稲垣検事は正しい事、当たり前の事をしているはずなのに、作品中の誰とも意見が合わずに孤立して、疑問を抱えたまま映画は終わってしまう。
水が好きな人達は捕まった者もいるが、息苦しい世の中に希望を見つけた形で終わった。
どっちが正しいのだろう?どっちが幸せなのだろう?と疑問を投げかける作品だと思う。
どうでもいいけど、今年広島を舞台にした映画が多いのはG7のせいなのかな。
自分が広島県人ですが、夜景の中途半端な街並みがちょっと恥ずかしいですね。
つめたい世の中
誰だって人に言えないことはある。
人それぞれだよね、っていう本当にシンプルな事がどんどん複雑に大袈裟になってきてるような気がする。
普通であることこそ健全だという人。普通になりたいと思いながら生きる人。他人を理解することはとても困難だけど、それでも誰かとなんとか繋がって生きている人。登場人物達は一様に自分の事なんて誰も分かってくれないと思っている。実はここがこの映画の本質であって決して性的嗜好の物語ではない。
エアバッグを外さなくても、ガムテープで隙間を埋めなくても、日々なんとか生きてはいけるし、無理して居なくならなくてもその日は勝手にやって来る。最後の夏月の一言は印象的な言葉で良かったけど、全体的に細かいとこがなんか気になった。とりあえず皿をスプーンでカンッカンッしながら食べるのはやめて欲しいし、子供には学校とか配信うんぬんの前に自分で散らかした物の片付けくらいしっかりさせて欲しい。で、佐々木君がなんで連れて行かれたかもよく分からなかった。
普通じゃないとは
な、なんだろう...。言いたいことは分かるし、この手の映画を見た後は胸にグサッと刺さって何日も考えることなんてざらなのに、全くと言っていいほど心が動かない。体感時間3時間越えの驚異的な居心地の悪さだった。性的マイノリティの人々は常にこんな気持ちなんだよ、と上手いこと片付けようと思えば出来るけど、そうじゃない。演出が淡白過ぎてとても見入れなかった。
稲垣吾郎の役回りがまるで極悪人のように描かれていることがすごく違和感。自分に正直生きているのは彼しかいないし、魅力的な登場人物と言えばこの検事しかいなかったのに、なんでこんな扱いされなきゃならない?この人は言い方に問題があるのであって、本質的にはそこまで変じゃない。そりゃ子どもの今後を考えれば学校に行かせたいし、それほど親しい仲でもない男が家を出入りしているのは誰だって腹立つ。妻の私は分かってますよアピールがマジでムカつく。
自分では理解できない人がこの世には多くいて、彼らのことを除け者扱いするのではなく、そういう人もいるんだと受け止めて尊重することは大切だ。LGBTQや人種、障がい者差別なんてあってはならない。当たり前だ。だが、異性に恋をしたり、結婚して子供を産んだり、父親として母親として生きる人が全体の多くを占めていることだって現実だ。大幅に変更したアカデミー賞の基準やポリコレは、マイノリティの人々を理解しよう、尊重しようとしすぎるがあまり、彼らを間接的に差別することに繋がったり、これまで俳優として生きてきた人が用無しになったりと、悪循環に繋がっている。
以前話題になった男女で分けるトイレの撤廃問題。それは、誰のためにあるのか?私のようなマイノリティに属さない人間は気持ちよく利用することが出来るのか?いや、出来ない。出来たもんじゃない。ようは、ひとつの物差しじゃ全てを測りきれないということだ。稲垣吾郎演じる検事は、法律という物差しで物事を判断している。無情のように思えるかもしれないが、彼のような人間は絶対的に必要だ。犯罪がマイノリティだからと容認されるような世の中になれば、それを利用した事件が横行するに決まっている。それは私のような人間にも、マイノリティの人々にとっても損しかない。全ては不可能なのだ。
ただ、日本の法律や風習、人々の考えは彼らに厳しすぎるというのは100%賛同する。なぜ同性婚が許されていないのか、何度考えようとも理解できない。でも、犯罪を犯罪といえなくなっては世は崩壊してしまうし、検事は決して間違ったことはしていないと思う。だからこそ、この映画は私には響かなかった。なんかこう、すごく違和感。色んな人の意見聞きたいな。
地球に留学
他者の誰とも分かち合えない、自分だけ持つ本能を持ちつつ社会で生活する。
佳道の『どうせ死ぬだけの命をなぜ、わざわざ生きるのか』『誰にもばれずに死ぬ為に生きてる』
夏月の『地球に留学しに来ている』のセリフが
インパクトあったなぁ。
水が涌き出て四方八方に飛び散る。
服が濡れて滴り落ち、無邪気に喜ぶ姿は子供の用に正。そこに欲は感じられない。
ただ、そこには違う思考の人もいるとは。
普通の楽しさに不思議な欲が入り雑じると
空中分解して普通じゃ無くなるよね。
でも同じ世界の人と繋がりたい孤独感の
欲求も人間の本質かもしれない。
逆からみると寺井啓喜が理解出来ない孤立の立場になってた気がする。世の中には余多に存在するのでは。
新垣結衣さんの桐生夏月役の死んだ目は良かった。『うるさい』って放つ姿は人間らしい。
磯村勇斗さんの佐々木佳道役の同じ感覚の人とのやり取り、嬉しそうだった。ただ植木鉢投げられてガラスが割れて怒らないのは不思議。
この二人のやりとりが、今までチラ見して素通りしていた穴を覗き込んだ気分に陥った。
最後の夏月が寺井に対して緊迫感もありながら、凛として立ち向かう表情は見応えあり。
気持ちが揺らぐ寺井のニュアンスも感じた。
越川さんは多様性を理解してたね。
この二人は知り合いかよっていう顔付きも絶妙でした。
普通の装って生きる。しんどいかもしれないけど、少しでも気が合う人と出会えて良かったね。
マイノリティに寄り添うが如き傑作
「普通」って何なの?
世間の「普通」という波。
早く結婚して子供を産む。いい学校に行っていい会社に入る。会社に入ったら上手く泳いでいく。
「普通」でなければ生きていけないという呪縛が、いたるところに充満している社会。
朝井リョウの原作は、そんな社会で我がもの顔で闊歩する、高速度なSNSの実態をかなり理屈っぽく語っている。そこに辟易としてしまった。
だが、映像は違った。映像には小説では描けない顔の表情があった。
「普通」って何なの?と思案するガッキーの表情。
居場所がない学校に行く必要はあるの?と思案する親子の表情。
生きるか死ぬかと思案するガッキーの恋人の表情。
社会はそんなものだよと決めつける、不登校児の父親である検事の表情。
愛の行為は苦手だけど愛はほしいと懇願する女子大生の表情。
それぞれにその人なりの表情がある。あたりまえのことがとても新鮮に感じられる瞬間がある。
時折ズームアップされるそれぞれの表情。そこには理屈では測れない人間の感情がある。
世間は、実は感情で支配されていると改めて感じる。
感情の向こうにYouTubeの共感の世界が広がっている。
蛇口を破壊して大量の水を放出させる、「水フェチ」たち。
小説ではついぞ理解できなかった世界が、映像では不思議な解放感で充たされる。
「普通」は測れない。そこを語り続ける映像の使命に酔いしれた。
傑作か?問題作か?
キャッチコピーを見た後に思い出した
約2時間半ある長い映画だった。
冒頭は共感できるセリフから始まり
結構面白そうだなと思ったが、
そろそろ終わりそうなところで
新しい人間が出てきたり
正直少し飽きた。
でも終わる直前のガッキーの言葉を受けた後の
稲垣吾郎の表情が忘れられない。
ずっと自分のことを
「普通」と思ってたけど
彼女が言う「普通」に
自分は満たしていない。
それに気づいた表情であった。
見た後に、キャッチコピー?が
「観る前の自分には戻れない」だったのを思い出した。
でもこれが響くの
自分のこと「普通」だと
思ってたり
結婚出産を当たり前にしてる人たちが
「30代で産んだらきついよ?早く産みなよ!」
「彼氏いないの?欲しいでしょ?」って
自分の普通を人に押し付けたり
人に変わってるねって言えちゃう人だけ。
都会で生まれ育った為、
映画でしかその感覚が味わえないが
地方の結婚や出産に対するプレッシャーが
すごいんだなと見るたびに感じる。
私は自分のこと普通だと思わないし
人間の数だけ人生があり(この映画的に言うと人間の数だけ興奮するポイントがあるよね)
誰1人普通なんてないと思ってるから
人に「変わってるね」なんて絶対に言えないけど
結構「変わってるね」って言われるからその人達が見てほしーなって思いました。
見てる時はね、モジモジと行動しない登場人物、だから何?という展開にイライラして早くおわんないかなと思ったりしたけど終わった後の余韻がすごい。
自分が今まで押し付けられてきた「普通」のハラスメントを「そろそろわかった頃かな?」と受け止める事ができるそんな映画。
ありきたり
ひとりひとりが、自分の嗜好性の孤立感に悩んでる。
ただ悩んでる。
ガッキーは職場や親からのよくある普通の結婚みたいな言葉で傷つく
あまりにありきたり。
しかもガッキーと磯村くんは高校時代からの知り合いで互いの秘密を共有している。
う~~ん。
孤独じゃないじゃん
秘密を共有しているので絡み方も他があってよかったかも。
孤独感がパターンなので、途中で眠ってしまった。
今まできれいな役しかやっていないガッキーの新しい表情がまあよかったかな。
でも2時間は長すぎる。
それから二人の疑似的セックスシーンは、体位すら知らないというのは、嘘くさい。映画やテレビにあふれてる。見てないはずがない。
むしろ見てるからこそ、そうではない自分に違和感を感じているはず。
吾郎の家庭のすれ違いと対立はもっと見たかった。
タイトルに反する
境界線
朝井さんの原作を読み深く考えさせられたテーマ。まさかこんなに早く映画化するとは。
期待とあの濃密な内容をどんな風に映像化するのかーという不安で鑑賞。
日常生活にある何でもないようなモノが誰かの心をくすぐるモノになることは、趣味や推しの世界でごく当たり前のこと。
ただそれが性の対象になると膨らみ過ぎる疑問と拒否感が湧くのが正直な気持ち。けど、それはあちら側の人も同じように感じていることが痛いほど伝わって来た。それだけに、”ダイバーシティー”という言葉でくくられる概念に不甲斐なさを感じる。それがモヤモヤの正体なんだろう。
多様な価値観を受け入れるか排除するのかそのボーダーラインがどこなのか。時代の変化を大きく感じる。
鑑賞中に膨らみ続ける戸惑いに対して、俳優さんたちの演技が気持ちを離れないようにしてくれた。
稲垣吾郎さんのいい塩梅のお父さん/夫像。皮肉なまでにパートナーとの関係性の対比が現実味をゆるぎなくさせてくれた。もっと俳優さんとしての活動が見たい。
新垣結衣さんの見たことのない表情に驚き。一見の価値あり!この役を引き受けた経緯をお聞きしたい。磯村勇人さん、何でもできますと宣言された気持ち。
山田真歩さん、渡辺大知さん、徳永えりさん、好きです。白鳥玉季さん、お姉さんになって素敵です。これからも楽しみ。
岸監督の次回作も楽しみに待っています。
理解
意外と「それって趣味じゃないの?」「水フェチなんて他人に言っても大丈夫だよ」という声があって驚いた。
それはあくまでも、そうじゃない人だから言える意見なのではないか。
きっと人による。趣味の人もいるし、他人に言える人もいるだろう。でもその逆もいて、人の数だけ形はあるということ。加えて、その人が持つ性格もあること。
理解というのは、なんだろう。結局、解り合える人同士でしか成り立たない気がする。考えが違う人を突っぱねるわけでもなくて、受け入れることは出来ても理解はお互いの努力なくしてはない気がするから。でもそれでいいとも思う。
ずっとどんよりしている作品だけど、この題材では派手なことが起こっても違和感だからいいんじゃないかな。指輪のシーン好きだったし。擬態して生きていこうな、と思ったし。
「地球に留学している」、「明日生きたいと思ってる人~」の台詞にも苦しくなったと同時に、フィクションだけど同じように考える人がいるんだなと思えたからよかった。そんな風に考える人たちが、一人じゃないといいなと思いました。
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