ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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蛍のくだりが尊すぎる
現実にありそうな現実離れした世界
平穏な沼で平穏でない人生
ヒロインの生い立ちと自然の美しさに飲まれて、判断を誤りそうになりますが、冷静に考えれば、アウトです
ヒトには取り返しのつく過ちとつかない過ちがある
殺人は取り返しのつかない過ちです
彼女は湿地の家に放置され、学校教育も受けていない
だから、やはり歪な精神構造になったんでしょう
小中学校で団体生活は、社会生活を学ぶのにとても大事な事です
これを学ばなかった彼女には、社会を守るために必要十分な精神が欠落している
みためは普通でもね
だから、多分、自分を害する者を排除する事には、罪を意識は芽生えなかった
なので平穏に一生を過ごせたんでしょう
その事は、とても悲しい事です
裁判のシーンはアメリカ映画ではよくある結末です
一般人の陪審員が判断するのですから、情に訴えかけたり、大げさにミスを突いて印象づけたり、論点を逸らせたり
弁護士のテクニックが冴えわたりました
状況証拠だけの検察側の完全敗北でした
アメリカらしいですね
昔、有名プロスポーツ選手が大金を積んで有能な弁護士をたくさん雇って、妻殺しを無罪にしてしまったのを思い出しました
時代が時代だけに思ったんですが、とてもいい人として描かれていた雑貨屋さん
なんで、子供を引き取ってやらなかったのかなあ
ぜんぜん、いい人ちゃうやんって思ってみたり
そして、なにより妻に先立たれた年老いた旦那の気持ちに同情します
ずっと欺かれていたんですからね
気にする人は気にすると思いますよ
こういう事は墓場まで持っていくのが普通です
なんで、バラすような物を残すんですか?
罪の意識があったから?
いや、違うでしょう
「弱いものが、強いものを・・・」
なんて、もう告白ですやん
誰かに発見して貰いたかったんですよ
自慢したかったのかも
ね、酷い女
酷い物語ですよ
世界的にヒットした原作だし、日本でも翻訳部門で本屋大賞をとっていますが、
これは、ムードに流されてはいけない話です
人は自然の一欠片の生き物。良くも悪くもなくただ生き抜くためにはなんだってやるのだ。
アメリカの片田舎。どう考えてもこの湿地帯に住もうという気は起きない。でもどんな所にだって優れたところはある。例えば生物好きにとっては幸せが手のひらいっぱい、いやそれ以上の幸福感に浸れる最高の場所だったりする。そんな土地に6歳からひとりぼっちで暮らす女の一生をミステリー仕立てにした映画なのだ。孤独はいいが孤立はよくない。身心を蝕む。それが最大の理由であるのは間違いなさそうだ。この映画を最後まで観ればわかるように作られているから…。人は生きていればどんどん汚れていく。汚れるのが嫌なのであれば死ぬしかない。しかしまあ、呆れるほどに汚れていくことを自覚できない人もいる。よくあるパターンだ。最悪の状況になった時、それは他人の所為だと大声で叫ぶ人。
自然には善悪はない。ただ生き抜く為の当たり前の行為をしているだけ。これほど恐ろしさを感じたセリフはなかった。
【大傑作】緊迫感溢れる社会派サスペンス。
3時間くらいに感じた。
虐待親父から一家離散…
子ども一人であんな所で生き抜いてってちょっと酷すぎる
母親が去り、兄弟も去り、果ては離散の元であった父親まで消えるとは、無責任極まりない。
父親は国の為に戦っていたのだろうか?軍に居たことを言っているシーンもあったので、戦闘のPTSDから酒と狂っていったのかもしれないが…。
近所の雑貨店の黒人夫婦だけがまともな社会との繋がりだったのが泣けてくる。
テイトがお似合いの仲だったのにチャラ男のチェイスが案の定出張ってきて、カイヤが弄ばれるのは居たたまれない。
チャラ男チェイスの死によって、容疑者にされたカイヤを救うミルトン弁護士が陪審員の判断を動かせるかひや冷やしたけど、殺した証拠もなくよく思い込みだけで容疑者にするとか差別やよそ者扱いって恐ろしい。
作品としては謎解きではなく湿地の娘であったカイヤの一生を紐解いて語っていく内容で、チェイスが何故死んだか?については明かされない。
景色も綺麗だし、主演も美人で良いのだが、放置されていたカイヤが身綺麗な姿だったのはジャンピンの夫妻が色々教えたのだろうか?
法と道理
60年代70年代のアメリカ田舎町で、父親の暴力に縛られる家族がある日崩壊して、ひとり取り残される少女カイア。そんなカイアがいかにして人間の尊厳を失わずに生き延びていけるのか。カイアにとっては自然が唯一の救いであり、その中で生きていくことが幸福なのだけれど、人との交わりもまた人間として求めざるをえないことの一つなのでしょう。
いくら不条理を訴えても、道理を求めても、受け入れてもらえないと悟ったカイアは、決して人に媚びず、自分の生きるべき道を突き進む姿は、賞賛に値すると思う。
彼女の描く自然界の生き物たちの絵と、孤独ながらもその生活を楽しんでいるノースカロライナの広大な沼地の美しさ、そして音楽の魅力も加わり、あっという間に見終わってしまった。
星4つにしたのは、最初の恋人がなぜ約束通り戻って来れなかったのかの説明が、今一つクリアーではなかったことでマイナスにさせていただきました。そもそも彼が約束通り戻ってきていたら、映画のストーリー展開はないはずなので、このきっかけをしっかり描いて欲しかったかな…
ここのところ納得のいかない映画を何本か見た後なので、この映画はすんなり納得できて、楽しめたと思います。
えつ?そういうお話なんだ!消化不良の木綿のハンカチーフとガンダーラ。
いつも女装映画鑑賞でご迷惑をおかけしてる名画座での『秘密の森の、その向こう』と同時上映だった本作。スケジュールの都合で鑑賞できなかったんですよ。
頃合いを見計らって、いつか観てレビューを書きたいと思っていた作品でした。遅れに遅れやっと鑑賞したです。アマプラ配信の19インチのモニタでですが。
この馬鹿めは、本作ってジブリテイストの、ハートウォーミング物が始まると思ったんですよね。これが。
なのに、いきなりDVかよ!こんなの知ってるジブリジャナイ!
カイアを可哀そうに思い観続けていると、今度は第一級殺人を巡っての法廷かよ!どんだけ波乱万丈の人生やねん!
アマプラの作品ジャンルを見れば、確かに“サスペンス”の文字が。
そしてテイト、オマエなんやねん!って思いましたね。砂浜で彼を一晩中待っていたカイアが不憫で不憫で泣けましたよ。
「変わってく僕を許して。毎日愉快に過ごす街角、僕は帰れない」ってかよ!
木綿のハンカチーフじゃなくて、贈ったのは赤い毛糸の帽子かよ!そんなんで涙拭かれへん!粘膜痛いし!
その上それが裁判の物的証拠になってるし!
「躓くと、いつも湿地に救われた」と言うカイアにとっての“そこ”って彼女の人生と希望そのものだと思ったの。
『ザリガニの鳴くところ』は、カイアにとってのガンダーラなのかなー…と思えてきて。「そこに行けばどんな夢も叶うと言うよ」「どこかにあるユートピア、どうしたら行けるのだろう、教えてほしい」そして僕は学校に行きたくなくなる…(なにそれ?上手く表現できません。どうかニュアンスを汲み取ってやってください)
物語終盤に入ってから、出版社の社長との会食でケイト自身が雄弁に語った
「自然には善悪はないのかも。全てが生きるため。懸命なの」そのまんまに思ったの。うん、こっちの方が、ガンダーラ云々よりもしっくりくるです。
懸命に生きるカイアを弄んだチェイス許すまじ!死んで当然のクズだよ!
そしてミルトン弁護士グッジョブ(๑•̀ㅂ•́)و✧
ただね…この映画、困ったことに“ラブシーンが”濃くて生々しくて多いの。お茶の間では観られないよね!←いつ時代の話よ!
そしてね…投げっぱなしにされたのはチェイスの死因。事故だったのか、事件だったのかが結局?のままでした。
もしかすると、テイトやったんかなー…とも思っていたんですが。真相や如何に?それがかなり消化不良を起こしてしまいました。
えっ!そういうを明らかにするお話じゃなかったんだ!
でも、ラストのラストで、カイアの本から、例の“貝のネックレス”出てきましたよね。あれって…もしや…?このあたりがサスペンスの醍醐味だったのかな?
「全てが生きるため、懸命なの」なのかね?「そして時には、弱者が強者を葬ることも」なのかね?いやいや、そういう展開はなかったことにしておきましょうよ。
そっと、ずっと封印しておいた方がよいってこともあるんだよ。
何にせよ、疎まれ蔑まされて生き続けてきた彼女の幸せな最期を看取ることができて、本当嬉しかったです。
やっとガンダーラに行けたんだね。←だから!
今回ね、ちょっと体調のすぐれない中、命を削って文字を綴りました。←誇大表現にもほどがあるJARO案件
いえ、マジで!とうとう朝方に倒れて救急車のお世話になっちゃったの。健康って大事。
なので、こんな消化不良なレビューになってしまいました。
まぁ、いいじゃないですか。たまにはこのくらいあっさりしていても。
本当に愛したただ一人の人
ザリガニの鳴くところ…はどこ
小説は未読。
ピュアなカイヤ
幼少期の子役の子が切なくて
…切なくて。(名演技)
この子の演技だけても評価があがる
逞しく成長したカイヤが
湿地の妖精のような美しさ
湿地の沼地の風景もまた美しい~
と思いながら。カイヤが…
いつの間にか殺人事件の容疑者に。
…どうして…?
ここから…
裁判がはじまり
カイヤの行動が分かってくる
カイヤは死刑か無罪かの判決を望んでいて
司法取引は望まない…何故
不思議に思った
…湿地の娘と悪い噂とデマや思い込み
でカイヤを悪者にする
それを逆手に取って裁判は勝訴した
カイヤにとっては父親の暴力と
チェイスのDVは
死と等しいのかもと思った
裁判が終わって
大好きなテイトと結婚して
好きな生き物たちに囲まれた生活
楽しく♡幸せに暮らすことが出来た
カイヤには・・
…テイトが
心の拠り所だったのかも知れない
ザリガニの鳴くところは….
サスペンスもあったけど
…湿地の美しさとカイヤの画く絵が素敵で
どちらかと言うと二人の会話が楽しかった
…カイヤとテイトのラブstoryですね
作品との出会い方が評価をわける。
原作ファンですが映画化されていたことも昨年日本公開されていたことも知りませんでした。
あまり宣伝されてなかったのか単にアンテナが低かったからなのか。
原作はジャンルを特定するのも難しい独創的な魅力溢れる作品なのに、映画の予告を観たらサスペンス色が強い期待を抱かせる。
あんな煽り方されたらそりゃラストも想像できちゃうし、衝撃?っていわれても、という気持ちもわかる。
映画はカイヤ役のイメージも原作の良さも損なわず、短い尺ながら粛々と湿地と少女の関わりや成長を主軸に据えた作品に仕上がってると思ったけど、あの予告はないわ。
配給会社としてはサスペンスに寄せた方が興収見込めるとの判断だったのかもしれない。
しらんけど。
カイアという人物
見て良かったと思える作品。
一人の人間の強さと美しさと健気さ、その他たくさんの要素が交錯しているようにいろんなものが感じられる。
この作品のプロットは秀逸で、冒頭のチェイスの死体発見という事件そのものが、この作品のすべての要素とつながっている。
この事件があった所為で、主人公カイアが殺人容疑で逮捕され、弁護士の質問によって彼女の半生が語られる。
彼女の置かれた環境と生き方
否応なしではあるが、自然と共に生きる生き方を探すこともできるかもしれないと思った。
その反面、暴力と支配というものがどんなものなのかを父親によって知ることができる。
最初に家を出たのが母だったことは、幼いカイアにとっても人生最大の辛い出来事だったように思う。
その母の代わりになったのがこの湿地帯という自然だったのかもしれない。
時折届いた母からの手紙は、カイアの心のよりどころとなっていた。
カイアは母の家出を父の所為だとわかっており、巣立ちの逆のようなものと捉えていたのかもしれない。
幼いカイアの心の傷は間違いなくあっただろう。
しかし生き抜いていくにつれ、その感情に変化が現れていったのも事実だろう。
カイアは家出した母を通して人の心と変化いうものを感じていたように思う。
そしてたった一人になったとしても、やはり出会いというものはある。
テイト
彼との出会いはカイアにとっての喜びであり、生きる力でもあった。
彼からプロポーズされた時「もうしている。私たちはガンのつがいと同じ」と答えているが、その例えの真意は一般的な人間とはやはり少し違っているように思った。
二人は最後まで一緒だった。
にもかかわらず、自身の寿命を感じたカイアは最後にボートに乗って湿地帯を進む。
そこに感じたのはやはり母だった。
このシーンは感動的でありつつ多彩な思いが溢れてくる。
カイアはこの湿地帯で生まれ、様々な出来事があったにもかからわず最後までこの場所を出ることはなかった。
母に対する想いは複雑だったが、カイアは母の想いと家出を受け入れたはずだ。
カイアは自分自身の人生を生き抜くことを誓っていたように思う。
それが湿地帯を離れない理由でもあるが、同時に暴力と支配という彼女にとって決して許すことのできないものがこの人間社会に存在していることで、湿地帯から出たくない理由にもなっていたのだろう。
カイアが妊娠しなかった理由は、この狭間に生きる厳しさを自分自身で終了させたかったからだったと思った。
白人世界にあるカースト制
その最下層にいるホワイトトレッシュ カイア
ムール貝を卸していた雑貨屋の優しい人たちがいる一方、その外は差別社会の塊だった。
すぐに学校に行かなくなっても、カイアには湿地帯という母なる大地があった。
外から見ればカイアは隠れるように生きている。
しかし、実際彼女は自然から様々なことを学びながら生きていた。
それそのものはカイアにとっての最善でしかなく、選択の余地などない。
カイアにとって自分の子供を外の世界で生活させるビジョンなどなく、逆に湿地帯での生活が子供にとっての豊かさであるとは言い切れなかったのだろう。
カイアにとって、湿地帯と一体となって母を感じることが生きる精一杯だったのだろう。
そこに寄り添ってくれた夫のテイトがいれば、カイアにとって何一つ足りないものなどない。
子どもがいると、心配にしかならない。返って自分の罪深さになるのだえろう。
さて、
この物語を見ている誰もがカイアの幸せを願うだろう。
ボートの上で彼女が息を引き取るシーンに涙が隠せなくなる。
私たちはカイアの外の人間だ。
彼女の過去や生き方を見て、そこに共感する。
しかし作家は、「あなた方は物事の表面しか見ていない」と宣言したのだろう。
カイアという人物
彼女の想いの強さ
そこに隠されたこの社会への反感
チェイスに対して言った言葉「父のような男たち」
嘘 裏切り 暴力と支配 お金
カイアにとってこの自然こそが法則であって、法律やこの社会の善悪など一切合切意に介さないのだろう。
「そんなこと」よりもっと大きいことが、彼女自身の「想い」
お金で買ったペンダントではなく、心を動かされた貝殻で作ったペンダント
そこにあった「想い」
その想いが踏みつぶされたことこそ、カイアにとって重要なことだった。
このペンダントはチェイスへのプレゼントだったが、今はもうそのペンダントをチェイスが持っていてはならない。
テイトにさえ言わなかったこと。
おそらくいう必要もなかったこと。
それは過去であり今ではないし、カイアにとってすでに解決したこと。
テイトは、カイアのその核心に寄り添いながらも最後まで理解できなかったことでもある。
おそらくそれをカイアはずっと前から知っていた。
このことは、子供が生まれれば確実に考え方の違いとなって表れる。
生き方というのは、死に方でもあるのだろうか?
彼女の死に方は、すべてを包括していながらも、自分自身の枠を超えないようにしていたようでもある。
折り合いをつける。
これこそカイアが自然体でいられた秘訣だったのかもしれない。
「ザリガニが鳴くところ」
このタイトル
テイトがカイアに言った言葉
彼女の住むべき場所
それは、彼女にしか聞こえない言葉や自然現象だろうか?
彼女にしかわからないことがあることを、テイトが理解していたとも取れる。
そしてそれをカイアが感じ取ったことで、つがいになることを予感したのだろうか?
その後いったん別れが訪れるが、カイアには彼のその言葉がずっと頭の隅にあったのだろう。
紆余曲折してその言葉がカイアにとって真実だったことを感じた。
彼女にしかわからないこと
それこそ、チェイスの死体の謎で、カイアの心の核心の謎だったのかもしれない。
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