劇場公開日 2026年1月23日

黒の牛 : 映画評論・批評

2026年1月20日更新

2026年1月23日よりヒューマントラストシネマ有楽町、K's cinemaほかにてロードショー

無私な男と黒の牛、高純度な映像で描かれる自己探求の旅路

この映画には自然の営みが大地に蓄えた鉄や硫黄など、決して人には生み出すことができない滋養が詰まっている。映像の内側にあるその養分が五臓六腑に沁み渡る。そんな不可思議な感覚に全身が包まれる。

獣や魚、山菜や木の実、自然の恵みを得て漂白する山人たちに変化の時が訪れる。文明化という時代の趨勢に押し出されるかのように山を離れると決めた彼らは木々を焼くと里へと下った。残り火から白煙が立ち昇り誰も居なくなった山で男が目を覚ます。

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山を離れた男は老婆と出会う。その日から見様見真似で農耕生活の術を身につけていく。藁を打ち、飯を食らい、老いた女の汚れた身体を拭き取る。やがて老いた家主は寿命を迎える。縁側の先には池があり神木が祀られている。その傍らに女を葬った男は慣れない水田作業を始める。そんなある日、男は黒い牛と出会う。

弥生時代に日本に渡来した牛は、農耕や運搬の役畜として重宝された。仏教界では神聖な生き物として扱われてきた。「黒の牛」は、京都の臨済宗大本山の妙心寺に伝わる禅修行のプロセスを伝承する「十牛図」に着想を得ている。

真の自分を求めて旅をする。禅修行を積む自己探求の道程を十枚の絵で紐解く「十牛図」とは、悟りを極めることは頂点を目指すのではなく、還るべき原点への到達だと説く図像である。

独立系映画を取り巻く環境が厳しさを増す今、完全オリジナル作品である「黒の牛」の製作は難航した。準備の過程で、監督が用意したデモ映像を観て出演を決めたリー・カンション、楽曲提供を快諾した坂本龍一、禅僧を演じた田中泯らの貢献によって日台米3カ国共同製作作品として結実した。

脚本、編集も兼任した蔦哲一朗監督は、30代の10年間、ほぼすべての時間をこの作品を創り上げるために費やした。フィルム撮影を自身の映画哲学とし、特に構図には徹底的にこだわった。

特筆すべきは唯一無二の佇まいで異彩を放つリー・カンションの圧倒的な存在感だ。言葉を発することのない男はただ行動するだけ。水田を耕す反復、一本の木、濁りのない白い闇、突然の激しい雨、世界を変える爆発からゼロの極致へ。自然が醸し出す名状しがたい想いを精緻な配置で切り取ろうとする監督の意を汲んだ台湾の名優が無私なる存在を結晶化させている。

この映画は、母国を離れてイタリアを旅する詩人の“郷愁”をテーマにしたアンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」(1983)を、日本初の70ミリで撮影された圧巻の映像は「サクリファイス」(1986)を彷彿とさせる。黒澤明の「」(1990)、「八月の狂詩曲」(1991)で美術を担当した部谷京子が、男が暮らす家を始め独創的な世界感を具現化し作品の純度を高めている。

髙橋直樹

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