渇水のレビュー・感想・評価
全160件中、1~20件目を表示
原作・河林満、髙橋正弥監督、姉役・山﨑七海を覚えておきたい
1950年福島県いわき市生まれ、58歳で脳出血により亡くなった作家・河林満の名を今回初めて知った。1990年に発表された「渇水」は文學界新人賞を受賞し、芥川賞候補にもなった。河林のプロフィールを見ると、やはり没後に小説が映画化されて再評価がすすんだ佐藤泰志(「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」など)と共通項が驚くほど多い。佐藤は1949年函館市生まれなので河林とほぼ同世代。佐藤は80年代に東京都国分寺市で暮らし、河林は都立立川高校を卒業したのち立川市の職員として27年間勤めたという。そして本作にも関わる重要なポイントは、バブル景気の80年代を東京で過ごしながら、その眼差しを社会の底辺でもがく人々に向け、非力ながらも寄り添おうとする心情を小説に込めたことだ(不遇の思いに苦しむ自己を作中の人物に投影してもいただろう)。
2008年に他界した河林の友人から映画化を持ちかけられたのが髙橋正弥監督。水道料金滞納者役でワンシーンに出演している宮藤官九郎の監督作「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」など多数のメジャー作品で助監督を務め、自らメガホンをとったのはこれが3作目のようだ。小説から結末を変更することを原作者の遺族に了承してもらい、脚本作りは及川章太郎に託し、その脚本の評判を聞いていた白石和彌監督が自身初の企画プロデュースとして関わったことで資金調達、製作に至ったという。
時代設定は現代に置き換えられている。日照り続きの夏、給水制限が発令された地方都市で、水道局職員の岩切(生田斗真)は料金滞納世帯を訪問して“停水執行”を実施。月数千円の支払いにも苦労する貧しい住民たちから恨み節をぶつけられ、平静を装っているがストレスはたまる一方だろう。岩切の後輩で停水執行対象の家庭を一緒に巡る木田を演じているのは磯村勇斗。磯村が「PLAN 75」で演じた市職員も、高齢者に“死を選ぶ制度”を推奨する自分の仕事に疑問を感じるという、本作と似た役どころだった。
「渇水」という題名には、第一義の「雨が降らずに水が枯れること」のほかに、心の渇き、内面の渇望の意味も込められている。心をうるおすものは、家族の愛や、人間らしいつながりだろうか。実際、岩切は妻子とうまくいっておらず、別居生活が長く続いている。岩切の妻を演じるのは尾野真千子。本作と同日公開の「怪物」でカンヌの脚本賞を受賞した坂元裕二によるオリジナル脚本の2010年のドラマ「Mother」では、尾野が幼い娘(芦田愛菜)をネグレクトするシングルマザーを演じていた。「渇水」で門脇麦が演じる2人の娘の母親・有希に似た役どころだ。
30年以上前の小説が見据えた貧困と渇望が、似たような設定を含む諸作で繰り返し描かれ、それでもいまだに切実な問題であり続けている。徒労感にとらわれそうになるが、目をそらしてはいけない。焼け石に水でも、「しょぼいテロ」でも、見て見ぬふりをするよりはきっといいというメッセージを受け止めたい。
有希の長女・恵子役は山﨑七海。冒頭、水の抜かれた市営プールで妹と水泳やシンクロの真似をして遊ぶシーンにぐっと心をつかまれた。2017年の「3月のライオン」で清原果耶を初めて認識した時と同じくらいのインパクトだ。現在14歳だそうで、5年後くらいには清原と同様に世代トップクラスの女優になっている予感がする。
「水は本来タダ」ではない
世界の流れを変えろ
それっぽいが浅い。撮る動機の希薄。
ある意味怖い
子役は抜群に良いのにね。もったいない作品
水の匂い
水道局の職員でありながら「日光がタダで浴びれるのに水道に金取るのは...
これはこれでいいのですが…
生田斗真主演のドラマ系映画は
不謹慎でファンの方に謝罪しときますが、若葉竜也だとどんなだろうと想像してしまう作品多しです
この渇水も若葉竜也で見たいとか思ってしまった🙏
しかし子役さんの演技に引き込まれました、成長が楽しみな子役さんたちでした
原作者さんは亡くなっていらっしゃるのですね
残念です、他の作品も見たかった
お母さん頑張ろー
心の中の「乾天の慈雨」
<映画のことば>
「見ていて、いいですか。
止めるところ。」
安全・衛生的な水道水を各戸に配水するためにはそれなりのコストもかかることですから、本作のセリフに出てくるような「水なんて、本来はタダでいいんじゃないかなぁ」ということには、なかなか、ならないようです。
形式とはいえ、水道は(ガスや電気も)、需要者の申し込みに基づいて提供されているわけでもありますし。
(実際、使っても使わなくても課金される水道やガスの基本料金がもったいないとのことで、供給の申込みをせず、飲水はペットボトル、お風呂は銭湯、ガスはカセットコンロという方も、現実にいないわけではありません。)
一方で、生活には必需とも言える水道の料金をを払わない(払えない)という理由は、人によってさまざまなのでしようけれども。
それで、どうしても水道料金のお支払に応じてもらえない需要者に対しては、元栓を閉止して、それ以上の滞納が膨らむことは、差し止めなければならないー。
そしてそれは(苦しい家計の中からも)滞ることなく料金を支払ってくれている家庭との均衡・公平という、大切な意味合いがあることも、言うまでもないところです。
本作で岩切たちが「最後の手段」としている停水執行というのは、要するに、そういうことなのでしょう。
その一方で、水は日常の生活に欠くことのできないもので、そのことは、停水執行に携わる水道職員である岩切たちが、他の誰よりも良く知っていたはずですから、彼らの苦悩も、いっそう深いものがあったことでしょう。
ひところは税務職員(徴税吏員)の端くれでもあったり、公営住宅の家賃の管理(収納管理、滞納整理)という仕事をしたりしたこともあった評論子には、その苦労が、いささかながら、偲ばれるところです。
それだけに、母親からのネグレクトに遭って、心細かったであろう恵子・久美子の姉妹を、見て見ぬふりは、できなかったのだろうとも思います。本作での岩切は。
結婚指輪こそ(まだ?)外していなかったにしても、自身も、今は愛息はと離れて暮らすことを余儀なくされていた身の上としての彼にしてみれば、なおさら。
一方で、衛生的な水が、人が生活して生きていくためには欠くことができないものであるだけに、そう単純には割りきることもできないことも一理でしょう。
前記のとおり、そのことは、現実に停水執行に携わる職員自身が誰よりもよく知っているだけに、その苦悩には、いっそう深いものがあるのだろうと推測します。評論子は。
そして、そういう処分の執行に携わる職員は、それが自分の役割と自分自身を納得させて…いわば、その想いで自分自身の個人的な感情は圧(お)し殺して、仕事に当たっているのがふつうではないかと思います。評論子は。
(税務職員であった当時の評論子も、そうであったように。)
そういう処分の執行に携わる職員の対応として「魚(うお)のような無表情で」と、よく形容されるのですけれども。
人間は、自分の個人的な感情を無理矢理に圧し殺していると、自然とそんな表情になってしまうものです。
まさに「言い得て妙」というべきでしょう。
そうすることによって、辛(かろ)うじてなんとか自分自身との「折り合い」をつけて「踏み止(とど)まっている」というのが、本当のところではないでしょうか。
それゆえ、本作の岩切のように、停水執行という、ある意味では「辛(つら)い」仕事に携さわっている職員が、滞納者の私的な生活関係に関心を持ったり、滞納者の私的な生活に関係に、いわば介入していくというような、そんな本作のような関係性を築くということは、現実にはあり得ないことで、「これは、あり得へんなぁ。」ということなのではありますけれども。
反面、それだけに、最後にはいわば「弾けてしまった」かのような岩切の解放感は、そういう仕事に携わる職員の心の「乾き」であり、心の奥底に封じ込めてしまっている感情そのものなのかも知れません。
その時に降った突然の雨は、恵子・久美子の姉妹と岩切とにとっては、まさに「心の中の乾天の慈雨」だったことは、疑いがないものと思いました。
評論子は。
そして、そういう精神的には辛い仕事に就いていても、滞納者を仕事の「客体」として(だけ)捉えるのではなく、こういう関係性を仮に築こうとすれば築くことのできるだけの(気持ちの?)「余裕」が、つらい仕事(停水執行、滞納処分などの租税の強制徴収)を執行する側にも、本当は求められているのかも知れません。
お互いが人間同士な訳ですから。
現実はともかく、そういう理想郷的な意味合いが本作に含まれているのだとすれば、それはそれで、なかなか訴えかけの深い作品とも言えそうです。本作は。
最後には雨に恵まれたことは、渇水期の終わりを象徴する意味合いがあったのかも知れませんけれども。
乾いていた岩切の心にも、大人が信じられなくなっていた恵子・久美子の姉妹にも、救いの意味での「乾天の慈雨」だったのだろうと思います。
そう思うと、本作はとても切ない一本で、観る者の心への訴えかけとしては、充分な佳作であったとは思います。評論子は。
(追記)
さいわい、評論子が住む北海道地方は、これまで「渇水」で、苦労をしたことはないようです。
日照続きでダムの水が干上がりかけてしまい、水道当局が住民に「節水」を呼び掛けることが、まったくなかった訳ではありませんけれども。
北海道の水源が豊かなのは、冬期間の大量の積雪が、いっぺんに降る降雨と異なり、ゆっくりと融けながら地面に染み込むことで、地下水が豊富だからといわれているようです。
(追記)
同じ「岩切」という人物がやったこととはいえ、水道局職員としての岩切の指示で同僚(いずれも市の公務員)がかけた停水栓を(いくらやり方を知っているからとはいえ、その当該公務員としての身分ではない個人の立場で)岩切が取り除くのは、封印破棄罪(刑法96条)に当たることは、間違いがないのだろうと思います。評論子は。
水道局としては、局内に「示し」をつける意味でも、刑事告訴に踏み切らなければならなかったのでしょう。
いちおうは刑法犯に当たるわけですから、内部の懲戒処分で済む程度の非違行為ではないと水道局が判断したのであれば、それが明らかにおかしいとまでは、言い切れないようにも思います。評論子は。
その意味では、退職金が全額不支給となる懲戒免職ではなく、依願退職(本人の意思・申出によって認められる退職)する余地を与えてくれたのは、まだ水道局の温情だったのかも知れません。
(水道局としては「本来は懲戒免職にすべき職員に退職金を支払って、市の財政に退職金相当額の損害を与えた」として、他の市民から住民訴訟を起こされるリスクもあったはず。)
ここは、レビュアーの評価が別れているようですし、また、映画作品として、別れてもいいところ(別れるべきところ?)とも言えそうです。
そう思いました。評論子は。
音楽・主題歌 向井秀徳
雰囲気がとてもよい。
心地よい。
ストーリーはいまいちな部分もあったけど
役者さんがみなさん素晴らしいし
なにより
音楽 向井秀徳
これが全ての雰囲気を作り出しているのではないかと。
最後まで一気に見入ってしまいました。
大好きです。
まあ。水道代くらい払おうよみんな。
当たり前にお水が出てくるのにはそれを維持してくれている人たちが必ずいるのよ。
全160件中、1~20件目を表示