エゴイストのレビュー・感想・評価
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エゴという愛のかたち
これはゲイの物語ではなく、ただの恋愛映画だと思いました(いい意味で)。
愛し合った2人の人間の物語が、たまたま男同士だったわけです。
こういう物語にありがちな、当事者があからさまな差別を受けるシーンが無いのはとても良かった。
今どき日本でそんな差別受けるわけないやろ。みたいなつっこみが入ることはありません。
この映画に付くこの高評価からして、本当に日本は差別の少ない良い国だと感じさせられました。
そして、鈴木亮平の、そこまで成り切るかと思わせる演技は本当に素晴らしかったです。
他の俳優さんの演技も素晴らしかったですし、セリフや間の取り方がリアルさを追求した感じでした。
振られても自らのエゴで龍太を愛し続け、その結果、龍太を死なせる結果になる。
それでも、龍太が愛していた母を自分の母と重ね愛し続けたのも浩輔のエゴであり、浩輔の愛のかたちだったのでしょう。
終盤に浩輔が突然帰省したのは、父にカミングアウトしたかったからという解釈でいいのでしょうか?
また、カメラマンに浩輔が撮影してもらうシーンは、どういう意味があったのか、分かりませんでした。
中盤、若干単調といか、だれた感じがしましたが、素晴らしい恋愛映画でした。
丁寧に描かれた美しく危うい関係
この作品のタイトルに「エゴイスト」を持ってくるかあ…!と観終わった後色々考えてしまった。
見方によっては浩輔の一方的な献身的ともいえる愛情。
龍太とその母に対し、金銭も時間も惜しみなく与える様子とその危うさを個人的には終始ハラハラしながら観ていた。
こういう関係は与える側も受け取る側も試されており、一歩間違えば精神の対等さがなくなって関係が破綻してしまう。
浩輔と中村親子がとても尊い関係を築いていたので、余計にその関係が壊れてしまわないかといらぬ心配をしてしまう私…。
結果的にそれは杞憂で、ちゃんと浩輔は、そこにエゴが入っていることを自覚していて、龍太もお母さんもそこを理解した上でちゃんと感謝しており、そこは本当に良かった。
心の拠り所だった母を思春期に亡くし、都会に出てからはファッションを鎧としてまとって生きてきた浩輔。
そんな彼が「エゴ」「愛がわからない」といいながらも、ちゃんと深く龍太とその母を愛していること、そうしてそうすることで浩輔自身も救わるストーリーになってるのが良かった。
何度も言うけど一方的な献身を伴う関係はとても危うい。そこをちゃんと自覚的に描いてくれる作品で良かった…。
浩輔さんが裏切られたら私たち(観客)はちょっと立ち直れない…。
あと印象的だったのは、本作はセリフやモノローグでほとんど語らないという点。その代わりに登場人物の表情にめちゃくちゃフォーカスする。
この映画の7割くらいは鈴木亮平さんの顔周りのショットを観ていたんじゃないかと錯覚するほど(実際錯覚でもないような気もするがどうなんだろ)。
静かに、丁寧に人物を描写する作品だなと思った。
しかし主演2人(鈴木亮平さんと宮沢氷魚くん)の色気はすさまじいな…。スクリーン越しに彼らの首筋から漂うフェロモンにあてられてしまった。
平日昼間ながら割と埋まってる劇場の観客が女性率9割だったのも面白い。
あと出番もセリフもはそこまで多くないのに柄本明さん(浩輔の父役)良かったなあ。静かで素朴ででも色んなものを包み込むような器のような役者さんだなあと改めて思う。
浩輔と2人で夕飯食べるシーンは泣きそうになってしまった。
ひとりの男の愛
テレビのインタビューで
鈴木亮平が、この映画は脚本らしいものがほとんどなくて
話の方向性だけが決まっていて会話はアドリブ
だから役に入り込むのがすごく大変だった
と話していてきになったので鑑賞しました。
いやー、
この監督、カメラワークも独特で
ほぼ、役者の上半身や顔のアップばかりで
背景をほとんどみせない。
龍太の部屋を掃除しましょう!
って襖を開けても全く部屋は映らず
窓を開ける浩輔の背中のみ
道を歩いて涙を堪えつつ
自販機のドリンクを買うシーンでも自販機の影すら映らず
小銭やドリンクが出てくる音のみで自販機とわかるレベル
浩輔の部屋も必要最低限しか映りません。
監督の『人間の感情』にとことんフォーカスしたやり方なのでしょうか。
これは好みの分かれるところでしょうが
私はもっと全体を俯瞰でみたかったな
しかし結果的には浩輔に感情移入して3回も泣いてしまったので監督の勝ちですねぇ
鈴木亮平の演技は完璧
登場シーンの後ろ姿の首の傾げ方が
もう一瞬でゲイでした。
宮沢氷魚はパーソナルトレーナーにしては貧弱すぎるだろ!っと強く言いたいが
後半の展開を考えるとひ弱さも必要だったのかなぁ
彼の透明感と天使の笑顔を見ると他の役者さんは考えられませんが。
原作にはない生々しさを感じることができる映画
原作を知らない状態で鑑賞。その後、すぐに原作を買って読みました。原作を読みながら浩輔、龍太、龍太の母親が、鈴木亮平さん、宮沢氷魚さん、阿川佐和子さんとしか思えない、むしろ3人に合わせて小説を書いたのではないかと思えるくらい、映画の配役が素晴らしかったこと、そして3人の演技が強く印象に残るものだったことを改めて感じました。
映画では2時間という制約の中で登場人物の感情を見事に表現していたのですが、やはり説明しつくせないところや疑問点はあったので、それは原作を読むことで解消できました。特に浩輔が龍太の母親に愛情を注いでいく理由や背景は、映画では「きっとこういうことだろう」と想像する必要が幾分ありましたが、原作では主人公の思いを丁寧に描いてくれているので納得できました。
一方、映画のヨリを中心にした撮影方法は登場人物の気持ちにぐっと惹きつけられ原作以上に感情移入できると思いました。また、生々しい仲間同士の会話や、浩輔と龍太の恋人同士のたわいない会話など、リアルなドキュメンタリーを見ているようで、原作以上に人のぬくもりを感じることができました。基本ずっとヨリなのでヒキが欲しくなるところもありました。例えば二人のベッドシーンは顔や腕のアップだけで進んでいくのでどういう状態なのか分かりづらい。リュウタが初めて主人公の部屋を訪ねたとき、「わー広い」というのですが、部屋の引き画がないのでどのくらい広いか分からない(ベランダの景色やソファーから高級マンションだということは分かり、そこからきっと広いのだろうなと想像することはできます)。
原作にないシーンとして、映画で数回流れるチャイコフスキーの「悲愴」に注目しました。チャイコフスキー自身もゲイの作曲家として苦悩を抱えていたそうなので、外では明るく振る舞う浩輔の、ゲイであるがゆえの悩みというか闇の部分を表しているのだろうと勝手に思いました。
男性同士の恋物語から始まるが、そのジャンルにとどまらず、愛とはなにかを考えさせられる深い内容へと進んでいく感動作品です。映画、原作を両方見て、こんな素敵な小説を書いた高山真さんの他の作品も読んでみたいと思ったのですが、鈴木亮平さんが書いたあとがきのなかで、すでに著者が他界されていることを知りました。残念です。あとがきで紹介されていた高山さんのエッセイを読んでどんな方だったのか想像してみたいと思いました。
男性とか女性とかの問題じゃないんですね
ゲイの映画ということで
なんとなく
敬遠していたのですが
衝撃のラストと聞いたので
知っちゃう前に観ておこう
と思い鑑賞
ゲイとかの次元で敬遠していた自分が情けないほど
二人の恋人同士役が
セクシーだったりピュアだったりで
人間の愛を感じました
あとは
衝撃のラストと聞いてたので
どちらかが自分のを切っちゃうとか
殺しちゃったりしちゃうのかな
と思ってたので
逆にホッとしました
今でもあの二人の笑顔が頭に焼き付いてます
鈴木亮平が好きになりました
エゴは誰かのしあわせにも、救いにもなれる。
驚きました。浩輔(鈴木亮平)と龍太(宮沢氷魚)の物語だと疑わなかったので。
この作品は浩輔と龍太の母妙子(阿川佐和子)との物語でもありました。
前半は浩輔と龍太の物語です。
「できることなら何でもしてあげる」それが浩輔の愛の形でした。龍太が性的な仕事を脱し、龍太と持病を持つ妙子の生活を守るためには金銭的な援助しか解決方法がなかった。龍太は関係を続けるために頼らざるを得ないとしても、至極心苦しかった。それゆえ限界まで過労を続けてしまった。
疑問に思ったことでもありますが、意図しない破局を除いて「2人の間にあったしあわせ」だけが描かれます。
全体通して龍太の胸のうち(浩輔を好きになる過程、金銭援助されていたときの感情)があまり描かれませんが、原作が自伝的小説だったため安易に龍太の心情描写を脚色しなかったのではと思います。事実として龍太の胸の内に気づけなかったことも結果としての過労死(濁しているし濁すのが作品として正解に思います)に結びつく演出だったとすると、なんて誠実な作品だろうと思いました。
彼が欲しい。彼を救いたい。その想いからくる愛情が結果として死を招いてしまったことを自分のエゴだったと悔恨します。鈴木亮平さんの通夜のお芝居は見ていられませんでした。現実に起きたことなんですか…?もう人生立っていられないですよ、、、
お芝居は現実を観ていると錯覚するほど自然で、丁寧に丁寧に積み重ねられていると感じとれる。鈴木さんは勿論ですが、宮沢氷魚さんが本当にもう、本当に本当に。眼差しや口角の動きには想いが溢れていて、こんなに無垢でまっすぐなお芝居をされる方がいるのですね…その才能の尊さに思い出しただけで涙が出そうですし大ファンになりました。これからもお芝居たくさん見たいです。
後半です。浩輔と妙子が援助金の入った封筒を差し出し・返しを繰り返すシーンは、この作品が本当に丁寧に作り込まれていることを感じさせてくれます。単調になっても不思議でない単純な動作に、2人の葛藤が、言葉少なに表情や動作の重みから伝わってきました。振り返るとあのシーンが物語の分岐点だったように思います。その役割を強く印象に残す演出とお芝居が素晴らしかったです。
はじめは浩輔の援助に妙子も戸惑いながら、徐々にお互いの心地よい距離感を図り、共通の愛する人を亡くし残された者として、2人だけの関係を築いていった。
そして、いつか浩輔と妙子の関係は終わってしまうんじゃないか。そう思わせる随所のミスリード描写が上手かった。浩輔は自分の気の済んだところで援助をやめる、エゴをそんな展開にも集約していくのではと思わされましたが、タイトル「エゴイスト」はそんな表面的で生暖かいものではありませんでした。
終盤、見舞いにくる浩輔が再び息子と勘違いされる所で妙子は「自慢の息子です」と返す。
その言葉を受けたあとの震えながら眉を描く浩輔のシーン、本当に凄かったです。
ラストシーンでは、浩輔の善意に後ろめたさを感じていた妙子が、末期が近いと悟り「まだ帰らないで」と浩輔に声を掛ける。
懺悔の気持ちもあって妙子への援助を続けていたと思います。幼い頃に実の母親を亡くしたことも効いていると思いました。母を重ねていたのかもしれない。そして龍太との関係を無かったことにしたくなかったために。
でも愛情深い浩輔は、妙子のことも愛していた。善意ではなく愛情だと妙子に伝わったと感じられるラストでした。
あの瞬間をラストにしてくださったからこそ、エゴが誰かのしあわせになることも、救いになることもあるのだと思わせてくれました。阿川佐和子さん、包み込むように優しく自然体なお芝居をされていて本当に素晴らしかったです。最上級の評価を受けて欲しいです。
エゴイストという作品が生まれたからこそ、日本のエンタメ業界が前進すると思える作品でした。映画館で見れて良かったです。
ゲイです。彼氏と観に行きました。
ゲイ当事者です。
彼氏と日比谷で鑑賞しました。
鑑賞し終わって、正直…
『???』と、彼氏と話し合いながら帰宅しました。
なぜなら、
まるで、過去の自分達を観ているようで、
『あ、なんか、懐かしい!』気分になっただけでした。
冒頭に、
『彼氏と婚姻届けを書いて壁に飾る!』
みたいな台詞があったのですが、
見終わって、
『そうか!俺らゲイは好きな人と結婚は出来ない。もし、異性愛者同様、好きな人と結婚ができたら、相手の両親の面倒を見たり、寄り添ったりはするだろうな。でも、結婚を結ばなくても、やれそうだよね!』
と思っただけで、
特に何かメッセージがあるようには思えませんでした。
性描写は見慣れているから、
『他の観客の方々、大丈夫かな?』と
心配になりました。
しかし、
そもそも、俺らも男女の絡みなど、
見たくないコンテンツが
小さい時から街に溢れていました。
大人になるにつれて慣れたから、
今となっては何とも思わない。
だから、
『皆さん、慣れてくださーい!』と思いました(笑)
一箇所、非常に共感できるシーンがありました。
彼氏と帰宅しながら、
『あのシーンは、共感できるね!確かに、あーやってスマホをいじって、追いかけた経験はあったね!』と…
ストーカー(=自己都合)
あっ!だから、エゴイスト??
と、笑い合いながら帰宅しました。
『なぜ、エゴイスト?』
無理矢理、タイトルの意味を見つけ出す会話をしていました。
ゲイのお友達が見当たらない方々に観て欲しい作品です。だから、期待を込めて『星5』
愛もエゴイズムも括ることはできないの
総じて愛と言ってしまおうか。しかしながら愛とはと問われたら私は答えられない。物事をどう受け止めるか、どんな見方をするかで愛もエゴイズムの意味も変わるだろう。
この映画は単なるゲイの物語ではない。事実を元にした物語であるようだが、ゲイの2人が紡ぎ出す物語である事でこの題の意味や感じ方がゲイでない自分には余計に引き立ちそれぞれの心情を身近に感じられた気がする。所々で感情が溢れて泣けた。
ベッドの上の龍太の母親のまだ居て欲しいと言った言葉が印象的だった。
愛を愛として伝えることの難しさを感じた。それは簡単で困難である。
余談だが、セクシャルマイノリティを少しは理解していると思っていた自分が情けない。同じ、だと。自分の世界とは何も違わない人間同士の繋がり。思い知らされた。(それでも理解には程遠いのだろう)
映画から感じそこから少しでも新しい感覚知識を得られるって、映画って本当に素晴らしい。
冒頭のシーンから鈴木亮平の演技の自然さ上手さと役作りに驚かされた。
おすすめ映画。
文句なしの星5!
久しぶりに映画のパンフレットを鑑賞後に買った。そのくらい、もっとこの映画について知りたくなり、制作陣の想いを読みたくなった。
原作の高山真さん。すでにお亡くなりになっていて、この映画をご本人が鑑賞することは叶わなかったのがとても残念。
間違いなく、日本の映画にとって新たな素晴らしい作品が生まれたと思う。
多くの方がレビューされているが、これがクィア映画であるということは予告を見ればわかるのだが、私自身はあまりそこに捕らわれずに、ただただとあるカップルのお話という感じだった。
今まで様々なクィア映画を観たが、だいたいセクシャルマイノリティであるが為に、生きることが大変だとか、つらい目にあっているだとか、まぁ、なんだかんだあるのですが、本作の二人は自分たちがセクシャルマイノリティであるが為に、日常で窮屈な思いをしているようには描かれていないことが一つの大きな違いだと感じた。
鈴木亮平さん演じる浩輔は、まさに成功者。
(今の世で言う)高層マンションの最上階にすんで、ファッション雑誌の編集のお仕事をバリバリこなして、気のおけない友達もいて、楽しそう。
宮沢氷魚さん演じる龍太は、体の弱い母親を支えるために高校中退。まさに現代の社会問題にあるヤングケアラーとして、生きて来ているが、パーソナルトレーナーとしての夢を持ち、いつかはそれだけで食べていけるようになりたいと前向きで、とても爽やかな青年。
そんな二人が出会い、恋に落ちる。
前半は二人の絡み合うシーンがしっかりと描かれ、燃え上がる恋人同士ならではの、求め合う姿がとても丁寧に演じられている。
絶好調な二人に見えたのに、突然のお別れ宣言by龍太に、ビックリ驚いたが、理由はまた切ない、、、生活費のためにウリやってます。
そんなこと言われた浩輔は考えて考えて、結果、二人でできることを精一杯やりたいと伝え、龍太はその提案を受け入れる。好きなら別れない方法を考えればいいということね。
(まぁ、その方法には賛否両論あるやろけども)
龍太の母親にも会いに行き、3人で和やかな時間を過ごす。
((このあたりから、あと半分どんなドラマがあるんかな〜とチラリ時計確認した))
後半、ガラリと話のメインが恋人同士の話から家族へと変わる。
浩輔も龍太も"14歳"という年齢が大きな人生のターニングポイントとなっていた。
浩輔は、亡くなった母親へ募る想いがあっただろうし、だからこそ龍太の母へできる限りの事をしたかったのだと思う。
エゴイストと表現された愛の形ではあるけれど、相手のためにしてあげたい純粋な気持ちは、とても深くて暖かくて、だからこそ、もっとこうしておけばよかったと後悔する姿が余計に悲しく見えた。
劇中、何度も何度も涙が溢れて止まらなかった。自分の本当の気持ちを言葉にできない葬儀場で崩れてしまう浩輔がたまらなかった。
日本ではまだまだ、紙やら血縁やらが大切で、本人の意志や、思いがいくらあっても認めてもらえないことがある。
その点めちゃくちゃ海外と比べると遅れてるし、ほんまに恥ずかしく思う。
セクシャルマイノリティであるが為に、求める幸せのカタチを手にすることができない世の中が少しでも早く改善されますように。
ドキュメンタリーぽく一番感じられたのは、浩輔と友人たちの居酒屋シーン。ほんとに自然で、めちゃくちゃ話の内容やテンポが面白くて、声出して笑っちゃったわ。
愛
ドキュメンタリーみたいな
原作を知らずに観たので、てっきり最初は精神的にも金銭的にも鈴木亮平が宮沢氷魚に与えることで上手く行ってた関係が、次第に崩れてくるものなのかと思っていたら、途中であっさり急展開で「えっっ⁉︎」てなった。
そうかー。こうだったのかー。
これが実話だったのなら悲しい。
個人的には、鈴木亮平と宮沢氷魚の人間臭いやり取りと生活を、もっと見たかった。
映画自体は俳優さん達の演技やセリフのやり取り、ストーリー運びが何だかとてもリアルで、ザ・ノンフィクションやドキュメンタリーを見てるのに近い感じがしました。
主要キャストの鈴木亮平さん、宮沢氷魚さん、阿川佐和子さんの演技がとにかく素晴らしくて、それだけでも観る価値があります。
鈴木亮平さんは非常に細かな表情や仕草やセリフ回し、身体つきまで、本当に骨の髄まで完璧なゲイでした。宮沢氷魚さんはとにかくナチュラルで透明感溢れる魅力全開で、鈴木亮平さんとのコンビネーションは抜群。阿川佐和子さんは御本人は本当は良家のお嬢さんで売れっ子有名人なのですが、貧しくとも人が良くて良識のある、どこにでもいそうな感じの素朴なお母さん役がドハマりでした。
しかし鈴木亮平さんは超一流の俳優さんですね。
日本のロバート・デ・ニーロとかも言われていますが、いずれ日本のみならず世界でも活躍されるのではないでしょうか。
演技上手かった。
全く情報がないまま、ポスターを見ればどんな感じかわかる。くらいで観ました。描かれた世界の事や実話である事なども知らずにみましたので、最初の30分くらいはバイブル的な?このまま続くの?た疑ったのですが、そこから思わぬ方向へ、悪い人が出てこないし、批判的な部分が少なく、悲しいながらも、最後はなんか良かったです。
接写でのカメラカットに接写の自然な撮り方がとても良かった。それに負けない演技でしたね。居酒屋のシーンは少しだけはが出てましたけど、食べるシーンボトルキャップの閉め方まで上手かった(^^)
畢竟すれば愛とは
自慢の息子です。
この物語になぜこのタイトルなのかずっと疑問だった。嘘には人を傷付ける嘘と傷付けないための嘘がある。そう。それはきっとエゴも同じこと。人を傷付けないためのエゴだってあるだろう。
体が悪い母親を支えながらまさに身ひとつで稼ぐ龍太。かつて母親に尽くせなかった後悔からそんな龍太に寄り添う浩輔。苦難も乗り越えてただ一緒にコーヒーを飲む幸せ。父親に打ち明けられないこと。母親に見透かされたこと。そして悲しい出来事が起こり、浩輔のエゴが加速してゆく。優しさ故の。
鈴木亮平が頭のてっぺんから爪先まで完璧に浩輔その人で、ちょっと鳥肌がたつような演技でした。母と息子。大切な人の命に触れながら、悲しくも美しい終着点へ。身勝手でもいいではないか。目の前の人に必要とされているのだから。
本当のエゴイストは母でしょう
まず、この映画を観て「時代が変わったなぁ」というのが、一番の感想です。
こういう題材の作品が、一流の俳優さんや映画製作者によって、本当に丁寧に作られ、それが一般公開されて、様々な人達が特別な思いで観に来る。異性愛以外の形を、もっと知りたいと真摯な気持ちで、足を運ぶ人が普通に増えたからこその、この映画の誕生と感じました。
全編が自然で、それは大切に繊細に描かれていましたが、性描写の部分は特に印象的でした。
異性愛者が愛し合い、高みに達する姿と、同性愛者のそれに、一体何の違いがあるのかと、静かに、そしてパワフルに問いかけられた思いです。
それにしても、タイトルのエゴイストとは、一体誰を指してのことなのか、と考えていましたが「あ。この人ね」と、最後のショッキングな終わり方で見えた思いです。
自分も子(息子)を持つ母なので、そんな自分とも重ねて見てしまいましたが、そもそも自分の体調のせいで子供に進学を断念させ、お金を工面させてきたあの親は、一体どんな顔をずっとしてきたのかと思いました。
高校を中退させた我が子に、自分の経済負担まで背負わせ、それだけの金銭がどこから発生しているのか、知らん顔を決め込める母親だからこそ、最後は浩輔のことを「息子です」と、病室の人に話して、帰ろうとしている彼に、「帰らないで」と拘束するなんてことが、できたんでしょうね。
息子のみならず、他人の浩輔まで縛りつけてるシーンの只中で、突如画面が切り替わり、エゴイストの文字が浮かび上がって、終了。
私にとっては「この人ですよー、表題の人は」と言われたようにしか、思われませんでした。
龍太を死なせたのは自分だと、泣いて謝る浩輔に、もしもこの母親が自分の責任と罪を認めていたのなら「この子を長年酷使した私が、息子を死に追いやった。謝るのはあなたじゃない」と、悶絶するほど泣いて詫びて後悔をする筈だと感じました。
龍太を死に追いやったのは、浩輔ではなく、負担を息子にかけ続けた母親ですね。
とはいえ、阿川佐和子さんの演技と存在感は、とても素敵でした。
今まで観てきた邦画の中で、多分この映画が一番好きです。
リアルとファンタジーと...
映画館で見るべき作品だというのはCMですぐに分かったので見に行きました。
期待以上に良かったです。
リアルとファンタジーと古さを感じた。
これ以降は批判に感じるかもしれませんがファッション紙の編集者がテントハウスに住んでいる設定は早々にリアルではなく
一方で支払う金額は10万だったりテントハウス住んでたらもっと払えるよね。とこのあたりは残念ですね。
話の展開が良く鈴木亮平さんの演技が素晴らしかった。ぐっと引き込み早い展開も違和感なく話に入っていてける。
売りに関してはあー聞いたことあるなって感じですがこの設定に古さを感じたが龍太の家には貧困のリアルが描かれているが
売りやるには年齢行き過ぎてないかなと思ったり。
リアルでない部分とファンタジーの部分が入り混じってます。
浩輔のコンプレックスと尽くしても尽くしても認められなかったり最後に認められたり
だんだんと話の展開はすすみます。
終わり方も良かったです。
その先は分かるでしょ?といった演出はとても効果的でよい作品でした。
あと隣りに座ってたゲイがクスクスずっと笑っててうるさかったわー(笑)
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