PLAN 75のレビュー・感想・評価
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倍賞千恵子さんの演技が光る
超高齢化が止まらない日本において、生産性のない高齢者は生きる価値がない、死んでほしいと扱われる世の中になっていくのか。
設定自体は架空の物語だけれども、他人事ではないリアルさがあり、これから必ず老いて高齢者となっていく身として、観た後、ずんと重い感覚が残った。
いくつか設定や話の流れに不自然さを感じる部分もあったものの、十分に心に訴えてかくるものはあった。
そして、何より倍賞千恵子さんの演技が素晴らしかった。歳を重ねてより一層深みのある、リアルな演技に引き込まれた。彼女の存在感により、この作品がより心に残るものになったと思う。
架空の制度 PLAN75
75歳以上になれば死を選択できる制度、PLAN75。架空の制度を現実的なものに感じさせるためなのか、ドキュメンタリーのような演出であったが、もう少し内容に展開がほしかった。
夕陽は、ただ沈む
ようやく見た。
ずっと気になっていて映画。
『週刊金曜日』でも特集が組まれ、表紙は倍賞千恵子が飾っていた。
杉田何某とか成田何某というような、自分のアイデンティティを「無知」と「無恥」に込め邁進している輩が重宝されているこの社会の現実では、この輩の口を少しばかりでも塞ぎたくなうような心境だ。
おそらくは誰もが、重く考えさせられた映画だったろう。
もしこの映画を観て何も響くものがないというのであれば、まさに「何某」と同類の「素晴らしい」論者ということになるだろうし、自分からすれば、また「蠅叩き」の相手が増えただけの話だ。
映画のテーマとして
死は吐き気である。これは正しい。
この死を、自己完結的に綺麗に処しようとするところから、人の思考は誤り始める。
自己決定とか、他害禁止という言葉で、死を害い始める。
死は、いつでもどこでも誰にでも吐き気でしかない。
この映画の後半部分にそのシーンが出てきたのは合点がいく。
自分でも、そして他者でも割り切れずに受け入れなければならない「死」とは誰にとっても「吐き気」でしかない。
死を自在や他材では処すことなどできないにもかかわらず、それを知らない連中は傲慢にもそれを恣にすようとする。生まれてきた時もそうであったように、死すること、時も自分の思いのままにはできないのだ。
映画の構成として
見事である。
角谷、岡部、マリアのストーリーが、最後に向け結節点を描き出していく。そして、その結節点が、誰かに「剥ぎ取られてはならない死=生き方」であった。
この死の固有性や一般化不可能性を描き切ったという点では評価できる。
背後に流れる、言葉として語られている「一般化されたナレーション」とのコンストラストが秀逸だった。
そして映画の色使い
光の使い方、照らし方、影の用い方、とても素晴らしい。役者の一人一人の言葉少なさを陰影で十二分に表現していた。
#こんな映画を制作させてしまうこの国のあり方こそが、No Planだということの証左だろう。
#倍賞千恵子の「声」=「歌」。
人は、この(自分の)声=歌で、生きる。
自分の人生は自分のメロディーでしか理解できない。
考えさせられる作品
高齢者の安楽死に踏み込んだ映画
75歳から自分の生死を選択できる制度が制定された近未来の日本を描いた映画です。
設定やストーリーはさておき、高齢者の『安楽死』を正面から取り上げた勇気を評価したい。政治家は高齢者の票が欲しいので一切触れないし、マスコミも批判を恐れ本格的に触れません。
この映画は高齢者には実感が湧くが、若い人には、老人ばかりで暗くてテンポが遅い映画としか映らないだろう。若い人もいつかは高齢者になるので、高齢者の若いときの映像も入れ、若い人でも実感が少しでも湧くようにしてほしかった。また、もっと存在感のある男性高齢者俳優を起用してほしかった。
しかし、この映画により、高齢者の『安楽死』について、スタートラインに着けたような気がします。
ちなみに、私は71歳の爺です。
重い内容。
役者さん達が名演技
カメラの角度、おさまりの悪いピント、長すぎるズームなど、撮影にいくつか心地悪さをおぼえる。
尊厳死について貴方はどう思いますか?
これは明日の自分だろうか?
「生」と「死」の問いかけの狭間で、プラン75は可決された。自分の為の意思があるうちに安楽死を選び、死者の者から金属や再利用できるものを選び売る。ここには、ここの社会があるような気がした。ただ正義か否かわからない。ここにあるのただ認知症になる前に尊厳死を選びたい人もいる。それも尊重したい。でも家族は火葬には立ち会えない。たった1人で孤独に死んでいく。
主人公はある1人の老婆の目線、プラン75の職員の目線、プラン75のカスタマーの目線、プラン75の施設の目線それにより分かりづらくなってるが、基本は老婆の目線から全て穏やかに進む、職を失い、働き場もなく、家賃も払えなくなり、友人が自宅で死んでるのを見つけて、プラン75を見て人生を見つめ直していく。
そして死を迎えるその瞬間に、「生」の最後の執着を見せて彼女は生きた。次におとづれる死を待ちながら生きていく。
自分事として考えさせられた
寂しさ溢れる各人に訴えてくる映画
内容は、舞台は近未来の日本。75歳に選択制で死を選ぶ権利が法律で可決され登場する人物が死について考える映画。印象的な言葉は『さよならだけが人生さ』この映画は、映像の寂しさを強調しながら歌が映画全体を分かりやすく登場人物の心境を表していたところが、一段深く感じる事が出来ました。印象的な場面は、それぞれの登場人物が観客に訴えかける様に正面を向く場面が目を逸らすことが出来ず、意図的に考えさせられました。印象的な状況は、老年の寂しさが特に強調されステレオタイプに描かれて、もう少し深く登場人物に入り込めなかったのか?!尺の都合なのか残念でなりません。映画界では、昔から良く使われる題材の姥捨山なので期待しずきてしまいました。しかし、新しい視点を得ることが出来ませんでした。夕暮れの静寂の中新たなスタートを感じされる終わりのコントラストは気持ちよかったです。そして倍賞千恵子さんの演技と姿勢は歳を感じさせない流石女優だと感心した作品です。
死の選択と、その先。
影、遮光、自然光での撮影など、どうしても感情的になってしまう映像だが、この制度を前向きに受け入れた人も中にはいたのではないだろうかと想像せざるを得ない。そのあたりの対比もきちんと描いて欲しかった。
一方で、死をルール化することで、対象者個人や親族ではなく、社会にもたらす影響については、もっと深掘りできるのではないかと思った。そこに光を当てるのが作者の意図だとすると面白く思う。
それにしても、倍賞千恵子の素ではないかと思わせる演技力に、ただただ引き込まれる。
重い!
十年ten years japanのオムニバス映画は20分ほどの短編だったが、それでも衝撃的だったが、さらに長編になって見応え充分。
プラン75の該当者、推進する役所側の職員の苦悩。さらに現場で働く人々の苦悩など様々な角度から描かれていて考えさせられる。
この映画の中で法案が出来たキッカケが、老人の無差別殺人ということが、きついなあ。
主人公のミチさん、退職する日にロッカーを綺麗にし、ロッカーに手を合わせておせわになりました、とするあたり、今まで真面目にきちんと生きてきたであろう人物。生活保護に頼らず新たに仕事を探して自分でしっかり生きていこうとする意欲もある。そんな人でさえ、この制度を利用することを選んでしまう。
最後、生き残って外に出ることができるのだろうか?との疑問もあるが。
個人的にはこんな法案があったら私は利用してしまうかも。もう老後を考える年齢であり、世で言われている老後の必要な資金とか、先を考えると不安しかない。子供達の負担にはなりたくないし、何歳までと決めることが出来ればそれまでの生活費、楽しめる資金等の計画も立てられ、病気で苦しむよりも良い気もする。身の回りの整理もつけられる。なんて、短編映画を観た時から考えていた。でもこれって逃げてるよなあ。命ある限り頑張って生きないとね。と思うけど、先を考えると不安だらけの気弱おばさんです。
思考停止しなきゃ生きてけないよ
死を強制的に受け入れさせられる老人たちと、まだこの世界で生きて行かなければならない若者2人を軸に進む。
磯村勇斗はこういう子いるよね!っていう若者像を演じたらほんとにうまい。興味のある業務ではないが、やれと言われた仕事はやらなきゃいけない。だから思考停止させて言われた事を粛々とこなす。
でも身内がプラン75に申し込んでから、少しづつ考え始める。
国で待っている幼い病気の娘の為に高給だからと始めた死人から追い剥ぎをする仕事。これでいいのかと疑問を持ちつつ、生きるために淡々と業務を遂行する。
老人たちは世間から無言の「死ね」を言われ続け、根負けした人間から死に追いやられていく。
国から10万しか支給されないとか流れ作業で薬を注入していく感じが、地味にリアルだった。
こんな未来が待ってるなんて、ほんとに思考停止しなきゃ生きてけないって思った。
個人的に年取って動けないレベルになったら死が選べるって事はそんなに悪くは無いとは思うけど、死に方は選びたい。死ぬ時は好きな音楽くらい聴かせて欲しいわ。
WOWOWシネマ
あなたが何を感じるか
75歳に到達すると安楽死を選択できる制度が導入された日本。
身寄りのない老人やこの制度を運営する若者が登場する。
登場人物たちのセリフは少なく、それぞれの表情や行動がその人物たちの心情を語っていく。それでも全ての心情がわかるわけでなく、自分の想像で補うしかない。
そこで自分が何を想像し、どう感じるか。そうした問いかけをされている映画だと思う。
日本はすでに超少子高齢化社会と化しており、政府は異次元の少子化対策と題して今後の方針を示した。
その中で高齢者福祉を犠牲にする案もあり、メディアやSNSでは高齢者VS子育て世代という対立構造を煽る様相もある。
どちらか一方が大事なのか、どちらかの犠牲無くしては成り立たないのか。そうではない、どちらも大切であるし、どちらも成り立たせなくてはならない。
今を生きる大人にはそれを実現させる責務があると私は感じた。
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