ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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湿地が美しい
予告編を観て結構なサスペンスかなーと思っていたら、 これはラブロマンスですね! 冒頭の家族が全員出ていって一人ポツンと湿地で取り残された少女の姿に、胸が苦しくなりました。 でも、あの雑貨屋さんのご夫婦やテイトに支えられながら、ささやかで幸せな生活を送っていたカイヤ。 だからテイトの行動には、オイ!!でしたね。 確かにわかるよ!!! ここで帰ってきたら物語終わっちゃうからさ!! でも、そりゃないよ!!!テイト!! 湿地はくすんだ色合いの緑や薄紫、薄い茶色で 彩られており、とても心が穏やかになる風景でした。 カイヤの本も読んでみたいですね! 終わり方も好きで、とても面白かったです。
まあまあ
まあまあ面白かった。けど、こんな美人が辺鄙なところにのけ者にされて住んでるのが意味分からん。彼女が好んであそこに住んでいるのはいいけど街の住民全員がのけ者扱いしているのがしらける。あと、真っ暗な中あんな高いところに登っていかないだろ、愛しの彼女が待っていたとしても。その辺しらける。
何通りも考えられるラスト
まず6歳の子どもを置いて自分だけ逃げた母親が許せない。カイアの幼少期のシーンが可哀想で😢...。テイトとジャンピンさんご夫妻だけが救いだ。チェイスに関しては最低の男という感想しかない。カイアに対してだけではなく、友達にも横柄な態度だったのでは?容疑者になり得る人は他にもいたかもね。ラストのあの表情は?そうだったのか!という驚きなのか、知っていたのか!かもしれないですね。
カイヤが湿地を離れなかったのは、母親が迎えに来てくれるのを待っていたからなのだろうか?
終幕近くまで真相がわからなかったので、それで、事件なの、事故なのどっち〜と思いながら観ていた。カイヤはすごい。学校にも通わず、一人でがんばって生きていた。チェイスの助けがあったとはいえ、字を覚えて、図書館の本を読破し、果ては観察眼を生かして自分で本まで出版しちゃうなんて… カイヤは母親のようにはならないと固く決心していたのかなぁと思った。暴力から逃げるだけの人生を送りたくはないと… 彼女は村のほんの一部の人たちからは協力されていたが、ほとんどの人からは差別されていた。それでもなお一人で生き続けていた。強いなぁ。彼女の人生を思うと、頭が下がる。それでよかったのだろうか? 私にはわからない。
井の中の蛙でも大海は知っとこう
親、姉妹に恵まれなかったが捨てる神あれば拾う神あり♪ 見てくれてる人はいる。 人と関わり始めると孤独を感じてしまう。だけど悪いことばかりではない。 今、人と関わることが当たり前だけどこの映画を通じて関わる人を自分で選ばなければいけないことを考えさせられた。 本当に愛した人と人生を共に生きられたことで彼女は幸せだったのか… 最後【君に読む物語】思い出したくらい泣きました!
事件の真相は初恋のなかにある!!
1969年のノースカロライナ州 静けさの中で川から飛び立つ鳥の羽ばたき 湿地帯を覆う木々の自然界。 ある日、少年2人が見つけた沼に横たわる 男性の死体。 死体はチェイスでした。 カイアにチェイス殺害の容疑がかかります。 ストーリーは、孤独と初恋を主軸に描かれています。 父親に暴力を振るわれて、家を去る母親 それに続いて次々と家を出ていくきょうだいたち。 学校に通うことが出来なかったカイア。 何かあったらザリガニの鳴くところまで 逃げろと助言を受けていたカイア。 6歳の少女が孤独を抱えながら必死で 生きていく強い生命力を感じました。 湿地帯の地面に根付いた森林。 朝霧の靄がかかる中で水面に浮かぶボートを漕ぐカイア。 羽ばたいていく雁を見て、カイアがどんな人生 だったかを考えさせられるストーリーでした。
世捨て人
世間と距離を置き、男を通じて社会での身の置き所のなさにもがく女性が描かれている。どこで生きるか、どこで死ぬかってのにとらわれると人生はぎゅっと難しくなる。ただしこの人の場合は自分が1番生きる場所を最初から知っていたので、苦しさも増すし、木と木の間の「世間」の風穴から、火の粉もふりまくってくる。 しかし、作品は引き込まれない。サスペンス風だが話を動かしているのは愚かな男のようで、サスペンスの必然性がない。女性も男も幼稚に見える。マジカルニグロもまだやっている。
映画という総合芸術の高みを堪能できる名作
封切り当時、チラシ&ポスターのビジュアルやちらほら見ていたレビュー、コメントからなんとなくホラー色を感じてしまい、迷っている間に終わってしまいました。 それでも、映画仲間の人たちにも評判がよく、中には2022ベストムービーと言う人もいたので、ようやく下北沢トリウッドで。 2/11〜すでに上映していたのに気が付かず、3/10(金)で終わるところ、週末駆け込みで。 これは、観れてよかった! ミステリー要素も映像美の要素も、普遍的な偏見や差別への警鐘も、自然(そのものも、それを体現する主人公という存在)への畏敬も全部入っていてあの完成度は凄い! ストーリーや映像から芸術への昇華のさせ方などいろんな意味で実に「ビックリ」なクオリティ。 あまりの余韻にパンフレットを求め、映画館のスタッフさんに話しかけ、帰宅途中でじっくりと読んで映画を噛みしめました。 これはもう一度、もう二度見てもまだまだ映画の深みにハマる気がしました。 また、2014年に公開された『MUD』という、、マシュー・マコノヒー主演の少し設定の似た映画を思い出しました。(当時この映画にもいたく感動しました) ちょっとエキセントリックなタイトルからは全く想像できない、こんなに美しく深層のあるドラマが描かれていたとは(墓場まで持って行く秘密はともかく)、原作にもそれを映像化したプロデューサーのR・ウィーザースプーンと制作チームにも、ただただ脱帽です。 ラストは、流れから「もしかして」と思ったらその通りでした。だからこそ、自然(とそれを体現した主人公)への畏敬がもう一つのテーマになっていると感じました。 主人公のmarsh girlは、荒ぶる自然そのものだった…ということが、映画の最後でわかるのです。 良い映画でした。語りたいです。
原作を読んでとても素敵で美しい作品だと思ったので映画も見た。 映画...
原作を読んでとても素敵で美しい作品だと思ったので映画も見た。 映画のロケ地はノースカロライナではなくルイジアナ州だそうだけど、小説を読みながら想像していた、カイアが生まれ育った湿地帯の美しい姿を映像で見られてとてもよかった。 この小説には様々な要素があって、素晴らしいミステリとしても有名だけど、貧困や差別を描いた社会派文学性もあり、親に捨てられた少女カイアが美しく聡明に成長する姿を描く成長譚でもある。 映画ではその要素が広く浅く取り入れられていて、カイアと恋人たちの恋愛シーンとミステリ要素を主軸にしている。あの濃厚な小説を2時間の映画にするために、やはりいろいろな要素が細切れにされていて、目まぐるしくいろいろな事が起こる。拘置所のサンディ・ジャスティスを映像に詰め込んでくれたのは良かった。 この小説で一番心に残ったのはカイアの成長譚としての要素で、一人の少女が差別や貧困に苦しみながらも賢明に生き、よい人達に出会いながら美しく育ち、そして秘密を残しながら去ってゆくところまでを丁寧に描いていて、それが最後に余韻となって響いていたと思う。 なのでその過程を丁寧に描いている小説のほうが最後の余韻も深く感じた。 あと自然は映像化してもその美しさは変わらないが、人物については映像化するとイメージが固定化してしまうので、文章で読んでいる方が想像力が良い方に働いて自由に読むことができ楽しく感じると思った。
原作を読みたくなる
面白かった。自然の美しさの中で育つも、人間の醜い部分の対比を見せられ、気持ちが入っていく。 小さい頃から孤立する環境に置かれ、それでも支援してくれる人がいる中で大人になり、恋や失恋を重ねていく。彼女の淡々とした演技がいい。 演出が上手いのか。 ディキンソンの存在感大きかったな。若手有望格らしく堂々とした中に繊細さが垣間見える。 ラストは原作どうなるのかな、是非読みたい。
美しい湿地帯
そこが隠すものは、生きるすべてのことだった。 寓話のような童話のような雰囲気を湛える作品でした。 テイトの部分をどう見るか。ということは、ミステリーをどう捉えるかによって少し評価は分かれるのかも知れないけど、法廷部分は厚めに表現してるので、この作品にミステリーをそこまで求めてない私にはこれで十分だった。 欲を言うなら、幼少期の描き方がもう少し欲しかったところです。それでも、とても好きな作品となりました。是非デレクターズカットを観てカイアの世界にまた浸りたい。
沼地とドラマ
IMdbが7.1。 RottenTomatoesが34%と96%。 批評家評が異常に低かったが、なにが悪いのか解らなかった。 なにが悪いのか解らなかっただけでなく、RottenTomatoesの批評家がどんなことをダメだと言っているのか想像がつかなかった。 なので批評家の言い分を興味をもって読んだ。 ①メロドラマ②原作にくらべて浅い③脚本がよくない──という三つの主張が多かった。が、いずれにしても34%は低すぎて納得できなかった。 そこであっちの批評家評の低さを考察してみた。 おそらく②のことは大きいだろう。 Delia OwensのWhere the Crawdads Singはあっちで1,500万部売れたベストセラーだそうだ。すごく売れた本の映画化なので、精度の高い変換値が要求された結果、拒絶されてしまった感じ。日本で例えるならアニメの実写化で引き起こされたアニメファンの悲鳴のようなもの。ソースが愛されているばあい、総じてソースの愛好者から嫌われる。 また批評家の言説を読み解いていくと原作のWhere the Crawdads Singはもっと性的で禍々しいミステリーを提供していたようだ。marshという環境も含め、もっと沼地と血汗の匂い立つ気配が小説にはあった。(のではなかろうか。)それが綺麗な画に収まってしまったことへの不満が多く、インスタ的(映え狙い)という声も幾つかあった。 ②と③は連鎖して、脚本家Lucy Alibarも槍玉にあげられ、何人かがto kill a mockingbird(アラバマ物語)、テネシーウィリアムズ、ニコラススパークスを引き合いにして、それらに比べて浅いと述べていた。 さらに多数の批評家がこれをメロドラマだと指摘しているがメロドラマの定義がアメリカとこちらではちがうので①の指摘がまるでピンとこなかった。 われわれ日本人がメロドラマを感じるのは(たとえば)おしんや渡る世間は鬼ばかりや昼ドラ。演歌のように悲哀を背負って泥臭く辛苦がするのがメロドラマ。対してアメリカではなんらかの障害によって結ばれない恋愛話をメロドラマと言うようだ。ウィキペディアの「メロドラマ」に代表的なメロドラマ映画として嵐が丘風と共に去りぬブロークバックマウンテン逢びき哀愁フィラデルフィアマディソン郡の橋若草の頃私の秘密の花悲しみは空の彼方に、などが挙がっていた。 たしかに尽くしてくれた善人テイトと結ばれず金持ちのぼんぼんで女たらしのチェイスと結ばれてしまうのはメロドラマ的だった。最愛の人がいるのに茨の道をいく──そういうのをメロドラマと言うようだ。 ただしRottenTomatoesの批評家の中には絶賛している人もいた。 以前からRottenTomatoesのトマトメーターに思うことだが、批評家にはひねくれた奴が多い。日本もそうだから驚きはしないが、これが34%ってそりゃねえわ。原作と比べてどうのこうのあるにしても、とりあえず演出技量で測っていいとしたら、本作の演出は手堅いし、撮影も良かった。評点が半分以下というのはあり得ない。 (ただしこれはミステリーというよりファンタジーだった。そこに焦慮している意見が多かった──のは感じた。) デイジーエドガージョーンズはダコタジョンソンに似ていた。それにともなってぜんぜんちがう話/映画なんだがピーナッツバターファルコンを思わせた。個人的にはそれくらいいい映画だった。 ところで他の人のレビューにもあったのだが、映画のセールストークが本作の価値を貶めているという指摘があった。 どういうことかというとトレーラのキャッチコピーに「最後まで推理が止まらない」とか「結末は正真正銘の衝撃」とかの文言があり、それらを期待して見るとフーダニット映画じゃないから肩すかしを食らうということ。 そのとおりだと思う。 これは謂わばbayouのムードをたのしむ映画であり、カイヤがチェイスをやったんかやってないんかということはどうでもよかった。 カイヤは悲劇的な境遇を背負っているが、攻撃性向のある女でもあるだろう。過酷な家庭環境を生き延びる過程で、相手をやっつける狡賢さも学んだにちがいない。 ただしその非情や心理や推理や衝撃をOlivia Newman監督は、翻案の最前線にポジションさせていない。 沼地の自然で育った少女が人間社会と出会うという話。 だから謎解きというよりピーナッツバターファルコンに近いっていうわたしの感想にご同意いただける方もきっといるにちがいない。
ザリガニって英語でcrawdadって言うんだね
この直前に観た「ザ・メニュー」が完全に期待はずれだったからか思っていた以上にこっちに持っていかれた感あり。 本格ミステリーでも刑事が出てくるわけではない、ただとにかく静かに沼にて暮らす少女の生活を覗いていくうえて謎が一枚一枚めくられていく感覚。 でも最後には覚悟を決めて絆創膏を一気に剥がしちゃう潔さもあり。忘れた頃に原作読みたいな。
多様性のひとつの形
この物語のバックボーンはタイトルに象徴される湿地帯の自然である。主人公はそこで家族から取り残され一人孤独に、しかし自力で生きていく。やがて、若い男の遺体が発見され、「湿地の女」として蔑まれてきた主人公が犯人とされる。主人公が弁護士にその来歴を語る形で物語は展開し、観客は主人公に感情移入しながら、主人公の生をともに生きていく。テイトとやり取りする鳥の羽や主人公の描く昆虫たちの細密画なども含め、豊かな水の自然は繊細で十分にエモーショナルであり、観客の共感を引き出す。だから私たちは結末を穏やかな気持ちで受け入れることができる。 昨今流行りのダイバーシティという言葉がある。多様性を意味するこの言葉は「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)というように肯定的なものとして捉えられがちである。しかし、生物の多様性という概念は人間だけでなく自然、ひいては地球環境全体を指すべきものであるし、善や悪という概念を超えたものである。湿地帯の自然とともに生きた主人公は人間の矮小さ、邪悪な性質を退け、観るものにカタルシスと癒しをもたらすのだ。
湿地は全てを飲み込む
ノースカロライナに広がる湿地で1人の青年が死体で見つかった。 容疑をかけられたのはこの湿地で1人生き抜いてきた少女。 裁判を通して明かされる少女の人生と湿地の絆と事件の真相に心が動かされた。 本作は何と言っても画面いっぱいに広がる湿地の美しさ、自然の隅々まで細かく描く繊細さで自分が湿地に存在するかのように圧倒的没入感が凄まじかった。 自然描写だけでなく、人と人との温かい交流、線が引かれる緊張感のあるやり取り、複雑な人間の関わりが本作にドラマ性を加え、事件に引きつけられるミステリー要素もあり、見入ってしまった。 カイアのロマンス、神秘性、ミステリアスの要素が複雑に絡み合い、観た者がずっと考え込んでしまうほど魅力に溢れていた。 湿地は観た者の感情さえも全てを飲み込んだ。
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