コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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カジュアルな印象でした!!
重苦しい雰囲気が好きという訳では無いですが、特に序盤は下ネタも多く全体的にカジュアルな印象でした。アカデミー作品賞か?と言われれば何か違うと思いますし、ジョン・カーニー作品(「シング・ストリート」、「はじまりのうた」等)やピッチ・パーフェクトの類似作だと思います。苛立ちを怒鳴り声や騒音で表すのは好みではありませんでしたが、一般的な日本人と違って親子共に思っている事をストレートに伝えるのは良かったです。しかし、ストーリーの肝は終盤の決断部分だと思いますが、お父さんからも特に言葉が無く、雰囲気で終わってしまって消化不良でした。合唱部なのに皆R&B歌手並みの上手さで主人公だけ際立っていたという訳では無いですし、彼氏と水に飛び込むシーンは3回も要らないと思います。特にオリジナル版を観てみようとは思えませんでした。
邦題の大事さ❗️ジュニアさんありがとう🙏
ずっと気にはなっていたのに、中々劇場に足が向かなかった作品。たまたま「にけつッ‼︎」という地上波のバラエティ番組を観ていたら、千原ジュニアさんが洋画の邦題の付け方が変だ!という回でこの作品も話題にだしてました。それを機に、劇場公開中に絶対に観に行くぞという気になり観に行きました。結果は大成功❣️
原作は「Coda」のみで邦題では「あいのうた」がつきますが、この作品でいうとこれ以上にない絶妙な表現の邦題だと思う。
主人公の高校生ルビーが家族のなかで、唯一の健聴者。家族の仕事、生活に幼い頃から通訳として欠かせない存在。差別も受けながらも、歌が好きで家族思いの本当に心の強い良い子に成長していく。そんな時に学校の合唱サークルで顧問の先生に歌の才能を見出される。この先生役の演技がまた良いんです❣️しかし、ルビー以外の家族3人はろうあ者でもちろん歌を聴くことが出来ません。歌うことと家業の板挟みになるルビー。諦めて家業に専念する道を選ぼうとするが、家族が徐々に彼女の歌の才能に気付き始める。合唱部のコンサート。1分間くらいの無音のシーンがこの作品のなかでの最高インパクト。ろうあ者の家族がこんなふうに無音で我が娘の歌を聴いてるのかと思うと切なくなった。それでも、家族はまわりの反応を見て娘の歌の才能を確信する。兄の言葉「家族の犠牲になるんじゃない」というセリフが頭に残る。ラスト、家族全員で向かった音大のオーディション。合唱部の顧問の先生のピアノ伴奏で歌うルビー。途中から家族に向けて手話付で堂々と歌う姿、家族の笑顔😃泣けましたよ本当に!ろうあ者を演じた3人は本当に凄い!手話も含めて相当な難易度な役を見事に演じました。最高に愛があふれる家族を表現するのに「あいのうた」の邦題はなくてはならない。今後は邦題を少し気にして映画を観ていきたい。最後にルビーの彼氏役が音大に落ちたのは、良い落ちでした。🤣
身障者を扱ってる映画とか、そんなの関係ない!最高の青春映画✨
とにかくルビーがいい!大好き!全力で応援したくなる。彼女が船の上で歌いながら漁をするファーストシーンから彼女の歌声、立ち振る舞いに魅了されました。
コンサートの無音の時間、あれは絶対映画館で味わってほしい。あんな体験初めて。
そして出てくる人みんな大好きになる。赤いほっぺのボーイフレンドもヤリマンな親友もクセ強すぎな先生もクソ兄貴もルビーに依存しまくってるけどルビーのことを愛して離したくないママもパパもみんな大好きー!!
A love song. 予告編通り感動できます
もう予告を観た時点で泣けるファミリー映画っぽいなっと思ってたのですが、本当にドストレートな泣けるファミリー映画でした。いやー、良かったです。
主演のエミリア・ジョーンズは海外ドラマの「ロック&キー」を観てて上手い女の子だなぁっと思っていたのですが、本作でもお見事でしたね。手話の表現もバッチリだし、思春期の将来に悩める若者を体現しています。甘酸っぱい恋の始まりとか青春だなぁ。
でも、あの両親は破天荒過ぎて自分の親だったら嫌だなっと思ってしまいました。観てる分には楽しいですけどね。特にあの親父‼️娘は思春期っちゅーねん‼️ちったぁ気を使えや‼️まぁ、何だかんだ言っても喧嘩してても深い繋がりのある家族は観てて良いもんなんですけどね。親父の為に歌ってあげたり。ルビーはホントいい娘さんや😢
そして、V先生。厳しいながらもちゃんとルビーの事を見ててくれて。試験の時に伴奏を買って出ただけじゃなくルビーのフォローもしっかりしてくれる。正しく教師の鏡ですね。
デュエットシーンで無音になる演出には何だかグッと来ました。耳が聞こえないとああいう状態なんだなっと印象に残るシーンでした。んで、試験の時に手話交えながら歌うシーンもジーンときます。演出が上手いですね。
しかし、こういう作品こそアカデミー賞取って欲しいもんですよね。批評家の方にはストレート過ぎるのかもしれませんが、何年経って観ても、どんな世代が観ても共感できる良い作品だと思います。
家族愛を感じたい人に観てほしい
家族の中でひとり健聴者だからこそ、耳の聞こえない家族から頼りにされてきた事もあるだろうけれど、それ以上に家族が仲良くユーモアたっぷりで、愛情深く育てられたからこそ、家族が大好きで、自分の夢より家族のサポートを選択したのかな。
責任感が強く、自分の夢をあきらめる決心をする主人公の気持ちを考えると切ない。
母親が、娘を反抗期だといって、親が耳が聞こえないから(当てつけに)合唱を始めたんだと喧嘩をふっかけるシーン、今まで耳の聞こえない両親+兄の通訳者となり、家業を支えてきた主人公の気持ちを考えると腹立たしく感じた。
と同時に、母親の気持ちを考えてみると、耳が聞こえないハンデを娘がサポートしてきてくれて、そのサポートが減ったり、なくなってしまうかもしれない不安、子供が自分の手の中から離れてしまう寂しさなんかがあったのだろうか。
子供のやりたいことや自立を応援したい気持ちと、これからの自分達の仕事や生活、将来の不安と入り混じった複雑な親の気持ちも分かる。
ハンデがあり、生計を立てるにも誰かのサポートが必要で、そんな状況で、私だったら、素直に子供の夢を応援してあげられるだろうか。
最終的にお互いを愛しているからこそ、認め合い、親も子供も自立していく。
主人公の歌のデュエットの相手の家族はそれほど仲が良さそうではない描写もあり、対比となってより家族愛について考える事ができた。
人生を両側から見てきた
ふだん、SFとファンタジー以外はあまり観ないのだが、「すごく良い」とすすめられて観たところ、すごく良かった! 映画で涙を流したのはだいぶ久しぶりだ。
CODAというのは、Children of Deaf Adultsのことで、聾唖者の親を持つ健聴者の子供のこと。主人公は聾唖者の家庭に生まれた唯一の健聴者で、家族の通訳として幼いころから家族を助けてきた。
障害者や多様性がテーマの映画だが、障害者が主人公なのではなく、健常者が主人公であることがこの映画のポイントで、とても重要な問題提起がされていると思った。それは、障害者や介護が必要な者などの家庭における、健常者の問題だ。
これは最近、ヤングケアラーや、障害者のきょうだいの問題として注目されるようになってきた。
障害者には社会的な支援があるのが当然である、という認識はずいぶん浸透したが、実際にはその理想通りには全くなっていない。その理想と現実のギャップの犠牲になるのが、障害者と直接接する立場にいる者だ。
そういった者は、障害者をサポートするのが当然という、本人にとっては理不尽な「常識」を受け入れざるを得なくて、自分自身の人生を選択する権利を奪われている場合も多いだろう。
障害者の家庭に生まれた主人公は家族を愛しながらも、家族の中では逆にマイノリティであり、ある種の孤独を抱えていたり、家族の犠牲になることを当然のように強いられることもある。
聾唖者の描き方もリアリティがある。障害者を理想的な性格の天使のように描く映画もあるが、この映画では人間としての障害者を描いている。障害を持っているがゆえに一人前の人間として扱われないことに強い苛立ちをもっており、過剰なプライドを持ち、そのために合理的な判断ができなかったり、社会との軋轢を生んでいたりする場面がある。
理想的な性格どころか、粗野で下品、反社会的な面もある。しかし、それを「障害者のくせにけしからん」と思う人がいるとすれば、それは「障害者は清く正しく慎ましく、できるだけ社会に迷惑をかけないように生きねばならないのだ」というひどく傲慢な差別思想を差別と自覚せずもっているということだ。
この映画が本当に優れていると思うのは、「歌」ということを軸にして、さまざまな角度から聾唖者と健聴者とのコンフリクト(対立・軋轢)を描いている、ということだ。
印象的なシーンがいくつもあるが、そのほとんどは「歌」に関係する。物語の背景で示されたさまざまな不調和(もやもや)が「フリ」となり、「オチ」として歌が関係するシーンが出てくる。
先生から、「歌うとはどんな感じか?」と問われたとき、主人公は言葉では表現できなかったが、「手話的には」表現することができた。適当にその場をつくろう言葉を言ってもよさそうなものだが、それを言えなかったことから、主人公の「言葉」に対する誠実さを感じることができる。そして、主人公はその特殊な家庭環境によって備えた特殊な感性をもっている、ということを示したシーンだと思う。
主人公が発表会で歌を披露しているとき、突然主人公の父親主観のシーンに切り替わり、場面から音が消えていく…。鳥肌が立つほど素晴らしい表現方法だと思った。
このシーンになる直前、我々は健聴者の視点から映画を観ている。父親の歌に興味を持たない態度、娘の発表会に似つかわしくない無礼な態度に、少し腹を立てさえする。しかし、場面から音が消えていくとき、我々は聾者がどんな風に世界を見ているのか、少しだけ想像できるようになる。音は聞こえないが、人々の喜ぶ顔、感動する顔を見て、娘の歌声がどんなに素晴らしいか、知る。そして、歓び、誇りに思うと同時に、寂しさ、悲しさも感じる。そんな素晴らしい歌声を、私は聴くことはできないのだ、という。音が聞こえる、聞こえない、ということが、2人を断絶してしまっている、2人は違う世界に住んでいるのだ、ということを。
そしてこの問題提起のあと、この問題に対する回答もやはり歌だ。喉に直接手を当て、振動で歌を感じることや、手話をしながら歌を歌うことなど。
ぼくはこの映画を観るまで、手話をしながら歌を歌うこと(手話歌)など、意味がないのではないか、と内心思っていた。正直言えば、健聴者の自己満足ではないか、とさえ思っていた。でも、考え方が浅かったなあと思う。
歌とは、単に「音」なのではない。歌う表情や、身振り手振り、歌い手のすべてが歌なのだ。木々が揺れる様子でそこに激しい風が吹いているのが分かるように、歌う姿から、その音を想像することができる。それは心に奏でられる想像の歌であるがゆえに、もしかしたらリアルな音よりもより心に響くものになる可能性すらある。
また、この映画では聾唖者の「孤独」が多く描かれている。手話歌は、聾唖者と健聴者が同じ歌(表現)について感動を共有できることに価値があるのだと思う。もちろん、同じ体験をしたわけではないが、それはつきつめれば健聴者どうしであっても同様だと思う。
映画に出てくる、「青春の光と影(Both sides now)」という謎めいた歌詞の歌。「人生を両側から見てきた」というフレーズがくり返し出てくる。これは、主人公が聾唖者の視点と健聴者の視点の両側から人生を見てきた、ということを象徴しているのだと思うけど、もっといろいろな意味を含んでいるんじゃないか、と思ったので、歌詞を探してみた。
I've looked at life from both sides now
From win and lose
And still somehow
It's life's illusions I recall
I really don't know life at all
この歌詞が意味するのは、「人生の様々な出来事」、この映画のテーマ的には、「障害」「家族」「環境」「愛情」といったものに対して、ときに「良かった(win)」と思ったり、ときに「悪かった(lose)」と思ったりするものだけど、いろいろなことが過ぎて、ふり返ってみると、何が良くて何が悪かったのかなんて、よく分からないものだ、人生とは玄妙なものよ…。そんな感じの歌なんじゃないかと思った。
主人公はCODAだけど、だから不幸というわけではない。家族は不自由に生きているからこそ、お互いに切実に助け合う必要があり、その中で深い愛情が醸成されてきた、という面もある。また、主人公の特異な歌声と感性は、CODAでなかったら身につかなかったかもしれない。
自分の環境であるとか、自分の人生について考えるとき、こういう考え方ってすごく重要だなあ、と思う。「足りないものを数えるより、持ってるものを数えろよ」みたいな話ではあるが、「自分に才能が無い」とか、「環境が悪い」と考えることは無意味というか…
一見「悪い」ことだと思えるようなこと(例えば障害とか)でも、それが良いことの原因になるようなことだってある。何が良いことだとか、何が悪いことだとか、固定されているわけじゃない。人生はそんな単純なものじゃない。
フィクションが描く鮮やかさと限界
コーダである主人公の彼女の物語としては、感動的。
上映中、何度も涙した。
終映直後の快感のあとに残ったのは、主人公の周りにいたひとびとの存在…
主人公の父は、母は、兄は、恋人は、一体どんな葛藤を抱えていたのだろう?
主人公の葛藤は、コーダの少女の生きざまが見事に描かれていたように思う。
一方で、主人公の夢を送り出す、周りのひとびとの葛藤については解像度が粗く、一見めでたしめでたしのようだが、モヤモヤが残る。
性生活を主人公である娘にオープンな両親、マリファナを吸う父、娘の都合を鑑みずに何度も手話通訳を頼む母、キレやすい兄。
学校のクラスメイトたちの主人公へのいじめ紛いないじり、疲れ切っている彼女の居眠りへの教師の嫌味、学校全体の彼女への差別的な空気、家庭環境が良いとは言えない恋人(ここは気になったが、あまり描かれていない)。
ろう者であるとか障碍の以前に、全体的に難ありな環境下にいる主人公。
そんな状況の中、主人公だけが清潔に描かれる。
家族の通訳を生まれてからずっと担い続け、家業の漁もし、自分の学校生活や私生活の多くを犠牲にして、ろう者である家族のために尽くす娘。
そんな悲惨な状況にある彼女には、歌の才能がある。
障碍を才能で乗りこえるパターンの物語をみると、いつもなんだかな〜という気持ちになってしまう。
エミリアジョーンズの演技が素晴らしい
作品自体とても面白かった。家族で唯一の健聴者で昔から家族を支えないといけないという使命にかられるルビー。そんなルビーには歌唱の才能があり、本人も歌うのが好きだった為、バークリー音楽大学に進学したいと思い両親に話すが、彼らは音が聴こえないし、自分達の生活上唯一の健聴者であるルビーを遠くに行かせたくないことから大学進学には否定的だった。
自分がいないと家族はうまく生活できなくなってしまうが、自分の好きな事をもっと学ぶために進学することを諦めたくないというルビーの葛藤を女優のエミリアジョーンズがうまく表現していると思った。
学校のコンサートでルビーとマイルズのデュエットをあえて途中から無音で表現する事で、聴覚障害のルビーの家族の視点から見せるなどの映像表現法もいいと思った。
正直、感動した
悪い人はいないので救われました。
脚本だけ見るとちょっとチープだけど、娘の成長と歌の楽しさ、そこに魅せられたかと思うと、娘の歌声が全く聴こえない聾体験に胸を打たれました。
娘の歌が自身には聞こえないにも関わらず周囲の人の喜びや、ノリノリになる人、泣いてさえいる人がいるような状況に疎外感を感じてしまう父はじめ世の聾唖者に感情移入させられて「何ということか、こんなに楽しく美しい響きさえ楽しめない状態なのか」とやるせ無さに打ち肘がれました。
しっかりと娘、兄、両親が救われるので視聴者も救われます。
唯一マイルスはちょっと残念だったけどね。
気持ちを伝えるものは、言葉だけではありません。身振り手振りに表情も。誠実さと熱意があれば相手の心に届きます。
何を観ようかと、最寄り映画館の上映作品を物色中
何となく気になったのがこの作品。
・家族が全員、耳が聴こえない
・主人公(ヒロイン)一人だけ耳が聞こえる
・そのため家族にとってヒロインの存在は欠かせない
・実はヒロインには隠れた才能があって…
うん。 観ろと言われている気がする。
けど…
どこかで観た事のあるような内容かも と
作品紹介を読んだところ、リメーク作品とのこと。 納得。。
しかも元作品は劇場で鑑賞済みでした。 ※←私には珍しいパターン
「エール!」ってどんな内容だったか、が
あまり思い出せず、過去の鑑賞メモを検索。。
「まあまあ。
もーもーだ。 ヒロインちと太めだ。
やや下ネタ系の話が多いのは制作国の風土か。 」
う~ん
なんだかなぁ。
小学生なみの感想だ。。 (…という心の声は置いといて)
前の作品では「牛・牧場」 だった舞台が
この作品では「海・漁師」 に置き換わっています。
どんなお話になったのやら
これはやはり観てみなければと言うことで鑑賞です。
◇
耳の聴こえない家族の中で
周りの人たちとの「言葉による会話」の役目を
引き受けたきた高校生のヒロイン。
父と兄の漁船に乗り込んで漁に出て
港に戻れば色々な交渉役をこなし
そのあとは学校に行って授業を受ける
大音量で音楽をかけながら車を走らせ
学校までやってくる家族たち。
その姿が目立つため、
学校でも浮いてしまう。
そんな毎日。
※音は聴こえなくとも、音量が大きければ
体に響いてくるから大音量 という理由に納得。
そんな中
クラスで気になる男子と同じ選択授業を
選ぶのだが、それが 「合唱部」。
実はこのヒロイン、海に突き出た崖の上で
一人大きな声で歌を歌うのが大好き。
その合唱部で出会った顧問の先生。
この先生がヒロインの歌唱力に気付き
そして、音楽大学への進学を勧めてくる。
歌うのは大好き。進学もしてみたい。
けれど
自分が家族から離れてしまったら
家族の暮らしはどうなってしまうのか…
とまあ
このようにお話が展開します。
正攻法といえば全く正攻法のお話なのですが、
登場する人物(家族や先生)が、厭味の感じられない
とてもいい人たちで
良い作品になっていたと思います。
観て良かった。満足です。
◇ あれこれ
■ヒロイン(エミリア・ジョーンズ)
「歌が上手」という設定なのですが
本当にその通りでした。
豊かな声量・安定した音域 いや~素晴らしい。
まだ20歳と、若い女優さんなのですね。
これからの出演作品も
チェックしていこうかな と思っております。
■合唱部の先生
ものすごい熱量の持ち主。 しみじみ
練習に遅刻を繰り返すヒロインを突き放すけれど
「これまで家族以外と行動をしたことがない…」
そう口にするヒロインを受け入れ直したり
音大の入学試験で
楽譜も無く、アカペラで歌おうとするヒロインの元に
息を切らせて駆けつけ、伴奏を名乗り出たり
緊張のあまり声が出ていないと見るや
わざと伴奏を間違えて、頭からやり直しにしたり
本当にいい先生です。
私にも是非指導を。 (巻き舌音は出来ませんが…汗)
■気になった点一つ…
リメークによって 「牧場 ⇒ 漁師」 へと
舞台が変わったわけなのですが…
「乗組員が全員耳が聴こえない」
という状態でも
船舶の運転免許や、漁業権の認可 って
取れるものなのでしょうか? う~ん
※調べてみたら、日本の場合
船舶免許の条件に
「日常会話が可能であること」
というのがあるようです。
それともそれは
フランスやアメリカでは問題ないのかも…
◇最後に
「CODA」 (Children of Deaf Adult)
初めて耳にした言葉です。
親が手話を用いるため、CODAの子供は
「言葉と手話」 のバイリンガルになることも多いとか。
この作品でも
音楽大学の入学試験のとき
「言葉で歌う」だけでは、緊張で上手く歌えなかったのが
「手話をともなって歌う」 ことで
本来の声で歌うことができたのですが
とても良い場面で、印象に残っています。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
どんな形でも家族は家族
リメイク元の作品は観ていなかったが、あらすじを聞いて鑑賞!
単刀直入にすごくよかった。
家族の形はそれぞれ違うもの、たまたま耳が聞こえない家族と聞こえる自分。
歌いたい気持ちと、自分は家族の通訳係だということに葛藤しているルビー。
ルビーの歌声を聴くことのできない両親と兄。
途中、家族側の目線からの描写は素晴らしかった。手話で歌を伝えるシーン、そこでのルビーと家族の幸せそうな顔には感動した。そしてルビーがお父さんに星空の下で歌を歌うシーンでの表現はこれしかないだろうと思わせるぐらいインパクトがあった。
みんな心が強い、母も父も兄もルビーも、、
家族の形はみんなそれぞれ、でも愛の形は変わらない。これは障害があり困難を乗り越えていく話ではなく、家族の愛の物語だった。
Go!
V先生推しです!
結構最初のタイミングからぐぐっと惹きこまれて、終始うるうる、終盤ボロボロ泣いてしまいました。
あらすじ読むだけで良い話なのはわかっていたし、わかりきっていたから敢えて観に行かなかったのだけれど、あまりにも周りの評判が良いので観に行ったら案の定良くて。うまくいきすぎる話だなぁとも思いつつ、でもユーモアの散りばめかたが良い具合だったり演出がとってもよかった。ルビーの声も映画の素敵なスパイスになっていて。
にしても、パンフレットとかでも全然フィーチャーされてないけどV先生、めちゃくちゃかっこよかった!終始ほんといい先生でお家もロッジハウスみたいな外観、内装もめちゃめちゃ素敵。もうちょっとパンフレットで名前とかきちんと掲載してほしかったなぁ。
オリジナルから進化しててよかった。
お父さん役の人、クリミナルマインドのシーズン8のエピソード1に出てた人。サイレンサー。被害者の口を縫う人。
見るつもりなかったけど、codaが音楽記号のコーダのことではなく、「Child of Deaf Adults」「聾の親を持つ子ども」の意味だと知って、真面目な雰囲気を感じて見に行った。
オリジナルの「エール」も見てたんだけど、悪くないけどちょっと大味ねとか思ってて、「コーダ あいのうた」という邦題がだせーと思ってたのでスルーするつもりだった。
本作はオリジナルのコメディ色を薄めて、家族間の葛藤や対話に注力していて、すごく良い作品になってた。
「エール」でも思ってたけど、あの程度の(付け焼き刃な)受験準備で、ポップスを辿々しく歌ってただけで、音大受かるか?とは思った。
ジョニミッチェルのボースサイドナウは好きだけど。ラブ・アクチュアリーでエマトンプソンがなく時かかってる曲ね。
まっすぐな気持ちと歌声に心が震える
思春期の岐路に立つルビーの葛藤と聾唖の家族の正直なおもいが交差する様子に切なくなり、障害がうむ現実や手話についてあまりに無知なことを自省した。
そしてユーモアと愛ある家族関係やルビーの才能を見つけ熱血指導にあたる先生のくすっと笑える個性と思いやり、現実的で素朴な漁師たちとのからみ、ほのかな恋心のめばえや変化などがいきいきとした空気感を孕みながらたたみかけてくるうちに、いつのまにか田舎の港町の住人の一員となり、ルビーと一家をハラハラ涙しながらもあたたかく見守る自分がいた。
人間くさく綴られていくコーダ(聾唖者の家の子ども)ルビーの日々の物語は、表情豊かで素直な彼女の歌声が軸となり溢れんばかりのフレッシュさでなんども胸を打ってくる。
生身の人間が生きている今という時間の貴重さ、さらには障害に関係なくどう生きようとしているかにある価値の意味を思いださせるにじゅうぶんだ。
また、発表会のシーンの見せかたは斬新だった…
当事者の気持ちに不意にうつりかわり静けさのなかに不安感と想像力を膨らませた。
やがて研ぎ澄まされていきパズルの1ピースがさいごにぴたりとはまったときのように、会場中にきこえなかった音が淀みなく響いた瞬間に立ち会った感覚だった。
原作エールの鑑賞後よりもいちだんと苦くすっぱく、いちだんとさわやかでやさしい風が吹き抜けていった。
ひとつの壁を自分の意思とまわりの愛でのり越えた成長を音楽用語codaと重ね、こころで拍手。
旅立ったその後のルビーに映画館を出てからも何度も思いを馳せている。
聴こえなくても心には届いている
家族の中で自分だけが健常者の主人公が家族のサポートもしながら、歌手になる夢を叶える為に奮闘していく。というストーリーなので基本家族愛やサクセスストーリーなどの感動する話がメインなのだが、その中に家族との掛け合いがユーモラスに描かれていたり、いきなりド下ネタを投下してくるあたり(当然だがこれがダメな人もいるだろうな…)のコメディ要素も結構濃くて、笑って感動できる良作。個人的に映画「セッション」に「音楽って本来もっと楽しいものだろ…」というモヤモヤを抱いていたが、やっぱり音楽を練習するのに体罰や過酷な練習は必要ないんだよ。と確信した。車で大ボリュームで音楽をかけて「ケツにくる振動がいい」(つまり重低音を体で感じている)と言っていた父親が喉に触れて娘の歌を体で感じていたシーンがめちゃくちゃ心に残った
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