ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
全268件中、41~60件目を表示
負けるな!
キネマ旬報ベストテン第1位他、各映画賞で絶賛。
主演の岸井ゆきのが同賞や日本アカデミー賞などで多くの主演女優賞を受賞。
2022年の邦画最高傑作と言われた本作。やっと鑑賞。
題材は、ボクシング。
古今東西、ボクシング映画には傑作多い。その理由は以前『春に散る』のレビューで触れたので省略。
邦画も例外ではなく、本作と同じく女性ボクサー主人公の安藤サクラ主演の『百円の恋』もある。
となると、本作もあの“名試合”に匹敵するものを自ずと期待。
これについては賛否分かれる筈だ。何故なら『百円の恋』のような、白熱とエキサイティングとハングリー精神タイプではないからだ。
ボクシングが題材だが、ただそれだけには非ず。まるでジャブ打ちのようにじわじわと余韻が効いてくるタイプだ。
まずは何と言っても、岸井ゆきの!
ファーストシーンから彼女に惹き付けられる。
その眼差し、表情、佇まい、内に込めた感情の一つ一つ。
それらがただ演じているのではなく、あたかも“リアル”にそこに存在しているかのよう。
『愛がなんだ』で存在を知ってから気になり続け、その演技力や魅力は紛れもなく確かなものだった。『愛がなんだ』も捨てがたいが、間違いなく現キャリアベストパフォーマンス!
言葉を発しない役柄なのも彼女の巧さを引き立たせている。
彼女が演じた役柄というのが…
生まれつき耳が聞こえないケイコ。
実在の聴覚障害の元ボクサーがモデル。(モデルであって、彼女の半生を描いた作品ではないらしい)
ひたすらボクシングに打ち込むケイコ。
ボクシングを始めたきっかけなどは描かれない。聴覚障害故、子供の頃いじめられていたとか一時期グレていたとか触れられ、理由はそんな所からだろうと推測。
自身の置かれた逆境への抗い。
ボクシング映画の主人公の定番のようであるが、熱血タイプとは違う。
会長宛にジムを休む手紙を書く。それを出せずにいる。
勿論ボクシングには魅了されているが、何かを抱えて打ち込んでいる。即ち、
自分は何故、ボクシングをするのか…?
聴覚障害で言葉を上手く話せないので、コミュニケーション下手。
が、決して人嫌いではなく、会長やジムの皆、家族、親しい友人とは自然に接する。ホテルの客室清掃員の仕事をしていて、人間関係は良好。先輩として後輩の面倒も。
ひと度そのフィールドの外に出れば…、聴覚障害者の生きづらさ。
音が聞こえるって我々には当たり前のような事だが、それが如何に生活に浸透しているか。
携帯のコール音にも気付かない。光で知らせるとは言え、玄関のチャイムにも気付かない。水が溢れた音にも気付かない。苦労を察するなんて、他人事みたいに軽々しく言えない。当人にとっては一生の障害。
それはボクシングに於いても。“致命的”と会長は言う。セコンドのアドバイスやレフェリーの声も聞こえない。まるで無音の中で、何を頼りにしていいか分からぬまま、孤独に闘っているかのよう。
警官に呼び止められた時も、今の自分の状況を伝えられない。
時に罵声を浴びせられても分からない。通行人とぶつかり、“失礼”と言ってるのかと思いきや、実際は“気を付けろ!バカ野郎!”。
相手が何を言ってるか分からないから、こちらも内に込めてしまう。
いやそもそも、耳が聞こえないからと言って周りが私を拒むからだ。
そこに追い討ちをかけるように、コロナ。
聴覚障害者は相手の口の動きを見て、何と言っているか推測する。が、コロナでマスク生活となり、それが出来ない。
密も避ける。人とのコミュニケーションがますます失われ…。
モデルになった方はコロナ前に活躍されていたようだが、コロナ禍に於ける聴覚障害者たちの実体現も反映されているのかな…? これは気付かなかった。
コロナ禍の閉塞感。
言葉で気持ちを伝えられないもどかしさ。
生きづらさ。息苦しさ。
悩んで、悩んで、悩んで、それでも答えが見出だせない。
そんな時…
日本でも最古のこのジム。会長に病魔が忍び寄り、ジムを閉める決意をする。
それを知ってケイコは…
内心動揺を隠せない。
ボクシングを続けるか否か悩んでいたのだから、踏ん切り付ける絶好の機会の筈。
しかし、どうにもならない現実を突き付けられると、人というものは必死にもがく。
そして、気付く。それが自分にとってどれほど大事で、尊く、好きだったか。
それは話せないケイコが自分の気持ちを書き記している日記にも表れている。
ジムを閉める事が信じられない。許せない。
それを聞いて会長は…。
ケイコがボクシングを続けていたのは、自分を受け入れてくれた会長やジムの皆、このジムそのものが好きだったからでもあるだろう。
ジムを閉めるからと言って、ボクシングもそこで終わりという事はない。別のジムに移籍して続けられる。実際、ケイコは有望なボクサーで、会長らの尽力あって別のジムから受け入れのオファーもあったが…。
ケイコはしょーもない理由で渋る。
煮え切らない態度に苛々してくるかもしれない。ボクシングを続けたいのか否か、自分は今何をしたいのか、何と闘うのか、何を目指すのか。
ボクシングのみならず何かを続けるには人に言われるのではなく、自分なりの沸点となる理由があって。
闇雲に模索していた時、ようやくケイコにも一筋の光を見出だす。
もう一度、試合に挑む。
そう決めた時から、ケイコの心情に変化が。
闘病の合間に会長と練習。トレーナーとスパーリング。
生き生きとした表情を見せ始める。
仕事の同僚や弟とその恋人とも。
笑顔を見せ始める。
例え言葉で伝えられなくとも、大切な気持ちがあって、人はまた闘える。走り出せる。
そして迎えた試合の日ーーー。
ここで驚いたのは、本作がよくある劇的なボクシング映画ではなかった事だ。
一度主人公が悩み、どん底に落ち、そこから再起。クライマックスの試合でドラマチックに勝利する…。
が、本作では奮闘虚しく、負ける。しかも、TKO。
勿論試合シーンの迫力はあるが、カタルシスや勝利の栄光の欠片もない。それが見たかった人にはこれまた期待外れだろう。
映画だからと言って何でもかんでもご都合主義や予定調和になるとは限らない。
時には打ちのめされる。そう都合通りにはいかない。
夢もなく、厳しい現実のこの世界…。
そこでまた落ち、立ち止まるのか。
監督・三宅唱が描きたかったのは、そこだと感じた。
実際、ラストシーンでケイコは…。
三宅唱の演出は省略の美学だ。
説明描写はほとんどナシ。見る者に考えを委ねる。
これは私の解釈だが、例えばラストシーン。会長はもう亡くなったのではないか。ジムを閉鎖しての記念写真。あの場に会長が居ないのはやはり変だし、入院中だったら奥さんは付きっきりの筈だ。
ケイコも会長から貰った赤い帽子を被って走り出す。
それらの点からそう感じた。
16ミリフィルムで撮影されたドキュメンタリーのような臨場感ある映像。それから、音。スパーリングの音、縄跳びの音、ペンで書く音、周囲の自然音も印象的。
映画で聴覚障害者を描く時、手話と同時に字幕が表示されたり、何かに書くとか通訳が配置される。本作もそれらで表現しつつ、ユニークだったのは、サイレント映画のような黒画面に字幕表示。
岸井ゆきのの熱演が話題だが、周りも好演。
会長役の三浦友和。ボクシング映画の会長って、暑苦しいガテン系が多いが、穏やかな人柄。自身の病気に直面しながらも、悩むケイコに寄り添うように。
会長の奥さんの温かさ、トレーナー二人も厳しくも力になってくれる。
殴られるのが怖い。だから試合の時、後ろに下がってしまう。
それは人間関係でも。言葉や気持ちを伝えられないから、こちらから引いてしまう。
ラストシーン。ケイコが土手で会った思わぬ相手。その言葉に、涙と感情が込み上げてくる。
怖れず、一歩踏み出せば、自分も相手も同じリングに立つ。
皆、同じなのだ。
この息苦しい世界。生きづらい人生。
それらに負けるな。
不条理に負けるな。
自分自身に負けるな。
久々の名作
アマプラで何故か最初に出てきたので、何気なく見てみたが、久々にいい映画を見た。おそらく今後何度も見ることになるだろう、そんな作品。捉え方は人それぞれだと思うが私はとても清々しい気持ちになった。主人公は耳が聞こえない障がいがあるが、それが主題ではない。障害があろうとなかろうと、関係なく物語は進んだように思う。途中でこの映画には音楽がないことに気づく。そして聞こえるのは車もしくは電車の音だけで、それがこの映画をさらに印象深いものにしている。主演の演技も素晴らしい。壮大な話でもなければ、かわいそうな人の話でもない。誰にでも身近な日常でよく起きること。心の動きもそう。障害はあまり関係ないから、すっと心に入ってくる。この女優さんの今後にさらに期待です。
岸井ゆきの、熱演
昨年(2022年)の暮れ(12月)に公開された映画だが、ちょうど2022年ベストテンを選んでいた頃に本作予告編を見てスルーしたら、なんとキネマ旬報の日本映画第1位となった三宅唱監督作品。ようやく鑑賞🎥
……という経緯でだいぶ経ってから観たものの、自分には合わなかったので感動や共感できるような作品ではなかった(^^;
耳が聞こえない女性ボクサー(岸井ゆきの)がボクシング練習に打ち込む話で、確かに昼間働いて勤務時間以外はボクシングの特訓するという姿は「すごい!」とは思う。
自分にはこの映画からたくさん聞こえて来る様々な音が聞こえるが、この主人公は聞こえないんだな。それってどういう感覚なんだろう…と思ったりしながら観た。
岸井ゆきの、熱演であった。
<映倫No.122812>
2回見ると!
あの春、いちばん静かなリング。 確かにこれ、目を澄ませてないと眠っちゃう…💤
聴覚に障害を持つ女子プロボクサー・小河恵子の心情の機微を描き出すヒューマン・ドラマ。
監督/脚本は『きみの鳥はうたえる』やドラマ『呪怨:呪いの家』の三宅唱。
主人公、小河恵子を演じるのは『悪の教典』『愛がなんだ』の岸井ゆきの。
実在する元プロボクサー、小笠原恵子の自伝が原案。この自伝は未読であります。
本作の白眉はなんと言っても、主人公・ケイコを演じた岸井ゆきのさん!!
ドキュメンタリーかと見紛うほどの真に迫った演技は本当に見事。
本作出演にあたり7〜8キロほど増量しボクサーらしい体型を作り上げたらしいが、彼女を捉えたファーストショット、そのカメラが映す広背筋の美しさには息を呑みましたっ!💪✨
この映画を観るまで岸井ゆきのという女優のことを知らなかったので、インタビュー映像などを見てそのギャップにビックリ。普段はあんなに小柄で柔らかい雰囲気の人なんですね。全然ケイコとは違う。やっぱり女優ってすごい!
この映画、掴みが非常に良い。
見事な広背筋を披露した後、ミット打ちに挑むケイコ。
トレーナーのかざすミットに吸い寄せられるかのように、ケイコは標的に向かって正確にパンチを繰り出してゆく。
静寂に包まれるジムに鳴り響くパンパンパンパンパンパンパンパン…という破裂するかのような衝撃音。彼女は脇目もふらずただ黙々とその作業を繰り返す。
この数分にも満たぬ僅かな時間内に、本作がどういう映画で何を描こうとしているのかが端的に表れている。
この瞬間に流れる詩的な感覚。このセンスの良さというのは全映画に見習ってもらいたいほどであります✨
本作で描かれているのはコロナ禍真っ只中の東京。都市開発により目まぐるしく変わる街並みとコロナ禍という一時的な混乱。それがパッケージされた、この時代にしか作れない映画になっている。
マスクによって隠れた口元。口の動きから他者の言葉を読み取らなくてはならないケイコにとって、このマスクはコミュニケーションの大きな障害となる。
コロナ禍という想定外の災厄が、ケイコの苦悩や葛藤を表すアイテムとしてのマスクを齎し、結果としてこの映画のテーマを深めているということは怪我の功名といえるのかも知れない。
詩情に溢れた映画であるし、黙して語らず、伝えたいことは観客が勝手に読み取れというストロングな姿勢には大いに共感する。
…が、いかんせんつまらない🌀
99分というタイトなランタイムでありながら、とにかく長く長く感じてしまった。
観客も目を澄ませていないと、たちまち眠気に襲われてしまうことだろう…😪💤
松山ケンイチ主演のボクシング映画『BLUE/ブルー』(2021)を鑑賞した時にも思ったが、邦画のボクシング映画はボクサーの人生に重きを置き過ぎていて、肝心のボクシング要素に面白みが感じられない。
メンターが病に倒れる、聴覚障害者が登場するなど、ライアン・クーグラー監督作品『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)と要素だけを取り出してみると割と似ているのだけれど、映画の味は正反対。
クリードが一種漫画的なボクシングの面白さを提供してくれたのに対して、本作ではまぁとにかく真面目というか辛気臭いというか、ボクシングのジメーっとした部分ばかりがフィーチャーされており、そんなんどうでもいいから「はじめの一歩」ばりにおもろいボクシングを見せてくれよ、なんて思ったりしちゃいました。
まぁこれ『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)みたいなもんで、ボクサー映画であってボクシング映画ではない!ってことなんだろうけどさ。
やっぱりある程度の娯楽性は必要だと思う。どれだけ詩的で美しかろうと、つまんないもんはつまんない。
聾唖者の若者を描いた映画といえば、やはり北野武監督の『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)こそ至高。
自分はこの映画が好きで好きで…。多分邦画の中では一番好きな作品だと思う。高校生くらいの時に鑑賞したんだけど、とにかく一から十まで美しすぎて、あまりの衝撃で頭のネジがぶっ飛んだことを覚えている。
また、ボクサーを扱った映画といえば同じく北野武監督作品の『キッズ・リターン』(1996)がパッと思い浮かぶ。この映画も好きで、特にあのラストシーンは映画史上最高の幕引きの一つと言って過言ではないでしょう。
本作はこの二つを足して二で割ったような映画。…なんだけど、なんで全く面白く感じなかったんだろう?久石譲が居なかったからかな?
とにかく、本作は完全にNot For Meな映画でした。寝落ちせずに完走した自分を褒めてやりたい。
なんだかんだ言っても、やっぱり映画は娯楽じゃなきゃ。
※最後にひとつ。昨今の映画界の流れとして、聴覚障害者は実際の聴覚障害者が演じるのが良しとされている感じがある。オスカー作品の『コーダ あいのうた』(2021)や『エターナルズ』(2021)なんかはまさにそうでしたよね。
これに関してまぁそうだよね、と言いたい部分もある。聴覚障害を持つ役者の仕事を健常者の役者が奪っている、という見方も出来ますから。
しかし、だからと言って健常者が障害を持つ人を演じてはならない、ということになってくるとそれはそれで芸術的自由が損なわれていることになりやしないだろうか?
もちろん、監修や指導者など、映画の裏方には聴覚障害の当事者を配するべきだと思う。ただ、だからと言って表側の役者にまでそれを求めるというのはお門違い。全てはその役をどれだけパーフェクトに演じることが出来るのか、という演技力の問題であり、そこに障害の当事者かどうかというのは関係無いんじゃねぇかな?実際、本作で岸井ゆきのさんは完璧な演技を披露していたしね。
とはいえ本作の制作にあたり一点気になることが。
映画のモデルとなった小笠原恵子さんがこの映画を初めて観たのは初号試写。インタビューによると、その初号試写には字幕がついていなかったらしい。
…いやいや、小笠原さんが観ることは事前にわかってるんだから字幕くらいはつけておこうよ💦そういうとこやぞ!…まぁ詳しい事情はわからないからあんまり強くも言えないんだけどさ。
「字幕がないから邦画は観ないけど、本作で初めて邦画を観て感動した」という小笠原さんの発言もあったが、この「字幕がないから邦画は観ない」という発言について、邦画界はこれからもっと考えていかなければならないのでしょうね。
引き算の美学
タイトルなし(ネタバレ)
等身大で哲学を語らず、原作者の語る『負けないで』の理由を語っている。
『シャドーイング』の重要な事と、ボクシングの『ステップ』ってある意味ダンスに似ているんだなぁって思った。
変態と思わないで貰いたいが、最初の着替える墓面で、彼女がブラジャーを取らなかった。その点だけが、気になった。
制作者の言いたい事は充分に分かる。難聴者にとってマスクが厳しい事も理解できる。それは山々なのだが、手話の国際化にそれぞれ踏み込んでもらえないものだろうか。つまり、手話を世界共通にして、それを人類の共通言語とすれば、かなりの数の人達のコミュニケーションに役立つと思う。しかし、視覚障害者が蚊帳の外になるか。
❇️女優さんの僅かな笑顔が観たくて最後まで頑張った印象
ケイコ目を澄ませて
2020年🇯🇵東京都荒川区
聴覚障害で音が全く聞こえないボクシングライセンスを持つ女性が主人公。🥊
仕事や生活は不自由になんとか暮らしている。
ボクシングもかなりのハンディーを持ち練習に明け暮れる毎日。
母親の心配を押し切りボクシングを続けているのだが古くからあるジムのオーナーが、店をたたもうとしていた。
感情が揺れ動く女性とボクシングと人間ドラマ。
◉56D点。
❇️主人公(岸井ゆきの)さんの笑顔が見たいだけで最後まで観れた。また頑張ろう✊
★彡役者さんの魅力はすごく伝わったが、この手のストーリーは結構観てるので、あまり響かなかった。
🟡感想。
1️⃣前半はやや退屈かなぁ?
★彡後半は主人公の笑顔が見たくて観てしまう。🤭
2️⃣ミット打ちの乾いた音が心地よい。
★彡小刻みなリズムと音が好き。
🥊👂🤛🧏🏻♂️🧏🏻♀️🏨🧹📘📝
最後のシーンから見る映画における障害者表象
本編1時間26分からは最後の試合が描かれる。ケイコが通っていたボクシングジムの閉鎖が決まった後の試合であり、物語のクライマックスともいえるシーンである。このシーンでは、ボクシングを通してケイコの障害との向き合いを最後の試合を通して描きたいではないだろうかと考えた。無観客での試合であり、家族はオンライン配信を通して試合を視聴する。そこではケイコのボクシングに関与することができず、何もできない。母親は自分の娘が殴られるところを見たくなく、配信から一瞬目をそらすも、覚悟を決めて最終的には試合を見る。試合の途中で相手選手に足を踏まれるも、審判は気づいておらず、フォールを取られる。ケイコは反則を主張するも、うまく喋ることができないため判定は覆らない。その後、少し試合が進み、頭を打たない。と審判に注意されるも、彼女は耳が聞こえないため何を言っているかわからずに、フラストレーションが募って唸り声をあげる。周りのセコンドやコーチはそれに対して何もしてあげることができず、口頭での支持や激励を出すばかりである。この場面全体は、まさしく障害と向き合うことなのではないだろうか。目を逸らしたくなる母、応援し見守る兄、激励をするセコンド、これらの支えがありながらケイコは自身の相手(耳が聞こえないこと)と闘う。最後には敗北を喫してしまうがそこには悲しみなどは不思議とない。むしろ前向きな気持ちになれるようなそんな最後であった。
淡々と・・・
まるで映画検定の論文課題
この作品を観て、主人公・小河ケイコの揺れ動く心情とブレない底流にある信念について論ぜよ。
という試験問題が課されたような、それほど内容は濃密で、何より99分の上映時間中、無駄なカットが殆どない高い完成度の力作です。批評家が総じて高評価なのも宜なるかなと思わせます。
実在する聴覚障害の女子プロボクサーの自伝を元に映画化された本作は、ドラマストーリーはあるものの、ほぼドキュメンタリータッチでケイコの日常を淡々と描きます。終始ニュースカメラ目線で映像を捉えていき、ある出来事による多少の波紋はあるものの、劇的な事件やラブロマンスは皆無で、ケイコの約半年間の日常を忠実に映していきます。
周りの音声が聞こえないし話せないために、内向的で人付き合いを好まない、寡黙で無器用な主人公の心の中の起伏は、中々見え辛いのですが、2試合をこなしたこの期間を経て、間違いなく彼女は一皮剥けたようです。一歩階段を昇り成長したのでしょう。日本映画では珍しい“通過儀礼”をテーマにしたようにも受け取れます。
ボクシングを描いた物語にも関わらず、手持ちカメラは使わず、寧ろカメラはほぼ固定され、極端な人の寄せアップも殆どなく、長回しカットが多く使われ、観客は常に落ち着いて、いわば客観的視線でスクリーンを観ていられたと思います。
ただ決して寛いで観られたのではなく、主人公の心情が不透明なまま彷徨いますので、危うい存在であるがゆえに、ずっと息詰まるような緊張感を強いられます。
室内、又は夜のシーンが多いために開放感も得られず、多分、主人公が置かれた閉塞感覚を疑似体験させられたのだと思います。
非常に綿密に計算されたシナリオであり、カット構成であり、演出です。
ただ観終えた後、少しも楽しくはありません。愉快な気分、爽快感、満足感が全く湧いてきません。
私は、上映中、映画鑑賞力を試されているような感覚に晒され、一瞬たりとも気が抜けずにスクリーンを注視していました。エンドロールのクレジットが始まった時には心の底から安堵したしだいです。
「映画」が好きな人ならぜひ。名作。
2回観ました。
2回目のほうが感動しました。
意外でした。
自分は、2回目は演技や技術的な細部を楽しむために観るので、感動や衝撃は1回目のほうが大きいのが普通なのに。
1回目はそうでもない印象だったのに、2回目で、本当に素晴らしい映画だと、感動しました。
ケイコは言葉は発せず、わかりやすい演出があるわけでもないので、1回観ただけでは、ケイコの心の動きを追いきれなかったのだと思います。
耳が聞こえないということは、常に、透明な薄い膜の中から世界に接しているようなものではないかと想像します。
ケイコがボクシングに打ち込むのは、作中で「殴るのが気持ちいい」とのセリフ(手話)もありましたが、その膜を突き破って、世界に接するダイレクトな手応えがあるからなのかな、と思いました。
女子ボクシングというマイナーなスポーツ、コロナで無観客、親族と知り合い以外なかなか見ないように試合に、これだけの鍛錬、覚悟、努力で臨んでいる姿勢に、アスリートとは本当にすごいと、頭が下がる思いでした。
ケイコ、会長のために、勝ちたかっただろうなあ・・・。
敗戦を見届けた会長が車椅子の上でうなだれるシーンで、思わず泣いてしまいました。
でも会長が「よし」と、妻を待たずに車椅子をこいで行く姿に、スポーツってこうやって人を動かしていくんだなと思いました。
ケイコは、この後どうするのでしょう。
でも、会長の帽子をかぶって、試合の相手から声をかけられて、また駆け出すラストからは、迷いながらきっと続けていくのかなと思いました。
どんな人生でも、そうやって迷ったり負けたり、「もういいんじゃないか」「自分のやってることは無駄なんじゃないか」と思いながら進んでいくしかないけど、それでいいんだ、自分もやろう、という気持ちをもらえる映画でした。
「映画」を観たい人には自信をもって推薦できる名作です。
この映画を作って下さった方々に、どうかこの賛辞が届きますように。
女の子は殴り合いせんほうがええんとちゃうの?(ハリー風)
過去ボクシング場面は幾多の不自然感モノがあったのですが
岸野ゆきのちゃん、静の演技が冴えていて
本作はなかなかリアルでした。
でも主人公がコミュニケーション取りずらい中で頑張る!という
監督の意図はわかるんだけど
ワタシはもう少し心のうちが見えるような演出にしてほしかったです。
70点
0
アップリンク京都 20230129
絆の物語
全268件中、41~60件目を表示