遠いところのレビュー・感想・評価
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遠いところへ、一歩ずつ
ヒロインも周りの人々も、甘い、おかしい、間違っている!と指摘するのは容易い。けれども、そう割り切るには重たく、果てしないものが本作には詰め込まれていた。「中学からキャバやるのは当たり前」という冒頭のセリフを「まあ、そんなものか」と、客らとともに聞き入れたところから、もう他人事では済まされなくなっていた、と思う。 頼りない夫の傍でこそこそと金を隠し貯め、あっさり持ち逃げされるアオイ。働かずふらふらし、時には暴力的になる夫マサヤ。酒びたりの義母とその恋人。似たもの同士の友人たち。昔気質の祖母、そしてかつてアオイを捨てた父。誰しも余裕がない。それでも、祖母は幼いケンゴを日々預かり、困窮したアオイを父のもとに連れて行く。義母も、転がり込んできたアオイたちを受け入れる。親友・ミオは保険証のないアオイの治療費を肩代わりする。けれども、アオイの転落は止まらない。 アオイも彼らも、自分ひとりがやっと浮かべる板ぎれにしがみつき、大海を当てどなくさまよっている。自分の前で親しい人が沈むのは見たくないから、必死に手を差し伸べる。しかし、その手にしがみつけば、共に溺れてしまうと、彼らは互いに分かっている。だからこそ、過剰な期待はしない。救えるとも、救ってもらえるとも思っていない。そのギリギリさ、それゆえの感覚麻痺が息苦しく、堪らなくなった。「ソープでもなんでもして、しっかり稼ぎなさい」と札一枚をヒラヒラさせて説教する父が、アオイから最も遠い分、人でなしだと存分に嫌悪できる存在で、ある意味救いだった。 砂浜を駆け、水面を弾き飛ばしながら「遠いところに行きたい」と笑っていたアオイ。ラスト、彼女は必死に浮かび続けるのを放棄し、ざぶざぶと海に向かっていく。その先に、何があるのか。彼女が向かって行ったのは、絶望ではないと信じたい。そのためには、この物語が、海の向こうの遠いものだと割り切ってはいけない、と思う。 中盤、足を踏み外す決意をしたアオイが目にした、セーラー服の少女。あれは、かつての彼女なのだろう。アオイは息を呑み、そのまま彼女を見過ごしてしまう。少女を見過ごさず、一歩踏み出し声をかけるのは、彼女ではなく、ともに今を生きる私たちだ。
遠いこころ
アオイ役で映画初主演という花瀬琴音の存在感と演技が素晴らしいことは最初に記しておきたい。東京出身ながら撮影前の1カ月間沖縄で生活したそうで、方言が違和感なく聞こえるし、性的なシーンや暴力がらみの場面など難しい演技が求められる要所でもリアルで切実だった。 京都府出身の工藤将亮監督は、沖縄の子どもの困窮した状況やDVなどを描いたルポルタージュ本を多数読み、独自に沖縄での取材を重ねて脚本を書いたという。映画は、2歳くらいの息子がいる17歳のアオイがキャバクラ勤めで生活費を稼ぐ一方、20代前半くらいの夫マサヤが仕事を勝手に辞めてヒモ状態になり、アオイに遊ぶ金をせびり暴力を振るうといったクズっぷりを見せていく。 アオイはその後絵に描いたような転落人生をたどっていくのだけれど、彼女の内面も周囲の人物らの思いもほとんど伝わってこない。アオイはなぜ十代半ばで結婚し子を産んだのか、働かないDV夫と別れようとはなぜ思わないのか、マサヤはなぜ働きたくないのか、祖母をはじめ周囲はなぜ離婚をすすめないのか、行政や民間の支援を求めることを本人も親族もなぜ考えないのか、アオイの友人・海音があの行動に出たのはなぜか等々、観客が当然抱くであろう心理や動機をめぐるいくつもの「なぜ」が描かれないまま、彼女たちはただただ追い詰められていく。 若年層が困窮する状況を提示する意義はもちろんあるだろう。だが悲惨な現状を客観的に見せるだけならルポルタージュやドキュメンタリーにもできる。劇映画のフォーマットを選んだからには、人物の心の内に分け入り、なぜそう行動するのか、なぜそんな生き方を選ぶしかないのかを、分かりやすく説明してとは言わないにせよ、せめて考えるためのヒントくらいは示唆できなかったか。演者たちが素晴らしかったからこそ、なおさらもどかしい。彼女ら、彼らの心は必ずそこあるはずなのに、悲しいほど遠く感じた。
見終わった後、誰かの感想知りたくて仕方ない
まるでノンフィクションのように、登場人物の説明がないまま物語りは行って欲しくない悲惨なところへ、下へ、下へと落ちていく感じでした。 子役の男の子が可愛すぎて、あの自然さは本当に女優さんの子供なのでは?と思うほど。 撮り溜めてあった映画を処理しようと軽い気持ちで見始めた事を後悔しました ラストで彼女の選択が一番悲しいものであるのなら、お願いだから『子供だけはおいて行ってー』と画面に向かって叫びました。 お願いだから。
途中方言が解らず字幕を表示させて初めから観た
特殊な監督だ。加えて知らない俳優達の名演技のおかげで見事にイライラさせられる(特に旦那のマサヤ役の俳優に)。「沖縄の現代のリアリティを描いた」と監督が言ってたが沖縄に限らず、今だに至る所で起こり得る事なのだろう。 [メモ] ・元々「遠いところ」の意味は「沖縄」の事であり、主人公達が出ていきたい「沖縄の外」でもあるらしい。 ・後ろ姿を意識したカメラワークが上手い。 ・主人公アオイを演じた花瀬琴音の映画初主演作。(過去に『すずめの戸締まり』に声優として出演) ・工藤将亮監督が、実際に沖縄で取材を重ねて脚本を執筆し、オール沖縄ロケで撮影。 ・第23回東京フィルメックスのコンペティション部門で観客賞を受賞。 ・チェコの第56回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で最高賞を競うコンペティション部門に日本映画として10年ぶりに正式出品。約1200席ある上映会場のチケットは事前に完売。上映後は約8分間にわたるスタンディング・オベーションによって、観客から熱狂的に迎えられた。
沖縄の現実
中卒で17歳で当たり前のようにキャバクラに勤め、2歳の子供を育てている。おまけにヒモみたいな旦那まで。この旦那がまたクソ男だ。 私たちにとって沖縄は青い海と白い砂浜,綺麗なホテル,楽しいリゾート地だ。強く明るい光によってできた、より濃く暗い影に焦点を当てた映画だった。 お金がなくても子供を可愛がり懸命に生きていた彼女が,自分ではどうしようもない現実にどんどん壊れてしまう。 行政や助けてくれる機関はあるだろう。でも,彼女のような生い立ちと環境ではそれを知る機会はなかったのだろう。次々に起きる出来事と懸命に戦っていた。 本当に困った時に最後に頼れるセーフティネットはもっと身近にあるべきだ。沖縄に限らず。 最後に彼女が子供を抱えてする選択は明るいものだと感じさせてくれたのが,嬉しかった。
「貧困」と言うトンネルに出口はあるのか?
様々な知識を得る前に、社会の何たるかを知る前に子供を産んでしまう。まだ未熟な若者が家庭を築くためには、「貧困」から抜け出すことが先決。だが、マイナス要因が多過ぎて前に進むことができない。 「遠いところ」ってタイトル…そう言うことか。 アオイのような子って、日本中にいるんだろうなぁ。
可哀想な映画ではない
さすがは大島渚賞を受賞する作品、骨太です。 母性本能は1ミリも無い私ですが、生命力に圧倒されました。 静かなる問題提起が、深く心に刻まれます。 映画の神様に祝福されたとしか思えない、奇跡のようなシーンの数々。 記念上映会の併映に『少年』が選ばれたのにも納得。 上映後のトークショーでは「たまたま撮れた」とおっしゃっていましたが 順撮りで役者の心の動きに負担が無かったからこそ撮れたのだと思うし その関係性を作り、環境を整えた、工藤将亮監督を始めとするスタッフ皆さんのチームワークも素晴らしいと感じました。 そして何より、実際に沖縄で取材を重ねていく上で築きあげた、現地の人たちとの信頼関係。 更にそれを映画に落とし込むにあたってのスタンスやジャッジに一本筋が通っていて痺れました。 ぜひ知ってもらいたいので少し紹介します。 役者の花瀬琴音さんがリアルで、沖縄の人にしか見えなくて素晴らしいのですが 当初はできれば役の当事者に近いアマチュアの人を起用したくて、沖縄でもオーディションをしていたそうです。 1000人以上と会って、役にピッタリの沖縄の人も見つかっていたけど、 若いアマチュアの人にこれを背負わせるわけにはいかないと思いなおして、プロの役者さんの花瀬さんに決めたそうです。 ドキュメンタリーでも感じることなのですが、映画が終わってもその人の人生は続くので、素晴らしいジャッジだと思いました。 次回作も追い続けたい。
公的機関がなすことは❓
本作を観たら、
法律って何やろ?
公的機関が何もしない方が良いのに、と思う。
(アオイの立場に立つと)
17歳未成年のアオイが2歳の健吾をかかえ
違法ながらキャバクラで働き生活している。
マサルだかあのヒモとは同居しない方が良いが。
本当にクズだ、働かずアオイの金を盗み暴力まで❗️
医者が診断書書くと言ってくれているのに。
なぜ訴えて別れないのか?
誰も相手にしてくれないからか?
警察の摘発でキャバクラでは働けなくなった。
昼間の食堂の仕事では月8万、生活できない。
マサルが暴行事件を起こし示談金約100万円❗️
なぜ実家に払わせないか疑問だが。
アオイが払わねばと思ったか押し付けられたか。
結局デリヘルをする。
未成年で親に捨てられ自分を頼りに生きており
子供までいる。
父親を頼っても水商売でもして生きろ、と突き放す。
昼間の堅実な仕事が好ましいと思いつつも
生活が成り立たず水商売もできずとなると、
風俗ウリしかない。
目に見えてだんだんと身を持ち崩していく。
観ている自分には、警察の摘発が恨めしく感じる。
二、三年で成人になるのに、と。
TV放送の知事の発言も白々しくしか聞こえず。
マサルの母もいるのに児相の職員が健吾をムリヤリ連れて行くのも横暴にしか見えなかった。
アオイが会いに行ってもなぜか会わせない。
暴力虐待する親ならわかるが。
公的機関が悪者にしか映らないのだ。
マニュアル遵守するのみで、
生きがいである健吾を取られたら、
アオイは生きられないのではないか。
海音に問い詰められた時の会話、キモ❗️
だが現実。
海音はあの男に殺された。
復讐してしまうが、
もっと海音に相談できなかったのかと思うが。
健吾を迎えに行った時、ごめんね、
と言ったのは、
こういうことか、とわかる。
そこは共感できない。
健吾がわからせてくれる。
記:
赤ワンピみじかー
なんでトイレしているところばかり
にりー?シーミー?しにだるい?←方言わからない
ずしりと心に残る
沖縄のみならず何処にでもいる家族の物語だと思う、それも少なくない数。無知と貧困の連鎖、傍目には悲惨なんだけれど、懸命に家族の為に生きる決意と母性と愛情はあるアオイ。健気な彼女が追いつめられ堕ちていく姿が心に重たく、ずっと考えてしまう。海音もまたしかり。採取する大人達男達が悪いのだけれど二人共少しベクトルを変えれば生きていけそうなのに…それをしない、いや出来ないもどかしさ。どうしたら彼女達の心に入り込めるのだろう、どうしたら違う世界に導けるのだろう、そんなことを考えてしまう。沖縄の海の美しさが時に厳しく切なく迫ってくる。多くの若い人達に観てほしい。
でーじヤバい。
でーじヤバい。笑いなし、救いなし。 行きつけの銭湯にチラシがあって、気にはなっていたので鑑賞してみた。 タイトルの「遠いところ」。劇中で「『遠いところ』に行きたい」という旨の台詞があったのもあるが。彼女たちの立っている、生活している足元が、我々スクリーンの前に座る観客の依って立つところからあまりに「遠いところ」だな、と感じずにはいられない。 人は、遺伝の影響を少なからず受けつつ、環境というスパイスも合わさって、個々の人間として成長していく。親から受け継いだものも環境も、ダメだこりゃ、というガチャガチャの産物。あの状況下でどうやって生を紡げというのか。 主人公・アオイほか、その仲間たちは今日も泥水を啜って生きていく。そして、それ以外に道はなく、明日も泥水を啜るほかないのだ。 履歴書の文字の汚さ(そして、中身のなさ)、時給をはじめ労働条件の劣悪さ。金はないのにタトゥーには金をかけている、しかも、そのタトゥーのセンスが酷い。身体を売って、パートナーには殴られ、役人達にはパターナリズムを以て扱われ。自尊心が立ち上がる余地なし。 彼女(たち)の手元には、一体何が残るというのか。 おそらく、この状況は変わらない。そして、無限に再生産されていくのが現実なのだろう。 それでいいと肯定する訳ではないが、私たちは自分の持ち場でそれぞれ頑張って、楽しく生活をしていく。ささやかな幸せを携えた者が、少しでも存在する世の中を維持するために。 彼岸にいる者の逃げ口上に過ぎないのだろうか。
御願不足
章立てになっている本作の一つの章名である うちなーぐち(沖縄の方言)で、「ウガンブスク(拝み足りない)」ということらしい ネットで調べたので正しいかどうかは不明である
色々と考察についてはネタバレサイトで書き散らされているので参照肢体人はどうぞ
この作品を観賞するにあたって、イントロ部分の紹介文、キャッチフレーズ等々から察するにとてつもなく嫌な予感がした 沖縄、貧困、若年親、DV、風俗、搾取、そして自殺、心中・・・ この"人生ゲーム"のマスのような語彙で、最後は貧乏農場ではなく、この世から一番遠いところへ旅立つ構図は、多分耐えきれない地獄のような観賞かなと恐れ戦いた次第だ なので、観賞スルーしようと思ったのだが、主演の俳優が、アニメ映画『すずめの戸締まり』にて、主人公が最初に出会う民宿の女の子のCVを当てていた情報を知り、興味が湧いての観賞である
然るに、結局、やっぱり思った通りのストーリーテリングであり、やっぱり悲惨で悲しく、惨たらしいシーンのサイクルであった 勿論、主演の女性は本当に頑張っていたし、演技も素晴らしい そしてキチンと役柄のキャラクター性を充分把握しての、濡れ場や際どいシーン、そして被虐も加虐も大胆にチャレンジしていたその冒険心、俳優業の性根の座り方も手放しで評価したい
只、この現代の"残酷物語"の結末をいつものように"自死"に貶めていくサイクルを映像化することに意味があるのか?アップデートが出来ないのか?と願う程の辛さを感じずにはいられない ラストは100%親子共々海に沈む迄は描いていないので、もしかしたらあの無邪気な子供の笑いでノイローゼが解ける可能性もあるが、まぁ、どうみても逃げ場所がないリアルに対しての選択はそこしか考えられないだろう どうしようもない男と別れても、児相に子供を預けて経済的に立ち直ってから迎えに行こうと思っても、多分、彼女の将来は自分の母親と同じ道を歩む事が、容易に想像出来る
彼女や夫に"学"があろうがなかろうが同じだ 周りは揃いも揃って受動でしか行動しない 自分の可能性など一切信用しない 自分が何をしたいのかも分らない
そう、この作品を観たくなかった一番の理由は、自分を描いている作品だからだ そして、アップデートして欲しい一番の理由は、そこから抜け出す基軸を観たいからだ・・・
それは、"メンター"の存在を登場させることかもしれないし、宗教でもいいと思う "レジリエンス"という言葉をどう具現化できるのか、多分、そのステージに映画はその責務を担わなければならないと思うのだ
いつまでも、リアルの負のループを、寓話的に演出して「さぁ、この現状を皆さんで考えて下さいね」と提示されても、こんな作品観るまでもなく、出来る人は動いている これを観たところで諦めている人は主人公と同じ行動をするだけだ
親友は元々希死念慮を抱いていたから、物語最初の方で主人公に話しかける「何処か行きたい、遠いところへ・・・」 でも、親友に躰を売るような仕事の片棒を意図せずとも担いでしまったことに良心の呵責に苛み、自らの死で購う その贖罪の重さは決して主人公が望んだ事ではなく、却ってその死は伝播されてしまう まだまだ大人の狡賢さを体得できぬ少女達は、存在そのものを大人に掠め取られ、お互い共食いをし、そして生きる事の意味自体を忘却する
「生きる」って一体なんだろう? せめて中学校にいる間に、子供達にその答えを真剣に導いてあげて欲しい、誰が?それは、教師でなくても良いし、親で無くても良い それは誰なのかを明示すること、それが新しいバージョンの映画であり、待ったなしでそのシフトを促したい
名匠ケン・ローチの次を待っているのだ・・・
社会的養護も親族共同体も及ばず
『誰も知らない』とは違って、通報があり、社会的養護の手が伸び、子どもだけを一旦保護することができながら、母親を孤立に追い詰めてしまったところに失敗の原因があると考えられる。母子共々の保護はできなかったのだろうか。『万引き家族』のような擬似家族ではなく、『沈没家族』のような共同保育の場もなく、沖縄特有の親族共同体でさえ救うことができなかった。『中洲の子ども』のように、親がだめでも、地域社会の見守りをしっかりしてもらえると、救いもあるのだが。 アオイとマサヤの役柄の問題は、色々指摘したいところはあるけれど、ケンゴ役の子は、よく反応していた。ネガティブな傷を残さなければ良いのだが。
物凄くよかった。
2つの「大丈夫?」が心に残った。
1つめは行政の人がガラス越しに言う「大丈夫?」。仕事で、とかでなく、心のこもった「大丈夫?」に聞こえた。
もう1つが、道に倒れているお母さんにかけた「大丈夫?」。自分も限界を過ぎた状態なのに、他の人を思いやれる「大丈夫?」に心が動いた。
先日見た「福田村事件」と比べて、監督の力量の差を感じた。この監督さんが撮った「福田村事件」を見てみたかった。この監督さんの次の作品が楽しみだ。
貧困と若年母子問題を知る
沖縄のコザで夫と2歳の息子と暮らす17歳のアオイは、生活のため友達の海音と朝までキャバクラで働いていた。建築現場で働く夫のマサヤは仕事に不満を持ち会社を辞めてしまい、新たな仕事を探そうともせず、子守もせず、酒を飲んでブラブラしていた。家賃も払えないくらい生活が苦しくなっているのに、マサヤはアオイに金を出せと暴力を振るい、貯金を持ち家を出て行った。そんな中、キャバクラに警察のガサ入れが入ったことで未成年のアオイは店で働けなくなり、マサヤは帰ってこず、仕方なく義母の家で暮らし、昼間の仕事を探していた。そんな時、マサヤが暴力事件を起こして逮捕されたとの連絡がアオイに入った。弁護士から示談金を払えば和解できると言われ、そんなお金もなく、仕方なく売○を始めた。さてどうなる、という話。 工藤監督の舞台挨拶の回を観賞した。 アオイのモデルは実は16歳だと聞き、14歳で子供を産んだのかとさらにびっくりした。 沖縄の貧困は親から子供へと連鎖し、親も子育て出来ず、12〜13頃から違法と知りながらキャバクラで働いているとか、悲惨すぎる。そして売○まで・・・。 男も悪いが、働き口が無いと聞くとどうすれば良いのだろうと感情移入して涙が出た。 沖縄は観光で行ったことあるが、こんな路地裏で家賃3万5千円が払えない未成年が多くいるなんて知らなかった。 大きな企業が工場でも建てれば・・・なんて考えたが、膨大な土地をアメリカ軍に貸与しているという基地問題の現実に当たるのかもしれない。 先の見えない、沖縄の裏事情。なるべく多くの人に見てもらい、解決策を考えていきたいと思う。何が出来るかはわからないが。 アオイ役の花瀬琴音が方言の習得も含め、体当たりの演技で素晴らしかった。もっと彼女の作品を観たいと思った。
修羅の国?
17歳でキャバクラに通いながら2歳の息子を育てる女性の話。旦那は借金製造機。 そこからさらに絵に描いたようにどん底一直線。沖縄って修羅の国なの? 沖縄弁が耳なじみなくてよくわからないところが結構あったが、不幸になっていくだけなので特に問題なく… 旦那についても、家族についても、なぜそうなったのか踏み込んだ描写はないので、中途半端に感じる。 こういう話はドキュメンタリーでもよくあるので、何かしら違いを見せてほしかった。 役者陣の演技は良かった。けんご可愛い。
北海道と沖縄は
防波堤?緩衝材か? 何で世の中には大変な人とそうじゃない人がおるんや… 俺は代われるのか、いや、申し訳ない、そう、俺も含めて弱い生き物ぞ、自分が1番可愛い、何も言えん、自分を犠牲にせずに他人を救いたい…
【今作は鑑賞していて心理的にキツイ作品で突っ込み処も多い。が、主人公のアオイを演じた花瀬琴音さんのど根性演技に敬服した作品。今作は行政の社会的弱者保護政策に対し、強烈な怒りを叩きつけた作品でもある。】
ー 今作の序盤でアオイ(花瀬琴音)が働くキャバクラにで呑みに来たヤマトンチューの若者二人が”沖縄って最高ジャン。移住しようかな。”等と言っているシーンがある。
一般的には沖縄と言えばリゾート地で、人々は優しく、食べ物は美味しいという所だろうが、実際には違う事は、知っている人は知っている。
非正規雇用の割合は約4割、完全失業率は全国ダントツである。県民所得も低い。
今作はそんな沖縄の負を描いている。
勿論、包含すると日本の抱える諸問題に言及している事は明らかである。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・レビュータイトルに上げたように、主人公のアオイを演じた映画初主演の花瀬琴音さんのど根性が凄い。正に体当たりの演技である。目力も凄いし、眼の演技も凄い。
ー 昨日、本日鑑賞した劇場で舞台挨拶をされたそうである。ガーン!。だって「高野豆腐店の春」を先に観たかったんだもん・・。-
・物語展開も観ていてキツイ。働かない(働いても、ダメダメ)男、マサヤ(佐久間祥朗)にアオイはキャバクラで稼いだ金を取られたり、激しく殴られたり・・。
ー 内心、物凄く憤慨しながら観賞。女性を殴る男など許し難い。しかもあんな状態まで。だが何で、アオイはあんな男と一緒に居るんだろう。幼いケンゴの為だろうか。もしかしたら、マサヤも幼い時の境遇はアオイと同様だったのだろうか。-
・キャバクラに警察の捜査が入って、未成年のアオイは働けなくなり、家賃も払えずマサヤの実家に転がり込むシーンも、あの父親にしてあの息子ありである。
ー 矢張り、マサヤとアオイは共依存だったのかな・・。-
・居なくなったマサヤが酒場で喧嘩して、示談金一人30万円×3人を弁護士から提示され、更に窮地に追い込まれるアオイ。
ー で、到頭身体を売る事を決意。全て、児童相談所に一時隔離された息子ケンゴの為であろう。もしかしたら、マサヤのためか?そんな筈はなかろう。-
・更にアオイが唯一頼りにしていたミオが、飛び降り自殺してしまう。
ー ミオの葬儀のシーンと、その後、アオイが愚かしき海音の”知り合い”の男を殴り倒すシーンの花瀬琴音さんの演技は凄かった。
が、ミオが自殺した理由が良く分からない・・。ー
<ラストは、哀しい。保育園からケンゴを連れだしたアオイは、夜明けの海に漸く一緒になれたケンゴを強く抱きしめ、入って行くのである。
”逝っちゃ駄目だ!”と言う想いが込み上げる中、何処にも行き場が無くなったアオイは”ニライカナイ”にケンゴと行ったのだろうか。
今作は、行政には早急にセイフティネットワークの綻びを修繕し、社会的弱者保護にもっと力を入れて欲しいとも思った作品である。>
<2023年8月20日 刈谷日劇にて鑑賞>
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