屋根裏のラジャーのレビュー・感想・評価
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アニメの新たなテクスチャー
まず画面が本当に素晴らしい。アニメーションも実写もまず映像なので、第一に画面が良くないといけないが、これは本当にそこが徹底してすごい。2Dアニメに立体感を創出する新たな方法を導入して、絵本のイラストが動いたような躍動感を生み出すことに成功している。これはアニメーションの新たなテクスチャーを目指した作品の一つと言え、ジブリの分派であるポノックからこういう大胆な試みが出たことが意義あることだ。彼らはジブリのコピーだけで満足はしない、新しい表現に足を踏み入れたのだ。
しかも、物語とこのテクスチャーがきちんと噛み合っている。この作品では、イマジナリという想像の産物が現実にいるかのように感じられることが重要。背景とキャラクターに同一の光があたっているような実感が、イマジナリがここに本当にいるという感覚を映像で表現できている。
課題があるとすれば物語の運び方だろうか。個々にダイナミックな描写があるけど、全体としてそれが感じられない。実際にはミニマムなお話なのだけど、そう感じさせないスケール感が欲しかった。
消されたシリーズでした。
良し悪しは兎も角、セル画アニメが
2000年以降基本的になくなったと聞く。
初めて知った。
セル画とCG画を使ったアニメ合成の方法がどう違うのか分からないので、言及しない方が良かろう。しかし、アニメはCGに乗っ取られたと言い換えられるかもしれない。
背伸びしてる感
私はジブリも好きではないのですけど、ジブリの模倣をしようとしてる作品はさらに好きになれません。
軒並み気持ち悪いと感じてしまいます。
宮崎駿氏は良くも悪くも、ファンタジー側の人で、そうでない人にとっては意味不明な作品を作れる人だと思うのですが、模倣作品のほとんどは無理に背伸びしてファンタジーを作ろうとしているように見えて居心地の悪さを覚えます。
冷蔵庫が助けてくれた
2024年8月25日
映画 #屋根裏のラジャー (2023年)鑑賞
ラジャーは少女アマンダの想像がつくり出した友だち“イマジナリ”
アマンダ以外の人間には見えないが屋根裏部屋でアマンダと楽しい毎日を送る
イマジナリーフレンドって日本語で言うと何て言葉になるのかな?
決まった言葉はないような気がするな
ラジャー視点のホラー映画
イメージの世界の映像は、『ボス・ベイビー』の冒頭シーンのように迫力満点。
BGM、エンディングテーマがとても良かった。
仲里依紗さん、山田孝之さん他、俳優達の声は味がある。安藤サクラさんの滑舌が氣になった。
名言も多い。
ジブリぽいかなと思って観ました!
絵が綺麗でストーリーも分かりやすくて大人でも楽しめる映画でした。
空想の友達ラジャー
お父さんが亡くなってから自分の中の決意?誓い?が具現化して
そばで支えてくれるような存在だったのかな。と思いました。
私も小さい頃はそういうお友達をぬいぐるみで作ってました。
なかなか言えないこともそのぬいぐるみには話せるんですよね。
そういうシーンが描かれてるのかなって思いながら見ると懐かしくなって楽しかったです。
気になっている方はぜひ見てほしいです◎
45点
映画評価:45点
この歳で見るには微妙だったかなぁ?
というのが率直な感想です。
よく比較されるジブリ映画って、
良くも悪くも大人向けといいますか…。
でも一応アニメだから子どもが見ても
何となく見れる(楽しめる)
だけど内容は大人向け。
そのアンバランスさが魅力だと思うんですけど
屋根裏のラジャーは、
単調で、トイストーリーの様なワクワク感はあるけど、内容は薄い。
掘り下げる程の深さがないんですよね。
じゃあ子ども向けかというと、
小学生とかでは共感できない物語です。
私には刺さらなかったですけど、
魅力的な作品なのは間違いないので、
気になる方は是非観てみて下さい!
ps.ほとんど屋根裏には居ない。
【2024.7.13観賞】
コテコテ感が目と頭に優しい
ジブリに似てるなぁ~と思いながら見に行った。
女の子(エマだっけ?)が妄想でめっちゃ時間を潰せてて楽しそうだった。想像上にしかいない友達があんなに自律して話し相手になってくれるものなの?実際にいたら便利そうだった。
ストーリーもシンプルで、色がキレイなアニメだったので見てて退屈しなかった。
ちょっと大人が考えた子供の空想って印象が過ぎるような…とは思ったが、大人が考えているだけあって、ストーリーにも味がついていて良かった。ラジャーの誕生秘話とか、結構食らったシーンだった。
そういうところはジブリっぽくなかった。
子供向けって感じだけど、子供が面白いと思うのかなぁとは思った。童心に帰りたい大人向けという印象を受けた。別に悪いことじゃないし。
大事なことを先に説明しないで落ち度のないミスを咎めてくるやつ
妄想されないと消えてしまうスタンドの少年が、サーバントの少女を助けようとする話。
良い点
・妄想フィールド、妄想力対決
・感動的
悪い点
・所々棒読みや方言など。前田家見て。
・日本語が悪目立ちしている。小児病棟を余裕で読める。
・名前も不自然に日本語が混在
・部屋冒険のノリの良い曲が合っていない。
・敵のスタンド少女が作風に合っていない。無駄に怖い。強さにブレがある。
・救急車に乗らない。乗れ。
・転送のドアに何故か助けられるのと敵が何故か無関心
・少女の友人がやたら危険因子。なのに。
・病室内での流れが非常に緩慢。大人しく食わせろでなく、大人しく食え。早く食え。
・エンディングの曲が英語で国外に媚びている。ディズニー風で作品に合っていない。
その他点
・スタンドの解像度はサーバントの知能と相関関係があるのだろう。
・窓際のラジャー?などとややこしい。
自分の世界から外の世界へ
少女の空想から産み出された架空の少年ラジャー。
少女の眼からではなくラジャーから描くことで、架空だけど存在し続けてる彼と少女が大人への階段を登ろうとすることでの別れを切なくも冒険ものとして描く。
ただ冒険ものとしようとすることで、彼や少女を追い詰めるキャラクターの存在が重要になるのだがその点弱く感じた。空想の産物(イマジナリー)を栄養にすることで永遠に生きるキャラクターを作り出すのだが、観てるものとしてすんなりと納得できるものではなかった。
空想の世界同士の敵対関係の方がすんなり納得できるのだが。
だが共に過ごした彼女から離れることになるラジャーの切なさはしっかり描けていた様に感じた。
つまらないわけでは無いけど・・・
なんか全然話題になっていないけど、評価はそれなりに良かったので見に行ってきました。
映像は人物の描写について2次元を3次元的に見せるような手法を取っており技術的にすごいとは思うけど、陰影の付け方が独特で、光源と合っていないところも有って気になって集中しずらかった。
また、海外を意識したような絵柄も正直合わなかった。
ストーリーについては悪くはないんだけど、イマジナリーの定義がわかりづらく、なんかもやもやした、最後敵のイマジナリーの行動もよくわからなかった。
ただ、日本では受けなかったけど、海外ではヒットするかも。
舐めてた、ごめんなさい
正直、単に宮崎駿監督が亡くなったらジブリが終わり、同系統のアニメも弱くなるのかな、同じ遺伝子を持つ米林・西村ペアには頑張って貰いたいから(子供向けだけど)と、あまり乗り気ではなく観に行きました。何分ぐらいかな、20分までは退屈だった。でも、それ以降(原作が素晴らしいのかもだが、)現実のイマジネーション溢れる製作陣の作品展開力に唸りました。とても分かりやすく想像を巡らせる必要なく、身を任せる様にとても心地良く作品に浸る事ができ、子供に返った様な気持ちになれました。時にはこんな映画も良いと感じる事が出来た。
期待しないで見たら2回泣いた‼︎
予告を見て「ジブリ風味のファンタジーかな〜」とあまり期待しないでみたら、2回も泣いてしまった。
映画で泣いたのは久しぶりで
自分でもびっくりした。
良質な児童文学アニメでありつつ、
大人も十分楽しめる現代的なファンタジー。
ジブリアニメの系譜に連なる、巧みな人物描写や美しい背景美術からなる世界観を持ちつつ、新鮮なアニメ表現と演出で描かれた挑戦的な作品。
子供はもちろん、
お子さんのいる親御さんに
ぜひ、おすすめです‼
注目度がやや低いのが
もったいない名作!
おそらく、海外の映画祭で評価されて
数か月後に再注目されるでしょう。
イマジナリというよりも気持ち悪ぃ
主人公の女の子が衝撃的な事になったり、敵役がビジュアルも行動も気持ち悪くて気持ち悪くて…。
敵のおっさん、世間を震撼させた宮崎某じゃないか…。少年を食べちゃうとかさぁ。
なんか色々吹っ飛んた映画でした。
是非!!
「屋根裏のラジャー 」レビュー
是非!!
映画館で観た予告で「子供向けのファンタジックなアニメーション」という印象を受けていました。きれいな絵が動くのがまず好きなので、興味がありつつ、それ以上の魅力は正直感じてなかったです。上映が始まるも、人気がなくてあっという間に上映回数が限られてしまい、予定を合わせて観に行くか迷ったので、とりあえず原作を読んでみました。原作はイギリスの詩人による児童文学作品で、数々の賞を受賞したとのこと。読んでみると予告で感じてたイメージとかなり違う!一体こんなホラーっ気のあるものをどうアニメ化したかな?と観てみたくなったので、映画館に足を運びました。
観た感想。個人的には原作のどこを改変して、どこに付け加えをして、どこを削っているか、という点について、かなり頑張っているのがわかり、納得の行く仕上がりになっていると感じました。
児童文学作品を原作に持つ映画は、ジブリでもいくつもありましたが、元々児童文学が好きなのもあり、「ゲド戦記」「借りぐらしのアリエッティ(原作は「床下の小人たち」)」「思い出のマーニー」はみな先に原作を知っていました。それらの3作品より原作との兼ね合いがかなり良かったと思います。まあ、「ゲド戦記」は原作ファンからしたらあり得ない出来だったと思いますが(申し訳ないけれど正直な感想です)、「アリエッティ」も「マーニー」も、原作に長さと深さが既に充分あるため、原作への丁寧な敬意は感じるものの、原作にだいぶ負けてしまう、2時間弱といったような尺にまとめるのに無理があると感じたのに対し、今回の作品は上手にまとめられていました。原作を知らずに観た方には、原作はさぞかしもっとキャラクターがしっかりしてるのではないかと思われるかも知れませんが、本作はむしろ原作の方がキャラクターの背景は描かれていませんし、映画で涙を誘う背景は映画のオリジナルの部分も多いです。そういったこともあり、是非原作も読んでみて下さいと、声を大にして言いたいところです。原作を読めば、ポノックがどのように原作を解釈して、どのようなメッセージを込めて映画にしたのかがわかりやすくなると思いますので。
原作が、映画に劣るとか、そういうことではありません。原作は文学作品として読んでいて引き込まれますし、結構容赦なく怖いと感じるシーンもあり、ハラハラドキドキ、意外な展開の連続、そしてラストの希望を含んだ切なさと、とても面白いです。物語の基本の展開や設定は原作と変わらないので、やはり原石として素晴らしいのだと思います。ここで「原石」と書いたのは、上で挙げたジブリの作品の原作に比べて、本作の原作は文字数的にも多分少ないのでしょうけど、そこから加工出来る余地が沢山あり、既に完成された宝石でなく「原石」になり得たと思うからです(あくまでも個人的な印象です)。また、それはある意味、原作は文学作品としては完成度が高くても そのままの感じで映像化すると、子供には恐怖感が強く残るでしょう。それを承知でその路線を行くことも出来たかも知れませんが、伝えたいメッセージを邪魔しない程度に、そのあたりの原作のホラー感や生々しさはだいぶソフトにしてあります。また原作は、登場人物の人間性を掘り下げることよりは、ストーリーの方に重きが置かれている印象なので、そのままだとおそらく大人の鑑賞に耐えにくかったかも知れません。まあ、イギリスの感性ではどうなのかはわかりませんが、原作の主要な登場人物のキャラクターは日本人にはやや不自然に感じるのではないでしょうか?例えて言うなら原作のアマンダはちょっと「長くつ下のピッピ」(知らない方はすみません)のピッピのようで、身近にいるかも知れない女の子の域をちょっと超えてしまってる感があります(文学作品の中では魅力的なところもあるんですが)。原作ではアマンダがイマジナリであるラジャーを生み出した背景は描かれていないので、ポノックがされた映画として幅広い鑑賞者に馴染むものにするための工夫が随所に見られます。(というか、これって映画では。根幹にあたる部分に近いかも知れませんね)。そんなわけで、以下はネタバレになりますので、原作や映画をあまり知らずに楽しみたい方はここまでにしていただいて、ここからは、個人的によいと思った改変点や追加部分を書きたいと思います。
①アマンダの人物像を観る人に受け入れやすくするための背景が描かれ、イマジナリを生み出した理由(父親とのこと)や、行動の理由(濡れた傘を洋服ダンスに入れてしまうなど)、想像力が物凄く豊かな理由(家が本屋であったこと)などが改変、追加されている。原作のままでは観る人が共感したり感情移入したりしにくいようと思います。
②停電の後の流れで、働き口を探している母親が面接でうまくいかずに帰宅、疲れているところに、娘が自分には見えないもののことで取り乱している場面で、つい娘を傷つけることを言ってしまう。ここからアマンダがラジャーを傷つけてしまう展開になるのですが、ここはとても上手に感じます。原作では娘の世界を母親はほとんど全面的に受け入れており、これもまたやや共感を得にくい気がします。映画の母親も充分できた人ですが、あそこで母親の葛藤や、夫を失くして頑張っているところが描かれることで、人間味がうんと増して見えます。それは、中盤でラジャーが一度家に帰り、母親の涙を目にするシーンにも言えます。いずれも原作にはない場面です。
③上の場面の後で、ラジャーが、ロボットの形のイマジナリと話すシーン。ここで「イマジナリは作り手の子供が忘れるようになると消えてしまう」ということが示唆されます。切ない場面ですが、ジンザンがさっと横切るのが描かれ、ロボットちゃんは消えるまでに救われたことが暗示されていますし、後に病院で再会しているので、粋なはからいです。また、「忘れられると消える」という設定は、ここで一度示しておく方が、ラジャーが消えかけてきた時のドキドキ感が増すのでよいような気がしました。
④エミリーやジンザンの背景が加えられていること。ジンザンは原作では本物の生きたネコの設定ですが、映画ではイマジナリであることがはっきりしています。ジンザンの台詞から、「イマジナリは想像主の想像したことに縛られる部分がある」という一応のルールが示唆されます。ジンザンは「眠らずにずっと見守っていて欲しい」と願った想像主によって、眠らないイマジナリになっているわけです。これはとても重要な台詞で、そのことがバンティングのイマジナリである黒髪の少女の在り様に思いを巡らせる部分です。「話すこと」さえ想像してもらえていない少女です。また、エミリーはラジャーに自分は病気で大人になるまでに死んでしまった子どものイマジナリだった、アマンダはまだ生きているから会えると、ラジャーを勇気づけます。個人的に仕事で重度の心身障害のお子さんと関わったりしているので、ぐっときた場面です。エミリーの早くして亡くなってしまった想像主を思うと、エミリーがほとんど普通の女の子の姿をしていることや、空さえ飛べてしまうことに、胸を打たれます。
⑤図書館の掲示板で写真を選び、その人の一時だけの想像の世界の登場人物になるというお仕事に出かけるイマジナリたち(この設定は原作にも少しニュアンスは違いますが大まかにはあります。)。そこでイマジナリの1人ホネッコガリガリは、男の子に気に入られて一時でないその子のイマジナリに選ばれます。するとその子に想像された姿に変わります。このシーンは次に続くラジャーの姿が変わってしまうという流れのための伏線になってもいますが、バンティングのイマジナリである少女について考えさせられる重要な場面でもあると思います。
⑥バンティングの最期について、何をして終わるのかという出来事は原作と同じですが、黒髪の少女の行動は全然違うものになっています。ここが映画の改変に一番ハッとしたところです。そして、私の見間違いでなければ、バンティングが消えた(原作では消えはしませんが)あとに、バンティングの写真がハラハラと残っていたと思いますが(私は視力が大変低いので違ったらすみません)、ここがあの黒髪の少女に一言も喋らずして物凄い奥行きを作っていると感じます。あの少女はバンティングの写真を選んでやってきたイマジナリだったのか、だとしたら、以前もっと違う姿だったのかも知れない という読み取りも出来ます。ですが、あそこまで下僕のように作られたイマジナリである黒髪の少女の中に意思の力が残っていて、あの行動に至ったのなら・・。バンティングは映画の中で「想像は現実に勝てない」と言っています。そして、消える間際に、自分が飲み込んだもの(黒髪の少女)の味を、「まるで現実」と形容して消えます。
現実とは何なのか?想像が意思を持つとはどういうことなのか?バンティングとは一体どのような存在と解釈出来るだろうか?そういう考察をしていける素晴らしい提示だと思いました。
さて、あれこれ感じたことを書いてみました。映画のラストは、原作をもう少し取り入れて、レイゾウコとの別れを長くして、ラジャーの絵にまつわる話を入れた方が好みでしたけど、あれは尺の関係でそうなっちゃったのかなとも感じました。序盤でアマンダがクサクサしながらなぐり描きするシーンがあるので、私の思うようなラストの案がもしかしたらあったのかも?とも思いますが、どうなのでしょう?細かく言えば、ここは敢えて台詞にしなくてもいいかなとか、レイゾウコという名前は原作のままなんですが、変えちゃっても良かったかもとか、宣伝がイマイチ上手でなかったのは残念とか思いますし、絵はきれいですが、個人的には3Dアニメが好きでないから、これ以上立体感出さないでいいとか思ったりはしますが、ちゃんと評価されないと勿体ないと感じる作品でした。
もし、私のレビューを読んで興味が湧いたら是非観てみて下さい!
こんな長い文章、読んでくださった方、ありがとうございました。
庵野秀明??
意外とすんなり好きでした。丁寧に作られているなぁ、といった感想。コレと「窓ぎわの〜」を同日に観たので、「あぁ、トットちゃんもいるよね、ハッキリとしたイマジナリーフレンド」って思っちゃいました。僕も当時そんな世界を持っていた気がするので楽しく拝見させて頂きましたが、序盤の主人公の造形がトリッキーに過ぎたかな。アニメももうそういう時代ではない気がする。去年辺りの"やっちゃった"作品群にも共通する今の弱点なのかもしれませんね。子供を誇張し過ぎてバカにして見えちゃう感じ。
でも良い作品なのは間違いないです。
全165件中、1~20件目を表示