PLAN 75のレビュー・感想・評価
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一石を投じる意味では佳作
<映画のことば>
お年寄りって言うのは寂しいんです。
誰かに話を聞いてもらいたくて仕方がないんですね。
そういう方々に寄り添って、じっくり話を聞いて差し上げるのが、皆さんの仕事です。
実際、やっぱり途中で「やめたい」ってなる方がすごく多いんです。
そうならないように、皆さんがうまく誘導してあげなくちゃいけない。
人間ですから、不安になるのは当たり前ですよね。誰も好き好んで死にたいなんて思わないですよね。
そういう気持ちには、きちんと寄り添うことが大切です。
そのうえで、利用者様がこの世に未練を残すことなく心安らかに旅立っていただけるよう勇気づけるーそれが私たちの役割です。
☆ ☆ ☆
「駕篭に乗る人、担ぐ人。そのまた草鞋を作る人。」ー世の中は、いろいろな立場の人から成り立っている訳ですけれども。
立場が違えば、価値観も、ライフスタイルも、当然に違ってくることでしょう。
そういう違いの一切を捨象して「75歳」で線引することの無意味さということが、本作を通底するように、評論子には思われました。
つまり、個々人の特性に着目することなく、75歳以上は一律に社会的には無用・無価値と分類するもので、それは弱者・劣者に社会的な存在すら認めない優生思想の一種であって、政策としての当否を論ずる以前に、その前提として「個」の尊重を欠くことのできない民主主義社会での議論として、「外道」のそしりを免れないと考えます。
上掲の「映画のことば」は、覆っても覆いきれないプラン75のそういう矛盾をはからずも糊塗しようとするものとして、本作の中では重要な意味合いをもっていると、評論子は思います。
また、高齢者問題というと、年金保険料の負担など、若年層への負担ばかりが注目されがちですけれども。しかし、多くの高齢者は持病を抱えて病院にかかることで、若い医療従事者に雇用の場を提供し、公的介護保険の自己負担分を支払うことで介護産業を需要者として支え(そこでも若年労働者が多数雇用されていることはいうまでもない)、年金を原資として衣食住の需要を満たすことで経済の循環にも、立派に与っている。
そのことに思いが至ると、プラン75の「無意味さ」というのは一層明らかになると思いますし、そういう「無意味さ」の象徴としてか、ラスト近く、ミチ(倍賞千恵子)の、生気の抜け切ってしまったような、まるで魚か能面かのような無表情が、評論子には、印象に残る一本になりました。
現下の社会に切実な問題に、果敢に一石を投じようとする点では、佳作では、あったと思います。
『PLAN75』、次作に期待。
カンヌ国際映画祭・カメラドール特別表彰という触れ込みで、2022年に公開された映画です。高齢者の生き方、高齢者の存在を考えさせられます。
■リアリティが感じられない理由
なぜ、この映画には、リアリティが感じられないのか?
1976年生まれの早川千絵監督が持つ高齢者に対する誤解に起因しているか。あるいは、高齢者をめぐる古い社会通念が、この映画からリアリティを奪っているなのか。
「PLAN75」というタイトルが示すように、映画では75歳になると生死の選択権を高齢者に与える法制度が設けられ、その制度に翻弄される人々を描いています。
しかし、現在の75歳は、身体的にも精神的にも映画で描かれた人々より元気です。
日本老年学会と日本老年医学会は、心身が健康な高年齢者が増えたことから、高齢者の定義を75歳以上に引き上げるべきだと提言しており、75歳は高齢者の入口に差し掛かったにすぎません。
タイトルを付けるとすれば「PLN85」、女性中心に描くのであれば、男女の寿命差が5~6歳あるので「PLAN90」とすればよかったのかもしれません。
■ステレオタイプな高齢者の苦悩
年齢設定はさておき、
この映画のユニークなところは、生死の選択権という「法制度」を設定したところで、高齢者の社会的存在について問題提起しています。
ただ、この物語設定が、有効に機能するには・・
1) 超長寿化等によって多くの高齢者が苦難を抱えるようになり、
2) その結果、多くの高齢者が潜在的に死の願望を持つようになり、
3) それを法制度が後押しする
といった前提が必要です。それであれば、生死や善悪について深く考えることができます。
だからこそ、この物語設定に負けないように「”多くの”高齢者が抱える苦悩」をしっかり描く必要があります。
映画で描かれているのは、どちらかというと貧困に置かれている高齢者の苦悩でした。しかし、高齢者の8割が持家に住む現状の日本では、住宅難や就職難は高齢者共通の問題ではありません。
それでは、高齢者の貧困問題を取り上げたのでしょうか?
確かに高齢者は経済的・社会的に多様で、その中で貧困問題はむしろ若者世代以上に深刻です。しかし、PLAN75という法制度は全高齢者を対象にしたもので、制度的に貧困層にアプローチできるものではなく、それでは設定が曖昧になってしまいます。
このように、物語設定が面白いにもかかわらず、「多くの高齢者が抱える苦悩」の描き方が、ステレオタイプだと感じてしまいます。
■シニアの実存を描いて欲しい
それでは、「多くの高齢者が抱える苦悩」、潜在的に死の願望を持つような苦悩や問題はあるのでしょうか。
一つあるとすると「老い」の受容です。
もちろん、老いの受容は今に始まった問題ではありませんが、近年の超長寿化によって、老いとの向き合い方は大きく変容しています。
例えば、高齢者が働きたいと思っても働く場がないという就職ミスマッチは、特に元気で働く意欲を持つ高齢者が増え、働きたい期間も長くなって、拡大の一途をたどっています。
そして、これは映画で取り上げられたように貧困層に閉じているわけでなく、経済的に豊かな高齢者にも起きる新たな問題です。
このように横断的に拡がる高齢者の「社会からの疎外」を、超長寿化が後押ししてしまっていて、社会制度だけでなく1人ひとりが持つ通念を変えない限り、解決が難しい問題になりつつあります。
早川監督には是非、その繊細なタッチで、高齢者のリアルな実存の問題について描いてもらいたいというのが素直な感想です。
現実的なテーマ
涙が止まらない、当たり前を疑え、考えよ!
75歳の実祖母と重なり、
涙が止まらなかった映画でした。
Plan75という現実では考えられない制度が当たり前になった日本では、高齢者を安楽死させる制度が当たり前のように存在しており、若者はその制度を当たり前のように受け入れ、事務的に処理をこなしていく。そこに2人の若者が疑問を抱き始める。
「当たり前を疑え、考えよ」
と言われた気がします。
2016年に起きた障害者施設の襲撃事件を元にした演出もよかったです。
奇しくも映画を見た翌日に、安倍元首相の銃撃事件がありました。
犯人は政治的思想を元にした犯行ではないようですが、
映画内の冒頭で「国を変えるために銃撃事件を起こす若者」が描かれており、
日本の未来を考えるよう問われた気がしました。
誰にも頼れない男はつくづく弱い生き物
レンタル110
最近ご無沙汰だったTSU○○YAからクーポンが届き利用
週1本ペースを乱してまで観たかった
公開時は劇場が少なくて断念した
で スクリーンで観ておけばよかったと後悔する傑作だった
倍賞千恵子と磯村勇人とフィリピン女優
3人それぞれがPLAN75と関わる
磯村のおじとかPLAN75のカウンセラーも加わる
現実ではないが設定が絶妙だ
おそらく国から業務委託されているような民間会社とか
後始末を外国人労働力に頼るとか
アルバイト的なカウンセラーとか
支度金だか手当だかが10万円とか
主役3人の演技卓越
倍賞千恵子はさすが
磯村はなんだか誠実な半官半民的な職業人
ヤクザと家族から注目していたからな
フィリピン女優も素敵だ
3人の一瞬の邂逅がいい
この監督は上品だ 全部見せない
あとカウンセラーの女子大生が二重マル
意地を張って誰にも頼れない男はつくづく弱い生き物
誰かと関与できる女性って強い
でこういう傑作を撮れるのは女性なんだな
この作品も他の人のレビューが早く読みたい
説教くさい
内容が中途半端
劇中、大変良く出来たPLAN 75のCMが流れるが、PLAN 75に携わるスタッフの苦悩、PLAN 75の死体処理の杜撰さなど、PLAN 75に対してかなりネガティブな場面が多い。最後のミチの決断に至った過程はPLAN 75の運営としてはあり得ないミスが発端となっており、最後のシーンは結局、何が言いたかったのか不明。
ありきたりの「生きる喜び」を伝えたかったようにも思える。
本作はもっとPLAN 75 を肯定的に描き、徹底的にユートピア的政策として描き、現実でも国会において審議入りするほどのアピールをしてもらいたかった。国民が毀誉褒貶の議論を交わすきっかけとなるような作品に仕上げるべきだと思う。
実際、現時点での医療も中途半端で延命処置はできても健康寿命を延ばすことはできない。他人様に迷惑をかけたくないと考える高齢者も少なからずいる。天寿を全うし老衰で亡くなる人は限られてきた。延命処置を望まない人も多い。
そのような中、この映画は社会に対して何の問題提起になっておらず中途半端。
監督はPLAN 75に対して否定的に考えているのだろうが、その上であえてPLAN 75が作り得るユートピアを徹底的に描き、最後のカットはあの世へ旅立った人々への餞としてもらいたい。
日本の近未来がこの映画に
高齢化社会を抜本的に解決できる法案が求められている中、75歳以上の高齢者が死を選ぶことのできる権利が激論の末、立法する。
その事から始まる政府主導でのプラン75という安楽死サービスを開始する。
安楽死サービスを受ける老人は生前に10万円給付される。使い道自由。
そのサービスを提供する若者はプラン75を選択した高齢者に対して、心のケアまでを施し、安楽死へと誘うことが仕事となる。
政府主導で劇中のテレビでは、「人は産まれる事は選べないけど、死ぬ時期は選びたい。」などと連日メディアCMが流される。
高齢者や生産性を失った人々が生きていることが憚られ、肩身の狭い状況を世の中全体に作られてゆく。
そして生活を営もうする老人に突きつけられた問題は住居問題。これは現在も既に起こっている事柄。更に加速度が増してゆく。
少子の為に人手不足から、政府が高額で外国人労働者を雇い入れ、介護職から亡くなった者の遺品の整理を行わせるという内容。
この映画はこのままではこうなりますよ‼️という警鐘を声高に淡々と描いている。
ソイレントグリーンの舞台は2022年!今年でっせ
あちらは60歳で人生強制終了。ワタシはアウト
こちらは75歳で希望者のみ安楽死。
間の長い演出がおまえらこんなことで世の中いいんですか?
と我々に答えを委ねる。
ですが
なんで自殺やめたん?
なんで叔父を助けようとしたん?
フィリピーナ要る?
世の中の不条理に対し言いたいことは一杯あるのに説明不足が多いなあ。
心に染みるまではいかない。
60点
5
MOVIX京都 20220621
自由のある世界線のおはなし
働く意思・生きたい意志のある人が生きられない世界は、あってほしくない。
でも、もうこれ以上頑張れない人に「選択の自由」はあるべきだと思っている。
末期がんで延々と苦痛と恐怖に耐えるのは、果たして必要なことなのか?
がんの父を看取って、ある意味拷問だと感じた。
高齢で年々重くなり病気や痛みでいっぱいの体を抱えながら、いつ終わるともしれない日々を耐えるようにしか過ごせない人もいる。
映画で、死ぬ選択をした人たちを優遇するようでいて最後はあのお部屋っていう点はひどいと思ったけど、引っかかるのはそこだけかな。せめてちょっと綺麗な個室を使わせて欲しい。
見終わった私の感想は「うらやましい」でした。
この心身の苦痛を骨身で感じるのは、他の誰でもなく自分。
いくら手を差し伸べてくれる人がいても最終的にどうにもならない部分もあるのだから、オランダのように自分で決める自由がいつか許されればいいなと思う。
たぶん監督が描きたかった思いとは違うと思うけど、でもそれも映画の醍醐味だよね?
余計なセリフや仰々しさなく、美しい景色、見える光景で語っていくとてもいい映画でした。
見たあと何日も色々思い浮かんでは考えていました。
最近見た映画の中では、私の中ではナンバーワン。
若い人で今見てピンとこない人は、自分が高齢に近づき・身内を看取る、そうなり始めた時期に見返すと、たぶん見えるものが全然違ってくると思います。
観るのに覚悟のいる映画
静かに淡々と老いと死を描く本作は深沢七郎の「楢山節考(1957)」が世に出た以来の衝撃を孕んでいます。さすがに老人淘汰を狙った冒頭の描写、事件はないものの2016年の相模原障害者施設殺傷事件を想起させる演出に肝を冷やされました。
勿論、フィクションであることは分かっているものの棄老伝説は古来より世界各地に伝わる民間伝承であるから、まさに人の業を表す根源的なテーマには違いない。
是か非か言うまでもないが、仮に自分が難病にかかったらと考えると安易な解は出せないし、重苦しく悲壮な日常描写は倍賞千恵子さんの熱演と相俟って真に迫って息苦しい。
話題の問題作、社会派ドラマであることに異論はないが観るのに覚悟のいる映画でした。
現実的
先日(2023/04/27)ネットに“日本人口50年後8700万人”というニュースがあがっていた。「将来推計人口」の試算によるものだそうだ。
外国人の入国者が増加し、2070年の平均寿命は、男性は85.89歳に、女性は91.94歳に伸び、高齢者の人口は38.7%に上昇する。──とニュースは言っていた。
じっさい、どんな世界になるのだろう。
映画Plan75は75歳で死ぬ選択ができる謂わば姥捨山が法制化された世界を描いている。
若年者は老人の長話につき合い、つつがなく死んでくれるように説得し、外国人は死を看取る。
倫理はともかく「そうならざるをえない」と思える世界でかなり現実的に感じられた。
以前に比べて成田悠輔があまり出なくなったのは「高齢者は集団自決」発言によるものと言われている。
発言は伝播し海外の拒否反応が強かったので日本もそれにならった。人権に触れる問題はグローバリズムに従属せざるをえないからだ。
ただし少子高齢の社会問題にたいして高齢者が死ぬしかないという提案は、たんに誰も言わないだけの姥捨山発想であり、ドライかつ毒のある成田悠輔の特性を知った上で、ネタにされ楽しまれた発言だった、に過ぎない。
言うまでもないが高齢者が集団自決するのは不可能だから。喩えに憤ってどうするの。
ましてこの惑星で唯一無二の特殊な環境にある日本の問題を海外の人権派にいちゃもんをつけられる筋合いはない。
ごく順当に考えて高齢者が死なないなら、じゃああんた、どうやって少子高齢社会に決着つけるんだよ。──という話である。
生きたい人はともかく、75歳で(あるいは何歳であろうと)逝ってもいい人が逝ける世界は、かなり現実的ではなかろうか。
じぶんも誰かや国の世話になる前におしまいにしたい。
そういう制度があったら世話になりたい。(潔いことを言っといてその時になったら生きる気まんまんだったりしてなw。)
早川千絵監督は上手だった。基本が出来ていて悲しい場面をずるずる引きずらない。お涙にしない。日本の映画監督とはぜんぜん違った。
来歴を見て、海外でしっかり映画を学ぶと、悪しき日本映画から抜け出せるのかもしれない──と思った。また(わたしの観相は精度が曖昧だが)早川監督は顔がよかった。
ただし映画Plan75には生きのびる人も死にゆく人も大人しく善良な人物しか出てこない。
現実世界はもっとぐだぐだで、理不尽な人がいっぱいいて、むしろPlan75の世界が丁寧な世界に感じられてしまった。
そこで思うに、この進み具合で人の心が荒んでいけば、政治家が選択制安楽死法案を提唱し国会で通るのは、わりと近い未来のような気がする。
本作はカンヌの“ある視点”をとっているのだが、将来の日本で、少子高齢化は“ある視点”どころか、ほぼすべての因子になる。
そのとき「高齢者は集団自決」発言やPlan75がどんだけ普通の成り行きなのかきっとわかるときが来るだろう。と思った。
倍賞千恵子がよかった。
孤独を抱えた老人が人生の最後に考えること
年寄りには重い話
もうこれを見て人ごとに感じない年齢になってしまった。
75から選べる安楽死システム。
どうなんかな。今時は元気すぎる75もいるからなぁ、、
オープニングのあの事件のオマージュなのかな。
これは近未来の日本の話なのだろうか、、
自分にはこの映画は合わなかったな。
結果、あまりよくわからなかったよ。
倍賞千恵子さんの演技が光る
架空の制度 PLAN75
75歳以上になれば死を選択できる制度、PLAN75。架空の制度を現実的なものに感じさせるためなのか、ドキュメンタリーのような演出であったが、もう少し内容に展開がほしかった。
夕陽は、ただ沈む
ようやく見た。
ずっと気になっていて映画。
『週刊金曜日』でも特集が組まれ、表紙は倍賞千恵子が飾っていた。
杉田何某とか成田何某というような、自分のアイデンティティを「無知」と「無恥」に込め邁進している輩が重宝されているこの社会の現実では、この輩の口を少しばかりでも塞ぎたくなうような心境だ。
おそらくは誰もが、重く考えさせられた映画だったろう。
もしこの映画を観て何も響くものがないというのであれば、まさに「何某」と同類の「素晴らしい」論者ということになるだろうし、自分からすれば、また「蠅叩き」の相手が増えただけの話だ。
映画のテーマとして
死は吐き気である。これは正しい。
この死を、自己完結的に綺麗に処しようとするところから、人の思考は誤り始める。
自己決定とか、他害禁止という言葉で、死を害い始める。
死は、いつでもどこでも誰にでも吐き気でしかない。
この映画の後半部分にそのシーンが出てきたのは合点がいく。
自分でも、そして他者でも割り切れずに受け入れなければならない「死」とは誰にとっても「吐き気」でしかない。
死を自在や他材では処すことなどできないにもかかわらず、それを知らない連中は傲慢にもそれを恣にすようとする。生まれてきた時もそうであったように、死すること、時も自分の思いのままにはできないのだ。
映画の構成として
見事である。
角谷、岡部、マリアのストーリーが、最後に向け結節点を描き出していく。そして、その結節点が、誰かに「剥ぎ取られてはならない死=生き方」であった。
この死の固有性や一般化不可能性を描き切ったという点では評価できる。
背後に流れる、言葉として語られている「一般化されたナレーション」とのコンストラストが秀逸だった。
そして映画の色使い
光の使い方、照らし方、影の用い方、とても素晴らしい。役者の一人一人の言葉少なさを陰影で十二分に表現していた。
#こんな映画を制作させてしまうこの国のあり方こそが、No Planだということの証左だろう。
#倍賞千恵子の「声」=「歌」。
人は、この(自分の)声=歌で、生きる。
自分の人生は自分のメロディーでしか理解できない。
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