イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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愚か者と暇つぶしをしてはならない
イントロの風景は、
五島の夕映の小径のように信仰深く、
清廉とした美しい島を映し出し、
素晴らしいカメラワークが展開する。
そんな孤島に何があるのか?
いや、何も無い。
そんな怠惰な島に潜むものはなに?
それを求めて来る者も居る。
素晴らしい大胆な視点の作品であった。
この孤島で言ってはならないこと、
それは孤高の時の流れ…
この世界観が見えない者は、
パードリック系なんだろう…
それにしても妹の美しいこと。
そして、この解答を見事に出す。
君に出来るか!
それを何時も問われている。
出演者の殆どが、
アイルランドであるところに、
この映画には精霊が宿っていることを感じる。
助演者二人にアカデミーを期待。
人生は悲しいほど不条理だ
ここでの精霊は妖精のようなものかと思っていた。
奇しくも1923年は
『コナン・ドイル』がお墨付きをした
「コティングリー妖精事件」の頃にも近しいし。
しかし原題にある「banshee」となると様相は違ってくる。
それはアイルランド民話に登場する
泣き叫ぶ女性の姿であり、
劇中でも
人の死に対し鳴き声を上げるとされており。
本作はそのタイトルが象徴するように、
理不尽な分断と離別と死に色濃く彩られ。
ここ暫くは会っていないものの、
賀状の遣り取りはあった知人から
ふっつりと便りが途絶えたとき、
念のため、翌年も賀状を送り
それでも返信が無ければ、
こちらからも仕舞いに。
自分から進んで止めることはないので、
何を契機にそうした思いに囚われるのかは判然とせず。
それまでの付き合いだったのだな、と
恬淡と思う。
しかし舞台となった
住人の多くが顔見知りであるような狭い島だと
事情は異なって来るだろう、
ましてや、つい昨日までは親しく会話をしていたのに、
突然に絶縁を言い渡されては。
切り出された側の困惑はもっともも、
言い出した方の理由も、実は自分くらいの年齢になると
理解できぬこともない。
カウントダウンを意識し出すのだ。
あと何年健康で生活できるのだろうか、と
やや卑近だが、
あと何回納得できる昼食や夕食を食べられるのだろうか、と
ついつい数え、時として苛立つことすら。
しかし、そのやり場は何処にも無く、
自身の中に澱の様に沈む。
毎日の様に昼過ぎから夜までパブに屯し、
他愛ない会話を繰り返し過ごす日々。
それに疑問を抱いた時に
人はどう動くか。
ここでは複数の鬱屈が語られる。
主人公の『パードリック(コリン・ファレル)』は別として、
彼の聡明な妹『シボーン(ケリー・コンドン)』も
思いを抱える一人。
なまじ才があり、見目も麗しいだけに
小さな共同体の中では浮いた存在。
技能を生かす場もなく、ましてや
結婚すら覚束ぬ。
彼女に取って故郷は、多くの意味で狭すぎるのだ。
近所に住む、
やや知恵の足りぬ『ドミニク(バリー・コーガン)』ですら例外ではない。
家では警官である父の暴力に怯えながらも、
時として深淵な言葉を吐き、彼なりの強い思いも。
『ドミニク(バリー・コーガン)』が『パードリック』に放った
友情の終わりを告げる一言で、彼女や彼の運命すら
連鎖を起こし変わって行く。
とは言え、物語の契機となった『ドミニク』の挙動こそが
どうにも不可解なのには違いない。
我が身を削ってまで、
長年の友人との間に溝を作ることの必要性が心底から理解は不可能。
ただそうした思いに囚われるほど、
彼も閉塞感を覚えていたのかもしれぬ。
一方の『パードリック』も、親しい人に囲まれている風に見え、
実は孤独なのだ。
が、自身はそのことに気付いてはいない。
それが傍目からはあまりにも哀しい。
途中から呆れてくる
アイルランド内戦時代のお話。戦争の醜さを人間関係に例えた映画。みんなちょっとずつ人が悪い。ひねくれてる。
一言多い。そんなだからこんな酷い結末になっちゃうんだよ、というお話。
伏線のように引かれていたものがあんまり回収されなかった、ロジックもなんとなく微妙だったのでやや点数低め。
オジサンの方(コルム役ブレンダン・グリーソン)の無言で語る感じが印象的。助演男優賞は納得。作品賞は他じゃないでしょうか。
戦争は人間の本質なのか?
・・・
平和…二つの戦争の時期の間に介在する、だまし合いの時期
・・・
作家アンブローズ・ビアスは、有名な著作『悪魔の辞典』のなかで、「平和」という単語に対してこのような独特な定義を与えた。
愚かにも戦争を繰り返し、せっかくの平和を維持することのできない人間たちを皮肉る言葉である。
このようなビアスによる「平和」の定義は、「人間は、本質的に闘争する生き物である」かのような示唆を与える。
平和の恩恵も、戦争のあとであるからこそ感じられるもの…なのだろうか?
・・・
映画『イニシェリン島の精霊』の主人公もまた、島での平和な生活を台無しにしてまで、隣人との”戦争”をせざるを得ない。
彼にとって、隣人との闘争を続けることこそが、隣人との関係を継続し、退屈な暮らしに興奮をもたらす唯一の娯楽になってしまうのである。
わざわざ戦争を行うことは、彼の生きがいと化す。
それはまた、平和な島の対岸、本土で行われている内戦の様相にも似ている。
大英帝国からの独立を勝ち取り、アイルランドの国土を自らのものとしてもなお、分裂し、争わざるを得ない。
「最近は本土で銃声も聞こえない」と言う主人公に対し、隣人は「どうせまたすぐ再開するさ」と述べる。
「ロバ」と「知恵遅れ」が象徴するものは、「愚鈍さ」や「無知」「のろま」「正直さ」「白痴」…そして「優しさ」や「牧歌性」。
不吉なバンシーの予言通りに、これら2つに死が訪れる時、男は優しさ・良心を捨て、抗争の日々へと向かっていく。
作品内において「女性性」を代表する妹が去ってしまったことも、島における文化性・男性内部の文化性が去ってしまったことを象徴している。
“女性的”な生き方、文化的な生き方も、彼にはあり得たはずである…けれども愚かな男の本質には、闘争を求める欲求があるのかもしれない。
「戦争は人類の本質」と書いたが、より正確にはそうではない。
「戦争は、愚かな男性たちの生きがい」なのかもしれない。(もちろん、戦争には紛争の解決手段という側面もある。その良し悪しは別にして)
読書、音楽、そういった文化的な趣味を持たない男が、退屈な日々に楽しみを見出せないとき…その退屈な暮らしこそが平和であることに気づかないとき、闘争に楽しみを見出してしまうのかもしれない。そういう寓話だろうか。
人生は死ぬまでの暇潰しにすぎないのか? 闘争にこそ人間の本質的な喜びがあるのだろうか?
平和な日々に、あなたは生きがいを持っているだろうか。
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※戦争に至る過程は、共同体内・異なる共同体間の複雑なプロセスを経ており、1つの共同体の内部においても、そこに関わる人は支配者・被支配者などにそれぞれの心理がある。したがって「闘争は生きがいである」というように、単純化して語れるものではない。けれども本作に対する考察を、1つの寓話として聞いて欲しい。
※現代においては、例えばスポーツが、国家間・共同体間の代理戦争的役割を担うこともある。戦争は興奮をもたらすけれども、決して、興奮をもたらす唯一の手段ではない。過去の歴史においては戦争、暴力が短絡的な方法であったかもしれないが、娯楽が複雑で豊かになるにつれ、人間に興奮をもたらす活動は多様化し、文化的なレベルにまで達している。(心拍数を高めることは、確かに興奮する。)
必ずしも戦争・紛争・抗争が、日々に生きがいをもたらす唯一の手段たる必然性はない。確かに、他者を打ちのめし、下であることを確認して、自分は上だ、と気持ちよくなりたい気持ちが人間にはあるのかもしれないが、そういった心理を利用して、経済不況の時期などに戦争に持ち込もうとする支配者も歴史上存在した。現代はどうなのか、わからないが。
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あなたは、理不尽で暴力的な警官が制裁を加えられた瞬間、興奮しただろうか?
そこに快感を覚えただろうか?
映画の中ではしばしば、暴力の発動が観客に快感をもたらす。
本作においてこのシーンは、あなたの中にある「暴力によって興奮し、快感を覚える衝動」を確認する効果を持つものであり、通常の映画同様に、娯楽性を与える役割もある…のではないか。
「この映画は、あなたの中にもある暴力衝動について描いていますよ。今あなたが快感を覚えたようにね」と。
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性の多様性の観点からすると不適切な語用があるかも知れません。
また、差別的とされる単語が含まれるかも知れません。
推敲が完全ではありませんが、とりあえず投稿します。
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※劇中、十字架やマリア像が何度も登場し、宗教色を醸し出している。
主人公もまた、自宅の壁に十字架をかけ、経験なカトリック(アイルランド人なのでおそらく。劇中では住民がプロテスタントを揶揄するような会話もある)であることが示唆されている。一方で友人宅に飾ってるのは、異国文化が満載の調度品の数々だ。そこにはアフリカ風?の人形や、日本の能面・般若面などが存在し、友人はカトリックとは異なる思考様式を有していることが示唆される。
このような対比もまたアイルランド内戦に関係あるのかもしれないが、その可能性を掘り下げるにも、否定するにも個人的に知見が不足している。
ちなみに、アイルランドの独立を推進し、現代でも北アイルランドの英国からの独立、そしてアイルランドとの併合を求めているというIRAは、その誕生からカトリックを核としているという。
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物語の最後に、抗争を経て、まるで仲の良さを取り戻したかのようにも見える2人だが、そこには「抗争の継続(暴力)」と「関係の維持(友好)」という相反した2つの感情・概念が共存しており、好戦的な姿勢で国内の支持率を得ながらも、国家間では事なかれ・現状維持を貫く昨今の指導者たちを暗喩しているようにも思えた。
このことがまた、争い・暴力を好む人間の衝動を見据える本作のテーマ性へと導いてくれるようにも思う。
わかったわけじゃないけれど
なんか高評価つけてしまいましたが、他人に薦める自信?はありません。
ただ、始まり数分のコリンファレルのシーンがじわじわ効いてくるし「NICE」という言葉のニュアンスを学べるしバリーコーガンのドミニク観るだけで価値あると思ってしまったところで気がつけば高評価になってしまいました。
もろもろみたあとにジワる系の作品でした。
人間の本質と人生の哲学
個人評価:4.0
対岸で繰り広げられる内戦を対比に、何もない島で起こるおじさん同士の争い。それは大小違いはあれど、思想の違いによる対立。本質は同じであると気付かされる。
人生は死ぬまでの暇つぶし。戦争さえも暇つぶしに使う人間の本質を、島の精霊が寓話的に綴った物語の様に感じる。
バリー・コーガンに当て書きしたかの様な愚者も素晴らしく、物語をより寓話的にしてくれている。
おじさん同士の絶交。それ自体はなんだかコミカルだが、人生の縮図が詰まった哲学的な物語だった。
意地と意地が導く虚しさ
ある日突然、長年の親友コルムから絶交を告げられたパードリック。
あの手この手でコルムとの関係を回復させようとするが頑なに断られ、互いの意地がエスカレートしていくコメディスリラー。
理解できない親友の固い意思、冷静かつ激しくなる狂気、戸惑い続けるコリンファレルの八の字眉毛に目が離せなかった!
争いはほんの些細な単純なことから始まり、互いの意地で取り返しのつかないことになる今も昔も変わらないのだと思った。
序盤と終盤では同じ景色、同じ色合いなのに全く違う映画のような雰囲気を纏っていて2人のやり取りの行く末が全く想像できなかった。
アイルランド本土で頻発する内戦と蚊帳の外にあるはずのイニシェリン島での2人の争いの対比が印象的でなぜ戦っているのか、きっかけもあやふやになるほど意地だけで争う醜さとおかしさが本作が他と異なる作品なのだと思った。
考察したら楽しそうだけど考察したくなるか…
これはNot For Meでしたね。内戦と主人公2人の関係性を絡ませながら楽しめれば良いけど、だからと言って会話劇が自分には小気味よく感じなかったのと、登場人物全員理不尽で共感しにくかったのと、登場人物が喋る人が変わるタイミングでカット割りを変えるばかりの冗長のなさが合わなかったです。共感できなくてもキャラ立ちしてるかといえば、そこまで突き抜けてもなかった。ただ不愉快な人物ばかりで。
アカデミー賞獲るのは全然納得です。特に主演の悲しげな顔。一人の親友に理由も明確に分からず(つまらないと言われる)だけでこの世の終わりなのは生活圏の狭さか。おじさんのマジで悲しげな顔。この辺は面白いです。
あと、動物が魅力的に撮れてるのも良かった。
期待以上に面白かった
まず会話の妙。
人間関係と人物の性格を手際よく示しながら、思わず笑わせられるところがたくさんありました。
それにしても、この島の退屈さは、それが島であることが原因ではありませんね。
退屈な人なんて都会にだってたくさんいますから。
「島」と「本土」は、「ムラ社会」と「広い世界」のメタファーに見えてきます。
島の外側で戦争が起きていること、それと二人の男性の関係の変化が微妙な形でシンクロしていること、この辺りがこの物語を読み解く鍵だと思いました。
バリー・コーガンが今回も変な人を演じていて最高でした。
2人の関係の行き着く先は?
昨日までの親友が翌日突然「お前は退屈だから」と嫌われる。
これだけでどんな映画になるのか全然わからず、気になったので試聴。
個人的にはかなり好きな部類の映画でした!
突然嫌われたコリンファレルの感情がかなりこっちにも感じれました。
特に眉毛の動きが好きでした(笑)
無言の時も最後のシーンも全て眉毛で語っていてそれがかなりこっちに伝わってきた。
最後は立場が逆転したような、パードックの心に火がつき、だがコルムは終わりにしたがっている。
でもコルムが指を5本落とすまでに至った心境の変化はなんだったのか?
あの死神のお婆さんが言っていた日曜までに2人死ぬと言うことはドミニクと他に?それともロバのこと?
気になること多く残したまま終わったけど、これは個人的に好きな終わりだった。
その時代のイニシェリン島の一部を切り取って見ているかのような。
何が目的なのだ‼️❓何を伝えたいのだ‼️❓
残念ながら、この作品の品質は低いのです、指を切るなり、家を燃やすなり、その切実さに乏しいわけです。
でも、伝えたいことは、切実です。
百年前の北アイルランドの内戦では、戦いの錦の御旗などなく、復讐の連鎖、やられたら十倍返し、指切り親父が組織であるなら、指を、庶民を何人殺されようと、十倍返しが必然。
なら、監督が伝えようとすることは、日本人には伝わりませんね、でも、参考にはなります。
指切り親父も放火親父も、費用対効果でみたらバカものです、でも、今の日本では、自殺、殺し、交通事故死は、毎年、数万単位で、日常です、指切り親父や放火親父を笑えるでしょうか、今そこにある危機を🫵見つめているわけです。
この作品は低品質ですから、みなさんがこの映画を観て判然とせず嫌な思いをするのは当然ですが、参考となることは多いのです。
ちなみに、鉄道会社は安全対策に収入の三割を当てますが、自動車会社が安全対策に充てる経費は3%です、指切り親父が現代にもいる一例です。
この映画は良い映画ではありませんが、生きる糧になる映画です。
何と言ってよいのかわからない。
一緒に行った二人の評価は極端に低かった。
私は好き(?)だった。
オシム監督に似てる人の行動がまったくわからなかったが、それでも何か好きだった。どんよりとした天気や島の閉塞感が何とも言いようがない雰囲気を醸し出している。
主人公や妹さんやドミニクくんはとても優しい人たちで、幸せになってほしいと思いながら見ていた。
追記
コルムさん(オシム監督に似てる人)の行動がどうしても理解できなかったので、もう一度見に行った。
何も新しいことがわかったわけではないのだが、コルムさんの気持ちが、前よりも理解できた(ような気がする)。
衝撃的な場面も、二度目ということで緩和され、落ち着いて、じっくりと見ることができた。
で、この映画の本質は、やっぱり、そのまんま、この映画を受け取るしかない、という結論に至った。
二度見てみても、やはり、この映画が好きである。
不思議な迫力あるストーリー
なんとも不思議なストーリーで、よく映画にしたな、でも上手いなと感心した。退屈な小島に住む退屈な人々の集まりに感情の行き違いから波紋が生じるわけだが、最後はそこまで行くかという迫力ある展開。そうでなければ映画にはならないが、やはりストーリーに一定の違和感は残す。モヤモヤした感情を残す映画もあるので、それはそれでありだが、凡庸な小市民である私たちは、たとえ退屈でもそれが人生ではないか、そこまでして生き甲斐や静寂が欲しいかという気持ちを捨てられない。とはいえ、ロケ地の素朴な美しさは、いかにもアイルランドという感じで、それだけでも見る価値はある。
これはひどい
見どころはアイルランドかどこだかの自然の景色くらいで。
仲良しだった年上の爺さんがいきなり「お前とは付き合わない。話し掛けるな。話し掛けたら俺の指を切る」と。
人は良さそうだけど頭の弱そうな主人公が相手のところの行くと本当に相手の爺さんは自分の指を切り主人公の家のドアに投げつける。
普通ならここで「奴は本気で俺と付き合いたくないんだ」と分かりそうなところだけど頭の弱い主人公は再度爺さんの所へ。
忠告が聞き入れないことに業を煮やした爺さんは残りの4本の指を切り主人公の家に再度投げつける。
そのうちの1本は主人公のロバの口に突っ込みロバは窒息死する。
自分のロバを殺された主人公は先日まで仲が良かった爺さんの家に火をつけると言い実行する。
なんだか救いようのない映画でした。
戦争の救いようのなさを表現した作品かもしれませんが万人受けしないのでおすすめしません。
酒の席
は取り止めもないバカな話で盛り上がって、楽しいのは良いけど、後で虚しい事は確かにある。だから、コルムの気持ちもわからない事は無いですね。ちょっと極端な感じもしたけど。でも、後のパードリックの行動を見ていると、そこまで極端にしないとナアナアになってしまうのもわかりますね。何か虚しさの残る作品です。
人間の本質に迫った重厚なドラマ
なかなか理解しにくく、難解に感じてしまう作品かもしれません、「何が云いたいの?テーマは何!?」と
でも、至ってシンプル、そんな小難しく考える必要はないと思います
長年 仲良くしてきたコリン・ファレルさん演じるパードリックとブレンダン・グリーソンさん演じるコルムの仲違いがエスカレートし戻れない所まで行ってしまう物語
これは本作の時代背景となるアイルランド内戦のメタファーとして描かれていて、人は気まぐれで、簡単に気が変わったり、誤解したり、我慢を溜め込んでいったりし、それが原因で争いに発展し、最悪の場合は戦争などのようにたくさんの人を巻き込み殺し合いにまで発展する愚かさを持っている、という話です
本作でのトリガとなったのはコルムが老い先を考えた時にもう少し意義のある人生を生きたい、くだらない事に時間を費やしたくない、と長年の友人を一方的に切り捨てたのが発端でした、やられた方は意味不明でそりゃ腹も立つでしょう
コリンさん、ブレンダンさんに加えパードリックの妹を演じたケリー・コンドンさん、そしてパードリックの友人を演じたバリー・コーガンさん、全員みごとな演技でした
先日発表されたオスカーノミネーションに4人とも入った事に驚いてましたが本作を観て納得です、1人でも多くオスカー受賞してほしいと思いました
イニシェリン島は架空の場所ですが、撮影はマーティン・マクドナー監督の出身でもあるアイルランドのアラン諸島でちゃんと撮影されていて、その清々しく美しい景色が全編に渡って広がり、とても心洗われる気持ちのいい時間を過ごせました
後からなんとも言えない余韻に包まれる、不思議な作品でした
相手に話しかけるなと突き放したら、やはり自分からその相手に手を貸すのはダメでしょう。
飼っているペット(犬・ロバ)が自身の良心の表れなのかもしれない。
だから、最後にロバを失ったコリン・ファレルは制御を失い、
犬を生かしてもらったブレンダン・グリーソンには罪悪感が生まれた。
そう、人同士では争いしか生まれないのかもしれない。
私なら相手から絶交宣言されたら、もう関わらないな。
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