ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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広大なる湿地帯での、生の連環
原作はディーリア・オーウェンズの同名小説。
【ストーリー】
1969年、ノースカロライナ州。
湿地帯の物見やぐらの足元で、チェイス・アンドリュースの墜死体が発見される。
物見やぐらは足場の一部が外されており、保安官たちはそこから落下したと判断する。
チェイスは田舎町の上流階級に属する男で、彼と交流があり、殺害の動機もあるキャサリン・クラーク、通称「湿地の娘」が容疑者としてあげられる。
この片田舎の町に溶け込めず異物としてあつかわれてきたキャサリン。
彼女が幼いころ、飲んだくれのろくでなしの父親から絶え間ないDVを受け、母は去り兄もついて出ていった。
やがて父もその姿を消し、彼女は広大なる湿地のあばら屋で、たった一人で生きてきた。
収入は採取したムール貝を売る事で得ていた。
店を営むジャンピンとメイベル夫妻は情にあつく、幼い頃から裸足で貝を売りにくるキャサリンを、事ごと世話してやっていた。
思春期が訪れて美しく成長したキャサリンのところに、兄の友人のテイト・ウォーカーが訪問するようになる。
優柔不断だが優しいテイトは、彼女に読み書きを教える。
勉強が楽しくなり、生物のスケッチをためている彼女の成果を、テイトは出版社へと送る。
「詳細なスケッチに、見入ってしまいました」
好意的な返事があり、出版に前向きになるキャサリン。
だがテイトも、再会の約束を守らず、彼女の前から姿を消す。
孤独をもてあますキャサリンの前に現れたのが、傲慢さを隠しもしないチェイスだった。
とまどいながらチェイスと深い仲になるキャサリン。
だがチェイスには婚約者がいた。
それを知ったキャサリンがチェイスを避けると、チェイスはその横暴な本性をあらわす。
あわやのところで反撃して逃げたものの、チェイスに家を荒らされ、キャサリンは怯えて暮らすようになる。
町に戻ったテイトがキャサリンの身を案じるも、彼女はテイトを寄せ付けようとしない。
——そして、チェイスが物見台から謎の墜死を遂げる。
果たしてこれは殺人なのか事故なのか。
すべての情報が詳らかになり、評決の時がおとずれる。
舟でしか移動できないような、ノースカロライナ大湿地を舞台に、一人の女性が歩んできた人生がえがかれます。
美しい自然の中で、身を切られるような孤独と辛さ悲しさを描きつつ、生命に対する賛歌となっております。
それにしても主演のデイジー・エドガー=ジョーンズ、美しい。
大自然に負けず美しくて、彼女がいるだけで、風景を一葉の絵にしております。
アイテム面でも、貝のペンダントの使い方、巧かったなあ。
アメリカ南部の湿地帯という珍しい舞台の、抒情あふれるミステリ。
湿地の特異なる生態も楽しみつつ、じっくりと味わえる作品ですよ。
少しハードなファンタジー?
野性少女の出会った湿地帯の自然とバイオレンス男たち
本作は、米国南部の湿地帯で親の監護も教育もろくに受けないまま成長した少女の一代記でである。エピソードとしては彼女が巻き込まれた殺人事件の公判の行方が中心のようだが、それは添え物で、主に彼女の付き合ってきた2つのもの、バイオレンス男たちと湿地帯の自然との関わりを描いている。
バイオレンス男たちとは、第一に父親、第二に強引に言い寄ってきて彼女を弄んだ若い男性である。この描写に映画はかなりの比重を割いていて、彼らが母親や子供たちをいかに虐待し家族を離散に追い込んだか、婚約者がいるにも拘わらず結婚を匂わせて、いかに性欲のはけ口としたかを延々と描いている。
これは原作者の境遇に近いものがあったせいかもしれないが、別にそこに特殊なものがあるわけではないから、実は映画としては結構退屈させられる。
それより学校に行かなかった彼女に文字を教え、独学の方法を身につけさせ男のおかげで、やがて彼女が自然観察の書籍を何冊も刊行できる教養を身につけていく過程の方が遥かに面白い。
その根底にあるのは湿地帯での、水と魚や貝、鳥たちに囲まれた生活、ムール貝を採って売っては生活費を捻出するという生活、移動は常にボートで行う興味深い風景である。
その2つの中で彼女を弄んだバイオレンス男が死亡したことから彼女に嫌疑がかけられ、公判で真相が追及されるという展開だが、検察側は馬鹿げた状況証拠しか提示できないし、特に意外な事実が出てきたり、証拠がひっくり返ったり…という緊迫したものもなく、さほど惹きつけられはしない。
映画の最後になって、ようやく一つの事実が明らかになってサスペンス風味を添えていて面白い。これはまあ、オマケみたいなものだろうw
文芸エロス調で撮るべき素材。
丁寧に
タイトルに興味がなく見なかったが驚く程に良かった!
湿地の自然豊かな情景とミステリーが静かに溶け込む作品
独女カマキリ
理不尽な暴力を受け続けてきた者が、それを法によらずに強制排除することは自然の摂理にかなっているのではないか。この映画ならびに動物学者ディーリア・オーエンズがしたためた“湿地”ベストセラーミステリーが掲げたテーマは見た目以上に重く、ややもすると戦争や革命を助長する危険な思想といえなくもないのである。ゆえに本作に対する体制擁護の立場をつらぬく評論家たちの評価は例によって一様に芳しくない。
戦地から戻ってきたPTSD父さんのドメバイのせいで一家が離散してしまい、人里離れた湿地に一人取り残されたカイヤ(デイジー・エドガー=ジョーンズ)。やがてそのドメバイ父親も死に、学校にも通わず孤独な生活を強いられてきたカイヤだったが、沼で偶然知り合った同じ年頃の青年テイトと意気投合、将来を約束した2人だったが...
この後テイトに捨てられたと思ったカイヤは、町でみかけた青年チェイスと知り合うのだが、これが父親とおんなじとんでもないドメバイ男。ある日、チェイスの死体が湿地の家付近で発見されたために、チェイスと付き合っていたカイヤに容疑がかけられてしまう。映画はチェイス事件の法廷劇に、事件にいたるカイヤのボッチ物語がカットバックされる構成になっている。
動物観察の才能を持つカイヤが劇中こんなことを述べるのだ。「カマキリのメスは2つの目的のためオスに誘いにかける。ひとつは生殖のため、ひとつはオスを食べるため。自然に善悪の区別はないわ」と。原作小説には、オスを補食するために光るホタルのメスの話もしつこく登場するらしく、自分の身を守るための暴力を肯定するような発言が、やたらと目につく映画ないし小説なのである。
それもそのはず、原作者ディーリア・オーエンズの夫は、自然保護の立場から移住先のアフリカで密猟者を容赦なく撃ち殺していたらしく、ザンビア政府からも出頭を求められているのだそう。力ではかなわない相手に暴力を振るわれ続けてきた時は、周囲が何も助けてくれない以上、暴力に訴えるしかないではないか。そもそも自然とはそういう摂理で成り立っているのだから、カイヤがおかした◯◯は正当防衛として許されて当然だ、と。
しかしこの考えを容認してしまうと、ロシアのウクライナ侵行や無差別テロ、エコテロリズムも正当防衛で一様に片付けられてしまうおそれもあるわけで、世の中がマッドマックスのようなカオス状態に陥ることを世の支配者層は最もおそれているのである。それ故、現代の御用哲学者連中は今更“スピノザ”の道徳論なんぞを持ち出したりするのだが、むしろその(自然界には存在しない)道徳心自体が差別や格差、疎外を生んでいる気がするのである。
自然の中で育ったカイヤが、父親やBFの暴力や、地元住民の疎外から逃れるためには、ザリガニの鳴くところ=人間界の道徳ルールが及ばない場所に逃げ込むしか無かったのがいい証拠である。それは、この世界のシステム自体が自然のメカニズムに反して作られているからではないのだろうか。ディーリア・オーエンズが投げ掛ける命題は、平和になれすぎた私たちに重苦しくのしかかるのである。
比較的キレイなサスペンス映画。
映画館で見なかったことを後悔しました。
なんでこんなに
"すへては自然の摂理のなかで"
異質なものを疎外する人間の性。
いやーな映画。描かれる父や恋人のクソな所業がとにかく許せなくて、映画のこととは思えないほどに腹立たしい。報道されることは氷山の一角で、いまだに至る所でこのようなことが起こっていることに嫌気がさす。
だからこそ、裁判後に訪れる穏やかで幸せな時間がとても沁みる。かつて話題になった某洗剤のCMでもあったのような老夫婦像。
そして、大ラスの展開はやっぱりといった感じで、してやったり。
この数年で観た映画で最高傑作!
湿地の自然が美しい
ザリガニは鳴かないそうです
けど、ワタシが泣けるわー
一人でも立派に生きていってくれー
けど風呂入ってんのか?女のコやしな。
心配や。
ええ彼氏できたやん。
次の彼氏は顔つきからしてクズ男やけど
それでええのかー?
前の彼氏とヨリ戻ってよかったやん
あーずっと寄り添って行くんやね
あー最期は幸せ満載で逝くんやね
完全に感情移入して
涙腺爆発のエンディング
で、真相はコレ?!
ミステリーならではの快感です。
80点
4
TOHOシネマズ日比谷 20221130
パンフ購入
やったー月間10本 新記録
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