LOVE LIFEのレビュー・感想・評価
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ひでえ話!でも希望あり。
ドライブマイカーに続く、障がい者、外国人とのコミュニュケーションを盛り込んだ、21世紀型映画。
木村文乃が、一瞬で、この人が主役だ、とわかって貫禄十分。
でも、ダメンズウォーカーか?これじゃラブライフといえるか?と感情移入してしまった。
嘘ついて、韓国への旅費ださせちゃダメだろ、子供失った人に!
最後に夫婦が再会するところで、ラブライフのテロップが出て、ようやく画面が締まる。
それにしても、一度でいいから、木村文乃のような美人に、彼は弱いから私がついてなきゃダメなの!といわれてみたい!
それより、あなたは目線を合わせないね、と女性から言われたことは数知れず・・・。
設定は現代的だが、内容は古典的だと思いました。
イタカッタ~全部(≧◇≦)
はじめて観ました深田作品・・・。この監督・・・変態です。。。
※あくまで個人の妄想です。
ほんとこの映画と監督の醍醐味は黄色い風船と
雨の中・・・踊っている妙子のシーンだと勝手に感じています。
後ろ姿だけで演出して・・・。
観客の想像に全部、表情もなんもかんも丸投げる演出♫
観客のみなさん・・・この話、勝手に想像してくださいね(⋈◍>◡<◍)。✧♡
・・・って監督の声が聴こえるようでした。
優しい笑顔で心臓刺してくるような映画
周りの映画好きの評価があまりに高いので、それに背中を押されて鑑賞しました。予告編すら観ていないため、内容に関する情報は一切ありません。
結論ですが、事前に予想していた内容とは全く異なり、非常に重い人間の裏表を描いた作品でした。間違いなく今上映されている作品の中ではトップレベルにクオリティが高いと感じましたが、内容が内容だけに万人にオススメできる作品では決してありません。
観ていて辛いシーンも多いので、鑑賞には体力が必要な作品です。鑑賞後は数日引き摺るタイプの作品です。それでも、間違いなく観る価値はある作品です。
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優しい夫である二郎(永山絢人)と再婚した妙子(木村文乃)。蒸発した前夫との子供である連れ子敬太(嶋田鉄太)と3人で幸せな生活を送っていた。敬太がオセロ大会優勝と二郎の父親である誠(田口トモロヲ)の誕生日祝いを兼ねて、ホームパーティが執り行われる。幸せなパーティの最中、少し目を離した隙に敬太が風呂場で溺死するという事故が起こってしまう。悲しみに沈み意気消沈の妙子の前に、敬太の死を知った前夫のパク(砂田アトム)が突然現れる。
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ある人物の死をめぐって周りの人たちが繰り広げる物語と言えば、昨年公開の吉田恵輔監督作品『空白』を思い出す方も多いと思います。それぞれの登場人物たちが加害者でもあり被害者でもあるという二面性が話の軸になっている部分も似ていますね。『空白』も結構重い内容の作品ではありましたが、本作の重さは『空白』をも凌駕している気がします。
本作の登場人物たちは、表面的には良い立ち振る舞いをしているのに、時折醜い裏の顔が覗くような感じで、そこが観ていて顔を顰めてしまうほどに生々しいんです。登場人物たちが自分の体裁を保とうとして良い人を演じているし、その言動がちょっと理解できてしまう分、身につまされるような気持ちになります。
『空白』の古田新太さん演じる添田が自分の感情を露にしていたのとは対照的です。『LOVE LIFE』では全員が真っ黒な腹の内を隠して良い人ぶっているのがたまらなく不快ですね。観客の心を押しつぶすような脚本とか撮影とか構成が上手すぎる。
また、長回しが多用される撮影も、映画の中で非常に効果的に使用されていると感じました。
敬太が風呂場で転倒して溺れている様子をこれでもかと丹念にじっくりと描写したり、ラストシーンで妙子と二郎が散歩に出かけるようすをベランダから見せたり。役者陣の演技の素晴らしさも当然あるんですが、長回しシーンはどれも素晴らしかったと思います。
そして個人的に一番気に入っているのが、タイトルの出るタイミングです。
本作は映画のラストでタイトルが出るタイプの映画なんですが、このタイミングが実に素晴らしかった。個人的な経験則ではありますが、「タイトル出るタイミングが良い映画はだいたい面白い」という法則があります。本作は私が今まで観た映画の中でもとりわけタイトルが出るタイミングが完璧で、尚且つ本編も面白い映画でした。
丹念に複雑に作りこまれた映画故、私の気が付いていない良さがまだまだたくさんあると思います。重くて鑑賞するだけで体力が失われる映画なのですぐにもう一度観るのは無理だと思いますが、いつか必ずもう一度鑑賞したい映画です。オススメです!!
どんなに離れていても、
「どんなに離れていても愛することはできる」
『LOVE LIFE』を鑑賞すると、この歌詞が「距離的」なものだけでなく、「心理的」な意味も含まれていることに気づくことができます。
まるで、この映画のためにつくられたかのように感じてしまう矢野顕子さんの「LOVE LIFE」。そう思わせるほどの深田晃司監督の脚本力に圧巻です。
素敵な映画は、みた直後、その魅力に気づく力が鈍くなる気がします。個人的にそれは、その映画が観客に寄り添い、共感性が非常に高まる故だと考えます。『LOVE LIFE』も特にそうでした。
しかし、み終わって、時間が経つにつれ、じわじわと感情が高ぶり、矢野さんの「LOVE LIFE」が染み入ってくる。何とも言えない気持ちです。
オッパ
深田監督作品
淵に立つ
よこがお
しか観てないのですが、
爽やかに良かった映画とは言えない
ずーんっとする映画を作る監督ですよね
でも前作より
パワーアップしている
長回しとか
アングルとか
素敵な角度で撮られていたと思います
進化している気がする
一般人からみても
内容は
本当に
なんというか
パクー!!おまえーって内心思うのと、元旦那に依存しすぎな木村文乃
内心引いた
今の旦那が可哀想だけど、今旦那もちゃっかり元カノに会ってるし
もともと連れ子、再婚でギクシャクした関係からの、息子が亡くなり、それをきっかけに周り出す人間関係模様が良く描かれていて素晴らしいと思いました。
あのあと二人はどうなるんですかね
綱渡りのストーリー展開!まさに深田晃司ワールドと言える。
小説や映画の脚本は実話を元にしたものもあるが、基本的には創作だ。
しかし、創作だから自由にできるかというと、人間には感情の動きがあるために、好き勝手にとはいかない。
その感情に繊細に触れたものは人を感動させ、触れられなかったものは見る人を映画館の中に置き去りにしてしまう。
深田晃司監督の脚本は綱渡りだ。
ごめんなさい、すみませんと言っては、感情にまかせた言葉を使い、ストーリーはあらぬ方向へと展開し、描く題材はとても少数派の、どちらかというと不幸を描く。
ドライブマイカーも韓国に飛んだが、この映画もなぜか韓国に飛ぶ。
義理の父親の「中古」や、義理の母親の「今度は本当の孫が見たい」というセリフは、なにかモデルがあるのだろうか。
日本人はあまりそういったことを面と向かって言わない。
ラストは夫婦で散歩に出た。二人で話す様子もなく、どちらかが前を歩き、どちらかが後ろを歩く。
その先には明るい未来はあるのだろうか。小さな器に、たくさんのものは乗らない。
脚本の中で作り上げた架空の人間たちは、架空の世界の中で本来の世界に帰っていくことだろう。
そして、幻のように消えていくのみだ。
#157
愛に疑問を持ち、孤独から抜けだけない深田監督の深層が投影された作品だ
『LOVE LIFE』(ラブ ライフ)は、矢野顕子のアルバム「LOVE LIFE」に収録されている同名タイトルの楽曲をモチーフとして、深田晃司監督により映画化されました。
本作では愛する夫と結婚して幸せな結婚生活を送っていた女性が、突然深い悲しみが訪れたことを機に自分の本当の気持ちに気づき、自分の人生について選択をしていく過程を描く人間ドラマです。
深田監督作品はあまり好きではありません。深田監督の映画は、いつも観客を安全地帯から追い立て絶望に導くからからです。暗く思い感情にかき立てられてしまうのです。
例えば「淵に立つ」や「よこがお」で、自分が信じているものを根底から揺るがそうと、鋭い問いを投げかけてきました。今作でも平穏な日常を揺さぶって、足元の思わぬもろさをさらけ出すことになります。加えて、不意の侵入者が人間関係の均衡を崩すのは、深田作品にはおなじみのモチーフといっていいでしょう。
人は、誰しも孤独を抱えて生きているのに気づかないふりをしているというのが、深田監督の持論なのでしょうか。本作では平気を装っていて、見て見ぬふりをしてきた「孤独」を突き付けられたとき、その孤独とどう向きあうのか思い知らしめる作品でした。『LOVE LIFE』という曲で歌われている「愛」について「人生」について、本作では入り口にもたどり着けていないと思います。
映画の始まりは、穏やかな家族ドラマの道具立て。妙子(木村文乃)が暮らす部屋からは、集合住宅の中央にある広場が⼀望できます。向かいの棟には、再婚した夫・二郎(永山絢斗)の両親が住んでいて、常に行き来ができる身近な関係でした。
妙子は、ホームレス支援のNPOで働いていて、二郎も市役所の福祉課勤務とふたり揃って福祉関係の仕事で働いていたのです。
妙子は前夫との子供敬太を連れ、二郎と結婚して1年。一見、幸せそうですが、妙子は再婚で、韓国人の前の夫、パク(砂田アトム)は行方不明のまま。一時は結婚寸前だったのに、妙子と二股をかけられ、捨てられてしまった二郎の元カノ山崎理佐(山崎紘菜)の影もちらついていました。だから、義父の誠(田ロトモロヲ)も結婚を歓迎していないなかったのです。
そんななか、息子の敬太(嶋田鉄太)がオセロ大会で優勝したので、お祝いの会が自宅で開かれます。誠の誕生会も兼ね、楽しく過ごしていました。しかし誠は、まともに妙子の顔も見ようとしません。妙子に好意的な姑の明恵(神野三鈴)ですら、妙子に胸をえぐる不用意な一言を漏らしてしまいます。そんなお祝いの会のなかで、妙太が風呂場で溺死してしまう事故が起こるのでした。
葬儀会場で哀しみに打ち沈む妙子の前に、失踪した前の夫であり敬太の父親でもあるパクが突如現れて、敬太の死の責任を問うかのように、いきなり妙子を平手打ちにします。 それでもろう者であるパクがほっとけず、身の周りの世話をするようになる妙子でした。
一方、二郎は以前付き合っていた理佐と会っていたのです。哀しみの先で、妙子どんな「愛」を選択するのか、どんな「人生」を選択するのでしょうか…。
序盤から愛する息子の事故死で、深田監督は観客も巻き込み妙子を孤独の奈落へと突き落とすのです。
そんな妙子の孤独にするりと侵入してきたのが、パクだったのです。実は、彼こそ、妙子が本音で向き合えるもう1人の人なのでした。けれども頼りなく無責任。身勝手な男にしか見えないが、妙子は彼に対し優しく振る舞うのです。
2人の親密な様子は、ホームレスの支援活動をする女と貧しい男の関係を超えていました。ふたりを強く結びつけるのは韓国の手話が通じ合うことだったからでしょう。ろう者のパクと話すのに、当然、妙子は面と向かうことになります。遠くにいては分からないから近づくことに。相手の目を見る。手の動きを追う。手話というコミュニケーション手段の雄弁さが際立ち、上滑りの言葉がいかにむなしいか、痛感させられました。
そんなコミュニケーションツールをもたない二郎は、パクに親身で世話をする妙子が理解できません。それでも妙子とどんなラブライフを送ることができるのか。この問いを、深田監督は観客に投げかけているのでしょうか。あなたはそれでも相手を愛せますかと。 但し今作の深田監督は、妙子を突き放したままにはしていません。最後にふたりの新たな一歩の可能性を示てくれたことには好感が持てました。
追伸
「弱い人だから放っておけない」と韓国にいる父が危篤になったというパクに、二郎を置きっぱなしにしてまで釜山まで付き添ってしまった妙子。そこには本当の愛情は感じられませんでした。それは夫からの一度的な逃避の気持ちがあったのかもしれません。そしてパクに対しては、元夫に対する愛情めいたものはなく、ただひたすら「可哀相だから助けてあげたい」という介助対象者に対する気持しかなかったのです。それを愛だと勘違いしてしまったことが一度目の結婚の破局にむなってしまったのでしょう。パクの行動はあくまで、ただ単に自分勝手であり、妙子の献身はそれを助長させる甘やかせに過ぎなかったのです。釜山まで付き合って正しいのでは妙子は、パクの身勝手さを痛感するのでした。
砂田はろう者で、普段から芝居や手話指導の活動を行っています。なので手話のシーンは、俳優独特の作った表情ではなく、素のリアルさが感じられました。特に初登場の葬儀場でビンタするシーンの場の空気を打ち破る激しさは、彼でしか発しえなかったことでしょう。また愛嬌もあって、ずっと見ていると好印象を持ってしまうおおらかさがありました。
また、姑の明恵と妙子がベランダでたばこを手に話す場面。話題は明恵がキリスト教に入信した話になります。当然わが子を失った妙子が救いとなる信仰のはなしが展開するのかと思いきや、明恵は信仰ビギナーでまだ主の救いや福音が感じられないとこぼすのです。これは深田監督の本音を明恵に託したものだと思います。深田監督自身なにがしかの苦悩を抱えており、それが毎作の作品のモチーフとなってきました。ただ描かれるのは苦しさと孤独ばかりで、全然救いになっていません。
信仰者としては早く深田監督が納得される信仰とであい、愛と福音を受けとめるのか、それとも自ら悟りを深めて苦諦から逃れることができるようになることを期待したいです。そして寅さんように心から人々を笑わせ、幸福を感じられる作品を作って欲しいと願います。
ホームレス支援のNPOで働く30歳過ぎの妙子(木村文乃)は、4年前...
ホームレス支援のNPOで働く30歳過ぎの妙子(木村文乃)は、4年前に失踪した夫との間にできた息子・敬太(嶋田鉄太)を連れて、役所の福祉課に努める大沢二郎(永山絢斗)と一年前に再婚し、大規模団地で暮らしていた。
3人が暮らす部屋は、かつては二郎の父母(田口トモロヲ、神野三鈴)が暮らしていた部屋で、次郎の父母は隣棟に越していた。
近い距離である。
その日は、敬太の少年オセロ大会優勝を祝う日であったが、二郎の父は、息子の結婚をこころよく思っておらず、わだかまりがあり、敬太の祝勝会への出席を渋っていた。
が、どうしても二郎は父に来てほしかった。
なぜなら、その日は父の65歳の誕生日でもあり、二郎の同僚たちとともに父の誕生日をサプライズで祝おうと準備をしていたから(二郎の父は元福祉課の部長であった)。
わだかまりが解けようとしたその日、楽しい雰囲気の中、悲劇が起きる・・・
といったところからはじまる物語で、悲劇は敬太の事故死である。
その後、葬式の場に失踪してた妙子の前夫(砂田アトム)が現れ、家族間に不穏な雰囲気が流れる・・・というのは、前2作『淵に立つ』『よこがお』とよく似た雰囲気。
妙子の前夫パクは韓国籍で聾唖。
妙子の「彼を助けなくちゃ・・・」という思いが沸き立ってくる。
息子事故に責任を感じていることの埋め合わせ、代償のようなものである。
このあと、二郎の母のキリスト教への入信、父母の引っ越しがあり、二郎はかつての恋人(山崎紘菜)に対して熾火が再燃するような気持ちになる・・・と出来事が展開します。
ストーリーを書くのはこれぐらいにして、個人的にはこの映画、とてもおもしろかった、興味深かったです。
映画は、コトと登場人物たちのココロによって展開していくのですが、コトとココロの両輪のバランスがとてもよい。
ただし、登場人物のココロについては、誠実/不誠実の間を常に揺れ動いていて、不誠実な方向でコトが動いていきます。
妙子の前夫パクへの思いは、愛とも言い換えることができるかもしれないが、弱者への支援をすることでの自己の存在証明のよう。
二郎の妙子への思いは、中盤、セリフでも語られるが、「前夫を必死になって探す妙子の姿に胸を打たれた」とのことから元カノを振ってしまうので、妙子の前夫パクへの思いと似たようなもの。
ふたりの心は、ともに互いに寄り添っていない、互いの方を向いていない。
いわば、不誠実な、共犯関係のような後ろめたさがつきまとっている。
この共犯関係的後ろめたさがあるからこそ、終盤、危篤の父親のもとへ駆けつけると言うパクの後を追って、パクに随行して渡韓する妙子を、二郎は黙認するのだろう。
互いの方を向いていないのは、二郎の「敬太の死の直後に思ったことは、はやくふたりの子どもをつくらなくちゃ、だった」というセリフや、互いが互いの目を見て話さないという所作に表れています。
不誠実なのは、二郎の母も同様で、当初は二郎の妙子との結婚を祝福しているが、敬太の死後、実は二郎の父以上に毛嫌いしていたことが示される。
(敬太の遺体を、思い出の部屋へ戻してほしくない、と強硬に反対する)
その意味では、はじめからわだかまりや不快感を露骨に示す二郎の父は誠実ともいえるでしょう。
自身が感じている不安なこと不快なことなどのネガティブな感情を素直に表すことを誠実というならば、啓太の葬式で怒り、妙子をなじり殴るパクは誠実な人ということができるかもしれませんが、最終盤では妙子を裏切るので、誠実とも言えません。
そして、パクは、妙子が思うような「守られてしかるべき人」でないことがわかる最終版は、なんだか可笑しくて笑いがこみ上げました。
『淵に立つ』『よこがお』ではサスペンス仕立ての崩壊劇を描いた深田晃司監督は、本作では一歩踏み込んで、どうしようもない人間の愚かさ、業のようなものを描こうとしたように感じました。
(最終盤、雨に打たれながら韓流ポップスに身をゆだねて踊る妙子の後ろ姿に、森崎東監督作品を想起しました)
もとの部屋へ戻った妙子と二郎が互いに向き合い、妙子が二郎に「ちゃんと目を見て」と言ったあとに「LOVE LIFE」と出、映画のモチーフとなった矢野顕子の曲が流れはじめ、長いエンディングのワンショットとなります。
このあとのふたりの生き方(LIFE)に、誠実な気持ち(LOVE)は訪れるのかどうか・・・
ここまでは「LOVELESS LIFE」でしたからね。
<追記>
ベランダにつるされた鳩のフン除けのCDが演出効果を高めています。
いわゆる、「おまじない」ぐらいで、効果はわからない、と妙子が言うとおり、心の平安を願う「魔除け」「お守り」の暗喩。
そのCDが、外の光を反射して部屋の中を照らしたりもして、「神の啓示」とも受け取ることができますが、「ただただ反射しているだけのモノ」とも受け取ることができます。
映像効果を高めるとともに、相手の心の中の「反射」、自身の心の中の「反射」の暗喩かもしれません。
白黒はっきりしない
矢野顕子の91年発売した曲をモチーフにした深田晃司監督作
たしかに発売当時聴いたはずだけど、物語に組み込まれることでぜんぜん違う味わいの作品になってた。
物語がどう展開するか読めない人間の多面性を書いてた。
ラストもなかなか言語化するの難しい白黒はっきりしない終わりかたでよかった
深田監督だから、という期待
「淵に立つ」「よこがお」など高い評価を得た監督の作品だからこそ、選んで観る一観客としては、とても大きな期待をする このレビューを読んでいても、そういった大きな期待を抱いているからこそ、期待通りであれば「納得」の評である一方、そうでなければ「失望」がより大きくなっている
この作品の登場人物も、行政として社会福祉にかかわったり、ホームレス支援をしているというこの夫婦の「表の顔」は、誰しもが羨むものであっても、自宅に戻って夫婦となれば、お互いの目をみない、未成熟な家族であり、相互にわだかまりを抱いている そこに親だの、元夫だのが出てくることで、未成熟さがますます露呈してしまうこととなる そういった「見せかけの関係・家族」が露わになったときの恐ろしさは、前作にも共通していて、その「恐ろしさ」を心地よくも感じるのである
妙子を木村さんが演じることで、本来なら共感することのできない彼女の行動ですら、受け入れたくなる私自身が、「見せかけの関係」を毎日繕っているのであろう (9月22日 京都シネマにて鑑賞)
割と
割と最初から最後まで「この世の地獄としての日常生活」で、それは深田晃司作品としては平常運転と思われるが、本作では主人公の人生を賭けた決断がはぐらかされる辺りがまた居心地悪くて良い。
タイトルの出し方が最高。
もう離婚しかないだろ
・・・と思ったら、最後の感じだと続いていきそう。
幸せにはなれないと思うけど。
端的に言って、登場人物全員クズでした。
といっても、“そういう煽り”の映画に出てくるようなキャラの濃いそれではなく、非常にリアルなクズ。
優勝祝いでの義父や、警察署での義母はまだマシ。
妙子は、相談もなく義父母の部屋にパクを住まわせたあたりから、ダメ男を助長する共依存が顕著になる。
二郎は、ハグで止めてたら一番共感できたかもだけど。。
パクは、フェリー乗り場での台詞などから(失踪の理由次第では)まともに思えそうだったのに、韓国に行って急落。
台詞通りなら、山崎は責任感じてていいコなんだけど、現実を考えるとあざとさ無しとは見られない。
総じて「こういう人いるな」と思わせる力はすごいのだけど、それ以上ではなかった。
リアリティのある描写から、現実の無常感や遣る瀬無さは強く感じたが、タイトルとは結びつかないし。。
何というか、掴みどころのない作品でした。
劇中で一番の、というか唯一の笑顔が出る場面が非常に皮肉。
それにしても、ああいう楽しくやってた裏側の悲劇ほど、行き場のない後悔が消えないんだよなぁ。
近くの家族より遠くの他人ってこと?
終始陰気な妙子としょーもない二郎。常に不機嫌な誠と一番タチの悪い明恵。そんな中、唯一子供らしさをひた走る敬太が、彼らのクセの強さをより一層際立たせる。
決して強く結びついているとは言えない、彼らの関係性と対照的に、関係が終わっているはずの妙子=パクと二郎=山崎、明恵=キリスト教がやけに濃い。
LOVE LIFEとはそういうことなのか?と、矢野顕子に聞いてみたい。
終始どんより重く辛さが支配する中、猫の気ままっぷりが効いてる。
理性と感情のせめぎあい
細部にまで張り巡らされた設定とストーリー。
訳あり家族に突然降りかかるこれ以上ないような災難。これはきつい。この事件を掘り下げるだけでも濃い話になりそうだが、映画はそれぞれの気持ちの深いところまであぶり出す。
木村文乃演じる妙子の一本気なホスピタリティーは物語の推進力となるが、出色は永山絢斗と神野三鈴の親子だ。自分の気持ちより、周囲に合わせて常識的に親切に振る舞う善人。息子の方が母親よりより理性的であるが、逆にいうと他人と一定の距離を取り本心は見せず、状況で行動を選ぶ冷たさを感じる(けれど誰より犬や猫に懐かれてるのが面白い)
母親は事件で動揺して出た自分の本音を持て余し宗教にすがるがすがりきれない理性の持ち主だ。(それゆえに悩みは解消されない)
優しいが弱いと見えた妙子の元夫は、結構したたかな奴で、お節介なほど親切に見える妙子は大事な岐路ては計算高さを見せる。
世の中は理不尽でままならないけど、折り合いをつけて生きるしかない(それもいずれ破綻するかもしれないけれど、ずるしながらでも今を生きるしかないのだ)
「よこがお」も面白かったけど、どちらもスッキリとした結論を示さないモヤモヤを残したところがいいと思う
光と猫と中古
オッパ、オッパ、オッパ♪何なんだ、この曲は。序盤で義父(田口トモロヲ)が歌っていた7番もある演歌も意味不明だったけど、逆に矢野顕子の“LOVE LIFE”が際立ってしまった。ジャズ色の強いこの曲の歌詞も「どんなに離れていても愛することはできる」という歌詞によって、映画全体のテーマにもなっています。
最愛なる息子敬太の突然の事故死。妙子(木村文乃)の連れ子になるのだが、再婚相手の二郎(永山絢斗)にも懐いているし、二郎の両親にもようやく母子ともに認められようとしていた矢先のことだった。悲しみに暮れる夫婦の前に行方不明となっていた前夫のパク(砂田アトム)が現われ、不穏な空気に包まれる。風呂場での事故だったため、二人とも自宅の風呂には入れず、団地の隣の棟に住む両親の風呂を借りる日々が続いていた。そして両親は田舎の方に引っ越しが決まり・・・といった展開。
パクがろう者であるため、日本語、韓国語、韓国手話が使われているが、障がい者を扱うというより、言葉、手段が違うだけといった雰囲気にも納得。むしろ、妙子を中古品扱いする義父の嫌味が強烈に映る。いや、俺なら木村文乃がバツイチでもバツ3であっても大歓迎だけどね。中古といえば、パクの再就職先も中古品を扱っている業者さんだった。
社会問題要素も豊富で、妙子が勤める市民相談センターでのホームレス支援や在日外国人が生活保護を受けられない問題などが伝わってくる。また、パクの前妻との息子がコーダであったり、ろう者文化も当たり前のように扱われていました。
砂田アトム本人もろう者であり、手話にしてもちょっとした行動にしても自然に演じられていた。また、ろう家族のCODAが目を合わせてコミュニケーションを取ることが、学校の先生に注意されるといったことがパンフに書かれていましたけど、それに対して二郎が妙子の目をそらして会話するといった対照的な性格も描かれていました。
とにかく、映画の中で細かなことが奥深いため、なかなか一度に理解できるものじゃなかった。『よこがお』のような時間のギミックはないものの、深田監督の思いがあちこちに詰まっていると思われす。パクの放浪癖や孤独感は理解しがたいものがあったけど、本来人間は誰でも孤独なもの。死ぬときは誰かがそばにいても一人なんだと。だけど、愛することは離れていても(死んでいても)できる。死んだことを忘れたい、前を向いて歩かなきゃいけないことはわかるけど、忘れちゃダメなんだというのも理解できる。“LOVE LIFE”の歌詞は人によって色んな意味を受け取ることができるだろうけど、戦争によって離ればなれになってる人たちのことまで考えてしまいました。
パクが上着の中に隠した猫が顔を出して引っ込めるシーンは秀逸(偶然の賜らしい)。その猫が懐いている二郎に差し出すところも意味深。また、鳥除けのために吊したCDの光があざといほど上手く使われ、常に光のバランスが揺れ動く心を表現しているようで興味深かったです。じわじわと様々な思いを交錯させ、まるで文学的映画のような内容でもあったけど、これが深田流の新しい形なんだろうなぁ。
人は皆1人なのです。
幸せに見える夫婦に突然おそいかかる不幸と共に、何かが少しづつ崩れていく話。
この作品妙子の母が言う「誰かがいても結局死ぬ時は1人」という言葉がすべて。登場人物達は全員誰かと一緒にいるのに疎外感を感じもするし、ここが自分の居場所だと感じもする。毎日一緒にいても所詮はお互い他人、お互いがお互い全く知らない世界を持っている。
例えば冒頭、妙子の息子敬太のオセロ優勝大会おめでとう会を身内だけでやっている時義父はどことなく浮いているけど、この集まりが同時に義父の誕生日会だったため職場の人達が合流した瞬間、完全にその場は義父のホームになり妙子は端に追いやられる。
こういう誰かが影になったり陽のあたる場所を得たりは繰り返されていて、結局誰かの100を独占することは出来ない。2人の住む家が元々義理の父と母が住んでいた場所であるように、かつては居場所だったところが失われることもある。こんなん、1人でいるより孤独が強調されて辛すぎる。
恐らくこの家族の中で妙子が居場所を作れたのは敬太がいたから。その存在が無くなった時、前の夫との絆を感じ始める。でも面倒を見てあげられるのは自分しかいないと思っていた元旦那にも、ちゃんと居場所があって妙子には知らない世界があった。そもそも敬太にもオセロ仲間という妙子が知らない世界を持っていた。それを悟った時に表れるタイトル『love life』が清々しかった。
個人的に、敬太の死は不運の事故というのは大前提として、義父がアホみたいな演歌大音量で歌ってなかったら倒れた時の衝撃音ですぐ駆けつけられたんじゃないか?ってだれか言ってよ!!と思った(笑)
胸に突き刺さる感情の変化
人間の本質をよく捉えている映画で、感情を突き動かされる映画でした。
見ていて、自分の感情がぐちゃぐちゃになる感覚を覚えました。怒り、共感、軽蔑、、、。
俳優の方の演技も見事で、豪華俳優陣が揃っていますが、その中でも敬太役の嶋田鉄太くんの演技は素人目に見ても抜群だと感じてしまいました。
子役のわざとらしい演技が嫌いなので、自然体の演技がここまで違和感なく出来る子役は久しぶり
だなと感心してしまいました。
とにかく、納得の映画です。
全111件中、41~60件目を表示