帰らない日曜日のレビュー・感想・評価
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懐かしい光の中に戻りたくなるようなイギリス映画
本作を見ていくうちに、1980年代後半から90年代前半に製作され、筆者が学生時代に続けて見て感銘を受けたイギリス映画を久しぶりに思い出した。ジェームズ・アイボリー監督の「眺めのいい部屋」「モーリス」「ハワーズ・エンド」「日の名残り」といったミニシアター系で公開された名作、秀作と似た光と匂い、時間の流れを持った、なんともイギリス映画らしい作品で、懐かしく感じた。
まるで絵画のようなイギリスの風景の中で展開する「帰らない日曜日」は、当時の時代を反映してか、スローモーションのようにゆっくりとしている。昨今のエンタテインメント大作の早い展開(演出と編集のリズム)に慣れている方は最初もどかしく感じるかもしれないが、陽の光と風を意識した画づくりにより、そのリズムが次第に心地よくなってくることだろう。そして、衣装や美術、登場人物たちの所作などから当時の貴族たちの美意識や、主人公のエレガントな官能が匂い立ってくる。
身分違いの秘密の恋とは別に、本作の根底には、戦争によって愛する家族や兄弟、子どもを失った悲しみと喪失感も流れているのが重要なテーマとなっているが、イギリス映画の系譜を受け継いだ、ちょっと立ち止まって、思い出のあの日に、あの懐かしい光の中に戻りたくなるような作品である。
ミステリアスなジェーンの人柄が色濃く映り込む
<映画のことば>
「君はいつ作家になった?」
「覚えてない。」
「嘘だな。」
「きっかけは三度あったわ。生まれた時と、タイプライターをもらった時。」
「三つめは?」
「覚えてないわ。」
本作は「名家の子息と孤独なメイドのラブストーリー」という前評判でした。
その前評判にすっかり洗脳されてしまっていたのかも知れませんが、実は、本作を観始めた時点では、婚約者がありながら、こっそり(堂々と?)他家のメイドとも関係を持つ、お屋敷のボンボンの放蕩物語かと、推測していました。当初は。正直なところ。
ところが、観ていくうちに、どうやら、そういう雲行きでもなさそうと気づきました。
ジェーンは、なぜ(どういったきっかけで、どういう理由から)婚約者がいるポールとこういう関係を結ぶ間柄になったのでしょうか。
ジェーンの様子からして、ポールにぞっこんという様子もなく、婚約者のある男性との逢瀬を、むしろ楽しんでいる節も、ジェーンには見受けられたように思われます。評論子には。
本作中では、ニヴン家のメイドとなるまでの彼女の生きざまは描写されていないのですけれども。
しかし、孤児院の出身ということであれば、天涯孤独、自分自身が生きることだけを考えればよいという、ある意味「自由な身の上」だったようです。
そのせいの生来(性的な側面も含めた)奔放な性格だったのではないかだと受けとりました。
あとに同棲?することになるドナルドとの関係性も含めて。
(孤児ということだが、若き日のニヴン家のメイドと時代の彼女から、その生い立ちを窺い知ることはできなかったようにも、評論子は思いました。)
もともと、当家のメイドに過ぎないジェーンが、他家の家族の一員であるポールと本当の恋仲になどなりようはずもない―。
身分階層がはっきりとしていた(当時の)イギリス社会のありようからして、そのことは、ジェーンにしてみれば「百もしょうち、二百も合点」だったはずですから。
彼女のそういうミステリアスな生き様が、その数奇な運命とともに、本作の全体を通じての「味付け」になっていたように思います。
そしてモチーフとなっている女性がどちらも作家ということからも、本作は、別作品『あちらにいる鬼』のイギリス版だとも言えるようにも思われます。
第一次大戦下て、生活のちょっとしたところにも戦争の影ー閉塞感が窺われるという世相の中で、ジェーンは芸術家(彼女は後に小説家となる)としての自由な生き様を貫いていたと評したら、それは評論子の勝手な憶測ー独断というものでしょうか。
(そのことは、婚約者のあるポールとの、本当に屈託のない性行為にも表れていたと、評論子には思えてならないのです。)
原題の「マザリング・サンデー」の「マザリング(愛撫)」も、ジェーンとポールとの性愛関係を、実は暗示しているように思えてなりません。評論子には。
彼女がポールの両親からも(彼の婚約者であるエマを差し置いてまで、彼の父親が所有する)競走馬の残り一本の脚の所有者と目されていたことも、そのように理解しました。
評論子は。
佳作てはあったと思います。
<映画のことば>
「書くしかなかったの。
しんどい作業だったけど。
素晴らしい日々だった。」
<映画のことば>
記憶を呼び起こし、
それを描写して自分のものにする。
そして、言葉で再現する。
君ならできる。
やってくれ。
僕らのために。
そして、君のために。
(追記)
別作品『女王陛下のお気に入り』でアン女王を演じたオリビア・コールマンの出演作品ということで、観ることにした一本になります。
彼女が主演というわけではないことは分かっていたのですけれども。それが、本作の鑑賞の、いわば「入口」だったという訳です。
いわばほんのちょい役なのですけれども、本作の中では、けっこう重要な役回りだったのではないかと、観賞後には思われました。
本作の原題は、前記のとおり「マザリング(愛撫)・サンデー」ということですけれども。
ポールの回想からも、彼女は(シェーリング家・ニヴン家の子供たちを含めて、文字どおり子供時代から)子供たちを、慈(いつく)しみ、深い愛情をもって育てていたことが、窺われるようです。
ダブル・ミーニングとして、原題の意味は、そこにもあったように思われます。
評論子には。
(追記)
女性の側が使う避妊具(ペッサリー)のことを、別名では「オランダ帽」というようです。ネットで見てみると、考案者はドイツ人医師のようですけれども。(当時は?)避妊法の研究が進んでいたオランダに渡って改良されたようなので「オランダ帽」と呼ばれるようになったもののようです。
評論子は、初めて知りました。
本作を観て。
雰囲気が好き
原題:Mothering Sunday
人生の転換点。
自分の原点。
マザリング・サンデー。
母なる日曜日、か。
【映画感想文】人生の転換点、自分の原点を描く「帰らない日曜日」
●余韻が漂う作品
物語の展開や登場人物の心情を、過剰に説明することなく、観客の想像力に委ねる絶妙な間合いが印象的だった。
特に、ジェーンとポールの関係性や、彼らを取り巻く時代背景などが、直接的な説明ではなく、表情や仕草、沈黙の瞬間を通じて巧みに描かれている。
この余韻を残した表現が小説を読みたいと思わせてくれる動機になっていると感じる方も多いのではないだろうか。
また、この映画は1924年、1948年、1980年代と3つの時代を行き来する構成になっており、それぞれの時代の移り変わりも、過度な説明を避け、観客の想像力を刺激する形で表現されている。女優が若かったので時系列の変化がわかりにくかったが、この時間軸の移動が、物語に奥行きを与え、余韻を深める要素となっている。
さらに、映像美や音楽も、この「絶妙な間合い」を支える重要な要素となっている。美しい自然描写や、時代を反映した衣装やインテリア、そして情感豊かな音楽が、セリフや行動だけでは表現しきれない感情や雰囲気を巧みに伝えていて良かった。
●まとめ
映画の中で直接的な説明を避け、「行間を詰めすぎない」ことで、観客に自由な解釈の余地を与え、映画を見終わった後も長く心に残る余韻を生み出している。
これによって、単なる物語の消費ではなく、観客自身の経験や感情と結びつき、深い共感や思索を促す効果があるように思う。
具体的には、鑑賞後「帰らない日曜日(※)」(原題:Mothering Sunday)というタイトルを通して、観る人それぞれの心に「人生の転換点。自分の原点。」についての問いを投げかけているように感じた。個人的にこの問いかけによって、一層印象に残る作品となっている。
※邦題はややネガティブな印象を受けてしまう。しかし、この日曜日があったからこそ、その後のジェーンの成長に繋がっていると捉えると、やはり原題の方が良かったのではないかと思わずにはいられない。
四時まで
話が前後し最初訳がわからない???しながらあーそういう事ね。彼等の情事が男の身勝手な感じがして、なんが嫌だなぁと思っていたが男の最後のあり方でうーんとなった。でもやはり責任感のない扱いでは無いのか?自死であるとしたら、死ねば終わりと思うのは本人だけ、家族友人堪らない。その後の恋人との関係もよく分からず、突然おばあさんになって賞を取ってあれまぁという感じ。
情事の後いくら自由にと言われても他人の家で裸でウロウロ出来ないよー
得るものと失うもの
「素晴らしい日々だった」とインタビューに答える。
失うものは何も無い孤児で生まれ、それでも多くを失う日々。多くの賞も得られたのだろう。
得られるものと失うもの、人生の中でどちらが多いのだろうか?
そんなことを考えさせられる作品。
まあまあ
フランス映画みたいだった。回想が度々。
恋愛すると彼が亡くなる可哀想な女性。
彼の部屋で一人になってから誰かにバレないか?勝手にドキドキしちゃった。
メイドなのに悲しくてもグラス割ったらダメじゃない?(笑)
小説家になった《美しいメイド》の回想
マルグリット・デュラスの「愛人/ラマン」オクターヴ・ミルボーの「小間使いの日記」になれず。
文芸作品の映画化。美しいが・・・惜しいです。
女性小説家の回想なら、
マルグリット・ドュラスの「愛人/ラマン」があります。
仏領インドシナを舞台に15歳の少女の通う寄宿学生が年の離れた
中国人華僑の愛人になるストーリー。
阿片に溺れる華僑との激しいベッドシーン。
愛を先導したのは私・・と、そう言い切る意地っ張りな少女。
女性作家の業と性が鮮烈でした。
1925年。
この映画はたった一日の出来事。
イギリスの上流階級ニヴン家のメイドの少女ジェーン(オデッサ・ヤング)は、
同じく上流階級の息子ポール(ジョシュ・オコナー)と留守宅の
逢いびきを楽しんでいる。
メイド役のオデッサ・ヤングのヌードシーンが多い。
半分くらいは裸で、屋敷を探訪する家政婦のジェーン。
とても可憐な美しい裸身。
でもヌードが多過ぎます。
綺麗過ぎて無個性なヌード。
そしてニヴン家の息子たちの悲しい出来事。
ジェーンの捨て子だった生い立ち、そして作家になる・・・
などが回想シーンで描かれます。
有名な家政婦を描いた映画に「小間使いの日記」があります。
3度も映画化された作品。
家政婦を演じたジャンヌ・モローの耽美な顔のシニカルな美しさ。
屈折した視線に反比例する貧相な体格。
ジャンヌ・モローはなんと背徳的な視線を持っているのだろう。
このメイドの役、リリー・ジェームズに演じたらどうだっただろうか?
オデッサはリリーにとても似てます。
ご主人夫妻がコリン・ファースにオリヴィア・コールマンのビッグネーム。
本気度を出すならリリー・ジェームズです。
それにしてもヌード・シーン。
女優がヌードになるのはとても意味深いものです。
「フレンチ・デスパッチ」のレア・セドゥのスッポンポンシーン。
これを見ずして何を観るか?!的な、レア・セドゥのアッケラカンには
「意気に感ず!!」
その男前に大好きな女優になりました。
脱がなくても凄いジャンヌ・モロー。
脱いだら凄かったレア・セドゥ。
リリー・ジェームズさんに一肌脱いで頂いたら、
多分忘れられない映画になったのでは?
女性作家の回想だとばかり思って調べたら、原作者はなんと男性。
この辺りもちょっと裏切られて残念。
第一次世界大戦の戦死した息子と重ね合わせたのも、ストーリーテラーとして、
やや平凡。
盛り上がりに欠け、ラストで萎んでしまい名作になり損なった
・・・そんな気がする映画でした。
映像が美しく調度品、蔵書、絵画に見惚れました。
生涯忘れられない一日のはなし。
誰しも、自分の人生を決定的に変えてしまった出来事をもっているはず。
これは孤児でメイドだったジェーンが、作家になった全ての理由をつくった一日を描く物語。
物語が好きだった彼女は、いくつもの悲劇の重なりに導かれるようにして作家になっていく。描きたい、ではなく、描かずにはいられなかった。
そんな創作する人の心に寄り添った作品に思えたのに、宣伝は軒並み恋愛や官能的な様に焦点を当てていてミスリードと感じてしまう。
あの日のために、彼女は生涯物語を描き続けた。何も持ち得なかった彼女が、全てを手にし、全てを失ってしまった、生涯忘れられない一日のはなし。
身分差のある恋愛という一見ありきたりなテーマを、現代的に捉えなおした一作
大きな窓から入ってくる柔らかな光に満たされた部屋、緑の映える少し霞んだような屋外、などなど、映像の美しさが非常に印象的な作品です。少し沈んだ「赤」が、キーカラーとして衣裳など様々な場面で使われていて、画面を引き締めています。このように、カラーコントロールや光の表現方法という観点で特に見所が多いところが本作の特徴の一つとなっています。
イギリスの上流階級社会の屋敷では、家事全般を執り行うため多くのメイドが働いていますが、ちょうど日本のお盆休みのように、一日だけですがメイド達が故郷に帰ることができるマザリング・サンデーという習慣があるそうです。本作はそのマザリング・サンデーの前後に起きた出来事を主に描いています。
マザリング・デーの間は日常生活を世話する人がいなくなってしまうため、雇い主である貴族達もまた、ピクニックをするなど、思い思いに過ごします。本作の家族達も、この機会を利用して、連れ立って御曹司の婚約お披露目会を開くことにします。
そうして屋敷が留守になった隙を突いて、シェリンガム家の御曹司ポール(ジョシュ・オコナー)とニヴン家のメイドであるジェーン(オデッサ・ヤング)は密かに落ち合います。二人の関係は、一見すると結婚を控えた御曹司の気まぐれな遊び、なのですが、実はジェーンはこの「お遊び」を通じて、後に彼女が自らの人生を選択していく上での様々な要素を吸収していたことが、徐々に明らかになっています。
一見煽情的な場面でも、実は身分や学歴などの境界を乗り越えて進んでいこうとする彼女の内面を表現していることが分かるなど、テーマと映像が見事に一致しています。とはいえ、単なる「成り上がり物」でもない情感を残しているところが、結末の清々しさに繋がっています。
典型的な時代物であるように見える本作ですが、テーマは現代的で、かつ映像の美しさが際立っているので、予告編で興味を持った人の期待はまず裏切らない作品です。
I’m born again 的なヤツ。
メイドに許された1日だけの休暇に起きた出来事、なんだけど。
ポールとジェーンの関係には感づいていたと思われるニヴン卿。
ポールの死後、何らかの証拠が自室に残されていないかを気にする彼。
「さようならジェーン」と言うポールの言葉からは自殺の兆候も読み取れ。
ガソリンに引火したとすれば白煙は上がらないから、あれは命を失った後の事故。
と言う流れの末の、ジェーンのこの言葉。
「4つ目の脚は私だったの」
マザリング・デーに帰る家が無いジェーンは、「つがい」不在の家に招き入れられ、性愛にふける。ポールが一人出かけた後の、広い、無人の家を、生まれたままの姿で歩き回り、本に手を伸ばし、パイを食べビールを飲み。そして服を着て出て行く。ポールの裸身の後ろ姿を鏡の中に見たような気がした後に。
まるで、シェリンガム家で生まれた娘の様に。
と言うか、ここで過ごした、この午後の体験で、彼女は、もう一度生まれた。
てな感じの、文学作品です。
ヤバい。画がとことん綺麗ですもん。文学作品に相応しい時間感覚ですもん。コリン・ファースにオリビア・コールマンと、脇を固めるのは名優中の名優です。美しい英国の牧歌的風景、と言うより、美しく撮ったと言うべきでしょうか。
終演の場面の染み方と言い、後味の良さと言い、「珠玉」と言う言葉が相応しい一本でした。
フェアチャイルドってそういう苗字なのか
予告を見てもどんな映画かわからないことが時々あって、正直メランコリーな古き良き時代懐かしみ映画だったらどうしようと思っていたが、思ってた通りでなくとても良かった。
一世紀前に思う
大戦のキズが上流社会含め国全体を覆うなか、当時最も進歩した社会の英国でさえ、自由な結婚など難しいこともあったのだと改めて思った。
主人公は作家になることは生きる上での責務だったのだろう。
パートナーに三つ目の理由を耳元で囁いたのだろうか。
母教会へ行く日
1924年3月、イギリス中のメイドが年に一度の里帰りを許される母の日の日曜日。しかしニヴン家に仕えるジェーンは孤児院育ちで、帰る家はない。そんな彼女のもとに、秘密の恋人であるアプリィ家の子息ポールから密会に誘われた。幼なじみのエマとの結婚を控えるポールだったが、前祝いの昼食会を前に、屋敷の寝室でジェーンとセックスでひと時を過ごした。やがてニヴン家へ戻ったジェーンにポールが事故死したとの連絡が入った。時が経ち小説家になったジェーンは、忘れられないあの日のことを振り返る、という話。
イギリスの母の日が復活祭の3週間前の日曜日なんだとこの映画を観てから調べて知った。
元々母教会へ行くために年に一度故郷へ帰る習慣があったらしい。なので、マザリングは母教会を指すものとの事。
ジェーン役のオデッサ・ヤングの美しい裸体観賞作品ともいえる。いくら好き同士でも家柄が違うと結婚できなかった時代なんだろう。結局ジェーンは結婚しなかったという事なのかな?
ポールの服を着る順番はやはり変わってると思った。
イイ感じなんだけど、ちょっと編集がマズった感じ(←何を偉そうに(笑)
宣伝ポスターもなんかちょっと爽やかラヴストーリーっぽくってね〜
と、思ったら結構、露出多めの(笑)映画だった!!
第一次世界大戦直後のイギリス。
貴族たちも子息を亡くした人が多くて意気消沈。
それでも貴族間の関係性を保つために
同じ階級同士で縁を結ぶべく、とある名家の三男と
妙齢の御令嬢が間もなく結婚する。
実はこの名家の三男には内緒の恋人、今風に言えばセフレとして
他の貴族宅に勤めるメイドさんとイイ仲で
年に一度、メイドさんがお休みを貰って自由に過ごせる日に
自分のお屋敷に遊びに来る様に密かに連絡を取ってきた。
家族は皆外出、使用人達も留守の立派なお屋敷の中で
貴族の三男と秘密のセフレのメイドさんは
丁寧に逢瀬を楽しむのでありました。
事が終わった後に
「夕方まで誰も帰ってこないからね。
ゆっくりして行くといいよ。
さようなら〜〜」
と言い残して名家の三男は家族が先に出かけている
とあるガーデンパーティーに出かけて行く。
1人豪邸に残された若きメイドさん、
普段なら仕事で掃除している様な立派な書斎で
三男が読んでいそうな本をパラパラめくってみたり
タバコの吸い殻を手に取ってみたり
「お腹が空いたらキッチンにパイが用意してあるから
食べるといいよ。僕が食べたと言っておくから」
と言われて、キッチンに行ってパイを食べて
ふと、いつもの習慣でパイを切ったナイフを洗おうとするのだが
きっと、貴族の坊ちゃんはそんな事しないな〜〜と
思い直してテーブルの上に置きっぱにしたり・・・。
その一連の贅沢な時間を、
さっき事が終わった後の真っ裸の姿で歩き回るのですね。
清潔でありながらメイドさんの解放感が伝わるシーン。
そしてじんわりとエロティック〜〜!!
ドラマの中程に
主人公のメイドさんが務める貴族の家の奥様役の
オリビア・コールマンが、孤児で家族のいないメイドさんに
「何も無い人は何も失うことが無いから強いわね〜〜」と
涙ながらに伝えるのだけど、それすらも、
私には持てる者の驕りのように聞こえる。
「日の名残り」とか「眺めのいい部屋」的な
イギリスの田園風景の中の
貴族社会世界感が好きな方にはおすすめです!
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
主人公のメイドさんと三男の逢瀬、
貴族の三男にしては、メイドさんの足からそっと靴を脱がせて
ドレスを優しく脱がせて、事に至るまでの一連の流れが
目下のメイドさんを1人の女性として、
とても尊重している所がなにより美しい。
と、関心した後に、
三男が出かける支度をしながら話を続けるシーン。
いや、普通、パンツから履かない??
個人の自由ですが、ずっと下半身を露出したまま
ランニングシャツ着て、カッターシャツ着て
ネクタイ閉めてるんです!!(笑)
逆にわざとらしくて、ちょっとここは、
貴族階級の誰にも媚びる必要の無い立場を
ひけらかしているようで、
前半でメイドさんを丁寧に扱うシーンと対のよう〜〜。
で、この物語、主人公のメイドさんの10代頃から始まって
年代を経て、最後は80代近いところまで
いくつかのエピソードが行ったり来たりするので
なんだか、話が一瞬???見失ってしまう。
そこがもうちょっと整理された編集だったら
いい感じで余韻の残る物語だったかも〜〜
イギリスの田園風景が美しい
映像のとてもきれいな映画。メイドとお坊ちゃんの秘密の恋だけど、逢瀬の時は対等で毅然としているジェーンが素敵。
メイド時代と作家になって哲学者と結婚する時代と、成功した作家としての老年期と、時間が交錯するが、それほど混乱しないのはジェーンの服装が記憶に残るメリハリの利いたものだから。
ところで、一つ引っかかったのが、ジェーンの同僚の料理担当召使い。キスしかしてない婚約者は戦死して結婚する気もないと言ってたのに、避妊法について詳しいようだったのは、そしてポールの事故死をきいて号泣してた(ジェーンはその時泣いていない)のは、彼女も関係があったということなのだろうか?
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