すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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100点
映画評価:100点
新海誠作品で間違いなくベスト1
そして、この作品を世に放ってくれて感謝します。
正直舐めていました。
冒頭の雰囲気や設定、展開を見て魔女の宅急便のオマージュくらいにしか思っていなかったです。
要石を再び封印するまでのスズメの成長秘話くらいにしか思ってなくて、まさかファンタジーじゃなくリアリティーショーだったとは…
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3・11を題材にしたお話しは多くあります。
そのどれも、中途半端に記憶を逆撫でする程度の腹立つ作品ばかりでした。
わざわざ現実に起きた悲しい出来事を思い出させ、辛かったね分かるよ~みたいな顔をして近づいてきて、そのくせ大した中身(内容)もなく、こちらの心を適当に傷つけるだけの………そういう作品ばかりでした。
でも、この作品は違いますっ!
私は違うと感じました。
【震災】という人ではどうにも出来ない存在を神と称し、その出来事によって埋もれてしまった人々の思いを【浄化】させていく
クライマックスに常世で垣間見た風景は、
そこに人が住んでいて、そこに様々な未来や思いがあって、そのかけがえのない一瞬を閉じ込めていました。
その当たり前だった日常が
たった数時間で壊される
当日の記憶と共に、そこに生きていた人たちの思いが私の心に入り込み涙が出ました。
スズメが忘れよう、諦めようとしていた
置いてきた(封印した)悲しい記憶。
そのせいで漠然と生きてきてしまった…
「死ぬのは怖くない」
そう自分の心に蓋(黒塗り)をして、
まるで死に場所を探しているかの様に儚い。
でも、鎮魂の儀式(戸締まり)を通して
今度はちゃんと理解し、お別れし、自らの意思で戸締まりをし、
「いってきます」
と進み出す。
そこに置いてある思いを胸に、
あった出来事を無理に忘れず、しっかりと振り返りながら明日の歩いていこうとしている。
そんなスズメの姿を見て、
私も1日1日を、もっと意識して生きたいと思えました。
《無念》という言葉で済ますのは簡単ですが、
人の心はそんなに単純ではないです。
複雑に絡み合う感情と念と共に
一歩ずつ地に足つけて
自分らしく生きていきましょ!
この作品を作ってくれて、本当にありがとうございました。
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という訳で内容は割愛します。
実際に見て、それぞれが感じとって下さい。
参考にならないかもしれないですが、
私の場合はこんな感じでした(笑)
ps.芹澤推しです
【2024.4.10観賞】
すずめさん、何故標準語?
つい先ほど5日に渡ってぶつ切りで観終わりました。
オープニングの魅せかたは『もののけ姫』がオーバーラップし、一気に引き込まれました。確かに皆さんが仰っておられる通り、鈴芽の不可解な行動に「!?!?」になりましたが、120分超えには少ない、中弛みを感じず集中して観られました。日常の表現の美しさやリアリティは、「さすが新海監督!」と唸りました。
ダイジンを追って遠方を旅するモンタージュや、大学生の車に乗って東北地方へ行くモンタージュは、昭和歌謡を交え、この辺りでも新海監督らしい表現に釘付けになりました。
そしてクライマックスの“戸締まり”の場面、実際に起きた様々な災害や震災が脳裏に浮かび、同時にポジティヴな思いに共感し、涙腺が緩んでしまいました。イケメンとヒロインのロマンスは見たくありませんでした。世間様はああいうシーンがないと納得しないのでしょうか。
いわゆる“悪者”がいない作品ですが、スリリングで大迫力で感動的な作品です。是非ご覧下さい‼️
地上波で流れた意味がわからない
シナリオ構成が…
びっくりするほど心が動かない…。
きれいなだけじゃなく、脚本も良い
画が丁寧できれいなだけじゃなく、いちいち構図がうまい。ロードムービーのように主人公たちが移動していくけど、それぞれの場所の名所を緻密に描いていて美しい。障害物を飛び越える時のキャラクターの動きなど、演技指導も完璧。ミミズは「もののけ姫」のシシガミを連想するが、大きさが迫力あり、ラスボスとしての緊迫感があった。
行った先々で、親切な良い人に出会うストーリーもあたたかくて、良い気持ちになった。芹沢君など、ちょっと良い人すぎる気もするけど。それから、肝心なことだけど、鈴芽が聡太を気に入って世話をやく理由が説明不足と思う。イケメンに一目ぼれ?
ダイジンという白いネコを追いかけていくことに、ある意味が隠されていて、うまい脚本だと思った。「生きること」と「みんなのために犠牲になること」を考えさせられるクライマックスや、鈴芽の幼い頃の記憶を最後に回収するところも感動的。
「君の名は」「天気の子」と比べるとこの作品が一番だと思う。
モチーフはいつも同じ
男の子と女の子と不思議な力と
薄っぺらい。あまりに薄っぺらい
よくもまぁ「みみず」なんてものを発想するなぁと驚いたというのが、まず最初の感想でした。
ただこの世に厄災をもたらすだけの存在として描かれていますが、この世にあるものすべて、両面性があります。
「それがあるからこそ、この世がまわっている」という面もどこかにあるはずで、「ただ封じ込めれば良い」という発想は、あまりにも古すぎる。
平安時代でさえ、人に取り憑いて病にさせる怨霊は、よりましに取りつかせて気持ちを聞きだし、解消させようという発想があるのに、現代の人間が「ただ封じ込めれば良い」なんて、あまりにも安直な……。
何より、これは多分多くの人が思っていることでしょうけれど、そのためにダイジンやサダイジンという「犠牲者」を出して、「めでたしめでたし」で終わらせていることに強い不快感がありました。
ダイジンやサダイジンだって、本意でやってるわけじゃないのに。
「そういう役目なんだから、役目を果たせ」とはあんまりな。
「昔から米軍基地は沖縄に集中してるんだから、沖縄が我慢すべし」
「福島のがれきはなんとかすべきだが、うちの近所で処理するのは困る」
なんて考えはおかしい。
私は大阪の人間ですが、橋下さんが知事時代、「大阪にも米軍基地を作るべき」と発言したとき、「この知事についていこう」と思いました。
松井知事が福島のがれきを処理することについて、説明会を開いたとき、最初から説明会を妨害するために集まった市民団体に本当に腹が立ちました。
新海監督は、「いやなことは、誰かにやってもらおう」と考えている人なのでしょう。
「天気の子」を見たとき、「私達の平穏を守るためには、誰かが犠牲になるべき」という発想が根底にあるのだなと思いましたが、遠い昔、縄文海進の際には人々が高所に移動して自然と折り合いをつけたように、映画も「大変だが、なんとか自然(あるいは神)と折り合いをつけよう」とするところで終わったように見えましたので、まだ理解できました。
でも、なんて貧困な世界観なんでしょう。この監督の世界は。
久々に、最悪な気分になった映画でした。
合成した方言が気になる
今までの新海作品からしたら、まずまずか
意欲的な挑戦〜やや失敗〜作
閉じた世界のボーイミーツガールにこだわってきた新海監督(いい人)が、前作「天気の子」で踏み出した一歩をさらに進めようとする意欲作に思えた。
311をはじめ災害が頻発する昨今の日本、とりわけその被害者が抱える痛みに光を当てようとした、のはわかる。さすがの真面目さだし、そこにロマンチックなお伽話要素も入って、既定のボーイミーツガール路線も健在。
ただ、いかんせん「災害=みみずを封じる」という大状況の解消と、不可逆的な喪失を抱えながらそれでも前を向いて生きていくっていう個人のドラマは割と別物。というか視点が真逆なので、たぶん両立するには非常に高度な技術が必要。
残念ながらその技術という点では今一歩だったんではなかろうか。終盤にかけて、いくらなんでも叔母さんや猫の動きがご都合すぎないか、と思う場面が何度かあった。
というか近年のハリウッドゴジラとか見てても、そもそもの設定として無茶がすぎるってことなんだろう。
そこでふと、ヒントになると思ったのはロメロのゾンビ。比重としてはすずめ個人のドラマがメインだろうから「変えられない悲劇的な状況」はひとつのバックグラウンドとして置いておき、根本的な問題は解決しないけど、個人としてはそれでも希望はある…というオチにすることはできたんじゃないのか。
それってつまり、前作「天気の子」で出した答えが正解でしたって話になってしまうけど、現実の被災者を想定してる以上、いい人の監督としてはあくまで希望あるメッセージを残したかったのかも。
確かにラストの場面は感動的だったけど、ドラマとしては余韻が弱かったかなぁ。
あとは言っても詮ないけど、音楽の流し方が過剰な気がする。作り手に気を使ったのかも知れないけど、結果的にはもうちょっと引き算のがみんなが得すると思う。
けっかくならジブリに新海誠をリクルートすればよかったのに、と思うくらいには既視感のあるヴィジュアル(ちょい旧エヴァ)が出てきたりひて、ひさびさに「ほしのこえ」が1人DAICON フィルムと呼ばれていたことを思い出した。タランティーノ的なリミックス感覚は逆に、ヴィジュアル優先ではなく、既存イメージのパッチワークを使ってでも語るべき物語が作り手の中にあった、ということなのかも。
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