ボテロはジャコメッティの対極。
これは豊穣を祈念する中米のシャーマニズム。
これは生命を産み出す土偶だ。
「もはやボテロというジャンル」
「ボテロという宗教」
・・大成功した彼フェルナンド・ボテロに寄せられるこのような賛辞は止まらない。
出演するご子息、ご息女方も、みんなその身なりと暮らしぶりは実に立派で、あれは富豪になった父フェルナンドに繋がるお金持ちの一族の体をなしている。
何人かの妻を持ち、家族に収益をもたらし、ついには世界の恋人に到達したその様は、同じくドキュメンタリーの映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」と重って見えた。
歴史上あまたのアーティストたちが、妻・家族・身内の人生をめちゃめちゃの貧困と崩壊に陥れてきた中で、この中米コロンビアのボテロは、偶然にも成功者として血族結束の もといとなり、幸運の星を掴んだと言えるのだろう。
MoMAのキュレーターの「あの一言」がなければ、
そうなのだ「あのー言」がなければレストランでの美酒も、モナコのアトリエも、パリでの野外展示もなかった訳で、人の人生はどこからどうなるか分からないものだ。
存命中の画家をドキュメントする映画としては、なかなかの出来だったと思う。
生出演で彼の作風を絶賛する評論家もあり、
かたや歯に衣着せずに「ボテロは醜悪なお菓子のマスコットキャラクターだ」と厳しく批判する識者もあり、取材は公平。
そして何よりも本人にその作風の誕生のきっかけを直接訊けるのが、この映画のいいところだったと思う。
・マンドリンの穴を小さく描いてみたらマンドリンが膨らみ始めた
・そのモデルの強いところを描くとこうなる
・時代錯誤の具象画だとの批判を読むのは耐えられず避けた
・自分でも自作の作風について分析し考えてみた
なるほどだ。
鑑賞者が知りたかったことをインタビューしてくれてある。
でも幼い息子さんの絵だけは、あまり膨らまずに小さく縮まっていくように、見えた。
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たっぷりの丸い柑橘類を盛ったお皿の絵。あれは楽しくてずっと観ていたいと思った一枚でしたね。
昨年名古屋で「ボテロ展」があったので行ってみたかったが、残念!機会を逃した。
近所の映画館、塩尻の東座では上映に先駆けて美術評論家の講演会もあったそうで、レジュメを頂きました。
1度見たら忘れられないボテロです。
彫刻も たっぷりのブロンズを使っています。