PLAN 75のレビュー・感想・評価
全285件中、41~60件目を表示
ソイレントグリーンの舞台は2022年!今年でっせ
あちらは60歳で人生強制終了。ワタシはアウト こちらは75歳で希望者のみ安楽死。 間の長い演出がおまえらこんなことで世の中いいんですか? と我々に答えを委ねる。 ですが なんで自殺やめたん? なんで叔父を助けようとしたん? フィリピーナ要る? 世の中の不条理に対し言いたいことは一杯あるのに説明不足が多いなあ。 心に染みるまではいかない。 60点 5 MOVIX京都 20220621
現実的
先日(2023/04/27)ネットに“日本人口50年後8700万人”というニュースがあがっていた。「将来推計人口」の試算によるものだそうだ。 外国人の入国者が増加し、2070年の平均寿命は、男性は85.89歳に、女性は91.94歳に伸び、高齢者の人口は38.7%に上昇する。──とニュースは言っていた。 じっさい、どんな世界になるのだろう。 映画Plan75は75歳で死ぬ選択ができる謂わば姥捨山が法制化された世界を描いている。 若年者は老人の長話につき合い、つつがなく死んでくれるように説得し、外国人は死を看取る。 倫理はともかく「そうならざるをえない」と思える世界でかなり現実的に感じられた。 以前に比べて成田悠輔があまり出なくなったのは「高齢者は集団自決」発言によるものと言われている。 発言は伝播し海外の拒否反応が強かったので日本もそれにならった。人権に触れる問題はグローバリズムに従属せざるをえないからだ。 ただし少子高齢の社会問題にたいして高齢者が死ぬしかないという提案は、たんに誰も言わないだけの姥捨山発想であり、ドライかつ毒のある成田悠輔の特性を知った上で、ネタにされ楽しまれた発言だった、に過ぎない。 言うまでもないが高齢者が集団自決するのは不可能だから。喩えに憤ってどうするの。 ましてこの惑星で唯一無二の特殊な環境にある日本の問題を海外の人権派にいちゃもんをつけられる筋合いはない。 ごく順当に考えて高齢者が死なないなら、じゃああんた、どうやって少子高齢社会に決着つけるんだよ。──という話である。 生きたい人はともかく、75歳で(あるいは何歳であろうと)逝ってもいい人が逝ける世界は、かなり現実的ではなかろうか。 じぶんも誰かや国の世話になる前におしまいにしたい。 そういう制度があったら世話になりたい。(潔いことを言っといてその時になったら生きる気まんまんだったりしてなw。) 早川千絵監督は上手だった。基本が出来ていて悲しい場面をずるずる引きずらない。お涙にしない。日本の映画監督とはぜんぜん違った。 来歴を見て、海外でしっかり映画を学ぶと、悪しき日本映画から抜け出せるのかもしれない──と思った。また(わたしの観相は精度が曖昧だが)早川監督は顔がよかった。 ただし映画Plan75には生きのびる人も死にゆく人も大人しく善良な人物しか出てこない。 現実世界はもっとぐだぐだで、理不尽な人がいっぱいいて、むしろPlan75の世界が丁寧な世界に感じられてしまった。 そこで思うに、この進み具合で人の心が荒んでいけば、政治家が選択制安楽死法案を提唱し国会で通るのは、わりと近い未来のような気がする。 本作はカンヌの“ある視点”をとっているのだが、将来の日本で、少子高齢化は“ある視点”どころか、ほぼすべての因子になる。 そのとき「高齢者は集団自決」発言やPlan75がどんだけ普通の成り行きなのかきっとわかるときが来るだろう。と思った。 倍賞千恵子がよかった。
孤独を抱えた老人が人生の最後に考えること
与えられた選択肢を倍賞千恵子さんが 好演していました。 電話での自分の人生を振り返る温かみのある声、何処にも行く宛の無い自分。 寂しさを抱えながら彷徨う感情。 ベンチに座りながら差し出された炊き出しに 1人静かに黙々と食べるミチ。 PLAN75と言う制度を利用して 電話での話を聞いてくれたコールセンターの 女性、河合由実さんに感謝を伝えるミチ。 夕陽が差し込むシーンは、人生の終末期を どう迎えるか表現されていました。
倍賞千恵子さんの演技が光る
超高齢化が止まらない日本において、生産性のない高齢者は生きる価値がない、死んでほしいと扱われる世の中になっていくのか。 設定自体は架空の物語だけれども、他人事ではないリアルさがあり、これから必ず老いて高齢者となっていく身として、観た後、ずんと重い感覚が残った。 いくつか設定や話の流れに不自然さを感じる部分もあったものの、十分に心に訴えてかくるものはあった。 そして、何より倍賞千恵子さんの演技が素晴らしかった。歳を重ねてより一層深みのある、リアルな演技に引き込まれた。彼女の存在感により、この作品がより心に残るものになったと思う。
夕陽は、ただ沈む
ようやく見た。 ずっと気になっていて映画。 『週刊金曜日』でも特集が組まれ、表紙は倍賞千恵子が飾っていた。 杉田何某とか成田何某というような、自分のアイデンティティを「無知」と「無恥」に込め邁進している輩が重宝されているこの社会の現実では、この輩の口を少しばかりでも塞ぎたくなうような心境だ。 おそらくは誰もが、重く考えさせられた映画だったろう。 もしこの映画を観て何も響くものがないというのであれば、まさに「何某」と同類の「素晴らしい」論者ということになるだろうし、自分からすれば、また「蠅叩き」の相手が増えただけの話だ。 映画のテーマとして 死は吐き気である。これは正しい。 この死を、自己完結的に綺麗に処しようとするところから、人の思考は誤り始める。 自己決定とか、他害禁止という言葉で、死を害い始める。 死は、いつでもどこでも誰にでも吐き気でしかない。 この映画の後半部分にそのシーンが出てきたのは合点がいく。 自分でも、そして他者でも割り切れずに受け入れなければならない「死」とは誰にとっても「吐き気」でしかない。 死を自在や他材では処すことなどできないにもかかわらず、それを知らない連中は傲慢にもそれを恣にすようとする。生まれてきた時もそうであったように、死すること、時も自分の思いのままにはできないのだ。 映画の構成として 見事である。 角谷、岡部、マリアのストーリーが、最後に向け結節点を描き出していく。そして、その結節点が、誰かに「剥ぎ取られてはならない死=生き方」であった。 この死の固有性や一般化不可能性を描き切ったという点では評価できる。 背後に流れる、言葉として語られている「一般化されたナレーション」とのコンストラストが秀逸だった。 そして映画の色使い 光の使い方、照らし方、影の用い方、とても素晴らしい。役者の一人一人の言葉少なさを陰影で十二分に表現していた。 #こんな映画を制作させてしまうこの国のあり方こそが、No Planだということの証左だろう。 #倍賞千恵子の「声」=「歌」。 人は、この(自分の)声=歌で、生きる。 自分の人生は自分のメロディーでしか理解できない。
考えさせられる作品
最近気になる磯村勇斗くんが出ているので 気になっていた作品 最近の作品は『観たいなぁ~』って思ったら 直ぐに行かないと見逃してしまうので… この作品もしかり…。 やっとAmazonプライムで観た 内容が内容なだけに重たく 画面も暗めな部分も多くて… 『えっ!何?!』って… 解説を求めたくなる場面も多くて💦 高齢化の今現在 後継者の居ない高齢者には選択肢のひとつになるであろう『PLAN75』なのかもしれない 自分だったらどうするだろうと思わされた作品で 磯村くんの振り幅も大きく感じさせられる作品でした。
高齢者の安楽死に踏み込んだ映画
75歳から自分の生死を選択できる制度が制定された近未来の日本を描いた映画です。 設定やストーリーはさておき、高齢者の『安楽死』を正面から取り上げた勇気を評価したい。政治家は高齢者の票が欲しいので一切触れないし、マスコミも批判を恐れ本格的に触れません。 この映画は高齢者には実感が湧くが、若い人には、老人ばかりで暗くてテンポが遅い映画としか映らないだろう。若い人もいつかは高齢者になるので、高齢者の若いときの映像も入れ、若い人でも実感が少しでも湧くようにしてほしかった。また、もっと存在感のある男性高齢者俳優を起用してほしかった。 しかし、この映画により、高齢者の『安楽死』について、スタートラインに着けたような気がします。 ちなみに、私は71歳の爺です。
重い内容。
75歳になると、自分の死を選ぶ事ができる、という制度があるという設定での話。 そこで75歳になると、それを選ぶ人の葛藤と苦悩と孤独をひしひしと感じる。 知り合いの孤独死を発見する、高齢で仕事が見つからない、ポストを見ても郵便物がない、老と死と孤独が常に映像に付きまとい、死は他人事ではないことを改めて感じる作品。
役者さん達が名演技
これ実際にあれば 今の年金制度の逆で 75歳なら十万円 それ以前なら金額増えるよって 60還暦ころまで遡ると一千万ぐらいもらえるなら 退職金のない私は立候補するかも? ただ、最後の在り方が付け焼き刃だなぁ 個室で死にたい。 それか寿命を操作してもらって、自然死にみせかけて死にたい。 事故でもいいから。 終活少し前の自分は死に方を考えさせられる内容でした。
カメラの角度、おさまりの悪いピント、長すぎるズームなど、撮影にいくつか心地悪さをおぼえる。
未来/現代の姥捨て山は、自ら山に行ってもらい他人の手で始末するという設定。あり得る。 だが登場人物がみな物分かりが良くおとなしすぎるので面白くない。そうではない人がもっといるはずだ。 オープニングシーンがあったからPLAN75が成立したのだろうが、やや説明不足。 遺品整理や役所の上司、炊き出しなど、取材した逸話の挿入は面白い。
自分事として考えさせられた
1日前に寅さんの1作目を観たばかりだったので、あの若々しいさくらがこんな歳になったことに人間の老いを実感した。またPLAN75が非常に真面目に描かれていたのには好感が持て、真剣に自分だったらどうするだろうと考えてしまった。
寂しさ溢れる各人に訴えてくる映画
内容は、舞台は近未来の日本。75歳に選択制で死を選ぶ権利が法律で可決され登場する人物が死について考える映画。印象的な言葉は『さよならだけが人生さ』この映画は、映像の寂しさを強調しながら歌が映画全体を分かりやすく登場人物の心境を表していたところが、一段深く感じる事が出来ました。印象的な場面は、それぞれの登場人物が観客に訴えかける様に正面を向く場面が目を逸らすことが出来ず、意図的に考えさせられました。印象的な状況は、老年の寂しさが特に強調されステレオタイプに描かれて、もう少し深く登場人物に入り込めなかったのか?!尺の都合なのか残念でなりません。映画界では、昔から良く使われる題材の姥捨山なので期待しずきてしまいました。しかし、新しい視点を得ることが出来ませんでした。夕暮れの静寂の中新たなスタートを感じされる終わりのコントラストは気持ちよかったです。そして倍賞千恵子さんの演技と姿勢は歳を感じさせない流石女優だと感心した作品です。
死の選択と、その先。
影、遮光、自然光での撮影など、どうしても感情的になってしまう映像だが、この制度を前向きに受け入れた人も中にはいたのではないだろうかと想像せざるを得ない。そのあたりの対比もきちんと描いて欲しかった。 一方で、死をルール化することで、対象者個人や親族ではなく、社会にもたらす影響については、もっと深掘りできるのではないかと思った。そこに光を当てるのが作者の意図だとすると面白く思う。 それにしても、倍賞千恵子の素ではないかと思わせる演技力に、ただただ引き込まれる。
重い!
十年ten years japanのオムニバス映画は20分ほどの短編だったが、それでも衝撃的だったが、さらに長編になって見応え充分。 プラン75の該当者、推進する役所側の職員の苦悩。さらに現場で働く人々の苦悩など様々な角度から描かれていて考えさせられる。 この映画の中で法案が出来たキッカケが、老人の無差別殺人ということが、きついなあ。 主人公のミチさん、退職する日にロッカーを綺麗にし、ロッカーに手を合わせておせわになりました、とするあたり、今まで真面目にきちんと生きてきたであろう人物。生活保護に頼らず新たに仕事を探して自分でしっかり生きていこうとする意欲もある。そんな人でさえ、この制度を利用することを選んでしまう。 最後、生き残って外に出ることができるのだろうか?との疑問もあるが。 個人的にはこんな法案があったら私は利用してしまうかも。もう老後を考える年齢であり、世で言われている老後の必要な資金とか、先を考えると不安しかない。子供達の負担にはなりたくないし、何歳までと決めることが出来ればそれまでの生活費、楽しめる資金等の計画も立てられ、病気で苦しむよりも良い気もする。身の回りの整理もつけられる。なんて、短編映画を観た時から考えていた。でもこれって逃げてるよなあ。命ある限り頑張って生きないとね。と思うけど、先を考えると不安だらけの気弱おばさんです。
WOWOWシネマ
死にたくなったら全力でサポートします!という作品 十年の短編をから本作を視聴しましたけど、短編の設定だと社会保障費200兆超えで道端に老人が横たわって(亡くなって)いても気にならないほど当たり前の光景になっているダメ政府。 本作のプラン75もダメ政策で、ギリで辞めた場合は終活で家財一式処分(これも政府負担?)してるのにその後を勘案していない。生活保護を受給するのかな?映画護れなかった者たちで賠償さんは生別れの子に知られたくなくて受給せずに餓死を選択してるので、こちらも同じになるのかな。 ほんと駄目な政策でまずは雇用問題クリアして死を選択するのを必要としない社会を目指してちょ。
全285件中、41~60件目を表示