ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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魂を揺さぶる叫び
実在の聴覚障害の女子プロボクサー小笠原恵子の自伝を元にしているということだが、エンドクレジットで本作はフィクションである旨が記される。原作は未読なので分からないが、調べてみると時代背景を含め色々と脚色されているそうである。ただ、そうした映画独自の改変はあれど、ケイコ自身の生き様や彼女が置かれている状況には色々と考えさせられるものがあるし、何よりハンデを負ったままリングに立つ彼女のひたむきな姿には素直に感動を覚えた。
本作は二つの観点から感想を述べてみたい。一つ目はボクシング映画としての観点、二つ目は聴覚障害者を描いた映画としての観点である。
まず、ボクシング映画として見た場合、「ロッキー」シリーズのようなファイトシーンは余りなく、どちらかと言うとケイコの内面に重きを置いたヒューマンドラマ的な作りになっている。ケイコはデビュー戦で初勝利をあげるが、自信を得るどころか逆に不安を感じてしまう。このまま本当にプロとしてやっていけるだろうか?経営が厳しいジムの重荷になっていないか?家族に心配をかけてないか?そうした葛藤がじっくりと描かれている。
考えてみれば、耳が聞こえないということはセコンドのアドバイスやレフェリーの言葉、ゴングの音すら認識でないわけで、そんな状況の中で戦うということは想像を絶するほどの孤独であろう。その苦悩は観ているこちらにも十分に伝わってきた。
また、ケイコの面倒を親身になって見る会長の存在も良かった。言葉を喋らず黙々と練習に励むケイコとは、あまりコミュニケーションを取らないが、一緒にトレーニングをする姿からは確かな絆が感じられた。まるで娘を見守る父親のような優しい眼差しが、会長の人となりをよく表している。個人的には「ミリオンダラー・ベイビー」におけるクリント・イーストウッドとヒラリー・スワンクの関係を連想した。
第二の観点は、ケイコの聴覚障害という設定から見る本作の社会派的な意義である。
ケイコの戦いはリング上だけではない。日常の至る場面で彼女は自身のハンデを思い知らされる。例えば、アルバイト先の同僚や同居している弟の恋人は手話ができない。そのため彼等とはほとんどコミュニケーションを取らない。コンビニのレジの店員の言葉も聞こえないので、会計の時には気まずい空気になってしまう。すぐ近くにいるのに意思疎通が取れないということは、普通に考えてかなりのストレスだろう。この映画はそんな聴覚障害者の苦労を、日常の一コマの中に上手く落とし込んでいると思った。
偶然かもしれないが、最近は手話をフォーチャーした映画が多くなってきたような気がする。昨年観た「ドライブ・マイ・カー」、今年のアカデミー賞で作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」、先頃観た「LOVE LIFE」等。立て続けに手話が出てくる映画を観たので、余計にそう思うのかもしれない。最近のLGBTQや多様性にも言えることだが、こうした流れは昨今の潮流なのかもしれない。
監督、脚本は三宅唱。自分は初期作「PlayBack」しか観たことがないのだが、その時には少しシュールで独特な演出をする監督だなという印象だった。しかし、今作では現実感を重視した演出が貫かれており、その時の印象とは全く異なり驚かされた。映像もザラついた16ミリ特有の質感で、シーンに生々しい臨場感を生んでいる。デジタルビデオ全盛の現在では余り味わえない映画体験が逆に新鮮だった。
また、縄跳びの音やサンドバッグを叩く音、電車や工事の音といったサウンド面の演出にも監督のこだわりが感じられた。
キャストでは、何と言ってもケイコを演じた岸井ゆきのに尽きると思う。セリフがない難役を眼差しのみで表現しきった所が見事だった。また、冒頭のロッカールームのシーンを見れば分かるが、肉体改造も抜かりはなく、役所としての説得力も十分である。
特に印象深かったのは、試合中に発する彼女の叫び声だった。もちろんこれは対戦相手のダーティーな戦いぶりに対する怒りであることは明白なのだが、自分はそれだけではないように思う。何をやっても思うようにいかない厳しい現実に対する憤り。あるいは、ふがいない自分自身に対する怒りにも聞こえた。正に魂を揺さぶる叫びである。
ミリオンダラー・ベイビーを超えてるわ!
まずジムの練習シーンがリアリティ満載で秀悦。ケイコの背筋が美しい。一度休みたいとノートに書いたのは、勝ててしまってモチベーションが下がったらなのでしょうか。そのノートを会長が試合のビデオを見ているのを見て破り捨てるシーン、会長と鏡に向かって構えるシーン、トレーナーがケイコがやる気を取り戻して涙ぐむシーン、なんだか一生忘れそうもありません!
ドライブマイカー、ラブライフと耳が不自由な方が出てくる映画が続いたのですが、ケイコにぶつかって怒鳴る男、職質する警官など、耳が不自由な人もいることに想像が及ばない人もいる現実も丁寧に描いていました。
そして最後の試合のシーン!相手の反則で冷静さを失ったケイコが唸り声をあげて大振りをする。結果負けるわけですか、次の課題(人生の糧)が見つかるのです。
それから想像を絶するラストシーン!すべてが満点としかいいようがありません!
セリフがない岸井ゆきのの演技
揺れ動く女性を、目で語る
ドキュメンタリータッチなので、心情説明セリフはなく、また過剰に音楽を乗せていないところがよかったです。
日常の中で、
「ボクシングを好きな自分」
「ボクシングを(痛いのを)怖い、嫌だと思う自分」
「続けたいと思う自分」
「少し休みたいと思う自分」
がいて、常に心は揺れ動く女性の姿を、岸井ゆきのさんが見事に演じ。
聞こえないゆえに、見て感じることに集中しているその「目」が、口よりものを言ってました。
また、岸井さんは、以前からボクシングや手話をやっていたのではと思うレベルに役を作り込んでいて素晴らしかった。
“ボクシング映画”?
本作の印象として、まず“好きな映画”というのがあるのだけれど、なんか感想が書き難い。
何処が好きで何を感じたのか、非常に言語化し難い作品で今回も何から書き始めればよいのか分からず書いてます。
とりあえず本作については私が観た岸井ゆきのの(恐らく)ベストアクトであり、三宅唱監督作品の中でも一番好きな作品となりました。
“ボクシング映画”に外れなしと言われていますが、近年作られたボクシングを題材にした邦画については全て良かったです。しかし、これらの作品って本当に“ボクシング映画”なのか?を考えると、ひょっとしたらそうではないのかも知れません。
まず“ボクシング映画”で思い浮かべるのは『ロッキー』シリーズですが、ひょっとしたらこのシリーズだけが特殊な作品であって、他の海外でのボクシングを題材にした作品も大半は“人間ドラマ”の方の印象が強く、決して“ボクシング映画”ではない様な気もします。
と、らちが明かない話から始まり申し訳ないですが、基本ボクシングを題材にした作品の共通点として心の芯が熱くなるというのがある様な気がします。
ただ『ロッキー』シリーズの場合は、ボクシングシーンで炎の様に熱くさせてくれるのに対して、ボクシングを題材にした“人間ドラマ”の方は、作品を通して弱火で時間をかけてジワジワ熱くさせてくれる様な作品が多く、本作もその点については同様でした。
で、本作についてですが、タイトルの“目を澄ませて”という意味ですが“耳を澄ませて”のモジりは分かるのですが、何に対しての言葉なのか?最初に思い浮かべるのはボクシングに対してですが、作品の構成を考えるとケイコに関わる登場人物一人一人に対しての言葉の様に感じられます。
この映画の構成の面白さは、“主役ケイコ”ではなく各シーン毎の“ケイコ対〇〇”自体が主役になっているということです。ケイコ対オーナー、ケイコ対弟、ケイコ対トレーナー等々、ケイコと相対する全ての登場人物との関わりがそのまま本作のテーマになっていて、ラストシーンでそれを明確に気付かされた時、観客である私は非常に気持ち良かったです。
ケイコもその時に悟りではないけれど色々な事が腑に落ちる感覚になったのではないのかなぁ~。
あと本作は16mmフィルムで撮られていて、やはり昭和の人間である私はこの質感が落ち着くし好きですね。
縦と横
ショボクレ親父役がすっかり板についてきた最近の三浦友和が、なぜかデカプリオに見えてしょうがない。戦後すぐに親父から受け継いだボクシングジムを経営している、糖尿病の会長笹木を好演している。元世界チャンピオンの内藤大介に顔がクリソツの三宅唱監督、聾唖の女性ボクサーが主人公の小説『負けないで!』を読んで映画化を思い立ったらしいのだ。
16mmフィルムで撮影されたこの映画、ボクシングものであることは間違いないのだが、『あしたのジョー』のような汗臭さを不思議と感じないのである。聾唖ボクサーケイコ(岸井ゆきの)の内面にフォーカスを絞っているせいだろうか、ざらついた映像は、時にケイコの荒んだ気持ちを表現しているようにも見える。が、また別のシーンでは(デジタルとは一味違った)人の手の温もりを感じさせてくれるのである。
おんぼろのボクシングジムでケイコが縄跳びやミット打ちに励むシーンも、まるでダンスをしているかのようにリズミカルに撮られており、傍目にはとても楽しげに映るのである。しかし、聾唖というハンディキャップを背負っているケイコは、いつのまにか健常者との間に見えない壁をつくってしまっていて、それがある種の疎外感となって観客には伝わってくるのである。
主人公ケイコのそんな頑な気持ちを、三宅唱はお得意の“縦位置の構図”で表現している。荒川の土手から事務所へ降りる時の階段、線路下の河川敷でケイコが見つめる対岸の風景、勤務先のビジネスホテルでのシーツ替作業.....『きみの鳥はうたえる』では“ぬけ感”を強調していたその構図も、本作では登場人物の煮詰まり感や視野の狭さへと表現をシフトチェンジしている。
そんな時会長が脳梗塞で倒れジムをたたむことが決まってしまう。そして笹木ジム所属ボクサーとしての最後の試合のゴングが鳴り.....このままボクシングを続けるか、それともキッパリやめるべきか、思い悩むケイコだったが、その時思わぬ人物からひょこりと挨拶されるのである。弟の彼女やビジネスホテルの新入り、そして河川敷で自分に挨拶してきた◯◯◯◯.....
スマホに届いた写メの幅を指で広げたように、ボクシングを通じて、知らない間に“横のつながり”が増えていたことに気づいたケイコは決心するのである。このままボクシングを続けようと。それまでは縦位置の構図で切り取られていた同じ風景が、エンドロールでは横位置で映し出されるのである。それは、まるでワイド画面で撮ったように実に伸びやかにケイコの前に広がっているように見えるのであった。
雄弁な静寂
今までにない岸井ゆきのが見られるが、主人公の心情がよく分からない
始終、不機嫌な顔をして、怒りを溜め込んでいるかのようなヒロイン像は、確かに、今までの岸井ゆきののイメージからかけ離れたものであり、まさに、新境地と言えるだろう。
だが、その怒りなり、不満なりの理由や原因がよく分からない。
手話でも筆談でもいいから、彼女に、もう少し、自分の心情を語らせてもよかったのではないか?
日記の内容から、ようやく、彼女が、ジムの閉鎖に心を痛めていることが分かるのだが、どうして、それほどジムやその会長に愛情を寄せているのかが、これ又、よく分からない。
彼女が、あのジムで、ボクシングを始めることになった経緯を、回想シーンでもよいので描いてくれていたら、もう少し、その無念さを実感できたのではないだろうか?
何よりも、この映画のポイントとなる「耳が聞こえない」という設定そのものが、ストーリーやボクシングの試合等に、うまく活かされているとは思えない。
作り手が、この映画でやりたかったことが、今一つ伝わってこない「歯がゆさ」が残った。
岸井ゆきのの代表作確定?!
ケイコ演じる岸井ゆきのの
まさに体当たり、渾身の演技には
目を見張るものがあった。
どこか投げやりな彼女が
ストレス発散だけにボクシングを
しているとは思えず
そこにはジムの会長(三浦友和)や
トレーナーたちとの静かだけども
しっかりと繋がった信頼関係に
よるものだとは思う。
が
他ジムへの移籍に奔走する会長、
トレーナーの林(三浦誠己)
松本(松浦慎一郎)の思いを
汲み取れず、自身の都合だけで
断ろうとしたケイコの本当の気持ちや
彼女がボクシングをやる本当の理由
なぜ休会をしなければみんなに迷惑を
かけることになると思ったのか?
その辺が全然読み取れない。
.
.
それでも彼女の無言の訴えと
声にならない叫びに
背中を押される者もいるだろうと思う。
外れ無き拳闘映画に果敢な新味。
研ぎ澄まされた感覚
実在の元女子プロボクサー・小笠原恵子さんの自伝を基にした作品。岸井ゆきのさんが主人公である生まれつき耳の不自由なボクサーを演じている。
岸井さんとは縁がなくて、名前は知っていても動いている彼女を観た覚えがない。実際、出演リストを眺めても、鑑賞済みのものはほとんどなかった。本作の演技に驚嘆し、ファンになってしまった。
デジタル全盛の時代に16mmで撮影したり、音楽が一切なかったりと意欲的な試みをしているが、肝心のケイコの内面がいまいち伝わってこない。聴こえない=喋れないのはわかるが、彼女は手話もできるし文章も書ける。なにかしら方法はないものか。
……と書いてきて、まさにそれが彼女の状態なのかと気付いた。伝わらない、理解されないもどかしさ。それがこの映画の一番の本質なのかもしれない。
生まれつき耳の聞こえないケイコ。 ハンディを抱えながらもプロボクサ...
3本目のジンクス
その年のアカデミー賞外国語映画賞の日本代表となった『百円の恋』(2014年 武正晴監督)の安藤サクラ、その年のアカデミー賞作品賞など総なめにした『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年 クリント・イーストウッド監督)のヒラリー・スワンク。二人とも高く評価されて主演女優賞を受賞している。これまで2本の「女性ボクサーが主人公」の映画のヒロインが栄冠に輝いている。そして、3本目のジンクスはあるのだろうか。「ガールファイト」も忘れてはいけないが。
本作のヒロイン小河ケイコを演じる岸井ゆきの。聾唖のボクサーという難役。ギラギラとスクリーンから溢れ出る存在感。どうやらジンクスは生きていそうだ。
ゆきのは目がいいんです。
会長役の三浦友和がインタビューに答えていう。
「ケイコは目がいいんです。」
岸井ゆきのを見ているだけで目頭が熱くなってしまって、どうしようもなかった。
荒川ボクシングジムを閉めることになり、松本(松浦慎一郎)がケイコにコンビネーションミット打ち練習の最中、突然止めて、トイレに駆け込んで泣く場面はなおさら。こんなに頑張ってきたケイコにもう直接関わることが出来なくなってしまうと思うと泣けてしかたない松本に共感してしまうから。渡辺真紀子が会長役のジムへの移籍を断ってしまうケイコに腹をたてるシーンも。松本も嘘のつけない人だ。
耳が聴こえない人がボクシングをすることの危険性や不利な点について、ハッとさせられることばかり。目覚まし時計のアラームではなく、タイマーで作動させた扇風機の風がアラームがわりで、早朝から起きて練習や仕事に行く。
おいらには無理。
聴力障害者の指導を健聴者がすることは想像を絶する根気がいるに違いない。会長やトレーナーコーチたちも愛すべき、かけがえのない人たちだった。
ボクシングと手話の二つの試練を乗り越え、映画の主人公に憑依したかのように自然な演技が出来てしまう岸井ゆきのっていう俳優にノックアウトされて、もう、メロメロ。
ゆきのは目がいいんです・・・・・・
【2025.10.31 渋谷】
寒い雨の中、ハロウィンでごったがえす渋谷でまた観てしまった。3回目なのにまた泣いてしまった。鼻水が止まらないのはインフルエンザに感染したわけではない。
弟役の佐藤緋美クンがとてもいい。お母さん役が中島ひろ子さん。二人ともいい映画でもっと活躍して欲しいと思った。
セリフが全然ないないのに、目で喋っている岸井ゆきの。
浅草の手話女子会は字幕が出ないけど、恋バナに違いない。ラスト、礼儀正しい対戦相手と土手で出会ったときには「なにやってんだろうわたし」って心のなかで言ってたと思う。
岸井ゆきのちゃん
メ~テレ、ボクシング映画、そして岸井ゆきの。
私は映画を観る前に前情報を殆ど入れません。勿論、劇場に行けば本編が始まる前に多くの公開予定作品の予告編を目にしますが、最終的に選んで観ている映画(邦画)が始まり気づくのが「あ、これもメ~テレ(名古屋テレビ)なのか」という件です。敢えて付け加えれば「それらの全てが必ずしも好みというわけではない」のですが、その実力とこだわりは否定のしようがありません。
また、必ずしも選定基準にはしているつもりのない「ボクシング映画」というジャンル。私、スポーツとしてのボクシングも殆ど興味がないと言って過言はないのですが、「ボクシング映画」を観終わって否めない「打たれ弱さ」、もう所々「めろめろ」になって涙腺が刺激されます。
そして「岸井ゆきの」という俳優。私自身は遅ればせながら2015年頃から彼女を認識をし、初の主演作品『おじいちゃん、死んじゃったって。(17)』の頃には「Check in (on)」の一人として注目をし、今では引っ張りだこな存在で「さもありなん」と思いつつも、今作における「ケイコ」役は跳びぬけて素晴らしい。正直、「ろう者」「ボクシング」いずれにおいても当事者がどう見るかは判りませんが、少なくとも彼女の演技のベースに確実な「努力」が見て取れ、感動に輪をかけているような気がします。観逃している作品も多いですが、私の観た作品中、2022年最優秀賞主演女優賞確定です。
最後、ケイコは『私もありがとう。』って伝えたかったんだ。
最後、ケイコはきっと『私もありがとう。』って伝えたかったんだと私は思いました。
素直で実直にボクシングに取り組む彼女の姿勢が、痛いほど胸に突き刺さり、現代日本が忘れかけている大事なものを彼女の澄んだ目を通して改めて教わったような気がします。
夜電車が走る陸橋の河川敷の背景構成や雨の中のジムは、交わっているようで交わっていない葛藤のそれを表しているようにも思えました。
鑑賞後の家路は、とても優しい気持ちに包まれて、勇気をもらいました。
俺も頑張ろうって。
ケイコみたく、リングでわぁーーーーって叫ぶ人生を送ろうと思いました。
三宅監督が君臨する日本映画の未来は、とても明るいです。
次回作がとても楽しみです。
素敵な映画をありがとうございました。
言葉がなくとも伝わる意志
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