N号棟

劇場公開日:

N号棟

解説

「成れの果て」「街の上で」の萩原みのりが主演を務め、2000年に岐阜県富加町で起きた「幽霊団地事件」の実話をモチーフに描いた都市伝説ホラー。とある地方都市にある、かつて心霊現象で話題となった廃団地。死恐怖症を抱える大学生の史織は、同じ大学に通う啓太や真帆と興味本位でその廃団地を訪れる。そこにはなぜか多くの住人たちがおり、史織たちの前で激しいラップ現象や住人の自殺が続発。しかし住人たちは顔色ひとつ変えず、怯える若者たちを仲間にしようと巧みに誘惑してくる。神秘的な体験に魅せられた啓太と真帆は洗脳され、追い詰められた史織は自殺者が運び込まれた建物内へ入り込むが……。共演は「フェイクプラスティックプラネット」の山谷花純、「夏、至るころ」の倉悠貴、「淵に立つ」の筒井真理子。「リトル・サブカル・ウォーズ ヴィレヴァン!の逆襲」の後藤庸介が監督を務めた。

2021年製作/103分/PG12/日本
配給:S・D・P
劇場公開日:2022年4月29日

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(C)「N号棟」製作委員会

映画レビュー

3.5「世にも奇妙な物語」と黒沢清監督作ホラーの中間のような

2022年4月29日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

怖い

後藤庸介監督はテレビドラマ畑で10年以上キャリアを築き、2020年の商業映画監督デビュー作「リトル・サブカル・ウォーズ ヴィレヴァン!の逆襲」も連続ドラマの劇場版。「世にも奇妙な物語」の演出・プロデュースもたびたび手がけたようで、長編第2作となる本作にもその名残が感じられる。

あるインタビューで後藤監督は、「ミッドサマー」と黒沢清監督の「CURE」が好きで、オマージュを入れたと明かしている。その並びで言えば、黒沢監督作「回路」に出てきた不意を突かれる投身自殺のシーンは、「ミッドサマー」にも似た描写があるし、この「N号棟」にもやはり出てくる。そんなわけで、黒沢ホラー諸作の影響も認められるが、たとえば集合住宅の各階の通路で住人たちが異常行動を繰り広げるシーンなどは舞台劇風でもあり、演出が単調にならないよう工夫されているとも感じた。

萩原みのりの出演作では、久保田紗友とW主演を務めた2017年の菊地健雄監督作「ハローグッバイ」が大好きで、あれから5年で人間的にも演者としても確実に成長したようだ……などと考えたところで、そういえば昨年公開の「街の上で」でも見ていたっけ、と思い出した。筒井真理子の存在感、穏やかな表情で底知れぬ恐ろしさを醸し出す表現力は相変わらず見事だ。

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高森 郁哉

1.0団地である必然性がマジでない

2024年2月19日
iPhoneアプリから投稿

団地映画の系譜に興味があるのでここまでダイレクトに団地を押し出した作品は避けて通れぬと思い鑑賞。結果から言えばマジで団地である必然性がなかった。

団地という空間の特異性は、その歪な存在様態にある。はじめ団地は「欧米式ライフスタイル」に憧れる戦後中産階級の受け皿として郊外に用意された高級住宅であった。団地には部屋の一つ一つが鍵付きのドアではっきりと隔てられており、シャワー付きの風呂が備え付けられている。隣の奥さんが醤油を借りに勝手に入ってくることもなければ、風呂桶を担いで毎晩銭湯に通う必要もない。日本の家庭が明確に欧米風の「プライバシー」なるものを獲得した瞬間だったといえる。

しかし時代が下り日本の経済力や技術力が欧米と肩を並べるようになってくると、「欧米への憧れ」だけを糧として成立していた団地というライフスタイルの瑕疵が露見するようになる。キーワードは孤独だ。

団地は郊外の無人地帯を無理やり開発して建てられたパターンが非常に多い。またデザインも平板で画一的だ。今でこそああいう手合いのアパートやマンションも多いが、当時からすればさぞかし浮いて見えたに違いない。また団地の住居者は全国各地からアトランダムで選定されたため、隣近所と関わりを持つ意味も希薄だった。

「マンモス」と形容されるほどの集団で生活していながら、人々は互いの顔も名前もよく知らない。そこには現代日本のライフスタイルに直結する孤独の問題が顔を覗かせている。

団地の孤独にいち早く目を向けた映画作家は川島雄三だろう。『しとやかな獣』は表向き華やかな団地生活を営む家族が、家の中では下品な本性を露わにするというブラックコメディだ。彼らが金持ちのフリをするのは、団地においては他者の生活はその外郭しか見えないことを知っているからだ。

次いで森田芳光は『家族ゲーム』において、団地内で静かに加速するある家族の狂気を描いた。団地というライフスタイルが根本的に抱える孤独性がいよいよ家族の内部にまで伝染して家族のメンバーすらもが各々孤独に陥っていく。

あるいは高橋伴明『DOOR』。これは団地の一室に住む主婦をストーカーが追い詰めるというサスペンススリラーだが、ストーカーに襲われかけた主婦が「誰か助けて!!」と叫ぶくだりで無人の共用廊下が映し出されるシーンが非常に印象的だった。

中田秀夫『仄暗い水の底から』は団地に巣食う孤独を霊的磁場に置き換えた。「欧米への憧れ」を失い、老朽化し、空き部屋だらけになった団地。そこへこの世ならざる者たちが入り込んでくることは当然の帰結だといえるだろう。中田は『クロユリ団地』でも同様のテーマを扱っている。

といった具合に団地映画には既に社会情勢と密接にリンクした系譜というものが存在するわけなのだが、本作は団地を舞台としていながらも、団地である意味については一切何も考えていないように感じた。

まずもって団地の住居者たちがあれほど和気藹々としている時点でおかしい。カルト教団が人の目を忍んで集団生活を送るんなら団地である必要はなく、それこそオウム真理教やヤマギシ会のように郊外の寒村や山の上に籠って自給自足生活を送ればいい。

それぞれの部屋から居住者が這い出てきて苦しみ呻く例のシーンはビジュアル的にはそこそこ気味が悪いものの、場所が団地であることを鑑みると「人がいっぱい住んでいる」という状況からして既に嘘臭く滑稽に思えてしまう。

また主人公の苦悩も主に自らの死生観に関わる一人称的なものであり、団地という空間が孕んでいる問題圏とはほとんど関わりがない。空間学的な足取りで始まった物語がしょうもないサイコホラーに帰着したときほど残念なときはない。

団地映画という色眼鏡を外してみたところで評価が上がるかといえばそんなことはまったくなく、物語が進むごとに徐々に問題意識の陳腐さが露呈してくるのが本当に辛かった。「死後の世界はあります」、みたいなカルトババア、もういいよ、5000兆回くらい見たことあるよ、お前みたいなの。そしたら主人公が「私死にたくない!生きてたい!」だのビービー喚き出すもんだから早くくたばってくれと思っていたところ幸運にも自ら命を絶ってくれたのでそこだけは多少溜飲が下がった。

本作は1998年頃に発生した実際の幽霊騒動をモチーフにしているとのことだが、本当に脚色のセンスを疑う。いくらでも面白くできそうな題材からこうも文脈を無視した空転サイコホラーを創り上げてしまうとは…

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因果

1.0N教団へようこそ

2024年1月2日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
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雨雲模様

0.5何でこんな内容に???

2023年11月23日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

寝られる

ホラーかと思って再生したんだけど、話が進むに連れて、何が何だか状態に。

実際存在する、怪奇現象が起きる団地が舞台なんだけど。
『犬鳴村』のような、作り手の解釈的な作品にしてしまえばよかったのになぁ。
こんな印象か。

何で、こんな内容になったのか。
ってか、作品の方向性が、かなり理解出来ない作品でした。

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案山子男
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