ヨーロッパ新世紀

劇場公開日:

ヨーロッパ新世紀

解説

「4ヶ月、3週と2日」などで世界的に高く評価されるルーマニアの名匠クリスティアン・ムンジウが、トランシルバニア地方の小さな村で起こった些細な対立が深刻な紛争へと発展していく様子を通し、多くの火種を抱えた現代ヨーロッパの危うい状況をあぶり出した社会派サスペンス。

出稼ぎ先のドイツで暴力事件を起こし、トランシルバニアの村に帰って来たマティアス。しかし妻との関係は冷えきっており、森で起きた事件をきっかけに口がきけなくなった息子や衰弱した父との関係も上手くいかない。元恋人シーラに心の安らぎを求めるマティアスだったが、シーラが責任者を務める地元の工場がアジアからの外国人労働者を雇ったことをきっかけに、よそ者を異端視する村人との間に不穏な空気が流れはじめる。

2022年・第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品。

2022年製作/127分/G/ルーマニア・フランス・ベルギー合作
原題または英題:R.M.N.
配給:活弁シネマ倶楽部、インターフィルム
劇場公開日:2023年10月14日

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(C)Mobra Films-Why Not Productions-FilmGate Films-Film I Vest-France 3 Cinema 2022

映画レビュー

4.5現代グローバル社会の不寛容さ

2023年11月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

直接的には移民に対する差別、格差の問題など、多くの国で抱える社会問題を描いた作品と言えるが、もっと広く人間は根本的に不寛容さを抱えた存在ではないかと問いかけている。 主幹産業だった炭鉱の閉鎖以来、貧しい状況から抜け出せない村。新しくできたパン工場に補助金目当てで外国人労働者を雇い入れると差別が発生していく。外国人労働者の受け入れが経済的には村の助けになるわけで、合理的に考えれば村の人々にとっても良いことなはず。しかし、人々は経済合理性だけで物事を判断しない。 そうした外国人労働者の追放を訴える集会が教会で開かれる。教会でそんな話し合いをすることに、なんとも言えない気分になる。心の拠り所としての宗教は、時に排他的になる理屈としても機能してしまう。 排他的な村であることは確かだが、それをすべて断罪して終わりにしない作品でもある。よそからやってきたフランスのNGO職員の言葉は正しいが空虚である。複雑なグローバル社会がきしんでいる、機能不全であるとこの映画は描いている。

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杉本穂高

4.5対立と分断が激化する2020年代の世界との悲痛な共鳴

2023年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

怖い

知的

東欧ルーマニアの村を舞台にした映画だが、欧州各国で深刻さを増す移民・難民をめぐる問題をはじめ、ロシアによるウクライナ侵攻、そしてこの10月に勃発したパレスチナのイスラム組織ハマスとイスラエルの武力衝突など、人種や宗教の違い、利害の不一致、歴史的な不和に根差した対立と分断が激化する今の世界と悲しいくらいに共鳴する。 監督・脚本のクリスティアン・ムンジウが提示してみせるのは、多様性・融和の理想と差別・憎悪の現実という痛ましくも埋めがたいギャップだ。もともとルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人の多民族コミュニティーが危ういバランスで共存してきたトランシルヴァニアの斜陽の村に、パン工場経営者がEUの補助金目当てでスリランカ人労働者を雇い入れたことにより、外国人への反感や憎悪の感情が次第に高まっていく。 不仲な両親のもとから子供が消える点では「ラブレス」、差別をめぐる議論が大きなウェイトを占める点では「ウーマン・トーキング 私たちの選択」、村の閉鎖性と“熊”つながりでは「熊は、いない」といった比較的近年の力作を思い出した。 ラスト1分の畳みかけるような展開が強烈で、黙示的でもある。何かを象徴するような、予言するような幕引きの“その後”を想い続けることが、観客に課された宿題なのかもしれない。

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高森 郁哉

4.0静けさの中、やがて嵐がやってくる

2023年10月31日
PCから投稿

原題「RMN」はルーマニア語でMRIという意味だとか。なるほど本作には年老いた父親が医療施設でMRIを受けるシーンが描かれるし、この映画そのものもまた、現代ヨーロッパの田舎町をめぐって、表層からは窺い知ることのできない内部状況をつぶさに探ろうとする構造を持っている。えてして我々はヨーロッパをひと括りにして考えがちだが、本作からは地方の閉鎖性、外国人への差別意識、EU補助金をめぐるジレンマ、東西格差の問題など、様々なものがマグマのごとく溜まりたまっている様子が伺える。これらを観客に突き付けてただただ嫌な気持ちに浸らせるのでなく、事態が最大風速を迎えるくだりでムンジウ監督があえて固定カメラで長回しに打って出るところなど、我々の理解と映画の魔法とを深く交わらせようとする趣向もまた大きな魅力だ。このような病巣は世界中に溢れている。本作はさながら鏡のような存在であり、かつ現代の寓話とも言えるだろう。

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牛津厚信

3.5人の頭んなかの解らなさ

2024年11月5日
PCから投稿

映画は2020年におきたディトラウ外国人排斥事件というじっさいの事件にもとづいているそうだ。 ルーマニアのディトラウという村で、パン工場がスリランカ人を雇用したことに抗議し、ハンガリー系住民が牧師を陣頭に1,800の署名を集め市役所に嘆願書を提出した。 もともとパン工場の労働条件に不満があったことと移民への差別感情が重なり、嘆願書には労働条件の改善、移民の受け入れ停止、住民への補償や謝罪などの要求が盛り込まれた。 この事件はメディアで大きく取り上げられ、多数派ルーマニア民族と少数派ハンガリー民族の対立へと発展したという。 実話をなぞりながら、ルーマニア人マティアスの境遇について哀傷をつづっていく。 冒頭は出稼ぎ先ドイツの食肉工場のシーン。ジプシーと罵られて上司に暴力をふるい、地元トランシルヴァニアへ帰ってくるところから映画がはじまる。 ルーマニアは歴史上移動型放浪民のロマが流れ着いた地域ゆえにルーマニア人はヨーロッパ他地域の人からジプシーと蔑称されることがあるという。 映画のテーマは他民族・他人種への並々ならぬ嫌悪と人々の閉鎖性だが、環境が複雑で安易なことは言えない感じ。たとえば川口のクルド人問題とは違う。 根っこにあるもの、たとえば歴史や宗教や文化などの深度と、他民族共存環境が違うので、日本の移民問題とは比べようがない。と感じた。 そのことと世界を見る目の大人っぽさがちがう。侵略にさらされてきた地続きのヨーロッパと島国日本の意識には埋めようのない差があるのは当然だが、絵づくりが冷徹で、映画内の季節上の寒さ以上に、冷たさが伝わってくる。 外国映画をみて日本の映画はこどもっぽいなと思うことがよくある。とくにアスガル・ファルハーディーやヌリ・ビルゲ・ジェイランやアンドレイ・ズビャギンツェフ、あるいはこのクリスティアン・ムンジウの映画にもそれを思う。 映画がこどもっぽいというより、日本人は人として相対的にこどもではないか──という敗北感に近いものを感じる。 もちろんこれに勝敗はなく是非もないが、たとえば最近日本映画で意識が高いとされている映画と比べたとき──、例えばうんこのようにあざとい荻上直子の波紋とか、例えばほんとにうんこ映画の阪本順治のせかいのおきくとか、例えば昭和ポルノの化石荒井晴彦の映画とか──とくらべたとき、あっとうてきなへだたりを感じる。 しかもファルハーディやジュイランやズビャギンツェフやムンジウの映画には「おれは意識高いんだぜ」という承認欲求がまったく顕れない。 反して荻上直子の波紋には「わたしはいろいろと問題意識をもっているんです」という承認欲求が顕れまくりの溢れまくりで、そもそも意識高い系の日本映画すべてが監督の承認欲求を見るようなものと言って過言ではない。 すなわち内容だけでなく、画に承認欲求が顕れ出てしまうか・否かは、大人映画と子供映画を分かつ重大な因子といえる。そしてなぜかは解らないが日本映画は園子温みたいに「おれすげえだろ」が画に顕れ出てしまう映画が多い。多いというかほとんどの映画に承認欲求が顕れ出ているから、承認欲求が出ていないだけで加点したくなる。 日本映画をけなしはじめると昂奮状態になってしまうのでこのへんでやめておくがファルハーディやジュイランやズビャギンツェフやムンジウの映画と日本映画を比べたときの絶対的な差はみなさまもご存知だろう。そもそも比べる必要のないこと、とはいえ。 しかし映画内の閉鎖性についてはおおいに異議をもった。人々が不親切すぎる。もちろん前述したように環境も文化も歴史も宗教的背景もちがうので、極東のじぶんが安易なことは言えないのは解っているつもりだが、外国人労働者にたいして非人情すぎる。 日本人でもワーキングホリデービザを利用して外国へ行く若者がいるが、外国へ行って、周りに友人もいないひとりぼっちで、言葉もおぼつかない、その状況下でステイ先からないがしろにされたり、職場でいじめられたら切ないだろうって話。 むろんワーキングホリデーで海外へ行く日本人と、トランシルヴァニアのパン工場に雇用されたスリランカ人では立場にへだたりがある。とはいえ、基本的に遠くから働きにきている外国人労働者にたいして思いやりを持つことは、真っ当な人間感情であり、移民問題にたいする考え方と、じっさいの移民や外国人労働者に対する態度は分けるのが常識だと思われる。 つまり反移民でも移民には優しくしたいという考え。繰り返しになるが、このての理想論は周りにひとりの移民もいない甘ちゃん日本人のお花畑な考え方に過ぎない、ことは解っている。 多くの日本人の移民意識は矛盾している。と思うことがある。 つまり少子高齢化対策が日本の重要課題であることに異議はないが、多くの日本人は反移民を標榜している。わたしもだいたいそんなところだ。 生産人口の目減りが地球一はげしい日本では、いま国史上いちばん産めよ増やせよの局面にある。が、移民には反対したい。しかし、労働力の減少をどうやってカバーするのか、たとえば移民ではなくロボット化を推し進める、といった代替案をもっているわけではない。おそらくこれは我が国の保守層がかかえているもっともポピュラーな矛盾ではなかろうか。 原題は「R.M.N.」でnuclear magnetic resonanceの頭文字NMRをもじってつけられたという。NMRはわたしたちの知っている語に置き換えるとMRI(Magnetic Resonance Imaging、核磁気共鳴画像診断法)のことであって、マティアスの父が脳に病気をもっていることでそのスキャン画像が何度かでてくる。転じて人は何を考えているのか解らない──ということの示唆ではなかろうか。と思われた。 カンヌに出品されたがこの年(2022)のパルムドールはルーベンオストルンドの逆転のトライアングルがもっていった。 imdb7.2、RottenTomatoes97%と97%。

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津次郎