レア・セドゥのいつわり
2021年製作/103分/フランス
原題または英題:Tromperie
スタッフ・キャスト
- 監督
- アルノー・デプレシャン
- 製作
- パスカル・コーシュトゥー
- 脚本
- アルノー・デプレシャン
- ジュリー・ペール
- 撮影
- ヨリック・ル・ソー
- 美術
- トマ・バクニ
- 衣装
- ユルゲン・ドーリング
- 編集
- ロランス・ブリオー
- 音楽
- グレゴワール・エッツェル
2021年製作/103分/フランス
原題または英題:Tromperie
1987年、英国ロンドン。
高名な米国人作家のフィリップ(ドゥニ・ポダリデス)は執筆のため妻とともに移住してきた。
仕事用のアパートを借りて執筆活動に勤しんでいるが、60歳手前だがまだまだ男盛りの彼は、これまでと同じく、妻とは別の女性と愛の時間をそのアパートの一室で繰り広げていた。
今回の相手は4歳の娘がいる人妻(名前は明らかにされない。レア・セドゥ扮演)。
「年齢は33歳。夫との結婚生活は悲惨そのもの。彼(フィリップ)と出会ったのは1年半前のこと」と語る彼女の姿から映画は始まる・・・
といった物語で、『さよならコロンバス』『ポート・ノイの不満』などの著作を世に出したフィリップ・ロスの私的小説「DECEPTION」の映画化。
フィリップと人妻の濃厚な描写(いわゆる官能シーンだけでなく、会話そのものも濃厚なのだが)が続くので、脇道にそれやすく(またそれが魅力の)アルノー・デプレシャン監督にしては珍しい類の映画だなぁ、などと思いながら鑑賞していると、「12」のサブタイトルで区切られて、フィリップの過去の女性遍歴とその後の現在が綴られていきます。
その相手のひとり、これも高名(と思われる)な女流作家で現在は米国で癌闘病中の女性役を、デプレシャンのミューズ、エマニュエル・ドゥヴォスが演じています。
繰り返される人妻との逢瀬は、ともすれば一本調子になりそうなところを、背景を舞台装置のように変えたり、突然の雪景色の中で抱き合わせたりと、デプレシャン監督の異化作用をもたらす演出が目を引きます。
そのほか、チェコから米国に亡命した映画監督の妻に手を出し(と映画監督は思っている)、監督とトラブルになるあたりは、脇道へそれるデプレシャンらしさを出しています。
ただし、チェコのユダヤ人をルーツに持つフィリップは事あるごとに「ユダヤ人問題」を口に出すのですが、そこいらあたりはちょっと辟易だけれど、フィリップが父親をやり込めるエピソードなどは巧みなユーモアが醸し出されています。
なお、英国在住の米国人の不倫話なんだけれど、演じているのが全員フランス人で、フランス語でしゃべっているのには少々違和感がありました。
どうみてもフランスにしか見えないものね。
最後に、フィリップ・ロスの映画化作品では、『ダイイング・アニマル』をイザベル・コイシェ監督が2008年に映画化した『エレジー』が記憶に新しいところだが、本作にも登場する女子大生との不倫話も、『ダイイング・アニマル』に活かされたのかしらん、と思うとなんだか興味深い(『エレジー』では、初老の大学教授をベン・キングズレーが、若い教え子をペネロペ・クルスが演じていました)。
ビジュアルは普通のおじさんだが、モテる作家。
聞き上手というか、話を聞いてくれるから好かれるのか。
序盤、会話が多くて字幕読み疲れた。
興味深く感じるが、退屈にも感じた。
会話が楽しいところもある。
彼女たちの話を聞いてると、作家とのことに関係することが出てくる。
ユダヤ人のことによく触れる。
複数の社会問題を女性たちに語らせてる映画なのかな。
話す内容はリアリティがあるのか荒唐無稽かわからないものもあった。
話を聞いて、本のネタにもなって、性欲も満たせる。作家に都合良すぎた。
イスラエルの話が少し出てくる。
主人公はユダヤ人で、作者はこの話をもっとしたい。
主人公の作家だけでは惹きつける魅力に欠けるが、女性たちがいろいろ問題がありバランスを取ってる。
レア・セドゥが魅力的だから見れた。
途中の裁判シーンは視聴者に突っ込まれるのを見越して先手を打ってるような。考えすぎか。作家の受け答えとか、彼への不快感を持つ人に、わざと余計な挑発してたように感じた。
女性たちに自分との関係を言わせて、自分の魅力を再確認して酔ってるとこがある。
安い褒めのカツアゲをする。
モテる理由はなんだろう、聞き上手だから?
作家も結構しゃべる。魅力がいまいちわからない。
終盤で浮気を疑われた作家が奥さんに想像で書いたと言ってて、どっちなんだ、と一瞬。
本を出すとしたら本名で出すという作家。
事実と思われても創作と思われてもどっちでもいいんじゃないかな。
創作ならすごいし、事実ならプライベートが充実してるモテの自慢。
作家は怒ると幼くなり、自分勝手で勢いで押し切ってくる。すごく嫌なやつになる。
不倫相手との恋愛は全然感情がついて行かず冷静に見てたため、最後も冷めて見てた。
恋愛映画として見てなかったけど、最後にもしかして恋愛映画だった?と思った。
文学的で小難しい話だけだと興味を維持できないから、恋愛や性のパートがあったのかな。
実際このパートがあったから読むのに疲れ過ぎなかった。
それとも作家の自由で充実した生活と身近な悩みを会話劇で表現したかったのか。
バカに濃密で文学的な会話劇だなあ、戯曲の映画化かな、と思っていたらフィリップ・ロスの小説が原作だそうですね。さすがというかなんというか。未読ですが会話だけで成り立っている小説のようです。
セリフがいちいちうまくできていて、なかなか面白かったです。小説家もてもてだ。願望かな笑。
邦題の「リア・セドゥの」は余計ですね笑。主役じゃないし。それがないと客が呼べないと思ったんでしょう。