ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
全145件中、61~80件目を表示
マザー ネーチャーズ ドーター
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きましたね。ありがとうございます。
私が住む江戸川区は全域が海抜0メートル地帯なんですよ。だから私は湿地の少女 カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)の気持ちに共感してしまいました。
江戸川区は金魚の養殖が盛んでした。しかしどんどん傾いて金魚池が放置されて普通の池だらけになったんです。
そこに良くザリガニ釣りに行ったよなー。いわゆるアメリカザリガニ。言っておきますが鳴きませんよ。ザリガニは。でも池にはウシガエルがいて、それは鳴いてたなあ。
戦後食料事情が厳しかった頃、ウシガエルを食料ガエルとして輸入して、餌としてアメリカザリガニも輸入したんですね。
結果論は承知ですが・・・浅知恵だったかなあ。奄美大島でマングースを放ったのも・・・
やはり例え少しであっても人が自然体系を壊すのは良くないのかなあ。魚のブラックバスとかブルーギルとかもそうですよね。
さて長々と面白くない事を語ってごめんなさい。オチもなくてごめんなさい。
さてと・・・もう少しだけ語らせて頂きます。私の近所の池はやがて埋め立てられ空き地になったんです。小学校の校庭くらいあります。
やがて近隣の住民はそこに粗大ゴミを捨て始め、さらに廃車が捨てられます。
一回カウントしたんですが、アバウト50台!さらにですよ・・・あり得ないものが・・・なんと!
死体‼️
うちにも警察が来たもん。
ホラーな話しですいません。
いやね、今は平和な住宅地ですからね。ただね・・・割と最近の話です。近所の道が通行止めになっていたんですね。
なんと!マンホールの作業員が地下で爆発に巻き込まれ、不幸にあいました。都市ガスではなくメタンガスです。
私の地域は海抜ゼロメートル地帯です。過去、地下には生物や植物の死骸が堆積しているのです。
それがメタンガスの発生源になった。
いやねあの日はヘリコプターの音で目が覚めたもん。他人事じゃない。
これまたホラーな話しで申し訳ない。
普通の住宅地の地下にメタンガス。視界がぐにゃりと歪み、足元が崩れる。
さてと枕は終わりです。
物語はお金持ちの青年、チェイス(ハリス・ディキンソン)の墜落死体から幕を開けます。被疑者は湿地の少女、カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)時は1969年。
そして回想。少女時代。父親はDVで母を始終殴りつけます。また湿地の家は貧しく、カイアは常に裸足なんですよ。もうね不憫だし可哀想だし見てられない。
いいですか!裸足だと破傷風、つつが虫病と危険がいっぱい。さらにノースカロライナには蠍がいます。
裸足ダメ!絶対ダメ!
おいおい松田聖子聞いてるか?
裸足の季節じゃねえよ‼️
失礼しました。カイアは1日だけ裸足で学校に行きます。もちろん勉強はわかりません。すぐに行かなくなります。
そして母は耐えきれず出て行き。兄弟も出て行きます。父親も出て行き。とうとう一人ぼっち。寂しい。悲しい。そんなカイアを救ったのは湿地。ムール貝を採って雑貨屋に売ることで、禄を得ます。いやこの雑貨屋の黒人夫婦が本当に良い人。カイアは町の人に疎まれていますが常に寄り添ってね。靴も作ってくれた!
あー良かった!安堵した。どうでも良い話しなんだけど、この映画を観てから何回も夢を見る。私が裸足で、靴屋が見つからない。どうしよう?
おいおい!聞いてるか?B'zさんよー
裸足の女神じゃねえ‼️
すいません。カイアはハイティーンになりました。
そこに現れた美青年。テイト(テイラー・ジョン・スミス). 子供時代から顔馴染みです。鳥の羽根を介して恋仲になります。
しかも文盲のカイアに言葉を教えてくれます。そしてカイアの描く精緻なイラストに感銘して図鑑を出す事を提言。
しかしテイトは大学に進学してカイアとは疎遠になるんですね。長い長い待ち時間。テイトはあらゆる意味でカイアの全て。四年ですよ。四年。
そして待ち合わせ。久しぶりの邂逅。しかしながら待てど暮らせど、こねえ‼️いやこいよ。おいテイト!
あみんを見習えよ‼️
そこに、現れたのが稀代のクソ野朗、チェイス。
いやね湿地の描写が繊細でね、そして様々な生き物。素晴らしいんです。
カイアは過酷な湿地で育った少女。沢山の生き物は友人であり師匠であり生きる糧。
私はカイアだし、カイアは私だ!生き物大好きな私としてはシンパシーしかない!
閑話休題、リーガルサスペンス。さて陪審員裁判が始まります。そして評決は・・・,
はい。ここで、筆を擱くところ・・・
ここから激烈ネタバレに入ります。完全に!
良いですか?言いましたよ。ネタバレ言いますよ?
ノーリターン ポイントですよ。
えーーと・・・
実は・・・
早よ言えや‼️
犯人はヤス。
ポートピアか‼️
評決はナット ギルティ!無罪!良かったー信じてたよー、カイア。
カイアは結局、テイトと結婚して老衰でなくなりました。天寿ですね。しかし・・・
チェイスに渡した貝殻のネックレス(キーチェーンかも)
を遺品整理の時にテイトが発見。つまり・・・
カイアはチェイスを殺していました。
いやね大混乱だよ。私はカイアが無罪だと信じていたんです。だから無罪評決の時にホロリとね・・・
さらにネタバレの先なんですが。このドラマになんか不自然な部分は有りませんか?それはね・.・・
なんで父親出て行った?
他の人たちは映像で見せてるのに、ナレーションのみって変でしょ?
うん。カイアはやってる。
視界がぐにゃりと歪み、足元が崩れる。
父親の死体は湿地の家の下に有ります。それこそが湿地に拘る理由。
ザリガニの鳴くところ。
2回目だったらハードルは低い。
カイアはスナネコ。スナネコは砂漠の天使と言われるネコ。しかし人口保育でも飼育員さんに威嚇。
水は飲まない。水分補給は獲物から摂る。
自分の身は自分で守る。スナネコは見た目はもの凄く可愛い。しかしペットにはならない。猛獣。
足元が崩れそう。
言っておきますが私の妄想です。
クリエイターは全員女性。意味深長。
そんなこんなで、楽しい映画・・・か?
ジェンダーバリバリの映画かな?
お付き合い頂きありがとうございました。
湿地の娘
ノースカロライナ州の湿地に長く1人で生きる少女。
町の人は、
“狼が混ざっている“
“人と猿の中間のミッシング・リンク“
“暗闇で眼が光る“
そう言って蔑み仲間外れにした。
親に見捨てられ家族に捨てられた少女が、
自然を親友に強く生き抜くストーリー。
ラブロマンスと、ひとりの男性の死の真相を裁く
法廷ミステリーでもある。
1950年代初め。
6歳のキャサリン・クラーク(カイア)は、
父親の暴力に耐えかねた母親が、湿地の家を出ていった。
姉や兄まで次々と去り、カイアは父親と2人きりになる。
心を保てたのは《湿地の自然・・・鳥や貝や羽根や植物》と
戯れる時間。
(湿地は全てを洗い流し、心を癒した)
そして父親まで湿地を去る。
しかしカイアはミル貝をドラッグ・ストアの黒人店主夫妻に売って
生活を保っていた。
カメラが美しい。
湿地の樹々や沼に渡ってくる白雁。
沼を泳ぐカイア、モーター付きのボートで移動するカイア。
カイアのモノローグは、詩のように知的で心に沁みる。
そして美しく成長したカイアをデイジー・エドガー・ジョーンズが、
逞しくて感情豊かな野性の娘を、情感込めて演じています。
幾ら沼地が好きでも、カイアもひとりの女性。
兄の友達だったテイトは、なにかと面倒をみてくれて、
学校に行かないカイアに字を教える。
そしてカイアには貝や鳥を描く才能があった。
大学へ進学して町を去るテイトは、カイアに出版社の連絡先を
メモして渡してくれる。
「きっと本にしてくれる、お金になるよ」
しかしそれっきりテイトは帰ってこなかった。
そして第2の男性=裕福な家庭のどら息子チェイスが近づいて来る。
結婚を匂わせて恋人関係になるが、婚約者の存在を知り傷付くカイア。
別れを告げると暴力が始まった。
チェイスはカイアの父親と同じ種類の男。
カイアの部屋をめちゃめちゃに荒らして、生活を壊す。
《生物は生きるために生命を懸けて闘う》
《生死は罪ではない、生存本能》
・・・カイアの言葉です。
ラストの見せ方がとても素晴らしい。
どんでん返しの衝撃!!
全世界で1500万部をセールスした大ベストセラー。
動物学者のディーリア・オーウェンズの処女作。
日本でも「本屋大賞」の外国書部門の1位を受賞。
私は正直の所。
ミステリーとしては、内容が乏しいと思います。
1960年代。
真剣な捜査は行われたのでしょうか?
女性が犯行を実行するにはかなりの無理がある。
185センチ85キロ位の男を、高所から突き落とす。
短時間の間にトンボ帰りして、編集者と打ち合わせをする。
靴も服も汚れなかったのでしょうか?
バスやホテルの目撃証言ひとつも無いなんて?
違和感といえば、「狼少女、猿のミックス・リンク」
そう呼ばれるにはあまりに清潔感あるお姿。
そして彼女の家は、後半にはアンティーク調のまるで
絵本のような可愛らしいインテリア雑誌に載るような家と家具です。
お風呂に入るのもままならないなら、髪は絡まり、
洋服や身体は垢まみれのはず。
まず風呂に入れてゴシゴシ洗い流すシーンからはじめるべき。
ライトノベル的ラブストーリー。
「君に読む物語」が大好きな私に、アレコレ言う資格もないのですが、
撮影の素晴らしさに較べて、内容の軽さが気になりました。
鑑賞動機:原作の評判10割
読んでないんですけどね(読めや)。テイラー・スウィフトのCarolina を聴きながら書いてるわけだが、無性に染みる。映画の内容に寄せて作ったのかな。
法定物として、弁護士役のストラザーンをメインにどう切り抜けるか、という興味で観てたので、やれやれよかったよかったと気を抜いたら、アレですよ。ちょっとこんな時どんな顔したらいいのかわかんない。
ある種の「信用できない語り手」ものではあるのだが、映画のシーンとしては嘘は描かれないので、「その場にいた」以上は不確定という理解。真実はカロライナの湿地だけが知っている、か。まあでもそういうことなんだろうけど。何十年も立って亡くなった後に明かされる、という構造はあまり見たことないかも。彼女の一生は幸せだったのだろうか。
映画だからなのか小説もそうなのか
渦中の人となるカイヤを見ながら、こんな風に生きていけるのか?という疑問が常に付き纏った。しかしあれは主にカイヤ自身から語られるストーリーなのかもしれず、だとすると映像化の塩梅が非常にうまい。
男の死亡により浮き彫りになる女性の半生
男の死亡は殺人か?事故か?その中で浮上する女性。
彼女を裁く裁判の進行と共に彼女が過ごしてきた半生が浮き彫りになっていく。
この物語サスペンスなのか?人間ドラマなのか?どっちを主体として描くのかによってかなり雰囲気が変わるだろうと思った。今回は人間ドラマとして描くことで彼女に寄り添うことに注力した様に感じた。
見終わって思ったのはサスペンス要素をもっと出して描いて欲しかった。その方が最後のオチがもっと活きる様に思えた。
Kya〜本当の君
「 湿地の少女 」と呼ばれるカイアを演じたデイジー・エドガー=ジョーンズの凛とした眼差しとしなやかな肢体、悦び、不安、驚き、落胆、恐怖…美しい彼女の繊細な演技に魅せられた。若きデイジー・エドガー=ジョーンズにアカデミー賞主演女優賞を切望 ✨
彼女の支援者の一人となる弁護士を演じたデヴィッド・ストラザーンの表情もいい。
没頭して小説を読み進めるように、スクリーンに映し出された世界に引き込まれた。是非映画館でご覧下さい。
パンフレットが完売で入手出来ず残念。。
ー自然に善悪はない
ー裁かれるのは彼ら
映画館での鑑賞
あっという間の2時間
ずっと食い入るように観ました。
湿地で一人で暮らすカイアという女性。
カイアの行動が是か非かと問われると、、、
人間社会の面から見れば「非」なのだろう。
でも生物学的に考えると、何ら特別なことでもなく普通のことなのかもしれない。
生物たちは生き残るために、そして種を残すために、身を守る工夫をし生き残ろうとする。
時には色を変えたり形を変えたりもする。
そんな生物たちを見ながらそんな生物たちと共に湿地で育ったカイア。
弱いものが淘汰されるのも見ながら育ってきただろう。
生物という大きなくくりで考えると弱者が強者から身を守り生き残ったということになるのかな。
美しい映像と、どこか憂いを帯びたカイアがとても魅力的で惹きつけられました。
面白い作品でした。
ラストの考察
一人で鑑賞したため、誰かに話しかけたかった内容をつらつらと。
ラスト、彼女はなぜチョイスを描いたのか分かった?私はよく分かっていない。彼が湿原の一部になったから?本当に愛していたから?彼女の研究対象だったから?何か伏線はありましたっけ。
貝殻があるのはなんとなく分かっていた。多分彼女が殺している、と。でも誰も本当の彼女を見ていなかったら、見ようとしていなかったから(愛していると言っていた彼も)罪から逃げ切れたのだ。沈黙は金なり、本当に。
ラストのCarolinaが心に響く響く…彼女は自分も湿地も守り通して素晴らしい人生だったな。結局自然に善悪はないのだ。
ツッコミどころがたくさん🦞
主題がわかりにくいと思いながら最後まで観ました。
ツッコミどころが満載でした。結局、カイアが犯人で、捕食者を殺していたのですね。
でも、いったいどうやって?変装して深夜のバスに乗り、短時間で大の男を突き落とし、何食わぬ顔で編集者と朝食を摂り…。稀代の悪女でした😅
殺された彼の親御さんは、モヤモヤするだろうなあ。どんな悪人でも、かわいい息子には違いない。裁判の仕方も、ものすごく雑です。あのネックレスも、取る必要ないし、あんなわかりやすいところに隠して、テイトも気づかないだなんて。
結局、湿地が大好きで、町の人から疎んじられているけれど、自分からも避けていたし、うーん、何がいいたいのかがもう一つよくわからず、モヤモヤしました。湿地の泥や砂は、都合の悪いものを全て隠してくれるということでしょうか?
エンドロールの歌詞がすごい。
原作では、ツッコミどころがちゃんと説明してあるのでしょうか?半分まで読んでいるので、後半を楽しみにします。
美しい自然には残酷さも秘めている
湿地でひとり暮らし続けている少女の話。
美しい自然を描かれた映像を観るだけでも価値がある。
その美しさとは対照的に少女の残酷な半生を描くことが印象的だった。
殺人事件の容疑者とされ、法廷での出来事からこれまでの少女の半生を描いていく様子は、とてもテンポ良く観ることができた。
自然を教科書にして育った彼女だからこその行動には納得だった。
これは怖さではなく、はじめての感情。 「Carolina」の歌詞が、込み上げる気持ちに纏わる布のように絡んできて、震えた。どうしようもなく。
湿気を帯び躍るようなエネルギーを放つ植物たち。
樹木は壮大な時間をかけ空へ向かい、揺れる葉の隙間からやさしい光を届ける。
水面を揺らす風と鳥たちのざわめき、原生種の花々の香りが漂うなかで虫たちは賑わいを増す。
神々が鎮座する領域で安らかに繋がりゆく命。あるいはひっそりとそして時に残酷に朽ちる刹那。
深く重い摂理は、人間社会の後づけの概念やルールなど太刀打ちしようもない。
1950年代〜ノースカロライナ
巨人が両腕を広げたようなその湿地帯で、カイアは幼少期から家族と別れひとりで生きる。
たくましく純粋でのびのびとした娘に成長しやがて町に住む青年と恋をする。
1人目はカイアの兄の同級生で幼ななじみテイト。2人目は町の有力者の息子チェイス。
そんなある日、湿地で発見された遺体。事故か事件か。
町ではあれよあれよと噂が立ち犯人にされる〝湿地の娘〟カイア。
ついに拘束され陪審員裁判にかけられている法廷での様子と過去の流れを混ぜ込み展開していく。
なぜカイアはひとりになったか。
なぜ殺人容疑者としてそこにいるのか。
事件の謎、真実は…
サスペンス、ミステリーにとどまることはなく多様性をもって最後まで誘い続ける。
そう、語り手は犯人探しだけをさせたいのではなかった。
時代背景からも読み取れる、戦地から戻った軍人のストレス、貧富の差、人種的差別、権力がもたらす歪みなどに、人間の偏見、エゴ、集団意識がつくる無神経な排除の構造など、現代に至っても普遍的にある陰に密かにスポットをあてる。また、あたたかい記憶に与えられる力、数少なくも手を差し伸べようとする存在の尊さにも。
絶望と孤独の先に何があろうとたちむかったカイアの一生を通じて訴えかけてくるのだ。
そして何より、目を見張り息をのむような繊細で豊潤な自然界の描写が不可欠だったことを納得させるのは、生き物として知り尽くした自然界がカイアに授けたものを知ったあとだ。
叙情的な味わいーではいいつくせなく胸に刺さるのはなぜだろう。
確かめたくて翌日にもう一度観た。
そして、これこそは、いつもみたいに書きすぎないレビューを!と思ってだいぶ我慢中😅
〝湿地は光の世界…
〝…点在する本当の沼〟
そうだね、カイア。忘れないよ。
カイアのそばで見守ってくれた人々に私は敬意を込めたい。
その世界観に浸かり本能に触れるなにかを感じにぜひ観にいかれることをおすすめしたい。
稀有な映画だ。
(訂正済み)
独りで在ることを選択した少女
幾度か出てきた「淡い悲しみ」と言う言葉がとても印象的でした。幼い者を理不尽に縛りつける悲しみ、人が生きていく上で背負わなければならない悲哀。でも、カイアは悲しくとも、屈しなかった。
◉カイアの選択
カイアの父は自らを護るため、孤立して暮らす。ある意味、とても潔い。だが、家族は父に着いていけず湿地を去る。世間に出れば辛い思いもするだろうが、やはり孤独よりは他者との交わりを選んだ。
しかしカイアは、父さえ去った湿地で生きることを決めた。戦争から生還した父の人生は、ほぼ無色に近いようなものになってしまったと思えるのですが、カイアは孤立の中で、自然に溶け合う暮らしを続けて、自らの世界を構築していった。
◉湿地で輝く
カイアは生存のためジャンピンやメイベルとの間に人同士の触れ合いを経験し、やがて積極的な男と女の関わりにも踏み込んでいく。
デイジー・エドガー=ジョーンズ演じるヒロインの、消え入りそうなぐらい繊細なのに、簡単にはへこたれない、したたかな表情。そして少年のような雰囲気を強く漂わせるのに、思いがけず肉感的な肢体。名前の付けようのない不思議な宝石であり、湿地でのみ輝き続ける存在として描かれている彼女の姿に、観る者は惹かれていった訳です。
チェイス殺しの嫌疑をかけられても、カイアは身の潔白が晴れるかどうかより、とにかく湿地を離れずに済むことだけを切望する。
自分の意思に命をストンと預けられる。本当に強いなぁ!
それでいて恋心に身を委ねる時の、素直な欲望。頑なであるのに、デートにすぐに応じたり、男を家に招いたり、かなり奔放!
◉独りで在ること
人にとって、生涯で多少なりとも触れ合って、更に喜怒哀楽を共有できる相手は、ほんの一握り。それでも自分を大切にして生きていれば、誰かと出会えるし、おまけに残酷な運命にも出逢ってしまう。
やがてカイアの元に戻って来る恋人も、一度は彼女から離れていった。身勝手な恋人にも散々、振り回される。それでもジャンピン夫妻はカイアの生き様に優しく寄り添ってくれたし、弁護士トム・ミルトンもカイアへの偏見に怯むことなく、彼女に振りかかった疑惑を必死で解いてくれた。老いてはいたけれど、実に男前でした。
カイアの生き方が表していたものは、「独りっきりで居ること」ではなくて、「在り方として独りで生きること」だったと、私は思いました。湿地を隔てた所でカイアを思う隣人は一握りではあっても居て、そこに人同士の繋がりはあったのですからね。
カイアは自然科学の知識体系を独力で身につけた。少し超人過ぎやしないかとビックリしましたが、鳥・昆虫・魚・貝や植物の細密画に没頭する。それは「独りで在ること」を確かめて、かつ満たされるための作業も兼ねていたのだと思いました。
◉湿地は消えない
この物語の一方の骨格であった、カイアへの疑惑の謎解き。物見台周辺に足跡が無かったこと、板が1枚外れていたこと、本の打ち合わせ前後のアリバイ、そして赤い毛糸。それらの疑惑がほぐれていった道筋は、ストーリーに描かれた部分に限定すれば、論理と言うより老弁護士の熱量の結果と感じました。
ただ人の足跡は湿地の満潮で消えた……と言うのはちょっとワクワクしました。そして湿地の中の沼に溶け込むように、カイアは息を引き取った。
湿地は人々の存在を静かに呑み込んで、ずっと在り続ける。
質問!観た方に聞きたいです!
最後に遺品からネックレスが出てきたからカイアが犯人だとなっているようですが、どう考えてもテイトですよね?
証拠として扱われた繊維がテイトにもついていることもわざとらしいまでにアピール。
渋るカイアを出版社に行かせて最大のアリバイを確保させたのはテイト。
ネックレスをはぎとる理由を持っているのはむしろカイアよりテイト。
だいたい家宅捜索でネックレスは出てきていないんですよ。繊維のもと同様に『誰かが』持っていたと考えるのが自然では?
なんでこれで彼が犯人だと誰も思わないのか?
見かけるものだと
①ネックレスを彼女が持っていたことに衝撃を受けていたから
自分が持っていて、おそらくなくしたなり処分したはずのネックレスをカイアが持っていたならそりゃ驚くでしょ。
②エンディングテーマが自然そのものであるカイアが犯人だと示唆に富んでいる。
余程のアホでない限り、テイトが自分のために犯した罪だとカイアは気が付きます。それは自分が引き起こさせた犯罪。十分に歌詞に合致すると思いますが。
明記されていない以上、悪魔の証明を求めることになってはしまいますが、テイトが犯人でないことを示すものが何一つとしてないんですよね……
後半は一気に盛り上がる!
事前情報無し、予告編程度の知識で鑑賞。もちろん原作未読。
ミステリーっぽいスタートから、家庭内の不和や暴力が描かれる(この辺りが少しダレる感じw)。
雑貨屋の黒人夫婦だけが味方という過酷な環境(-_-;)
そしてせっかく良い雰囲気だった彼氏は、大学進学のために家族と同様に彼女のもとを去ってしまい、その隙間にチャラ男が入り込んでくるのだが、このチャラ男が絵に描いたようなクソ野郎で、暴力は振るうわ、二股をかけるわ、ストーキングをするわ、最低なヤツで、観客のヘイトを一身に浴びる事にww
そして後半は問題の法廷シーンへ。
あの検事のネチネチした追及がまた何とも嫌らしく、彼女の初老の弁護士とのコントラストが素晴らしい。
そして、懸命な弁護で彼女は無罪を勝ち取り、初恋の彼と結ばれて、永い年月を過ごした末に彼女の故郷でもある“沼地”で生涯を終える。
この辺りの平穏なシーンが続いたあとに、あの衝撃の結末。
だけど彼女を責める事は出来ないなぁ。
幕を閉じる
アメリカでヒットした小説の映画化、日本では全く知らない名前だったので、完全に知識ゼロの状態で鑑賞しました。
悪くはない、王道なミステリーなんですが、想像通りのことも起きないくらい普通のミステリーで驚きもなく、面白いとは言えないまでも、つまらないわけではない微妙な作品でした。
殺人容疑で疑われた沼の娘ことカイアが裁判にかけられる、それまでのお話がメインですが、基本的にはラブストーリーが展開されて、出会いと別れと暴力が付き纏う感じでした。最初の恋人のテイトは進学と留まる事で別れ、次のチェイスは町の人気者ですが、高圧的な態度でしか接して来ず、こいつが死んでも何も思わないなーと思える人間で、カイアを殴ったり家を荒らしたりとコイツなんで人気者なんだ?と思わざるを得ませんでした。しかも婚約者いるという隙のなさ。
ラブストーリー7割ミステリー3割くらいのバランスなので、物語が多くは動かず、ミステリーもあっさりめという満足度はやや低めになってしまいました。裁判終了後はカイアの人生の幕が閉じる瞬間まで描くというなかなか衝撃的な終わり方に持っていったのは少し驚きました。
役者陣はとても良くて、デイジー・エドガー=ジョーンズさんは初めて見ましたが、とても美しく、自然と一体化している煌びやかさがありました。嫌なやつを演じ切ったハリス・ディキソンもお見事です。夫妻も最高に人当たりが良くて好きです。
不思議な映画でした。アメリカの小説ってこんな感じなんだなーと思いました。原作にも触れてみようと思います。
鑑賞日 11/29
鑑賞時間 16:10〜18:25
座席 G-11
価値観
ノースカロライナの湿地を舞台に起こる、ヒューマンミステリー。地元の人から「湿地の女」と呼ばれるカイヤの逮捕から、湿地で孤独に生きてきたカイヤの物語が紡がれていく。
この話の主題は「価値観」だと思う。「価値観」とは「生きる」「善悪」に象徴された我々が培ってきたものだ。法廷という「善悪」を裁く場で「生きる」ことを望んだカイヤの話が展開されることで、観客・読み手に「価値観」を通してミスリードを発生させることが出来ていた。
結末に向かうまでのストーリーとしては一貫性があった。父親の暴力によって引き裂かれた家族。孤独に生きてきた彼女の支えとなったテイト、チェイスの裏切りと暴力。
ラストで明らかになる真実は、カイヤの人生を振り返れば合点がいく。湿地で生き、自然の摂理の中で育った彼女にすれば「生きる」ための防衛反応であり、「善悪」とは我々の尺度で測られたものでしかないのだ。
振り返れば、暴力に屈しないと決めたカイヤは、ボートの音に気付き草むらに隠れ、石を握っていた。そして一度も無実は訴えていない。ただ湿地=homeに帰りたかっただけなのだ。
クライマックスでは、カイヤが「裁くのは彼ら自身よ」と陪審員への感情を弁護士に伝える。弁護士はカイヤの思いを受けて、「我々が持ってきた偏見を捨てて、事実のみで判決を下してほしい。今一人の人間としてカイヤを見るチャンスなのだ」と訴えかける。
このシーンを含めて弁護士を我々に重ねることが出来る。これまでに救うことが出来なかった彼女の言葉を自身の「価値観」で判断して弁護する。そこには、生い立ちを知った同情や目を背けた後ろめたさが渦巻く。そして、判決でやっぱりカイヤは「無実」なのだと安堵する。
今作の小説が高く評価された部分はこの「価値観」を描く上で、自然の摂理、生物の描写が細かく、クライマックスに向けてカイヤの生き方とリンクしていくところだろう。
だが映像では描き切れているとは言えない。最後にペンダントが出てきたところで、「カイヤが殺していたんだ」という驚きで終わってしまう。時間に限りがある中で、人間模様に時間を割かざるを得ず、自然の摂理を描く時間が足りなかったように思う。
今作を通して我々はあらゆる「価値観」で生きていることを思い知らされる。ミステリー要素は薄いかもしれないが、ヒューマンドラマとしては中々の見ごたえがある作品になっている。
主演のデイジー・エドガー=ジョーンズの演技は表情も豊かで素晴らしく、生物や植物のイラスト美も一見の価値はあるだろう。
ザリガニの鳴くところは自分で作るしかない
ある日ノースカロライナの湿地帯で男性の遺体が発見され、その湿地に1人で住む女性カイアが容疑者として捕えられ、彼女の生い立ちと裁判の行方が描かれていくミステリー。
テーマの1つが、自分と立場が異なる他者への理解、なのだろうけどその他者への理解がいかに不可能であるかを描いている話っぽかった。それも、結局この映画の登場人物は誰も他者への理解なんてできてなかったように見えたから。
カイアを好奇な目で見る外部の人はもちろん、カイアの味方の人達もカイアは清廉潔白という"偏見"を持っていたし、被害者のチェイスも男を知らない従順な自分だけの湿地の娘という"偏見"を持っていた。誰もカイアを真に理解していなかったのかなと思った。
それも、裁判で全く発言をしていないように、カイアって誰の方へも歩み寄ってないんよね。カイアの置かれた孤独で辛い立場も分かるけど、異なる立場どうしの迎合は対話から始まると思っていて、カイアからの歩み寄りも少しは必要だと思う。湿地におびき寄せるみたいなナレーションであったように、自分は口をつぐみながら周りの人を動かしてた。
良いイメージも悪いイメージも全ては偏見。そもそも他者への理解自体が偏見ってことか、と最後の最後で悟った(笑)
まぁでもずっと孤独で生きてきて、幸せだと思っていた家族揃っていたあの頃が、自分も暴力を経験することで初めて最初から安心出来る場所ではなかったことがわかったら、そりゃ自分で安心出来る場所を作らなきゃってなるだろうなと思った。
全145件中、61~80件目を表示