エゴイストのレビュー・感想・評価
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ゲイです。彼氏と観に行きました。
ゲイ当事者です。
彼氏と日比谷で鑑賞しました。
鑑賞し終わって、正直…
『???』と、彼氏と話し合いながら帰宅しました。
なぜなら、
まるで、過去の自分達を観ているようで、
『あ、なんか、懐かしい!』気分になっただけでした。
冒頭に、
『彼氏と婚姻届けを書いて壁に飾る!』
みたいな台詞があったのですが、
見終わって、
『そうか!俺らゲイは好きな人と結婚は出来ない。もし、異性愛者同様、好きな人と結婚ができたら、相手の両親の面倒を見たり、寄り添ったりはするだろうな。でも、結婚を結ばなくても、やれそうだよね!』
と思っただけで、
特に何かメッセージがあるようには思えませんでした。
性描写は見慣れているから、
『他の観客の方々、大丈夫かな?』と
心配になりました。
しかし、
そもそも、俺らも男女の絡みなど、
見たくないコンテンツが
小さい時から街に溢れていました。
大人になるにつれて慣れたから、
今となっては何とも思わない。
だから、
『皆さん、慣れてくださーい!』と思いました(笑)
一箇所、非常に共感できるシーンがありました。
彼氏と帰宅しながら、
『あのシーンは、共感できるね!確かに、あーやってスマホをいじって、追いかけた経験はあったね!』と…
ストーカー(=自己都合)
あっ!だから、エゴイスト??
と、笑い合いながら帰宅しました。
『なぜ、エゴイスト?』
無理矢理、タイトルの意味を見つけ出す会話をしていました。
ゲイのお友達が見当たらない方々に観て欲しい作品です。だから、期待を込めて『星5』
愛もエゴイズムも括ることはできないの
総じて愛と言ってしまおうか。しかしながら愛とはと問われたら私は答えられない。物事をどう受け止めるか、どんな見方をするかで愛もエゴイズムの意味も変わるだろう。
この映画は単なるゲイの物語ではない。事実を元にした物語であるようだが、ゲイの2人が紡ぎ出す物語である事でこの題の意味や感じ方がゲイでない自分には余計に引き立ちそれぞれの心情を身近に感じられた気がする。所々で感情が溢れて泣けた。
ベッドの上の龍太の母親のまだ居て欲しいと言った言葉が印象的だった。
愛を愛として伝えることの難しさを感じた。それは簡単で困難である。
余談だが、セクシャルマイノリティを少しは理解していると思っていた自分が情けない。同じ、だと。自分の世界とは何も違わない人間同士の繋がり。思い知らされた。(それでも理解には程遠いのだろう)
映画から感じそこから少しでも新しい感覚知識を得られるって、映画って本当に素晴らしい。
冒頭のシーンから鈴木亮平の演技の自然さ上手さと役作りに驚かされた。
おすすめ映画。
文句なしの星5!
久しぶりに映画のパンフレットを鑑賞後に買った。そのくらい、もっとこの映画について知りたくなり、制作陣の想いを読みたくなった。
原作の高山真さん。すでにお亡くなりになっていて、この映画をご本人が鑑賞することは叶わなかったのがとても残念。
間違いなく、日本の映画にとって新たな素晴らしい作品が生まれたと思う。
多くの方がレビューされているが、これがクィア映画であるということは予告を見ればわかるのだが、私自身はあまりそこに捕らわれずに、ただただとあるカップルのお話という感じだった。
今まで様々なクィア映画を観たが、だいたいセクシャルマイノリティであるが為に、生きることが大変だとか、つらい目にあっているだとか、まぁ、なんだかんだあるのですが、本作の二人は自分たちがセクシャルマイノリティであるが為に、日常で窮屈な思いをしているようには描かれていないことが一つの大きな違いだと感じた。
鈴木亮平さん演じる浩輔は、まさに成功者。
(今の世で言う)高層マンションの最上階にすんで、ファッション雑誌の編集のお仕事をバリバリこなして、気のおけない友達もいて、楽しそう。
宮沢氷魚さん演じる龍太は、体の弱い母親を支えるために高校中退。まさに現代の社会問題にあるヤングケアラーとして、生きて来ているが、パーソナルトレーナーとしての夢を持ち、いつかはそれだけで食べていけるようになりたいと前向きで、とても爽やかな青年。
そんな二人が出会い、恋に落ちる。
前半は二人の絡み合うシーンがしっかりと描かれ、燃え上がる恋人同士ならではの、求め合う姿がとても丁寧に演じられている。
絶好調な二人に見えたのに、突然のお別れ宣言by龍太に、ビックリ驚いたが、理由はまた切ない、、、生活費のためにウリやってます。
そんなこと言われた浩輔は考えて考えて、結果、二人でできることを精一杯やりたいと伝え、龍太はその提案を受け入れる。好きなら別れない方法を考えればいいということね。
(まぁ、その方法には賛否両論あるやろけども)
龍太の母親にも会いに行き、3人で和やかな時間を過ごす。
((このあたりから、あと半分どんなドラマがあるんかな〜とチラリ時計確認した))
後半、ガラリと話のメインが恋人同士の話から家族へと変わる。
浩輔も龍太も"14歳"という年齢が大きな人生のターニングポイントとなっていた。
浩輔は、亡くなった母親へ募る想いがあっただろうし、だからこそ龍太の母へできる限りの事をしたかったのだと思う。
エゴイストと表現された愛の形ではあるけれど、相手のためにしてあげたい純粋な気持ちは、とても深くて暖かくて、だからこそ、もっとこうしておけばよかったと後悔する姿が余計に悲しく見えた。
劇中、何度も何度も涙が溢れて止まらなかった。自分の本当の気持ちを言葉にできない葬儀場で崩れてしまう浩輔がたまらなかった。
日本ではまだまだ、紙やら血縁やらが大切で、本人の意志や、思いがいくらあっても認めてもらえないことがある。
その点めちゃくちゃ海外と比べると遅れてるし、ほんまに恥ずかしく思う。
セクシャルマイノリティであるが為に、求める幸せのカタチを手にすることができない世の中が少しでも早く改善されますように。
ドキュメンタリーぽく一番感じられたのは、浩輔と友人たちの居酒屋シーン。ほんとに自然で、めちゃくちゃ話の内容やテンポが面白くて、声出して笑っちゃったわ。
愛
ドキュメンタリーみたいな
原作を知らずに観たので、てっきり最初は精神的にも金銭的にも鈴木亮平が宮沢氷魚に与えることで上手く行ってた関係が、次第に崩れてくるものなのかと思っていたら、途中であっさり急展開で「えっっ⁉︎」てなった。
そうかー。こうだったのかー。
これが実話だったのなら悲しい。
個人的には、鈴木亮平と宮沢氷魚の人間臭いやり取りと生活を、もっと見たかった。
映画自体は俳優さん達の演技やセリフのやり取り、ストーリー運びが何だかとてもリアルで、ザ・ノンフィクションやドキュメンタリーを見てるのに近い感じがしました。
主要キャストの鈴木亮平さん、宮沢氷魚さん、阿川佐和子さんの演技がとにかく素晴らしくて、それだけでも観る価値があります。
鈴木亮平さんは非常に細かな表情や仕草やセリフ回し、身体つきまで、本当に骨の髄まで完璧なゲイでした。宮沢氷魚さんはとにかくナチュラルで透明感溢れる魅力全開で、鈴木亮平さんとのコンビネーションは抜群。阿川佐和子さんは御本人は本当は良家のお嬢さんで売れっ子有名人なのですが、貧しくとも人が良くて良識のある、どこにでもいそうな感じの素朴なお母さん役がドハマりでした。
しかし鈴木亮平さんは超一流の俳優さんですね。
日本のロバート・デ・ニーロとかも言われていますが、いずれ日本のみならず世界でも活躍されるのではないでしょうか。
演技上手かった。
全く情報がないまま、ポスターを見ればどんな感じかわかる。くらいで観ました。描かれた世界の事や実話である事なども知らずにみましたので、最初の30分くらいはバイブル的な?このまま続くの?た疑ったのですが、そこから思わぬ方向へ、悪い人が出てこないし、批判的な部分が少なく、悲しいながらも、最後はなんか良かったです。
接写でのカメラカットに接写の自然な撮り方がとても良かった。それに負けない演技でしたね。居酒屋のシーンは少しだけはが出てましたけど、食べるシーンボトルキャップの閉め方まで上手かった(^^)
畢竟すれば愛とは
自慢の息子です。
この物語になぜこのタイトルなのかずっと疑問だった。嘘には人を傷付ける嘘と傷付けないための嘘がある。そう。それはきっとエゴも同じこと。人を傷付けないためのエゴだってあるだろう。
体が悪い母親を支えながらまさに身ひとつで稼ぐ龍太。かつて母親に尽くせなかった後悔からそんな龍太に寄り添う浩輔。苦難も乗り越えてただ一緒にコーヒーを飲む幸せ。父親に打ち明けられないこと。母親に見透かされたこと。そして悲しい出来事が起こり、浩輔のエゴが加速してゆく。優しさ故の。
鈴木亮平が頭のてっぺんから爪先まで完璧に浩輔その人で、ちょっと鳥肌がたつような演技でした。母と息子。大切な人の命に触れながら、悲しくも美しい終着点へ。身勝手でもいいではないか。目の前の人に必要とされているのだから。
本当のエゴイストは母でしょう
まず、この映画を観て「時代が変わったなぁ」というのが、一番の感想です。
こういう題材の作品が、一流の俳優さんや映画製作者によって、本当に丁寧に作られ、それが一般公開されて、様々な人達が特別な思いで観に来る。異性愛以外の形を、もっと知りたいと真摯な気持ちで、足を運ぶ人が普通に増えたからこその、この映画の誕生と感じました。
全編が自然で、それは大切に繊細に描かれていましたが、性描写の部分は特に印象的でした。
異性愛者が愛し合い、高みに達する姿と、同性愛者のそれに、一体何の違いがあるのかと、静かに、そしてパワフルに問いかけられた思いです。
それにしても、タイトルのエゴイストとは、一体誰を指してのことなのか、と考えていましたが「あ。この人ね」と、最後のショッキングな終わり方で見えた思いです。
自分も子(息子)を持つ母なので、そんな自分とも重ねて見てしまいましたが、そもそも自分の体調のせいで子供に進学を断念させ、お金を工面させてきたあの親は、一体どんな顔をずっとしてきたのかと思いました。
高校を中退させた我が子に、自分の経済負担まで背負わせ、それだけの金銭がどこから発生しているのか、知らん顔を決め込める母親だからこそ、最後は浩輔のことを「息子です」と、病室の人に話して、帰ろうとしている彼に、「帰らないで」と拘束するなんてことが、できたんでしょうね。
息子のみならず、他人の浩輔まで縛りつけてるシーンの只中で、突如画面が切り替わり、エゴイストの文字が浮かび上がって、終了。
私にとっては「この人ですよー、表題の人は」と言われたようにしか、思われませんでした。
龍太を死なせたのは自分だと、泣いて謝る浩輔に、もしもこの母親が自分の責任と罪を認めていたのなら「この子を長年酷使した私が、息子を死に追いやった。謝るのはあなたじゃない」と、悶絶するほど泣いて詫びて後悔をする筈だと感じました。
龍太を死に追いやったのは、浩輔ではなく、負担を息子にかけ続けた母親ですね。
とはいえ、阿川佐和子さんの演技と存在感は、とても素敵でした。
今まで観てきた邦画の中で、多分この映画が一番好きです。
リアルとファンタジーと...
映画館で見るべき作品だというのはCMですぐに分かったので見に行きました。
期待以上に良かったです。
リアルとファンタジーと古さを感じた。
これ以降は批判に感じるかもしれませんがファッション紙の編集者がテントハウスに住んでいる設定は早々にリアルではなく
一方で支払う金額は10万だったりテントハウス住んでたらもっと払えるよね。とこのあたりは残念ですね。
話の展開が良く鈴木亮平さんの演技が素晴らしかった。ぐっと引き込み早い展開も違和感なく話に入っていてける。
売りに関してはあー聞いたことあるなって感じですがこの設定に古さを感じたが龍太の家には貧困のリアルが描かれているが
売りやるには年齢行き過ぎてないかなと思ったり。
リアルでない部分とファンタジーの部分が入り混じってます。
浩輔のコンプレックスと尽くしても尽くしても認められなかったり最後に認められたり
だんだんと話の展開はすすみます。
終わり方も良かったです。
その先は分かるでしょ?といった演出はとても効果的でよい作品でした。
あと隣りに座ってたゲイがクスクスずっと笑っててうるさかったわー(笑)
これが映画の醍醐味
経済的強者だからこそできること
前半の内容こそ「BL漫画でよくある展開」ではあるのだが、後半からの展開が完全に予想外だった。てっきり「わたしはロランス」のようにカップルが揉めた末に別れる話だと思っていた。性的描写が多いので子供には見せられないが、全体を通したテーマは恋愛映画としてわりと普遍的なもので、映画館では思ったより幅広い年齢層が観に来ていた。
面倒を見たいという親の元に生まれること、また相手の親の面倒を積極的にみたいと思えるパートナーと出会えることということは、それだけで恵まれているということなのかもしれない。
その一方で、浩輔の行いは立派に見えるが、これは彼が経済的強者だからこそできる愛情表現であり、例えばレズビアンカップルにそれが可能なのかといえば、まだまだ男女の賃金格差も大きい世の中では、よほど成功しているバリキャリの女性でない限りは難しいだろう。個人差はあるが、一般的にはゲイカップル>ヘテロカップル>レズビアンカップル、の順で経済格差は開いてくる。保守層であるトランプ大統領がLGBTに歩み寄りを示したのも、主な支持基盤である富裕層におけるゲイカップルの影響力に配慮したからである。
結婚した女性が義理の親の介護をするのは当たり前、と押し付けられる一方で、結婚できないゲイカップルが相手の親の面倒を見ることは美談として描かれる。
女性が相手の親の面倒をみるは、果たしてここまで感謝されてきただろうか?
もしゲイカップルが普通に結婚できるようになった場合、相手の親の面倒をみるかみないかで揉めたり、自分の親の面倒の面倒をみたいのに義実家の親を優先させなければならなくなったり、あるいは相手の親の介護のためにキャリアが閉ざされたりして苦しむ男性の問題がクローズアップされてくるのかもしれない。今まで女性だけに押し付けられてきた介護問題が、高齢化や少子化で女性だけでなく独身男性が高齢の親の面倒を見るようになってようやく「社会問題」とされたように。
浩輔と龍太は経済格差のあるカップルだが、もし浩輔の父親が倒れた場合、龍太は経済援助はできない。ではトレーナーの夢をあきらめて介護できるのか?経済的に浩輔の世話になっていたのだから、自分の母親の世話より浩輔の父親の世話を優先しろと言われたりしないのか?多くの女性は経済的に男性に依存してるゆえに義実家の介護を強いられてきた。
そもそもなぜ龍太と母親は貧困家庭なのに公的支援を受けられないのか、日本のシングルマザーの6割が貧困世帯だといわれるが、本来は売春したりパートナーに経済的に依存したりして解決すべき問題ではないはずだがそこが見えなくなってしまっている。
日本で世に出ている「LGBT作品」といわれるもののほとんどがGとTを扱ったものであることに対しては警鐘を鳴らしたい。LGBTだから必ずしも被差別属性であると考えてしまうと、男女差別の構造を見えなくするからだ。フェミニズム関連の書籍が最近ではLGBTばかりを扱っている風潮にも疑問を抱く。Gは関係ないし、BとTの半分は身体男性なのでフェミニズムの範疇ではないからだ。
ただただ「普通」の映画だった。
普通の人同士が、普通の恋愛をする、ただただ「普通」の映画だった。
パーソナルトレーナーとその利用者が仕事を通じて出会い、互いに魅力的だなと思ったからそれが恋愛になり、相手の仕事のことで問題があったり別れの危機もあったが乗り越えて愛になる。なんてこともない、普通の恋愛の話だと思う。
そうやって親密になったあとで、もし結婚していれば、稼いでいるほうが多く出して生活費を支援(折半)することも普通だし、お金を出し合って車を買うことも、きっと普通だ。
強いて言えばその相手を早くに突然亡くしたことは普通ではないかもしれないが、それも誰にでも起こり得る可能性があることだろう。
もしも結婚した相手が亡くなれば、体の調子が良くない義理の親の面倒を見たいと思うのは普通のことだし、一緒に住みたいと考えるのも普通のことだ。
この愛し合った2人もその親との関係も、異性同士だったらもっと普通のことだと思えたのだと思う。
そう思えない理由は、今の日本ではこの2人が婚姻関係を結ぶことができず、相手の親の病院でも「家族」「親戚」とは名乗れない「他人」になってしまうからではないだろうか。彼らがゲイであるからという理由だけで。
この映画を見ている間ずっと、「この2人が異性同士だったらどうなっていたのだろうか」と考えてしまっていた。それが失礼なことであるとわかっていながらも、もし異性出会ったら何も不自然でも不自由でもなかったし、「普通」に生きていけたのだと思ってしまった。
この2人のような物語が、ただの「普通」の物語にいつかなったらいいと、今は思っている。
そこにある恋愛とエゴについて
男性同士のラブシーンは見慣れないものがあった。初めの頃のラブシーンの流れが、他人行儀なところがあってそこで泣いてしまった。そのあとの展開の流れが美しくわかりやすく、でも自分の存在を謝るところが余計に切なくて、表に出さないことが当たり前で、泣かせようとはしてないのに泣いてしまった。つらかった。私も多分、彼と同じ行動をしながら、自分の口座の残金を見つめると思う。
キラキラしたBLはございませんが、製作陣の愛が詰まっております。
この作品はキラキラしたBLではなく、ゲイの世界をデフォルメせず描き、鈴木亮平をはじめ製作陣の愛が伝わる作品。
俳優の所作、ゲイが好みそうなコンテンツ、実生活での苦悩などゲイの世界を忠実に再現し完璧に描かれていた。
まず鈴木亮平の演技にはあっぱれの一言。
浩輔を演じるにあたりゲイや浩輔という役に寄り添い理解し、相当努力し演じているのが観てわかる。
役や設定への徹底的な追求がカメレオン俳優と呼ばれる由縁なのだろうと実感した。
また色白で吸い込まれるような綺麗な目をしている宮沢氷魚の儚げな存在感が龍太そのものでとても良かった。
ストーリーも龍太の死をきっかけに、妙子への母親を重ねた親子愛に変化したのは意外性があり楽しめた。
ただ全編通して胸が締め付けられ苦しかった。(←良い意味です)
浩輔の愛は龍太や妙子にとっては必要不可欠なものでたしかな愛だったかもしれないが、自分にとっては重くのしかかるエゴであって、観ていて心が苦しくなった。
エゴと愛は紙一重であり、受け取り手によって変わるもの。
周りがどう思おうと龍太や龍太の母が愛だと感じれば間違いなく愛なのだ。
タイトルで身構えたが、、、
悩みつつ直球に愛を投げ続ける映画でした。悔いのないように日々を過ごそうと思わされて、少し視界が明るくなるようなじんわりした元気をもらえました。
あと、私は何が他と違うのかが具体的にはわからないものの、映画評を見ると同性愛の人達にとってもリアルに描かれた恋愛描写として画期的とのこと。沢山の人達が勇気を持って正義を貫いてくれたお陰で、この素晴らしい物語を多様な人達と分かち合えることに感謝。
エゴと愛、相反する言葉と思いきや根本は同じ。
最近、映画鑑賞に新鮮味が感じられなくなってきたのですが、そのマンネリを見事に打ち消してくれました。冒頭5分で既に面白く、その後のベッドシーンは面食らいました。「虎狼の血2」で鈴木亮平さんのファンになりましたが、ネクストステージへ裸一貫で立ち向かう役者魂に心打たれました。
各シーンのカメラワークはワンカットが基本で、しかも小さな所作一つ一つを追うことでうねりを帯びた映像になっていて興味深かった。特にベッドシーン。デリケートな部分の際を狙ってくるので、下手なアクション映画を見るよりもハラハラドキドキ。
映画は徹頭徹尾、演技していないかのような芝居が続き、登場人物が自分の連れの様に感じてきます。この感覚は漫才に重なる部分があると思います。漫才は「2人の究極の立ち話」と言いますが、それくらい不自然さがなく、芸の目指すところなのかなと想像します。
そして本作はタイトルの「エゴイスト」という言葉について問いかけてくれました。エゴって愛の反対語だと認識していましたが、劇中の浩輔の行動を見てエゴだと思う人はいたでしょうか?浩輔はその生い立ちから孤独を抱え、その孤独を龍太への恋で埋め合わせます。また、その龍太を通して母親孝行の埋め合わせも行います。さらに龍太を失った消失感も加わり、更なる埋め合わせを龍太の母親に捧げます。字面で表すとエゴに見えるんですが、私の知っているエゴとの決定的な違いは「嫌味がない」っていう点です。浩輔自身、自分の行動が愛だという自覚がないところに余計エゴを感じさせません。
浩輔にはお金というツールがあり、それを嫌味なく振る舞える浩輔自身の誠意と知性(フィルター)がありました。自然と湧き上がる感情は人のエネルギーです。それがエゴで終わるか、愛に変換できるかは個人の力量次第です。自分が好きになった人やモノに対して、少しでも愛という結果に落とし込める様になりたいものだと思わされました。
ふとリアルの生活に目を向けると、日々触れているメディアには沢山の人のエゴに溢れています。対人関係でもエゴな部分が見えてくると気が重くなります。けれどそれは人にフォーカスし過ぎているから負に作用しているだけで、その人達が作ったモノやサービス、作品やパフォーマンスだけに目を向けると、そこからは作り手達の愛が伝わってきます。
映画としても観賞後の思考遊戯にも充実感を与えてくれる最高な一作だと思います。
響いた反面
当事者なりに思ったことをコメントしていきます。
知人が出ていることもあり、前半はフラットな状態で観ることができました。後半は私の恋人が数年前にパワハラに遭い、自尽しました。その点、ストーリーと自らの経験が重なってしまい、終始涙が止まりませんでした。鈴木さんがZeroのインタビューでお話をされていました。ゲイというだけで「オネエ」ではない、ただ「異性愛者」に寄せてしまうと、原作者のストーリーと合わなくなる。とお話をされていて役作りの大変さや一見、完全に異性愛者だけど、本当は恋人がいるなどと言ったことも十分にあり得ます。また既婚者だけどバイの可能性もある。この映画が監督やプロデューサー陣、俳優陣が真剣に向き合って創り上げた一本だと当事者ながら感じました。ただ前半のヌードシーンの多用や詳細な描写などは不快に思えました。
映画を通じて、展開する必要があったのか。甚だ疑問です。また昨今、マイノリティーを演じる場合、当事者が演じる場合が諸外国では多いそうです。しかし鈴木さんの顔の表情など相当創り込まれていました。ただもう少しオネエ感を削ってもよかったかな。このコメントを読んでいる方々に伝えたいのはゲイ=オネエではないということです。普通の見た目。喋り方や仕草も異性愛者と変わらない男性が大半です。第三者からみたメディアが作り出した少しステレオタイプのゲイ映画でした。ドリアンがいながらも、そこが徹底されてないのは残念でした。また個人の感想のためご了承ください。
全245件中、121~140件目を表示