ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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ケイコの表情から成長を読み解く人間ドラマ
主人公ケイコの周りの人たちが皆優しい。
それなのにケイコの心はなかなか解けることはなく「人間なんて一人だから」とケイコの悩みを共有しようとする弟に対しても拒絶をしてしまう。
それでもジムの会長(三浦友和)の病などを通じ、徐々にだが他者を気遣う気持ちが芽生えて行く。
それを表情だけで伝える岸井ゆきのさん、すっかり実力派俳優になりましたね、そして鍛え上げられた広背筋!役者魂に拍手です。
ただ、ケイコの心の移ろいや迷いがどこから来ているのかが理解し難くて「どうしてあなたは周りの優しさを素直に受け入れられないの?」なんて、まるで親になったような気持ちでモヤモヤ・イライラしながらスクリーンを見つめている自分がいました。
少し難しかったな。
時より見せる映画が印象的
最近地上波でやたら観るようになった
岸井ゆきのさんの主演作。
本作を観て彼女が多く起用される理由が
少し解ったような気がします。
難聴のプロボクサーケイコ。
彼女同様作品も多くを語らない。
純粋な彼女の生き様がジャブのように
ジワジワと効いてくる。
リアルな人生の中に映画のような
美談や感動は多く存在しない。
本作にも映画らしいドラマチックな
ラストは用意されていない。
愚直に生き愛想のないケイコが
時折見せる笑顔が印象的。
岸井ゆきのに合わない
聴覚障害で耳の聞こえないケイコは、下町の小さなボクシングジムで練習し、プロボクサーとしてリングに立っていた。そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知った。そんな話。
ケイコ役の岸井ゆきのの喋らない演技が見所なんだと思うが、彼女は喋りが良いのに喋らない役はイマイチだった。
ボクシングがカッコ良いならまだしも、背が低く猫背でやられっぱなしのシーンが多く、なぜ彼女を選んだのか理解に苦しむ。
面白くなかった。
魂を揺さぶる叫び
実在の聴覚障害の女子プロボクサー小笠原恵子の自伝を元にしているということだが、エンドクレジットで本作はフィクションである旨が記される。原作は未読なので分からないが、調べてみると時代背景を含め色々と脚色されているそうである。ただ、そうした映画独自の改変はあれど、ケイコ自身の生き様や彼女が置かれている状況には色々と考えさせられるものがあるし、何よりハンデを負ったままリングに立つ彼女のひたむきな姿には素直に感動を覚えた。
本作は二つの観点から感想を述べてみたい。一つ目はボクシング映画としての観点、二つ目は聴覚障害者を描いた映画としての観点である。
まず、ボクシング映画として見た場合、「ロッキー」シリーズのようなファイトシーンは余りなく、どちらかと言うとケイコの内面に重きを置いたヒューマンドラマ的な作りになっている。ケイコはデビュー戦で初勝利をあげるが、自信を得るどころか逆に不安を感じてしまう。このまま本当にプロとしてやっていけるだろうか?経営が厳しいジムの重荷になっていないか?家族に心配をかけてないか?そうした葛藤がじっくりと描かれている。
考えてみれば、耳が聞こえないということはセコンドのアドバイスやレフェリーの言葉、ゴングの音すら認識でないわけで、そんな状況の中で戦うということは想像を絶するほどの孤独であろう。その苦悩は観ているこちらにも十分に伝わってきた。
また、ケイコの面倒を親身になって見る会長の存在も良かった。言葉を喋らず黙々と練習に励むケイコとは、あまりコミュニケーションを取らないが、一緒にトレーニングをする姿からは確かな絆が感じられた。まるで娘を見守る父親のような優しい眼差しが、会長の人となりをよく表している。個人的には「ミリオンダラー・ベイビー」におけるクリント・イーストウッドとヒラリー・スワンクの関係を連想した。
第二の観点は、ケイコの聴覚障害という設定から見る本作の社会派的な意義である。
ケイコの戦いはリング上だけではない。日常の至る場面で彼女は自身のハンデを思い知らされる。例えば、アルバイト先の同僚や同居している弟の恋人は手話ができない。そのため彼等とはほとんどコミュニケーションを取らない。コンビニのレジの店員の言葉も聞こえないので、会計の時には気まずい空気になってしまう。すぐ近くにいるのに意思疎通が取れないということは、普通に考えてかなりのストレスだろう。この映画はそんな聴覚障害者の苦労を、日常の一コマの中に上手く落とし込んでいると思った。
偶然かもしれないが、最近は手話をフォーチャーした映画が多くなってきたような気がする。昨年観た「ドライブ・マイ・カー」、今年のアカデミー賞で作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」、先頃観た「LOVE LIFE」等。立て続けに手話が出てくる映画を観たので、余計にそう思うのかもしれない。最近のLGBTQや多様性にも言えることだが、こうした流れは昨今の潮流なのかもしれない。
監督、脚本は三宅唱。自分は初期作「PlayBack」しか観たことがないのだが、その時には少しシュールで独特な演出をする監督だなという印象だった。しかし、今作では現実感を重視した演出が貫かれており、その時の印象とは全く異なり驚かされた。映像もザラついた16ミリ特有の質感で、シーンに生々しい臨場感を生んでいる。デジタルビデオ全盛の現在では余り味わえない映画体験が逆に新鮮だった。
また、縄跳びの音やサンドバッグを叩く音、電車や工事の音といったサウンド面の演出にも監督のこだわりが感じられた。
キャストでは、何と言ってもケイコを演じた岸井ゆきのに尽きると思う。セリフがない難役を眼差しのみで表現しきった所が見事だった。また、冒頭のロッカールームのシーンを見れば分かるが、肉体改造も抜かりはなく、役所としての説得力も十分である。
特に印象深かったのは、試合中に発する彼女の叫び声だった。もちろんこれは対戦相手のダーティーな戦いぶりに対する怒りであることは明白なのだが、自分はそれだけではないように思う。何をやっても思うようにいかない厳しい現実に対する憤り。あるいは、ふがいない自分自身に対する怒りにも聞こえた。正に魂を揺さぶる叫びである。
ミリオンダラー・ベイビーを超えてるわ!
まずジムの練習シーンがリアリティ満載で秀悦。ケイコの背筋が美しい。一度休みたいとノートに書いたのは、勝ててしまってモチベーションが下がったらなのでしょうか。そのノートを会長が試合のビデオを見ているのを見て破り捨てるシーン、会長と鏡に向かって構えるシーン、トレーナーがケイコがやる気を取り戻して涙ぐむシーン、なんだか一生忘れそうもありません!
ドライブマイカー、ラブライフと耳が不自由な方が出てくる映画が続いたのですが、ケイコにぶつかって怒鳴る男、職質する警官など、耳が不自由な人もいることに想像が及ばない人もいる現実も丁寧に描いていました。
そして最後の試合のシーン!相手の反則で冷静さを失ったケイコが唸り声をあげて大振りをする。結果負けるわけですか、次の課題(人生の糧)が見つかるのです。
それから想像を絶するラストシーン!すべてが満点としかいいようがありません!
セリフがない岸井ゆきのの演技
ボクシングの場面が嘘くさいと一気にさめるのがボクシング映画だが、相当準備したはず。
試合のシーンは正直微妙だったが、
素人の私には納得の出来。
セリフがほぼなく、表情中心だが、主人公の心情が伝わり、苦しかった。
音のない世界のリアルは、やはり恐ろしい。
その中でボクシングに身を投じたのは尊敬。
作品自体は緩やかだが、だるさはなく、むしろ心地よかった。
揺れ動く女性を、目で語る
ドキュメンタリータッチなので、心情説明セリフはなく、また過剰に音楽を乗せていないところがよかったです。
日常の中で、
「ボクシングを好きな自分」
「ボクシングを(痛いのを)怖い、嫌だと思う自分」
「続けたいと思う自分」
「少し休みたいと思う自分」
がいて、常に心は揺れ動く女性の姿を、岸井ゆきのさんが見事に演じ。
聞こえないゆえに、見て感じることに集中しているその「目」が、口よりものを言ってました。
また、岸井さんは、以前からボクシングや手話をやっていたのではと思うレベルに役を作り込んでいて素晴らしかった。
“ボクシング映画”?
本作の印象として、まず“好きな映画”というのがあるのだけれど、なんか感想が書き難い。
何処が好きで何を感じたのか、非常に言語化し難い作品で今回も何から書き始めればよいのか分からず書いてます。
とりあえず本作については私が観た岸井ゆきのの(恐らく)ベストアクトであり、三宅唱監督作品の中でも一番好きな作品となりました。
“ボクシング映画”に外れなしと言われていますが、近年作られたボクシングを題材にした邦画については全て良かったです。しかし、これらの作品って本当に“ボクシング映画”なのか?を考えると、ひょっとしたらそうではないのかも知れません。
まず“ボクシング映画”で思い浮かべるのは『ロッキー』シリーズですが、ひょっとしたらこのシリーズだけが特殊な作品であって、他の海外でのボクシングを題材にした作品も大半は“人間ドラマ”の方の印象が強く、決して“ボクシング映画”ではない様な気もします。
と、らちが明かない話から始まり申し訳ないですが、基本ボクシングを題材にした作品の共通点として心の芯が熱くなるというのがある様な気がします。
ただ『ロッキー』シリーズの場合は、ボクシングシーンで炎の様に熱くさせてくれるのに対して、ボクシングを題材にした“人間ドラマ”の方は、作品を通して弱火で時間をかけてジワジワ熱くさせてくれる様な作品が多く、本作もその点については同様でした。
で、本作についてですが、タイトルの“目を澄ませて”という意味ですが“耳を澄ませて”のモジりは分かるのですが、何に対しての言葉なのか?最初に思い浮かべるのはボクシングに対してですが、作品の構成を考えるとケイコに関わる登場人物一人一人に対しての言葉の様に感じられます。
この映画の構成の面白さは、“主役ケイコ”ではなく各シーン毎の“ケイコ対〇〇”自体が主役になっているということです。ケイコ対オーナー、ケイコ対弟、ケイコ対トレーナー等々、ケイコと相対する全ての登場人物との関わりがそのまま本作のテーマになっていて、ラストシーンでそれを明確に気付かされた時、観客である私は非常に気持ち良かったです。
ケイコもその時に悟りではないけれど色々な事が腑に落ちる感覚になったのではないのかなぁ~。
あと本作は16mmフィルムで撮られていて、やはり昭和の人間である私はこの質感が落ち着くし好きですね。
縦と横
ショボクレ親父役がすっかり板についてきた最近の三浦友和が、なぜかデカプリオに見えてしょうがない。戦後すぐに親父から受け継いだボクシングジムを経営している、糖尿病の会長笹木を好演している。元世界チャンピオンの内藤大介に顔がクリソツの三宅唱監督、聾唖の女性ボクサーが主人公の小説『負けないで!』を読んで映画化を思い立ったらしいのだ。
16mmフィルムで撮影されたこの映画、ボクシングものであることは間違いないのだが、『あしたのジョー』のような汗臭さを不思議と感じないのである。聾唖ボクサーケイコ(岸井ゆきの)の内面にフォーカスを絞っているせいだろうか、ざらついた映像は、時にケイコの荒んだ気持ちを表現しているようにも見える。が、また別のシーンでは(デジタルとは一味違った)人の手の温もりを感じさせてくれるのである。
おんぼろのボクシングジムでケイコが縄跳びやミット打ちに励むシーンも、まるでダンスをしているかのようにリズミカルに撮られており、傍目にはとても楽しげに映るのである。しかし、聾唖というハンディキャップを背負っているケイコは、いつのまにか健常者との間に見えない壁をつくってしまっていて、それがある種の疎外感となって観客には伝わってくるのである。
主人公ケイコのそんな頑な気持ちを、三宅唱はお得意の“縦位置の構図”で表現している。荒川の土手から事務所へ降りる時の階段、線路下の河川敷でケイコが見つめる対岸の風景、勤務先のビジネスホテルでのシーツ替作業.....『きみの鳥はうたえる』では“ぬけ感”を強調していたその構図も、本作では登場人物の煮詰まり感や視野の狭さへと表現をシフトチェンジしている。
そんな時会長が脳梗塞で倒れジムをたたむことが決まってしまう。そして笹木ジム所属ボクサーとしての最後の試合のゴングが鳴り.....このままボクシングを続けるか、それともキッパリやめるべきか、思い悩むケイコだったが、その時思わぬ人物からひょこりと挨拶されるのである。弟の彼女やビジネスホテルの新入り、そして河川敷で自分に挨拶してきた◯◯◯◯.....
スマホに届いた写メの幅を指で広げたように、ボクシングを通じて、知らない間に“横のつながり”が増えていたことに気づいたケイコは決心するのである。このままボクシングを続けようと。それまでは縦位置の構図で切り取られていた同じ風景が、エンドロールでは横位置で映し出されるのである。それは、まるでワイド画面で撮ったように実に伸びやかにケイコの前に広がっているように見えるのであった。
雄弁な静寂
驚くほど静かな映画であるにもかかわらず、世界がいかに音に満たされているのかを感じさせる。
そうした音響的な工夫とは裏腹に、ドラマ的には出来るだけフラットになるように意識されていると感じられた。
そうしたセッティングの中で、岸井ゆきのの台詞なしの眼差しと訓練されたボクシングの動きが感情を揺すぶってくる。
新しいコンビネーション、そのメモ、日々のトレーニング、でも試合は思うようにはならない…
女性であること、聞こえないこと、しゃべれないこと。その抑圧からいっとき解放されるための方法としてのボクシング。
あまりにも雄弁な静寂に、我々聴者は耳を傾けるべきだ…
今までにない岸井ゆきのが見られるが、主人公の心情がよく分からない
始終、不機嫌な顔をして、怒りを溜め込んでいるかのようなヒロイン像は、確かに、今までの岸井ゆきののイメージからかけ離れたものであり、まさに、新境地と言えるだろう。
だが、その怒りなり、不満なりの理由や原因がよく分からない。
手話でも筆談でもいいから、彼女に、もう少し、自分の心情を語らせてもよかったのではないか?
日記の内容から、ようやく、彼女が、ジムの閉鎖に心を痛めていることが分かるのだが、どうして、それほどジムやその会長に愛情を寄せているのかが、これ又、よく分からない。
彼女が、あのジムで、ボクシングを始めることになった経緯を、回想シーンでもよいので描いてくれていたら、もう少し、その無念さを実感できたのではないだろうか?
何よりも、この映画のポイントとなる「耳が聞こえない」という設定そのものが、ストーリーやボクシングの試合等に、うまく活かされているとは思えない。
作り手が、この映画でやりたかったことが、今一つ伝わってこない「歯がゆさ」が残った。
岸井ゆきのの代表作確定?!
ケイコ演じる岸井ゆきのの
まさに体当たり、渾身の演技には
目を見張るものがあった。
どこか投げやりな彼女が
ストレス発散だけにボクシングを
しているとは思えず
そこにはジムの会長(三浦友和)や
トレーナーたちとの静かだけども
しっかりと繋がった信頼関係に
よるものだとは思う。
が
他ジムへの移籍に奔走する会長、
トレーナーの林(三浦誠己)
松本(松浦慎一郎)の思いを
汲み取れず、自身の都合だけで
断ろうとしたケイコの本当の気持ちや
彼女がボクシングをやる本当の理由
なぜ休会をしなければみんなに迷惑を
かけることになると思ったのか?
その辺が全然読み取れない。
.
.
それでも彼女の無言の訴えと
声にならない叫びに
背中を押される者もいるだろうと思う。
外れ無き拳闘映画に果敢な新味。
立つんだジョー、エイドリアーン、で盛らず、
スポ根と血と涙をこそ極力廃す拳闘映画史上最固茹でを果敢な新味と買う。
松浦に一歩演らせ過ぎ、題が一言多いのが惜しいが。
部外者の会長妻(仙道敦子!)に語らせる脚本の正しさ。
私的年テン入り。
またも拳闘映画に外れ無し。
研ぎ澄まされた感覚
実在の元女子プロボクサー・小笠原恵子さんの自伝を基にした作品。岸井ゆきのさんが主人公である生まれつき耳の不自由なボクサーを演じている。
岸井さんとは縁がなくて、名前は知っていても動いている彼女を観た覚えがない。実際、出演リストを眺めても、鑑賞済みのものはほとんどなかった。本作の演技に驚嘆し、ファンになってしまった。
デジタル全盛の時代に16mmで撮影したり、音楽が一切なかったりと意欲的な試みをしているが、肝心のケイコの内面がいまいち伝わってこない。聴こえない=喋れないのはわかるが、彼女は手話もできるし文章も書ける。なにかしら方法はないものか。
……と書いてきて、まさにそれが彼女の状態なのかと気付いた。伝わらない、理解されないもどかしさ。それがこの映画の一番の本質なのかもしれない。
生まれつき耳の聞こえないケイコ。 ハンディを抱えながらもプロボクサ...
生まれつき耳の聞こえないケイコ。
ハンディを抱えながらもプロボクサーとして活動する。
コーチや家族、友人にも恵まれているように見える。
ただ、本当にボクシングがしたいのか?充実しているように見えるが、何がしたいのか、逃げ出したくなる思いが鋭く伝わってくる。
会長の姿を見て気持ちに変化が生じるシーン、
最後の感情が大きくなるシーンにグッときた。
3本目のジンクス
その年のアカデミー賞外国語映画賞の日本代表となった『百円の恋』(2014年 武正晴監督)の安藤サクラ、その年のアカデミー賞作品賞など総なめにした『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年 クリント・イーストウッド監督)のヒラリー・スワンク。二人とも高く評価されて主演女優賞を受賞している。これまで2本の「女性ボクサーが主人公」の映画のヒロインが栄冠に輝いている。そして、3本目のジンクスはあるのだろうか。「ガールファイト」も忘れてはいけないが。
本作のヒロイン小河ケイコを演じる岸井ゆきの。聾唖のボクサーという難役。ギラギラとスクリーンから溢れ出る存在感。どうやらジンクスは生きていそうだ。
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