スクロールのレビュー・感想・評価
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なんの映画だったのか
冒頭のシーンは村上春樹的な現実と虚構が混じりあったような世界観を意識して意味深な言葉を並べてはみたけど、別に何がある訳でも起こるわけでもない。メインが4人いたけど、突拍子もないところでクロスしてるわけでもなく。
村上春樹になりたかった中二病の凡人の作品。
「気づく」ために
難解な作品
誰しもが自己嫌悪がある。
その過去の自分、その今の自分にネガティブ感を抱いても、「いまは忘れてしまおう」
「記憶というものは、忘れてしまっても、いつか必ず向き合う日が来る。その日が来たら、向き合えばいい」
辛いことがあってどうしようもなくなるときがあって、でもそれを受け止められない自分がいるなら「いまは忘れてしまおう」
思い詰める必要はない。
いつかその日がやってくる。
タイミングは必ず訪れる。
自分にそのタイミングが来た時に、それに向き合えばいいだけ。
「だから今はすべて忘れてしまおう」
この言葉は普遍的だ。
悩める多くの人々に向けられたメッセージ
それで、それだけでいいのだ。
群像
冒頭 チャプター前の映像は「僕」が描いた「絶望のモボ」
拓海君そっくりだが口元に大きなほくろがある。
彼は森と「僕」が融合した人物
抽象的な映像は、「僕」の作品が小説だからだろう。
森の行き詰まった人生を「僕」に置き換え、または融合して表現した作品 森の真実を描くには、ユウスケのような実録ではなく、小説というフィクションの方がわかりやすいのだろう。
向き合えない自分自身に限界がやってくることで起きる「絶望」
その原因の一つが母のプレッシャー
ユウスケは、森の自殺原因を探っていくが、その要因に自分の存在があるのを否定できなくなる。
「僕」の告白 「あの写真」の時の出来事 何もないのに突然謝ってきた森に「嫌いだ」の言葉
それに「笑った」彼
それはおそらく、森にはそんなことが日常だったから、毎回のパターンだったから。
「意味わかんねー」と言ったユウスケだったが、頭の片隅には「みんなそうやって森を追い詰めてきた」事実が浮かんだのだろう。
それは「特定の誰か」ではなく、積み重なっていったこと。そしてそれに必死で向き合いたいと思いながら「自分にプレッシャー」を掛け続けていった森に「限界」が訪れた。
些細な言葉 些細な悪口 すべてのすべてを受取り続け、それを自分の所為にして生き続けた限界。
それに気づいた「僕」
だから何度も登場する「記憶というものは、忘れてしまっても、いつか必ず向き合う日が来る。その日が来たら、向き合えばいい。だから今はすべて忘れてしまおう」という言葉は、「僕」にとってのマントラ。
このマントラを「すべての悩めるものに捧ぐ」のがこの作品
プレッシャー
菜穂は、単純に女の幸せを願っていた。追い求めていた。しかし彼はいつも何かほかのことで頭がいっぱいだった。つい口が滑った婚約という言葉 役所でうわさがまん延し、プレッシャーに押しつぶされる。
「死ぬ」
彼の家に乗り込み、慌てて彼が帰宅。
「オレ無理 結婚とか家とか家族とか いま無理」
二人のその後は描かれていないが、きっと別れたのだろう。
奈緒もまた、自分にプレッシャーをかけ続けていたのだろう。
もみ合った翌朝は自宅で目覚める。
「おはよう」と母に挨拶したのは、吹っ切れたからだろう。
死ぬまで行き詰まっていても、大したことではなかったという事実が描かれている。
あのバーはなぜ閉店したのだろう?
おそらくバーは象徴的存在だ。
客の悩みを増幅させる場所の象徴だったのではないのだろうか?
彼らは皆答えを出せた。
それがあのマントラ。
毎日起きる出来事 受け取れないならすべて忘れること それに向き合わなければならない時が来れば、その時はおそらく自分に準備ができているのだから、向き合えばいい。それだけ。
「僕」は主人公 「私」は何者だろうか? 男女で分けたのだろうか? エンドロールには「私」古川琴音さんは主役として登場していない。ここはわからない。
さて、
この作品は「生きている意味」について問うている。
これを探したくなる時、それはつらい時
そうなってしまっている自分がいるのを知るサイン
私はそう受け取った。だから、それを考えるとき、「すべて忘れてしまおう」
また、
社会という言葉が登場する。すべて社会の所為
「僕」の「社会が何もしてくれなかったのではなく、僕が社会に何もしなかったのだ」というセリフ。
社会とはつながり そのつながりが自分に対する攻撃となり、それをそのまま受け取り、思考で増幅させ自分にプレッシャーを与える。
負の連鎖
しかし、「僕」の些細なSNSのつぶやきが、「私」のイマジネーションを掻き立て、ひとつの大きな作品となった。
これもまた一つの連鎖 誰かの役に立っていた
「火」は、象徴 心の火 心を照らすひとつの明かり 希望の象徴 それを描いた「私」は、火というモチーフを使って「人の心の中に灯る希望」を描いたのだろう。
そしてコダマ
彼を追いかけていた時に見えた「僕」
逃げている「僕」
いつまで経っても逃げていた「僕」
その時が来ても対峙しようとしなかったコダマ そして「森」
「僕」もユウスケからの着信に救われた。
単なる着信に
森の着信を無視したユウスケだったが、おそらくもっと以前から森には誰かから、おそらく母からの「着信」があったはずだ。そこに救いがあったはずだ。
自分に都合のいい「誰か」には、自分が救われるタイミングはないのだろう。
「僕」がそれらに気づいていく物語。
森を知ることで得られた「僕」という人物
この作品を言葉にするのは難しいが、感覚的によくわかる。
素晴らしかった。
まずは目の前の人としっかり向き合ってみよう
この作品で一番興味深い人物は中川大志演じるユウスケだろう。
森からの電話に対して「知らない」と無視するのだが、自分の携帯電話に名前も登録されている番号なのに「知らない」とはどういうことなのか。当然、自分で番号を聞き名前を入力したはずなのだ。少なくとも顔見知り以上であることは間違いないのである。
しかしユウスケは「知らない」と言う。
コミニケーション能力が高く社交的であるが、人と深く関わることを望まない刹那的な男。それがユウスケ。
昨日、一緒に呑んだ人の名すら忘れそうな勢いだ。
対して森は、追い詰められた心の状態でユウスケに電話をかけたわけだ。
つまり森にとってユウスケは「友達」だったのである。
実際にはそこまで親しくなかったであろうことは容易に想像がつくが、それでも森にとってユウスケは特別といえる存在だったに違いない。
出会う人たちを通り過ぎる対向車線の車のように忘れていく、もしくは最初から覚えないような生き方をしてきたユウスケも、森からの電話が、森にとっての最期の電話であったことを察し、何も感じないということはなかったようだ。
仕事として森の死に接することで自分を考え直すようになっていく。
そんなユウスケの行動は主人公である北村匠海演じる僕に少なくない影響を及ぼすことになる。
全体的に、実に現代的な物語だったと思う。人と人の繋がりの希薄さや、無気力さ、個人主義的なワガママさ。
物語を牽引するのはユウスケなのに、主人公はユウスケに引っ張られる側の僕なのも現代的アプローチな気がする。
モボの妄想のようなシーンから物語は始まる。モボとは?を中心にしたミステリーのような展開で、次第にキャラクターの繋がりが見えてくる構成は中々面白かった。
なんかお怒りの方もいるくらい評価が低いがそんなに悪くなかったのではないかと思う。少なくともキャストは良かった。
「社会とは自分自身」だけは刺さった
原作未読
監督は脚本は『MANRIKI』『その日、カレーライスができるまで』『CUBE 一度入ったら、最後』の清水康彦
脚本は他に『その日、カレーライスができるまで』『サバカン SABAKAN』『映画 からかい上手の高木さん』の金沢知樹
あと舞台俳優の木乃江祐希(フルーツポンチ村上の妻)が脚本家として参加
U-NEXTと配信されていないので地元のツタヤで借りて鑑賞
ダメですね
演出が悪いのか
脚本が悪いのか
原作そのものが悪いのか
企画段階つまりプロデューサーが悪いのか
よくわかないけどダメですね
全然ダメです
わけがわからない
良いところを見つけるのが困難
共感とかそれ以前の問題
本当ならレビューする気にもならない
最悪な作品です
駄作です
ここまで酷い作品は初めてです
マジで死んでほしいとまでは思いませんがこの作品の最高責任者に水平チョップをお見舞いしてボディースラムで叩きつけ時間切れになるまで逆エビ固めしてやりたい気分です
Yahoo!ニュースとかでよく見かける頭が悪いwebライターは映画の出来不出来を全て主演俳優のせいにするから頭に来ますよ
役者さんはなんでこんな映画に出たんですかね
脚本渡された時点で断るべきです
あとこれだけは言いたい
パワハラ上司なんてまずクビになりません!
配役
死にたい会社員の「僕」に北村匠海
「僕」の職場の同僚でイラストレーターの「私」に古川琴音
「僕」の大学時代の友人でテレビ局勤務のユウイチに中川大志
「私」の友人の市役所職員の菜穂に松岡茉優
「僕」とユウイチの大学時代の同級生の森に三河悠冴
森が大好きなアイドルのハルに莉子
森の母の彩子に相田翔子
ユウスケの行きつけのバーのオーナーのモモにMEGUMI
ユウスケが取材する大学教授の生田に金子ノブアキ
ユウスケの上司の加藤に水橋研二
「僕」と「私」のパワハラ上司のコダマに忍成修吾
ユウスケに結婚を迫るカコに國森桜
「私」にイラストを依頼するクライアントに五頭兵夫
菜穂の職場の同僚の才加に円井わん
エモ”風"
うーん、、テーマを考えると合いそうな気がしてたんだけどな…。おそらく、エモ“風”な感じがズレていったというか…。よく分からない言葉が並ぶフランス映画みたいになってる。
言わずもがな、この豪華なキャストと雰囲気からして期待しない訳がない。若者の痛みを描く作品は多くある中、またこうして1つ産まれたのだと思ったのだが…。確かに他に違わず、凄くエモさはある。ただ、肝心の若者像が薄い。原作があることを推測すると、〈僕〉と〈私〉が主軸の物語なんだろう。しかし、4人の群像劇風になっていることから、「みんなそれぞれ悩んでいる」というだけの人物像が浮かんできてしまった。これだけのキャストがいるのに勿体ない。結局自己中なだけに写ってしまう。
必要なのは存在の証明なのか、必要とされる社会からの信頼か。著名な撮影監督であるはずなのに、顔が浮かばないほど暗い表情はどうにも解せない。監督は『MANRIKI』でカオスな世界観を見事に仕上げた清水康彦監督。ただ、『CUBE』といい作品に恵まれていない。余白を多くした点で魅せるのは一利あるが、意味を持たせるほどのシーンにはなっていないことが多々あった。難しいが、商業作品として出ている以上、仕方ない。
主演は北村匠海さんと中川大志さん。両者のクッキリとした輪郭が作品の雰囲気を生み出しているものの、ベクトルが少々異なる為、恋愛パートにおいてバラつきを覚える。死んだ彼のこと、もっと語ってほしかったし、知りたかった。松岡茉優さんもただのメンヘラになっていたし、古川琴音さんも若干伸び伸びして見えた為、色々要素が足りていない気がする。
詩人のような言葉を綴る主人公に重ねすぎたのか。何をスクロールして見るのか。届く手前に落ちた映画に、漠然と合わなかったことを感じる。
ひたすら退屈な映画だった
原作未読。
自分好みの映画っぽかったので観てみたが。アバンのシュールな世界観はなかなか面白かったものの、本編は主要人物誰にも共感できず、どんよりとした時間が流れるだけでただただだるかった。群像劇でこれはつらい。
「僕」が社会と向き合うきっかけがあれというのもちょっと。
北村匠海、中川大志、松岡茉優、古川琴音というキャストだったから一応見れたが、そうでなかったらたぶん途中で興味を失って寝落ちしてた。
???
仕事ができず孤独で生きている実感がない僕。
仕事がバリバリできていて、周りから信頼されているが生きているかわからないユウスケ。
自分の幸せのために生きている菜穂。
そして、私。
それぞれの人生をなんとかして生きているという内容だった。
結局なんだったのだろうという印象の作品でした。
何もかもが中途半端でそれぞれの人はどうなったのかもわからないです。
出演者が豪華だったので、期待していましたが残念でした。
抽象的
旬な実力俳優を擁し、何だか良さげな見た目でありながら大変評価の低い本作。
何がそんなにウケていないのか、観た上で考えてみた。
私が思うに、全てが抽象的で、会話も具体性が伴わず、ゆえに薄い。その脚本の難が原因であろう。
上から言われている
会社が◯◯
パワハラがどうの
みたいなことを言っているが(ニュースもそう報じるが)
上って誰?
会社って何の会社?
自殺の原因がパワハラってどんなパワハラ?
みたいなことが一切わからない。
そんな細かいディテールはストーリーには正直あまり影響ないだろう。しかし、世界観を観客が共有するための一助となる情報が悉く省かれ、おまけに導入部が極めて抽象的なシーンから始まるからストーリーの骨格も、制作者が言いたいことも掴めないまま時間が過ぎ、結局掴めずに終わる。
登場人物の設定も、おそらく苗字がないのも故意のものだと思われるが、もし、万人が共感しやすいよう具体的な情報、個人像を分かりにくくしたのは逆効果だった。
彼、彼女らの抱える悩みの背景が見えないからだ。
総じて、残念な作品である。
同級生の死から始まる、若者の個々の苦悩というテーマの作品なのであろうが、友人が死んだという事実以外、頭に残るものはなかった。ゆえにタイトルのスクロールの意味もイマイチボケたままだ。
ひょっとしたら原作小説はもっと分かりやすいのかもしれないが。
ちなみに私は、始まって1分で眠くなったことも付け加えておきたい。
出だしでミスったかな?と後悔しかけたけど最終的には面白かった。 作...
出だしでミスったかな?と後悔しかけたけど最終的には面白かった。
作品内で出てくるTwitterみたいなアプリなんだっけ?名前思い出せない。現実にもあるやつなのかな?
忍成さん相変わらずそんな役なんですね、、、似合っていますが 笑
繊細な現代人
僕、ユウスケ、菜穂、私の4人を取り巻く希望が見えない社会や人間関係を描いた映画。
社会にに適応出来ない20代の若者達の日常が、結構重たく感じた。。
嫌になったら仕事辞める、、その選択を飛び越して、自殺してしまったり。
技術はどんどん進歩してるのに、人の心は逆に弱くなってる気がする。
森の死を止めることは出来なかったけど、僕とユウスケは再び繋がることが出来た。
友人との飲み会、温泉行ったり、些細だけど共有する時間は本当に大事だ。
「僕」が語る、自分も社会の一部である、という言葉に何故か納得するものがありました。
原作も読んでみたくなりました。
消化不良
公開記念舞台挨拶にて
若者の群像劇だけど、ちょっと重め
僕とユウスケと私と奈緒、4人には全く共感できないし、少しも自分に重なる部分はない。でも何故か若者が息苦しさを感じたり、社会人になりモヤモヤしたり踠いてる様を描いた映画が好き
でも奈緒怖すぎるよ!ユウスケは無事に逃れられたのかな
ラストの先が私には見えなくて消化出来ていないから、原作も読んでみよ
映画らしい映画
理解しやすいドラマ的な映画を好む人には好まれないと思いますが、私は好きでした。映画作品らしくて。
脚本から編集まで清水監督がやってらっしゃるのが納得の、一つの世界観が完成してる映画だったと思います。
好みはあると思いますが。
メインキャストの個性も発揮されてましたし、特に爽やかなイメージだった中川大志さんのクズ男のリアル感、いい役者さんだなぁ、と思いました!
ストーリーがわかりにくい
他の方が書かれてるように、まとまってない感じがします。
チャプターが苦手で、SFとかで10年後とか言うのは仕方がないかなとも思うのですが、ストーリーを小分けにすると面白さを失ってしまう感じがします。
複数のストーリーを違和感なく繋げるのって難しいんでしょうね。
ただ、最初の映像は昔の洋画を見ているようで好きでした。途中から普通っぽく戻っちゃいましたけど
カップ焼きそば
割と好きなタイプの映画だった。
やはり、北村匠海の「僕」は最高にいい。冴えない主人公を演じるのが上手すぎる。中川大志だって、「ブラックナイト・パレード」に引き続き、あの作品よりは大人しめだけど、こういう役がすごく合う。松岡茉優は、色気と狂気を出すのが天才的だし、古川琴音は、自分の世界をしっかり見せれる珍しい役者。今後の4人の活躍にも目が離せない!
冒頭の不思議すぎる世界。
意味不明なあまり、むしろ引き込まれてしまった。思ってたんと全然違うけど、こういうの大好き!まるで夢の世界。普通の映画とは違う何かを感じ、ここからの展開に興味が湧くばかりだった。Amazonプライム独占配信とかでいいから、冒頭の物語をも映画化してくれないかな。すごく好きなんだけど、あれ。
全体的なストーリーとしては、
北村匠海主演の「明け方の若者たち」と酷似。
社会に不満を抱えた4人の物語と言った感じ。正直、あの作品同様、死にたいだとか死ねだとか、社会に対して愚痴を吐く彼らには共感しがたく、イライラしてしまう部分もあるんだけど、ラストには彼らなりの本当の自分の姿が提示されており、そこそこスッキリはできた。就職して間もない人達は、これを見て勇気づけられるのかな。
映像はすごく綺麗だし、演出のおかげか、ストーリー自体はパンチがなくてあまり見応えがなかったものの、2時間近く一切飽きずに楽しめた。音楽が少ないために、まるで舞台を見ているような気分だったけれど、北村匠海の演技力もあって、とても居心地のいい作品だった。少しだけど、周りの人達に対する接し方が変わる気がする。そう思わせるってことは、この映画は大きな意味があったのだろう。
評価が低かったから、見るのを迷っていたけれど、割と面白かったです。オススメ出来るか、と言われれば微妙だけど、4人のファンであれば見るべきかと。個人的にはなかなか満足のいく作品でした。
みんな自殺したすぎじゃない、、?社会人ってそういうもの??
キャストの豪華さに惹かれて観てきた!
旬の演技派4人って印象でかなり公開前から楽しみだったんだ、けど、全体的に暗くて盛り上がりに少し欠ける感じだったなっていう印象。
登場人物たちの苦悩分からなくもないけど、働きだすと自殺したくなるものなのか?って少し疑問だった。
まあ、まだ学生やってる気楽な身の私だから分からないだけかもしれないけど。あんまり共感できなかったから、入り込めなかったなぁ。
演技はさすがだった。特に松岡茉優さん、メンヘラ女子体現しててすごかった!
社会人になってから、もし自分に理不尽で耐えられないって思うことがあったらこの映画のことを思い出すかな?
その時は、嫌なことは一旦すべて忘れてスクロールして、またいつか思い出す日までって。
原作をスクロールせずにいられない
BGMほぼないので、音楽のごまかしがない。映像美と4人の演者の力が光るし、メッセージ性をすごく感じます。
分かりやすさ、大衆作品を期待するより、ミニシアターのような、あえて伝えすぎない作品をを期待する人には最高だと思います。全てを人のせいにしたくなること、いや、自分と向き合おうという気付きもあります。
登場人物に思いを馳せたくなり、原作をスクロールしながら、読み返してみました。
曇り空みたいな映画
2023年劇場鑑賞30本目。
冒頭、しずるのコントみたいなそれっぽい雰囲気のセリフをずっとしゃべってて、ヤバいこの映画めちゃくちゃつまんなそうだぞと思っていたらそれはそこだけだったので一安心。でもワンカット撮影でカメラのアングルを変えている間にテーブルの上の小道具が消えていると、あー今スタッフがしゃがんで回収したんだな、と一気に醒めるのでやめたほうがいいと思いました。
親友というレベルでもない友人が自殺したことから色々考える中川大志と、その共通の友人で無気力な北村匠海のダブル主人公です。結構この映画喫煙シーンが多くて、その度に動物には危害を加えていませんってテロップ出るけど俳優には(健康)危害を加えていませんって出ないよな、と非喫煙者だったらかわいそうとしか思えなくなってしまいます。
それでも、喫煙シーンが何かしらのメタファーになっていればそこまで気にならないんです。大体はその人がダークサイドに落ちた時とか、社会的に底辺の人間であることを示す時によく使われるので、大体映画の終盤にかけて喫煙シーンはなくなります。
この映画の場合、全部とはいいませんがこのシーンに喫煙いるか?というのが多くて、監督さんは喫煙がかっこいいと思っていらっしゃるの?と感じてしまったので余計に気になりました。
内容的にもなんかスキッとしないどんよりきたテイストで終始一貫していて、曇り空みたいな映画だなと思いました。
怪物たちよ
役者陣は豪華なのに上映規模小さいなーと思い、だいぶ独自路線の強い映画なんだろうなと思っていましたが、思っていた通り、ただ悪い方に意外性がはたらいていた作品でした。
序盤の謎オープニングで、きっちりした空間の中に突然現れたカップ焼きそばが今作の中では最高のシーンでした。カップ焼きそばとは長い付き合いなので、ここで出てくるのかと不意を突かれました。ここがハイライトだったようにも思えます。
物語が考えるな、感じろと言わんばかりの放りっぱなしな感じが随所に見受けられました。チャプター分けする映画はオムニバス的な要素が強く思えてしまい、映画としての面白さを削っているようでした。それぞれの物語もうまい具合に繋がるわけでもないので、この分け方にした意義がわかりませんでした。セリフ回しも独特なものがあり、会話の締めに「生きてる意味あるの?」で締めるのは違和感がありました。普通にしっかり仕事をこなしている人に向かってかける言葉じゃないよなとも思ってしまいました。クビになった上司の腐れっぷりもさることながら、急速にメンヘラと化した菜穂の情緒の不安定さ、ナイフを刺した際の後始末のくだらなさ、森くんの母親が葬式の際に遺影を持って取材を受ける不自然さ、と抱く疑問は増すばかりでした。
演出面にもモヤモヤするところがあり、MVを見ているかのような感覚に陥りました。一枚一枚の画は綺麗なんですが、映画として見るとどうにも違和感がありました。ライターをつけて場面転換も多すぎましたし、この監督誰だ?と思ってみたら日本版CUBEやコンプライアンスの作品を担当した方…。そりゃそうなるわな…。
役者陣が全く輝いていないのがとても残念でした。北村匠海くん、中川大志くん、松岡茉優さん、古川琴音さん、と邦画の世界をリードしている俳優陣を揃えているにも関わらず、この人だからこの役が活きていると感じることができませんでした。
かなり独りよがりな作品に仕上がっており、原作から好きになれる気がしませんでした。邦画よ…頑張ってくれ…。
鑑賞日 2/7
鑑賞時間 11:55〜14:00
座席 G-8
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