「サブテーマを疎かにしている。」劇場版 ソードアート・オンライン プログレッシブ 冥(くら)き夕闇のスケルツォ ししまるさんの映画レビュー(感想・評価)
サブテーマを疎かにしている。
面白くはあった。アクションはしっかりしていたし、音響や演技に迫力もあった。アルゴの活躍も拝めて嬉しかった。
しかし原作の仮面を借りているような印象を受けた。ストーリーにおけるサブテーマを疎かにしているようにも思えてしまった。
この作品では「SAO内で殺人を楽しむ集団について」というのは大事なサブテーマだったはずだ。彼らは何故、どうやって人を扇動し、殺し、殺させるように仕向けるのか、それを描き尽くす必要があった。しかしそれを伝えるにはあの作品はエンタメに過ぎたと言える。
例えばフラッグが誰にドロップしたのか。あの場面で一瞬誰にドロップしたのか分からない演出を一瞬加えたのはいいが、結局ミトが所持していたという展開は頷けない。
誰がフラッグを持っているのかは、その人が自己申告する必要があり、隠そうとすれば隠せるという一面が存在してしまう。ゲームオーバー=死の世界では、申告しなければいけないと分かっていても自分やギルドメンバー(他人)を守るために隠匿したほうが……と考えてしまうのは当たり前である。5層を攻略したキリト率いる攻略メンバーの全員もそれは思ってしまうことなのだ。そしてラフコフのようなPK集団はその心の弱さを突いてくる。だから厄介なのだ。という恐怖を示すべきだった。実際その恐怖を原作小説では描いていた。小説では少しの小競り合いやキリトの懇願があってやっとフラッグの持ち主が申告をし、謝罪している。
しかしミトが持っていたとなればそれはただの「攻略集団より先にフラッグ手にできました安心ですやった」というエピソードにしかならないのである。アスナの「キリトくんがあんなに頑張ったのに」という台詞も弱く聴こえてしまう。戦闘で頑張ったのはそうだが、やり方次第でもっと強くその台詞を印象づけることができたはずだ。
そこは描ききるべきだった。カットをするべきではなかったと、強く思う。
ミトを活躍させるなら良い場があったはずだ。なんせ彼女は自分の命のために一度アスナを捨ててしまっているのだから。その彼女がボス戦でアスナを守り、ボスを倒すキーになった。その上で彼女が誰か分からない持ち主に「私はその迷いで後悔している。隠匿すればきっと同じ後悔をする。」と申告するよう説得するならばその言葉は重く、深いものになるはずだろう。今作のミトに無理に出番を与えようとしているから根幹からズレているのではないだろうか。出番を与えるのはいい。しかし扱いを疎かすれば作品の重みも疎かにすることになる。
と、言ってはみたが、制作陣にも「これを描きたい」という何かがあったのだろう。映像時間の都合もある。よって私の考察という名の駄文を評価に反映する気はない。面白くはあった。また次回があれば期待したい。