正欲のレビュー・感想・評価
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誰だって人に言えないことはある。
人それぞれだよね、っていう本当にシンプルな事がどんどん複雑に大袈裟になってきてるような気がする。 普通であることこそ健全だという人。普通になりたいと思いながら生きる人。他人を理解することはとても困難だけど、それでも誰かとなんとか繋がって生きている人。登場人物達は一様に自分の事なんて誰も分かってくれないと思っている。実はここがこの映画の本質であって決して性的嗜好の物語ではない。 エアバッグを外さなくても、ガムテープで隙間を埋めなくても、日々なんとか生きてはいけるし、無理して居なくならなくてもその日は勝手にやって来る。最後の夏月の一言は印象的な言葉で良かったけど、全体的に細かいとこがなんか気になった。とりあえず皿をスプーンでカンッカンッしながら食べるのはやめて欲しいし、子供には学校とか配信うんぬんの前に自分で散らかした物の片付けくらいしっかりさせて欲しい。で、佐々木君がなんで連れて行かれたかもよく分からなかった。
普通じゃないとは
な、なんだろう...。言いたいことは分かるし、この手の映画を見た後は胸にグサッと刺さって何日も考えることなんてざらなのに、全くと言っていいほど心が動かない。体感時間3時間越えの驚異的な居心地の悪さだった。性的マイノリティの人々は常にこんな気持ちなんだよ、と上手いこと片付けようと思えば出来るけど、そうじゃない。演出が淡白過ぎてとても見入れなかった。 稲垣吾郎の役回りがまるで極悪人のように描かれていることがすごく違和感。自分に正直生きているのは彼しかいないし、魅力的な登場人物と言えばこの検事しかいなかったのに、なんでこんな扱いされなきゃならない?この人は言い方に問題があるのであって、本質的にはそこまで変じゃない。そりゃ子どもの今後を考えれば学校に行かせたいし、それほど親しい仲でもない男が家を出入りしているのは誰だって腹立つ。妻の私は分かってますよアピールがマジでムカつく。 自分では理解できない人がこの世には多くいて、彼らのことを除け者扱いするのではなく、そういう人もいるんだと受け止めて尊重することは大切だ。LGBTQや人種、障がい者差別なんてあってはならない。当たり前だ。だが、異性に恋をしたり、結婚して子供を産んだり、父親として母親として生きる人が全体の多くを占めていることだって現実だ。大幅に変更したアカデミー賞の基準やポリコレは、マイノリティの人々を理解しよう、尊重しようとしすぎるがあまり、彼らを間接的に差別することに繋がったり、これまで俳優として生きてきた人が用無しになったりと、悪循環に繋がっている。 以前話題になった男女で分けるトイレの撤廃問題。それは、誰のためにあるのか?私のようなマイノリティに属さない人間は気持ちよく利用することが出来るのか?いや、出来ない。出来たもんじゃない。ようは、ひとつの物差しじゃ全てを測りきれないということだ。稲垣吾郎演じる検事は、法律という物差しで物事を判断している。無情のように思えるかもしれないが、彼のような人間は絶対的に必要だ。犯罪がマイノリティだからと容認されるような世の中になれば、それを利用した事件が横行するに決まっている。それは私のような人間にも、マイノリティの人々にとっても損しかない。全ては不可能なのだ。 ただ、日本の法律や風習、人々の考えは彼らに厳しすぎるというのは100%賛同する。なぜ同性婚が許されていないのか、何度考えようとも理解できない。でも、犯罪を犯罪といえなくなっては世は崩壊してしまうし、検事は決して間違ったことはしていないと思う。だからこそ、この映画は私には響かなかった。なんかこう、すごく違和感。色んな人の意見聞きたいな。
地球に留学
他者の誰とも分かち合えない、自分だけ持つ本能を持ちつつ社会で生活する。
佳道の『どうせ死ぬだけの命をなぜ、わざわざ生きるのか』『誰にもばれずに死ぬ為に生きてる』
夏月の『地球に留学しに来ている』のセリフが
インパクトあったなぁ。
水が涌き出て四方八方に飛び散る。
服が濡れて滴り落ち、無邪気に喜ぶ姿は子供の用に正。そこに欲は感じられない。
ただ、そこには違う思考の人もいるとは。
普通の楽しさに不思議な欲が入り雑じると
空中分解して普通じゃ無くなるよね。
でも同じ世界の人と繋がりたい孤独感の
欲求も人間の本質かもしれない。
逆からみると寺井啓喜が理解出来ない孤立の立場になってた気がする。世の中には余多に存在するのでは。
新垣結衣さんの桐生夏月役の死んだ目は良かった。『うるさい』って放つ姿は人間らしい。
磯村勇斗さんの佐々木佳道役の同じ感覚の人とのやり取り、嬉しそうだった。ただ植木鉢投げられてガラスが割れて怒らないのは不思議。
この二人のやりとりが、今までチラ見して素通りしていた穴を覗き込んだ気分に陥った。
最後の夏月が寺井に対して緊迫感もありながら、凛として立ち向かう表情は見応えあり。
気持ちが揺らぐ寺井のニュアンスも感じた。
越川さんは多様性を理解してたね。
この二人は知り合いかよっていう顔付きも絶妙でした。
普通の装って生きる。しんどいかもしれないけど、少しでも気が合う人と出会えて良かったね。
マイノリティに寄り添うが如き傑作
「二重生活」「あゝ、荒野」「前科者」の岸善幸監督が2023年に間に合った。 今年の日本映画のベストの一本だろう。 「あり得んだろう」と言われ存在を否定された記憶がある人、言葉にすることさえできず独りで生きてきた人、あるいは映画の中を居場所を見つけた人にとって大切な作品になるかと。
「普通」って何なの?
世間の「普通」という波。 早く結婚して子供を産む。いい学校に行っていい会社に入る。会社に入ったら上手く泳いでいく。 「普通」でなければ生きていけないという呪縛が、いたるところに充満している社会。 朝井リョウの原作は、そんな社会で我がもの顔で闊歩する、高速度なSNSの実態をかなり理屈っぽく語っている。そこに辟易としてしまった。 だが、映像は違った。映像には小説では描けない顔の表情があった。 「普通」って何なの?と思案するガッキーの表情。 居場所がない学校に行く必要はあるの?と思案する親子の表情。 生きるか死ぬかと思案するガッキーの恋人の表情。 社会はそんなものだよと決めつける、不登校児の父親である検事の表情。 愛の行為は苦手だけど愛はほしいと懇願する女子大生の表情。 それぞれにその人なりの表情がある。あたりまえのことがとても新鮮に感じられる瞬間がある。 時折ズームアップされるそれぞれの表情。そこには理屈では測れない人間の感情がある。 世間は、実は感情で支配されていると改めて感じる。 感情の向こうにYouTubeの共感の世界が広がっている。 蛇口を破壊して大量の水を放出させる、「水フェチ」たち。 小説ではついぞ理解できなかった世界が、映像では不思議な解放感で充たされる。 「普通」は測れない。そこを語り続ける映像の使命に酔いしれた。
傑作か?問題作か?
原作は未読ですが原作者の浅井リョウ氏の本は何冊か読んだ事があるので鑑賞してきました。 標題にもあるとおりのキャッチコピーこの作品を鑑賞して感じる点は各人によって様々だと思います。 様々な価値観を持つキャラクターが登場して、私自身としても物語が思わぬ展開となりましたので驚きました。 個人的には桐生夏月役は難しい役柄なのに新垣結衣が丁寧に演じている点が光りました。 またこれも難しい役柄の神部八重子役の東野綾香の演技が非常に良いと思いました。
繋がった時の表情良かったなあ、新垣さんと大学生の女の子。 あと最後...
繋がった時の表情良かったなあ、新垣さんと大学生の女の子。 あと最後の一言のあと5歳くらい老けたゴロちゃんの表情も良かったなあ。
キャッチコピーを見た後に思い出した
約2時間半ある長い映画だった。
冒頭は共感できるセリフから始まり
結構面白そうだなと思ったが、
そろそろ終わりそうなところで
新しい人間が出てきたり
正直少し飽きた。
でも終わる直前のガッキーの言葉を受けた後の
稲垣吾郎の表情が忘れられない。
ずっと自分のことを
「普通」と思ってたけど
彼女が言う「普通」に
自分は満たしていない。
それに気づいた表情であった。
見た後に、キャッチコピー?が
「観る前の自分には戻れない」だったのを思い出した。
でもこれが響くの
自分のこと「普通」だと
思ってたり
結婚出産を当たり前にしてる人たちが
「30代で産んだらきついよ?早く産みなよ!」
「彼氏いないの?欲しいでしょ?」って
自分の普通を人に押し付けたり
人に変わってるねって言えちゃう人だけ。
都会で生まれ育った為、
映画でしかその感覚が味わえないが
地方の結婚や出産に対するプレッシャーが
すごいんだなと見るたびに感じる。
私は自分のこと普通だと思わないし
人間の数だけ人生があり(この映画的に言うと人間の数だけ興奮するポイントがあるよね)
誰1人普通なんてないと思ってるから
人に「変わってるね」なんて絶対に言えないけど
結構「変わってるね」って言われるからその人達が見てほしーなって思いました。
見てる時はね、モジモジと行動しない登場人物、だから何?という展開にイライラして早くおわんないかなと思ったりしたけど終わった後の余韻がすごい。
自分が今まで押し付けられてきた「普通」のハラスメントを「そろそろわかった頃かな?」と受け止める事ができるそんな映画。
ありきたり
ひとりひとりが、自分の嗜好性の孤立感に悩んでる。 ただ悩んでる。 ガッキーは職場や親からのよくある普通の結婚みたいな言葉で傷つく あまりにありきたり。 しかもガッキーと磯村くんは高校時代からの知り合いで互いの秘密を共有している。 う~~ん。 孤独じゃないじゃん 秘密を共有しているので絡み方も他があってよかったかも。 孤独感がパターンなので、途中で眠ってしまった。 今まできれいな役しかやっていないガッキーの新しい表情がまあよかったかな。 でも2時間は長すぎる。 それから二人の疑似的セックスシーンは、体位すら知らないというのは、嘘くさい。映画やテレビにあふれてる。見てないはずがない。 むしろ見てるからこそ、そうではない自分に違和感を感じているはず。 吾郎の家庭のすれ違いと対立はもっと見たかった。
タイトルに反する
邪欲があるならばそれは何か? 少数派の主張をダンスとかで分かり易く表現する事への嫌悪感、「み、みず・・」というベタネタ。残ったのはこの位でしたが、キャストは皆新鮮だったし、バッサリと終わって気持ち良かったです。 「怪物」へのアンサーみたいな所も・・・
境界線
朝井さんの原作を読み深く考えさせられたテーマ。まさかこんなに早く映画化するとは。 期待とあの濃密な内容をどんな風に映像化するのかーという不安で鑑賞。 日常生活にある何でもないようなモノが誰かの心をくすぐるモノになることは、趣味や推しの世界でごく当たり前のこと。 ただそれが性の対象になると膨らみ過ぎる疑問と拒否感が湧くのが正直な気持ち。けど、それはあちら側の人も同じように感じていることが痛いほど伝わって来た。それだけに、”ダイバーシティー”という言葉でくくられる概念に不甲斐なさを感じる。それがモヤモヤの正体なんだろう。 多様な価値観を受け入れるか排除するのかそのボーダーラインがどこなのか。時代の変化を大きく感じる。 鑑賞中に膨らみ続ける戸惑いに対して、俳優さんたちの演技が気持ちを離れないようにしてくれた。 稲垣吾郎さんのいい塩梅のお父さん/夫像。皮肉なまでにパートナーとの関係性の対比が現実味をゆるぎなくさせてくれた。もっと俳優さんとしての活動が見たい。 新垣結衣さんの見たことのない表情に驚き。一見の価値あり!この役を引き受けた経緯をお聞きしたい。磯村勇人さん、何でもできますと宣言された気持ち。 山田真歩さん、渡辺大知さん、徳永えりさん、好きです。白鳥玉季さん、お姉さんになって素敵です。これからも楽しみ。 岸監督の次回作も楽しみに待っています。
理解
意外と「それって趣味じゃないの?」「水フェチなんて他人に言っても大丈夫だよ」という声があって驚いた。 それはあくまでも、そうじゃない人だから言える意見なのではないか。 きっと人による。趣味の人もいるし、他人に言える人もいるだろう。でもその逆もいて、人の数だけ形はあるということ。加えて、その人が持つ性格もあること。 理解というのは、なんだろう。結局、解り合える人同士でしか成り立たない気がする。考えが違う人を突っぱねるわけでもなくて、受け入れることは出来ても理解はお互いの努力なくしてはない気がするから。でもそれでいいとも思う。 ずっとどんよりしている作品だけど、この題材では派手なことが起こっても違和感だからいいんじゃないかな。指輪のシーン好きだったし。擬態して生きていこうな、と思ったし。 「地球に留学している」、「明日生きたいと思ってる人~」の台詞にも苦しくなったと同時に、フィクションだけど同じように考える人がいるんだなと思えたからよかった。そんな風に考える人たちが、一人じゃないといいなと思いました。
欲望との向き合い方
通底する雰囲気と、それを崩さない範囲でのギャップ出しが非常に巧みな作品だった。
特に、表情も言葉も頑なに硬かった夏月が、佳道の部屋で見せた幼さは印象的。
自分の中で役者としてのガッキーの評価は高くなかったのですが、今回とてもよかった。
また、高校時代の夏月を演じた滝口芽里衣の、目の死なせ方や揺らし方がガッキーに瓜二つで素晴らしい。
個人的には、八重子役の方の大袈裟でない怯えの表現が、地味ながら今作一でした。
寺井一家をはじめとして、ほとんどの登場人物が自己の正当性を押し付けてくる。
そんな中で、ひっそりと生き延び死のうとする佳道の生き方が際立つし、最も共感できた。
ただ、ガッキーの“あの”シーンで、スカートの中に手を入れるどころか腿すら晒さないのは表現として半端。
脱げという意味ではなく、吐息や表情がよかっただけに勿体ない。
佐藤寛太との落差も強いし、もし“ガッキーだから”なのであれば、彼女じゃない方がよかった。
締め方があまりに尻切れトンボなのも残念。
矢田部は別として、ただ一緒に水遊びして撮影しただけの他ふたりまで逮捕されたのも理解不能…
以前、小児性愛の教師が出てくる小説を読んだ。
彼は自己の欲求に悩み、表向きは平凡を装いながら、“そういった”漫画を描くことなどで欲求と向き合っていた。
あってはいけない感情などなくても、誰もが欲求の赴くままに生きていたら社会など成り立たない。
自宅の水道を出しっ放しにするのは構わないが、他所様の蛇口を壊すのは言語道断。
性的なものに限らず、自己の欲求と他者の迷惑、そして社会とのバランスを保つのが大人ではなかろうか。
欲
なんだろう
映画、長く感じたなぁ
秘密の共有が性的嗜好が水というのが
しっくりこないからなのか
そうゆう方もいるのかと思ったくらい
性的嗜好が水だと
あんなに死にたくなるかな
そんな気持ちで観てしまったからか
新垣結衣と磯村勇斗メインじゃなく
あの大学生2人メインが良かったんじゃないか
とか考えてしまう
でもこれは
稲垣吾郎と新垣結衣がW主演なんだよな
エンドロールみて
気付く笑
死んだように生きている新垣結衣は、こんな表情も出来るんだと知る
吾郎ちゃん今回もあまり良い人役じゃない笑
最後の新垣結衣とのシーン、
いらくならないからって良いですね
また2人で暮らしていく事を想像します☺️
もし受け入れ難いものだったら
追記しました。
気がつくと考えたりして再追記。
普通になりたい一人一人とその周りの普通であろう人たちと。自分は普通だと信じて疑いのない人の世界の話のよう。
水音の表現や水が迫ってくる描写があって、はじめは感覚過敏に翻弄されて知らない内に圧倒されている人の比喩なのかと思いながら見ていた。
もしそれが個人の嗜好の自由だとしても自分にとって受け入れ難いものだったら え、別にいいじゃん とは、すんなりならないから社会的にも倫理的にも受け入れたらならないものの対比に水を使ったのかなあと思った。 「そんなわけない」って台詞にまあそういう人もいそうだよねって見る側が思えるように。
パッと受け取った情報で誤解したりされたり、自分でもよくわからなかったりで世界に対して疎外感を感じる感じが映像になるとこういう表現になるのか…と思った。
宇宙人みたいだと疎外感を感じていた人同士が出会えて障害なく話ができて、自分の世界が安定してから他者を理解して受け入れようっていう興味に繋がるんだなあと2人でベッドに重なるシーンで思ったりした。身体の感覚で暖かさや重みで別の星の生き物みたいに感じていた周りの人の言っていたことが実感できて過去のその人に同意できる思いが湧いたり、安心感を知れてよかったなあと思った。
わからないこと理解できないことに戸惑ったり不安になったり強がる感じもなくて稲垣吾郎の役は過度な一般化の記号みたい。
明日生きていたくない人と生きていたい人と、明日も生きていて当然な人みたいな。。
グラデーションありながら3パターンいたのかな。。
ひとつの家庭、母として自分で言いなさいと子どもに促す、こういう子がいるから自分の思いも正しいはずだと話す子ども、父としての?意見。なんだか違和感…?
誰かの意見ではなくてどう感じるから学校に行けないのかを聴くのは難しいんだなとか、お母さんは聞いてあげたのかなとか、正しい夫婦になりたかった奥さん役なのかなあとか。居場所が欲しかったのはお母さんなのかなとか。
子ども自身も自分の感じ方をみんなしているのだと思っていて、みんな我慢強いと思っているかもしれないんだなとか。もしくはお母さんが実はそういう感覚の窮屈さの中にいたのかも知れない。
責めるためでなく「どうして」や「どう思う」、「感じる」を聴くのは練習がいるのかもしれない。自分の感じ方が人とは違っていると知り、わかるまでは時間がかかるし、わかるまでは割合怖い。
違いを面白がりあえる人と出会えたらバリアを張り巡らさずに息ができるような気がする。
動画の内容はよくわからないけどコメント欄に応えるとか遊んで楽しいだけじゃなくて、子ども同士の出会いや大人同士もそういう出会いならいいなと願う。
わからない世界があるって受け入れないと橋が渡らない。決めつけて切り捨てた側の世界はどっしりと揺らがない。
……はずだったんだけど稲垣吾郎の役も家庭がほつれて離れることと外にいる人からのノックで、信じようが信じまいが存在するということばで透明な殻の向こうにそれぞれ別の感じ方のある世界があったりするかもと気づくみたいな感じだったのかなぁ。。
まさかあそこでいきなり終わるとは思わなかった。
いきなり始まり、探り探りそれぞれの世界の日常の流れが合流するのかな、したのかな…でぶちっと終わった印象でした。
もうちょい続きを見たかったので星4つ。
理解できなくても、排除はしないようにしなければ
二人がベットの上で模擬的にポーズを取ってみて、どんな感じなのか…、理解してみようとするシーン。 「ああ、自分は、この人たちのこと少しはわかってると思っていたけど…違った…」と、それまでの“溝”がいっきに深く大きくなった。 「SDGs、多様性」が過剰に、免罪符のように、まかり通っているけど…、 理解できなくても、排除はしないようにしなければ…。 しかし、磯村勇斗君は、ホントすごい。 (「ひよっこ」、「恋は雨上がりのように」、「ヤクザと家族」、「前科者」、「PLAN 75」、「さかなのこ」、「移動辞令は音楽隊」、「「ビリーバーズ」、「月」……。そうそう、ジルベールも!(「きのう何食べた」)。 観るたびに、「推し」俳優さんになっていっています。
分かったつもり
二人が性交渉を擬似的に行うシーン。筆者自身、心の底のどこかに「二人には恋愛感情があって二人で暮らしている」という誤った認識が僅かながら存在することに、あのシーンで気付かされた。そこまでは、異なった性思考の人間を理解した"つもり"で観ていた。
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