金の国 水の国のレビュー・感想・評価
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戦争の原因、些細な事、全部、ひっくるめて
原作は知っているのですが、アニメとして映画になると、どんな感じになるのか、期待していました。
見応え十分でした。
最初の戦争の原因から時間と歳月がたっていくうちに、引っ込みがつかなくなったこともうあるんだと思うのた。
男としてだけでなく国を納める王としてのプライドもあったと思うけど、年をとると周りが見えなくなるってこともあるのではないだろうか。
家族と対立してまで得るものはなんなのか。
おとぎ話のように見えて、現実の厳しさも描かれているので画面から目が離せない。
金の国、水の国、金がなければ、物が買えない、愛も買えない、でも水がなければ生活ができない、生きられない。
どちらが欠けても人は生きられない。
王も腹心も姉も、登場人物、全員が幸せになりたくて足掻いて必死になって、なんとかしようとしている、その方法が正しいのか、そうでないのか、試行錯誤で足掻いている姿は人間らしくて生きるって難しいなあと思ってしまうのだ。
ライララ推しです
心が暖かくなるような作品でした。
正直ストーリーとしては大した内容ではないと思います。誰も死なずハッピーエンドで締めくくる。ディズニーからミュージカル取ったらこんな感じかな?みたいな。
だけど観て良かったなと思えました。決して損した感は無いです。
作風から子供向けかと思ったけど若いカップルや年配夫婦とかの大人カップルが多かった。大人が読む絵本みたいな作品なのかも知れませんね。
現実世界のストレスから離れて癒やしに浸るみたいな。
主役だから当たり前なのだけどサーラの優しい雰囲気がこの映画の好印象に影響していますね。地味でマトリョーシカ人形みたいな娘だけどあの丸顔が良いんだよ。
で、サーラ役の浜辺美波、ピッタリだと思います。HELLO WORLDの時にも良いなと思ってたんですが、地味系のキャラ合いますね。
でも私が作中で一番お気に入ったキャラはライララですがね。。
あのヌルっとした隠密感、忍者ぽくてイイす◎
まっすぐな台詞が心に刺さる
「迷った時は困難なほうの道を選んでください」この言葉が胸にズーンと響いて、今でもこだましてます。
戦争を繰り返している国で、ひょんなことで出会った2人が、命を狙われながらも、お互いの国が共生する道を探していく。今、終点の見えない戦争が続いているなかで、こういうファンタジーは心に染みる。
二人の恋愛もほほえましく、幸せな気持ちになる映画でした。
ああ終わっちゃった
金の国の方はウズベキスタンあたりを基にしているのかな、すごく綺麗。
終盤の俯瞰のシーンでは、こんな美しい光の演出がアニメで出来るのかと感心。
綺麗な背景に対して、主人公2人のキャラクターデザインはシンプル。加えてライララに至っては、ほぼジャスタウェイ。シンプルなのでキャラ的な好き嫌いは分かれにくいかも。
誠実にお互いを思いやり合いながらも、なんだかずっとボタンが1つ掛け違えられたままのようなもどかしさを感じ、ナランバヤルさんは、いつになったらお嬢さん呼びをやめるのかヤキモキ。
なんだこの初々しい2人は。3時間くらいでも観てられそう。
すごく素敵なお話だったなぁ。
絵本の世界観に浸れれば
原作未読。なのでもしかしたら原作読めばもう少しそれぞれのキャラの背景とかもわかって素直に感動できたかもしれない。
もう少し時間かけてじっくり観たかったなと。「難しい方を選んで」という言葉が出てくるサーラの生き方とか、名前に固執する頭痛持ちの王がそこに至る背景とか、唐突な感じがあってもうちょい納得感が欲しかったかなあ。それ以外にも地理的なこと、政治的なこと、色々ツッコむところはあるけどそこは触れたら野暮になる。ただ、絵本のような世界観として楽しめたら幸せな気持ちになれる映画。
犬や猫を切っ掛けに戦争が勃発したり平和になる予想外の感動アニメ。 本年度ベスト。
周りが親子連れの方ばかりで子供向けの映画と思いきや、オッサンでも楽しめた(笑)
サーラのVC。浜辺美波さん目当て。
彼女のキャラクターがイマイチ可愛く無いけど良い作品だった(汗)
終盤は可愛い感じになったのは作品にのめり込めたからと推測(笑)
豊かな水はあるけど裕福では無い「水の国」。
あと数十年で水が枯渇するけど裕福な「金の国」
この2国の国交を再開させようと奮闘する男女のストーリー。
争いを止めるため、両国が美しい美女と頭の良い男性を交換する事に。
両国がその条件を騙し合う事から進展する展開。
両国の国交を再開させようとする水の国の建築士ナランバヤル。
それを妨害する連中に、二人を助けようとする仲間に胸熱。
エンドロールの挿し絵が本編よりも美しかった感じで余韻に浸れた印象。
国名やキャラクター名が覚え難く大変でした( ´∀`)
サーラ
予告編で見た時には、ヒロインと言うには少しぽっちゃりして、凄い美人では無い子だなあと思っていましたが、鑑賞後はサーラがこういう感じの子で良かったと思いました。二人の出会いが長年戦争状態にあった二国を和平に導いてくれて良かったですね。
国同士が友好的に協力する姿は美しい
若い人たちの純粋な気持ちが国同士に平和をもたらす素晴らしい作品でした。必見のアニメです。
声優を務めた浜辺美波ちゃんと賀来賢人さんが特に良かった。自分の個性を消してキャラクターに成り切って演じた見事な仕事っぷり。グッジョブでした。
是非映画館で🎦
13
絵本のような幸せが心地よい
「めでたしめでたし。」
この言葉が似合う作品が近年の映画にはない。
謎が残ったり、誰かが救われなかったり
腑に落ちないことがあったり。
あくまで私見だが、
ディズニーやピクサーでも
純粋なハッピーエンドは
ここ最近見ていない気がする。
しかし、この作品にはそれらが一切ない。
綺麗で優しくて、誰も不幸にならない。
まさにおとぎ話を見ているようだった。
ストーリーはとてもわかりやすく、
子供連れでも見られるくらい明快。
(実際、子連れの親御さんも観に来ていた)
しかし勿論、大人でも飽きる事なく鑑賞できる。
むしろそうゆう感情を忘れかけた大人にこそ
刺さるのでしょう。
国同士のいさかいや権力争いなど
とても血生臭い事を扱いつつ、
ここまで清らかな心で鑑賞を終える事は
原作の素晴らしさ、
そしてそれをアニメにする人々の想いと力量がなせる技なのだと思います。
そして最初に言った事に戻りますが、
この作品にはこの言葉がとても似合っているかと思います。
めでたしめでたし。
おとぎ話かと思いきや地に足が着いた堅実な公共土木事業ドラマでした。
商工業が盛んで様々な国との交流がある豊かな国アルハミドと水と緑に溢れた貧しくも素朴な国バイカリ。隣り合った両国は幾度となく戦争を繰り返した後100年に渡って国交を断絶していた。両国は和平の約束を交わしその証としてアルハミドは国で最も美しい娘を花嫁として、バイカリは最も賢い男を花婿としてお互いの国に送り合うこととする。バイカリとの国境近くに住むアルハミドの国王ラスタバン3世の末娘サーラはバイカリからの花婿を押し付けられるが彼女のもとに現れたのは男ではなく子犬。それはアルハミドとの和平をよしとしないバイカリの挑発だった。このことが国王に知れると戦争になってしまうと危惧したサーラは子犬にルクマンと名付けて育てることにするが散歩中にルクマンはバイカリの国境を越えてしまう。ルクマンを追って初めてバイカリに足を踏み入れたサーラは森の中で失業中の建築士ナランバヤルに出会うがサーラは彼が族長オルドゥにアルハミドからの花嫁を押しつけられた男であることも、彼のもとに現れたのが子猫だったことも知らず・・・。
おとぎ話的な王道ラブストーリーかと思いきや全然骨太で、実は王都の周りには砂漠が広がり水の枯渇が深刻なアルハミドの窮状とラスタバン3世治世下で二分する政局をすぐに見抜いたナランバヤルがサーラの花婿になりすまして治水事業を動かそうとする公共土木事業ドラマ。胡散臭い人間達がしのぎを削る世界で飄々と振る舞うナランバヤルの活躍は爽快で、資源や先端技術を巡って国同士が争ったり牽制し合うこの世界では治世もまたファンタジーたり得ることを示した作品。そういう社会的な希望が込められた寓話でありながら、様々な登場人物の表裏を簡潔かつ丁寧に描写しているので人間ドラマとしても抜かりなし。『プリンス・オブ・ペルシャ』でもプレイしているかのようなダンジョンアクションもちゃんとあるので2時間弱の尺に美味しさがぎっしり詰まっています。
声優陣がさりげなく豪華で、戸田恵子、銀河万丈、木村昴、沢城みゆき等のベテラン声優が土台をしっかりと支えている中でナランバヤルとサーラを演じた賀来賢人と浜辺美波がのびのびと演技しています。賀来賢人が声優としても全然巧いことにもちろん驚きましたが、やはり浜辺美波が体現する王女サーラのキュートさが凄まじすぎて鼻の奥がツーンとしました。
とんでも無くのんびりとした物語りです。
こんなひと時は、
アニメだから浸ることが出来るのだろう。
水以外は何でも手に入る富裕の金の国と、
豊かな水と緑に恵まれ貧しい水の国は、
隣国同士だが長年にわたりいがみ合っている…
やがて、両国で制約したこと、
金の国のおっとり王女サーラと、
水の国のお調子者の建築士ナランバヤルは、
両国の偽装結婚となり、
更にとんでもない思惑の結婚のなる。
そんなことでも二人は、
自分でも気づかぬうちに恋に落ちて行く、
そんな彼らの嘘は、
両国の未来を…
怒ったことのない姫と
隣国の真っ直ぐな設計士
ラブストーリーで国を立て直すならば、木村くんの、作品よりこちらのが
見たあと心が晴れる
落ちるなら一所だ。に泣けた
献身の愛、ここに極まれり!
まず最初に御礼申し上げます。
岩本ナオ先生の短編傑作である本作を映画化していただいた言わずと知れた精鋭部隊であるマッドハウスの製作陣、特に初陣にも関わらずセンス抜群に陣頭指揮していただいたであろう、渡邉こと乃監督に対して深い感謝の意を捧げます。
原作と私との運命的な出会いは映画の宣伝文句にもなった「このマンガがすごい!2017」オンナ編第1位を獲得・・・というのがきっかけでした。当時既に四捨五入したらアラフィフのオヤジが書店で受賞後平積みになっていた同書を興味本位で手にしたしました。しかしながら完全なる少女漫画デザインの装丁でしたので、羞恥心全開で震える手を押さえながら会計のお姉さんに差し出したのをつい先日のことの様に思い出します(笑)。
作品を一読し、その描かれる理想の崇高さ、愛情の深さ、ストーリーの緻密さに驚きを禁じ得ませんでした。
少女漫画の皮を被った化け物級の傑作です。
この様な完成度の高い原作の映画化は、総じて足し引きが非常に難しいと素人でも予測してしまいます。映画化の情報をいただいたとき、正直なところ不安の方が上回る状況でした。
しかし、全くの杞憂でした。本当に素晴らしい映画になったと断言できます。
すでにこの作品の原作ファンの方々にはストーリー詳細についてネタバレ上等で強くお勧めしたいのは山々ですが原作未読の方も沢山いらっしゃるでしょう。ですからネタバレにならぬよう細心の注意を払いつつ、一番印象に残った部分だけ触れたいと思います。
期せずして過酷な状況に追い込まれた主人公二人が運命的に出会うのですが、相手の立場を想像し思い遣り、理想に反する部分に葛藤し・・・結果としてプライドが傷つけられたり自分の身が危うくなることも省みず行動する様・・・献身の精神が実に清々しく美しかったです。
特に王女サーラが「ある人物」に対して切る啖呵がカッコいい!感動して身震いいたしました!原作でも白眉であるこの名シーンの映像化に際し無駄な説明、過剰な演出を加えなかった監督さんは作品に対する理解度が本当に高いと感心いたしました。
二人の互いの相手を想う気持ちと献身が、いつしか深い真実の愛に変わり周囲に波及し、国家の将来さえ変えていくスケールの壮大さは映画化、美麗に映像化されたことで更に強調され、感動の度合いが深まりましたね。
伏線も繊細に張り巡らされていることにも注目です。その回収も見事!すべてが予定されて組み上げられた全貌は、寄木細工の美しさがありますね。作中でも理想の国家のメタファーで登場いたします。
まだまだ作品に対する愛は溢れるばかりですが、前置きも無駄に長すぎたのでこのあたりで打ち止めにしたく思います。
皆様、ぜひご鑑賞を。期待を裏切りません!
彼の為に頑張るサーラを応援したくなる
映像と音楽は素晴らしいのは勿論主役のナランバヤルやサーラを応援したくなる素直で優しい映画。
考察など不要で私のように「ぽっちゃりヒロインが気になる」と言う理由だけで足を運んでもストレスもなく、童話風味なので初見さんや恋愛物語が苦手な人が鑑賞できる作品。
一部の声優に多少違和感があっても没入はしやすいし、一際美形のキャラ神谷浩史さんは神谷浩史さんだっただけでも面白い。
それでもスリルやサスペンス要素もないので、あともう一捻り驚くような展開があっても良かったのかなと思うが、まぁ少女漫画にそれを求めても野暮だろう。
原作はだいぶ前に読んでる上で
観ましたけど、終始舐めてんのかって感じの世界観の浅さ薄さ作り込みの甘さが気になって…何もかも口で説明、必要なものは全てその場に揃ってるご都合主義。なのに見せ場では説得力皆無の意味不明な雰囲気で押し通す。主人公の有能さを証明するいくつかのシーンと恋愛的見せ場の唐突さとブツ切れ感、どんどんシラけてしまいました。
漫画では気にならない要素でも映像用に変換せず本当にそのまま持ってきた感じでふわふわした雰囲気でなんとなくいい話として提供されとても悪い意味で少女マンガ的でした。でも評判いいんですね。信じられない。
一応原作は好印象ではあったんですが映画でここまでペラペラさを突きつけられるとその評価も自然と下がってしまいました。岩本ナオ先生とこのマンに対する信頼も。(このマンはまあ元から信頼してなかったかも)残念。
追記
あれから原作を読み返しましたがほぼ一緒なのに原作は味というか間というか…でまあアリ、ってなるんですよね。少女漫画で1巻完結だし。映画はそのまんまではあるんですが本質捉えてない感じがすごくしたんですよね。しかも2時間の映画でこれって本当にだめだと思うんですがやっぱり総じて好評っぽい…子供向けってことにしてもあまりに小手先感がすごすぎて。あんな国の豊かさレベル違って(国というか町レベルの規模?で隣り合っててあの気候の差…)で千年も対立するのありえないですよ。(そこから)
多幸感にあふれる「優しい」物語。ぽっちゃりヒロインと理想主義者の青年が世界を変える。
原作未読。だいたい想像していたとおりのような話ではあったが、
充分に面白かった。観に行って良かった!
ぽっちゃりヒロインというのは、もしかするとアニメの特権かもしれない。
どうしても、実写の場合はその系統の人気女優というのが生まれづらく、柳原可奈子や馬場園梓なんかはふつうに可愛いとは思うが、「主演」を張るタイプかというと、どうもそういう気もしない。
(しいて言えば、往年の菊池桃子にこの役やらせたかったかも……w)
しかもCVは超美少女の浜辺美波という、おまけつき。
90年代には、美少女キャラの中の人の顔のことはなるべく考えないようにして、声にだけ集中して一生懸命観るようにしていたことを考えると、なんだか隔世の感がある。宮崎駿が芸能人をアニメ映画に引き込んだのも、あながち悪いことばかりではなかった。
浜辺美波というのは、決して器用な娘ではない。
僕は実は、彼女が東宝シンデレラにひっかかってすぐに撮った『アリと恋文』のDVDまで持っている隠れ浜辺美波オタクなのだが、彼女は昔からたいして演技がうまかったわけではなかった。
金沢の田舎で育まれた透明感は抜群だが、「顔」に「才能」が追い付いていなかった。
(『賭ケグルイ』とか、彼女の無理な演技がきつくて、途中で音を上げたくらいだ)
でも、一途で、頑張り屋で、努力家で、鍛錬を重ねることで、一生懸命いまの地位を築いてきた。
テレビとかに出ても、決して当意即妙の受け答えができるほうではないが、芯の強さと仕事への想いの純粋さは伝わってくる。
そういう娘だから、彼女が「声優」をやるときいて、正直不安にも思った。
少なくとも『HELLO WORLD』(2019)では、明らかに回りの足を引っ張ってたからなあ……てか、ちゃんと周囲も呂律がまわってないところぐらいはリテイク出してやれよって当時思ったものだった。
でも一方で、今回の予告編を観て思ったのだ。
サーラの不器用さとか、自信の無さとか、おっとりしたところとか、でも芯が強くてぶれないところとか、じつは、浜辺ちゃんに、すごくよく似てるんじゃないかな、と。
で、実際に観て思った。
おお、なんかあんまりうまくないけど、これはこれで「ハマり役」だよ。
サーラの後ろに、演じている浜辺ちゃんの「空気」がほんのり見えるし、
浜辺ちゃんが収録を通じて、サーラに同化してる感じが伝わってくる。
まさに、絶妙の配役とはこれのことじゃないのか。
浜辺ちゃん以外の声優陣も、皆さん良い仕事ぶり。
賀来賢人くんは、声優として聞いたのは初めてだったが、十分にプロの仕事ぶりだった。
その他、脇はベテラン声優で固めていて、まったく不安感を感じさせる部分はなかった。暗殺部隊のライララは、エンドクレジットを見るまで新井里美だと信じこんでいて、沢城みゆきだとあとから知ってギャフン(笑)。
ー ー ー ー
お話は、ある意味、とても御伽噺めいているように思えた。
たぶんそれは、前提となる設定自体が「およそ現実にはありえないような偶然」に立脚しているからかもしれない。
まず、二つの国の王様が、示し合わせることなく、相手国への政略結婚の婿と嫁としてそれぞれ「犬と猫を送り合う」という偶然。
それから、その相手方の婿候補と嫁候補が、それぞれ辺境の(といいつつ国境間際の)歩いていける距離に住んでいて、そこの「壁」に抜け穴があるという偶然。
そして、両国でたった一人ずつしかいない、婿候補と嫁候補が、森でばったり出逢ってしまうという偶然。
そう考えれば、この二人はまさに「運命のカップル」だといっていいだろう。
「運命」とは、この場合、作り手の「作為」のことを指す。
本来「逢うはずのない」ふたりは、神(作者)の導きによって、「出逢うべくして出逢った」。
そして、ふたりが出逢ったことで、「必然的に」歴史は動き出すのである。
本作の設定の「非現実性」は、逆にこういう「御伽噺のような奇跡」でも起こらなければ、隣接する二国間での戦争はおおよそ避けられないのだ、という現実をわれわれに突き付けてくる。
パンフによれば、原作者も監督も、映画製作のただなかでウクライナ侵攻が始まってしまい、ずいぶんと悩み、気の重い時期を過ごしたという。
でも逆に言えば、まさに本作は、ロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けている今こそ、観るべき映画なのかもしれない。
どうやれば、戦争以外の形で、二国間の利害関係は解消することができるのか?
国交締結の前提として、どういう条件をクリアしなければならないのか?
病が進行し、引退の時期が近づいた為政者にとっての「レガシー」の重要性とは?
ほっこりした優しい物語のなかに、なにかの「今に対応するための」知恵が隠されているかもしれない。そんな気分で、つい観てしまう自分がいる。
少なくとも、「戦後50年」というのは、国交回復にはなかなかに良い節目なのではないか、とか。
何故かといえば、50年経つと、世代が二回りするので、「身近な家族や親族、友人を、敵国との戦争で喪った」直接的な被害者がぐっと少なくなるからだ。
戦争の記憶が「風化」するのは、必ずしも悪いことばかりではない。
記憶が風化すれば、「憎しみ」もまた、だんだんと風化していくものだから。
ー ー ー ー
映画はだいたい原作どおりだということだが、
観た皆さんが口を揃えておっしゃっているとおり、
基本的には、「優しい映画」だということに尽きる。
二国間の抗争を扱ってはいるが、血なまぐさい描写は一切なし。
多少の荒事は出てくるが、死んだり怪我を負ったりする描写もほとんどない。
出てくる人間は(悪役も含めて)みんな善人で、根っからの悪人はいない。
ひとりの青年の前向きな野心と、周囲の優しさの積み重ねのなかで、「うまくいくわけがない」とみんなが信じ込んでいた「和平」への道が、どんどんと切り拓かれていく。
もはや戦いでしか解決はもたらされない、という切羽詰まった状況であっても、「説得力のある魅力的な政治家」がひとり現れるだけで、これだけ切り拓かれる「未来」は変わっていくものなんだな、と率直に「人の力」の素晴らしさを痛感させられる。
●御伽噺めいた設定。
●悪い人間が誰も出てこない。
●悪役も実は善意に基づいて動いている。
●二国間の争いが、ひとりの青臭い夢の力で回避される。
●凝り固まった年長者の心が、若者の熱意で動かされる。
といった部分では、一見あまり似たところのない話だが、
『王様ランキング』ととてもよく似た世界観というか、
近しい「人間観」でつくられた物語だな、とも思った。
二国間の相克と和平の物語を、主役ふたりの初々しい恋愛とリンクして語る。
意外と難しいこのミッションを、本作は絶妙の語り口で実現してみせてくれている。
とくに、ナランバヤルという青年のキャラクターは本当に魅力的で、彼の優しさと行動力に引っ張られて、観ている間はつい時間を忘れて楽しんでしまった。
「動く道」「動く船」の休止や、ムーンライト・サラディーンの出自に関する彼の「推理」はふつうに鋭いもので、「切れ者」としての彼の在り方に説得力をもたせることにも、ちゃんと成功していたように思う。
サーラのほうも、中盤ちょっとうじうじしすぎてやきもきもしたが、総じて僕から見ても「お嫁さんにしたい度数100」の愛らしいお嬢さんで、ついつい応援してあげたくなった。
あと、犬のルクマンと猫のオドンチメグ(パンフを観て初めてCVが同じ声優さんだったと知る)も、あざとい使われようだが、実に可愛くてなごむ(この二匹は仲良しにはなれても、つがえないんだな)。
アルハミトの王宮のなかにだけ、噴水や池、風呂など水が潤沢に用いられているとか、サーラの居城の周囲は涸れ堀だとか、細かいところまで美術設定も練り込まれていて感心。
あと、意外に重要なのが、全編で繰り返される「食事」のシーンだ。
サーラは太めであることにはコンプレックスがあるようだが、「食べる」こと自体には常にいささかのためらいもない(笑)。「食べる」ことで「太る」かもしれないが、そうであっても「しっかり食べる」という行為の「大切さ」については信じて疑わないのだ。この「芯の強さ」が彼女を一流の人間たらしめているとも言える。
一方、ナランバヤルにとって、豪勢な食事はアルハミトという国の富の象徴であり、サーラの居城が提供してくれる「擬似家族」の象徴でもある。サーラが理想のお嫁さんであるのと同様、料理を提供して世話を焼いてくれる「ばあや」が、彼にとっては幼くして亡くした「母」の代わりとして機能していることも見逃せない(バイカリでは姉のウーリーンが「母親」のペルソナを代行している)。
だから、何かとこの物語では、ピクニックで食事とか、呑み比べの景品が食事とか、「食べる」シーンが頻出する。
ナランバヤルは、しきりにサーラに食事を譲るし、それを嫌がらずにサーラは食べる。これは、ナランバヤルが「サーラがぽっちゃりである」ことを、「まったく気にしていない」という証左でもある。
この物語で、国と国とを動かすのは「水」だが、
人と人とをつないでいくのは常に「食事」なのだ。
ただ、ふと見終わってからつらつらと考えてみると、
第93王女というからには、お姉さま3人との間の残りの90人はどうしてるのかとか、
レオポルディーネが君臨してるみたいだけど、大量の「王妃及び愛妾」(母親の世代)はどこにいるのかとか、
お互いの派遣した政略結婚使節(まあ犬と猫だったわけだが)が「どこに嫁ぐことになっている」のかを両国が知らないとか、そんなこと果たしてあるもんだろうかとか、
末席の王女が政略結婚相手に選ばれるのはわかるとして、なんで地方の技師にすぎないナランバヤルに、族長は「婿」役を押し付けたのか(そう高く評価してたふうにも見えない)とか、
過去に国境線を画定するとき、アルハミトがわざわざ水場のある森の「手前」で壁を築くなんてことがあるんだろうかとか(まあ、ないよねw)、
水もないのにあれだけ食料が溢れかえっているというのは交易の結果だろうが、野菜などの生鮮食料品が豊富にあるってことは、そんな遠くないところに農場地帯(もちろん豊富な水がないと育たない)があるはずなんだが、とか、
説明をスルーしているらしき部分がいろいろとあることに今更気づく。
族長が男色だったら跡取りとか困るだろ、とか。
あと、「デブの私が載ったら通路が落ちてしまう!」とかさっきまで愁嘆場演じてた空中秘密通路に、結果的に3人で載っちゃってるのってどうなの、とか(笑)。
でも、観ているあいだそれが気にならなかったということは、それだけストーリーテリングが巧みだということでもあるだろう。
ラスト直前の台詞で、ナランバヤルが「すぐ帰るよ! すぐに!」みたいなことを強調してて、さては性的ほのめかしかと思ったら、後日譚でしっかり結果が出されていて笑った。
しかも肥満遺伝子が……ちゃんと継承されている!
まあ、西アフリカや南太平洋では、逆に肥っていることこそが女性の「美」の基準とされ、むしろ美しくあるために肥ることを強要されるって話もきいたことがある。昔なにかのバラエティー番組で、アフリカ出身のタレントが、「自国で一番人気の出そうな日本人女性タレントは?」と訊かれて、「渡辺直美、一択」と食い気味に答えていたのも強く印象に残っている。
ナランバヤルもまた、「お嬢さん」のことは、身体もひっくるめて「美しい」と考えているにちがいない。
むしろ、貧しくひもじいバイカリの地に育ったナランバヤルにとっては、サーラのふくよかさは、豊穣の象徴であり、幸せの具象化に見えているのではないか?
ふたりの幸せが、家族の幸せになり、やがてそれは国の幸せになり、未来の幸せになる。
監督は「原作を読んだ後の多幸感が長く持続する感じ」をちゃんと感じられる作品にしたかったとパンフで言っていたが、その意味で、エンドクレジットでの、日本の「絵巻」の形式を用いて登場人物たちの「めでたしめでたし」を表現した手法はドンピシャだったと思う。
ライラライラライララ
人生スリ切れたオッサンが観る映画ではなかった。鑑賞後に調べたら原作漫画は単行本1冊とのこと。てっきり十数巻あるような壮大な物語を駆け足でたどってんのだと思ってた。漫画って本来、キャラクターが動いていくことでストーリーが推進するわけだが、本作はなんだかストーリーのためにキャラが動かされてるような印象。
また、ファンタジーだお伽話だと言ってしまえばそれまでだけど、話の設定や世界観、作中のさまざまなアイデアにリアリティなさすぎ。花嫁花婿代わりに犬猫を贈ったというレベルの話と、国の繁栄だか王のプライドだかで大勢人が死ぬ戦争を回避するという話が地続きであることに、スリ切れたオッサン納得できず。サーラが終盤までナランバヤルに妻がいると思ってるという設定も、観客が誤解と知っている以上、それでクライマックス盛り上げようってのは無理ないか?
サーラは太った不美人という設定らしいが、アニメ表現上は少しふくよかな可愛いらしい女性としか描き得ず、ルッキズム批判になってないし、昭和のオッサン(俺もだけど)が喜びそうな淑やかで奥ゆかしく男を立てる良妻賢母な性格付けもどうかと思う。次々出てくる登場人物は誰も彼もみんないい人な着地。そもそも自分は名刺交換直後に相手の名前を忘れているような人間なので、ナランバヤルとかアルハミトとかオドンチメグとか、耳で聞いただけでは名称が頭に入って来ず…。
回想が常に入るクドさや、お気持ちから何からすべてセリフで説明問題は今さら言わない(言ってるが)。ラブ&ピースや優しさは大事だけど、本作を観てそういう気持ちが湧いてきたかというと…以下略。原作に忠実らしいが、数年前のこのマン1位やマンガ大賞2位にユーザーの高評価。なんでこんなに自分と感想違うのか。
やっぱ観た自分が悪かったのだと思う。ごめんなさいね。予告から流れていた音楽はよかったな(フォロー)。
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