コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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とても素朴で地味なミュージカル映画
この映画を見たとき、これはミュージカル映画なのだなと思いました。
定義はそれぞれでしょうが、感情の昂ぶりが、物語の必然として、歌と踊り(この映画では手話)へ昇華され、
観るものに感動と共感を与えてくれるのが、ミュージカル映画なのですね。
そういう意味では、この映画は、とても地味で素朴ですが、素敵なミュージカルなのです。
絵的にも美しく、登場人物も愛すべき存在だらけで、当然、曲も素敵です。
ハンディキャップを負った主人公の家族は過度に愛情を求め、
内側(家族)と、外側(社会)の狭間に立つ主人公は素敵な頑張り屋さんで、
自転車をかっ飛ばし、崖から湖へ飛び込む、強さと内面の衝動を持っています。
彼女は、その一面は、家族の前では見せないのですね。
共有できるものと、できないもの。
外側にいる者にとっての当たり前と、
そうでない「日常」がある家族に流れてきた、長い時間と積み重ねによる、
優しい愛と、苦悩と、成長が描かれます。
この映画は観客にもとても優しくて、
本来であれば、物語が始まった瞬間から求められる観客の想像力に対しても、
とても分かりやすい「見え(聞こえ)る化」を示してくれます。
彼女の家庭では「当たり前」であることが、なかなか、外側にいる観客からは想像できない。
そこまで理解しえなかった観客も、はじめて、そこでいろいろなことに気づかされるのですね。
振り返えって、見え方が変わるシーンも、人物像もあるでしょうし、再び物語を見直してみたい、と
素直に促されるような、巧妙な構造になっています。
これは非常にクレバーな仕掛けだと思いました。
そして、ちゃんと観客の気づきと感動が、更に物語上の登場人物の感情の昂ぶりとリンクし、
必然、歌へと昇華されるのです。
なんて素敵なのでしょう。
その静かな世界が見えたとき、そこにずっとある、日常が、その日常のなかに、ただ、静かにあった、
家族の愛情が、すっと浮き上がり、観客の胸を打ちます。
なんて素敵な映画なのでしょう。
歌の力を感じた
すごい作品だ、という情報だけで視聴
タイトル的にラブストーリーかな、と思ったら
家族愛のほうだった
主人公の家庭の問題と、進学
そこにCODAという要素
正直割と陳腐な内容だが
登場人物の感情のぶつかり合いや
リアリティを感じる映像
細かな演出、舞台が完璧で
作品への没入感が抜群
特に冒頭の漁、沿岸警備隊の乗船シーンはすばらしい
主人公への感情移入により、ありがちな展開でも
非常に面白く感じる
後半の盛り上がりは凄まじいものがある
最大の見せ場コンサートシーンの無音
そして娘ルビーの喉に触れ、歌を感じるシーン
試験の手話を交えた歌
家族との別れ
ここの流れは完璧、本当に「泣ける」
コンサートシーンの演出は感動した
絶賛されるだけの価値がある作品だった
笑顔になれる家族の物語
いい映画だった。
最初のうちは、ルビーはずっとこのまま閉じ込められたままなのかなと、特にお母さんのルビーに対する扱いは、耳が聞こえないからと言う理由で酷いもので彼女を理解をしてあげたり、背中を押してあげるお母さんではなく、否定的だったのが、悲しかった。
ラップ好きなお父さんはファンキーである意味楽観的で、とても好きな登場人物
奥さんへの愛が凄まじくて、クスクスと笑えるところも多かった。
お兄さんも手話を使って悪口を言ったり、女性が大好きでやてらモテる
ルビーは明るくて歌が上手で進路のことで悩み、家族のことで自分を犠牲にし受け入れようとしているのが大筋なんだけど、最後はハッピーエンドだし、試験のときの手話を使っての歌は素晴らしかった。
普段洋画は観ないのですが、好きな人が面白かったと言ってたので観たんだけど、本当によかった。
聾者と健常者の世界の対比と融合から描き出されるのは、「自分と異なる世界観・価値観への向き合い方」
聾者と健常者の世界を両方の見方で捉えそして融合してゆく物語を、ユーモラスかつ感動的に描いた名作。また、抽象化すれば「自分には共感できないものに夢中になる相手がいたときに、それを否定するのではなく相手に共感・理解しようと努め応援する、また共感されない側も、相手に伝わるように努力して互いに相互理解を生み出す」という誰にでも当てはめることができる物語となっている。
聾者の両親と兄弟のもとで育った高校生の少女ルビーは、一家の中でただ一人耳が聞こえる。
家族は漁業を営むが、漁業には無線通信などの音声通信が必須なため、家族の仕事をルビーが支える生活が続いていた。
物語の序盤は、耳の聞こえるルビーの視点を通じて描かれる聾者との生活の苦労が時にユーモラスに描かれている。例えば家族の皿洗いや作業の音が煩かったり、食事中におならをしたりなど(もちろん聾者には聞こえていないので、自分がどんな音を立てていてそれが相手にどう伝わっているのか、その場では分からない)。また、性病にかかった両親の病状を医師に通訳するときのルビーの恥ずかしさも共感できる。
物語が中盤に向かうにつれてルビーは、「音楽」に打ち込みたい気持ちと、自分がいなければ家族を支えられない状況との間で葛藤をする。またルビーの家族も、ルビーを応援したい気持ちはありつつも、ルビーがいないと仕事にならず、かつルビーが打ち込みたい「音楽」に共感することができないため、彼女の音楽大学への進学を素直に応援することができないでいた。
また、耳の聞こえない家族の視点から「音楽」を楽しむ健常者たちの生活も描写されている。ルビーのコンサートに出席するも、当然ルビーが何を歌っているか、それがどういう歌声で健常者の心をどう揺さぶっているか、何も分からない。周囲の観客はルビーの素晴らしい歌声に手拍子をしたり立ち上がって応援したりしているが、それが聾者の家族にとっては「どうやら素晴らしい歌声らしい」と感じさせる一方で「疎外感」を与えてしまう一場面でもある。
終盤では、家族はルビーに依存していたこと、そして自分が共感できないという理由で彼女を応援できていなかったことを反省し、ルビーを送り出す決意をする。対してルビーも、歌の歌詞を手話で表現することで、自分の世界を家族も共感できるようにし、そこで初めて、これまで異なる世界の現象だった「音楽」が二つの世界を結びつけることとなった。
この作品を通じて思うのは、この話は決して聾者と健常者との間にだけ起きるものではないものだということ。いわゆる「健常者」の間でも、自分が全然共感したり理解できないものに相手が夢中になっていると、疎外感を感じたり否定してしまうことは、現代であれば多くの人が経験していることではないだろうか。
気づいてるけど知らない世界
かなり前にフランスの「エール!」を観て面白いなぁと思ってたので、それのリメイクだと知って映画館で鑑賞。
最初に「コーダ」ってなんだろ?って思いました。主人公の名前かな?とか思ってました…。
「CODA」とは「Children of Deaf Adults」の略語で聴覚障がいのある大人の中で育った、聴こえる子供のことを指すそうです。コーダは、産まれたのち音声言語より先に手話を身に付けることも多く、幼いころから健常者との通訳係を担うことになり、年齢に合わない責任を負っている子もいるそうです。
鑑賞後、コーダに限らず世の中には家族の犠牲(単純なこの言葉で表現していいのか分からないけど)になって夢や好きなことを諦めざるおえない状況の人ってけっこういるよなと…。あっ、でもこの作品はハピエンなので大丈夫です!
たしか、フランスの元作品では全員健常者の俳優さんが演じてますが、こちらの作品では父、母、兄を聴覚障がいのある俳優さんが演じてます。そして、父役のトロイ・コッツァー氏の演技が良い!強面だけど渋くて優しいお父さん!この作品でアカデミー賞助演男優賞を受賞したはず。
そしてもう一つ、手話を交えながら主人公がジョニー・ミッチェルの「青春の光と影」を家族に向けて歌うシーンは感動しました!
当たり前に障害を持ってる俳優さんを採用するとか、いろんなライブや舞台などでも手話通訳の方がいるとかあげたらキリがないけど、そういうことが日常になるために自分には何ができるのかなと思う今日このごろです。
この作品が気に入った方はフランの元作品もぜひ観てくださーい。こちらの方がコメディ色が強いかな。
そういえば、この映画を観て韓国の女性監督が聴覚障がいを抱える両親を娘の目線から撮っているというドキュメンタリー映画「きらめく拍手の音」という作品があったのも思い出したので、今度はそちらもどうにかして観てみたいなと思っています。
家族愛 本当に泣けた
月並みな言い方になってしまうが、心洗われる珠玉のストーリー。
中盤までは何となく観ていたが、ラスト30分は涙の連続。ルビーを説得する兄の迫真の手話のシーンから一気にスイッチが入った。
手話がメインなので家族皆表情が素晴らしい。色々変化する表情や、手話から生じる音、そして息づかい、一時も目が離せなかった。
全体的にしっとりしそうなところを、多少お下品なトークや、音楽の先生の個性的なキャラ等々により明るい作品になっていたのもとても良い。
皆に勧めよう。
まとった鎧を脱ぎ去って
○作品全体
高校卒業という子供から大人へと変わっていく象徴のような時期に、家族全体が変わっていく…そんな大きな括りで見るならば、ああいう作品があったな、といくつか浮かんでくる。
しかし、家族のハンディキャップによって「大人」でいなければならなかった環境から子供や大人といった区切りを超えて等身大の自分に変わっていく…そんな本作は新鮮な気持ちで見ることができた。
主人公・ルビーに「大人」でいるという鎧を身に付けさせた家族が、その鎧を脱ぎ捨てさせる描写がまず良かった。
ルビーは最初からずっと大人でいることを脱ぎ捨てたかったわけではない。幼少期から父母のビールを頼んでいたのは、健聴者であるからという理由もあるだろうが、そうすることで家族唯一の健聴者、という疎外感を取り除こうとしていたルビーの望みもあったはずだ。コンサート前に母と話すシーンではその点核心をついていて、互いにルビーの疎外感を感じていたことを打ち明けている。打ち明けられる関係性になったからこそ、「大人」でいることをやめて、試験会場にも向かうこともできたのだろう。
父と兄はルビーが「大人」として振る舞っていることをそれぞれの立場で理解し、それぞれのやりかたでルビーを応援している。ルビーに対する兄の振る舞いは特に面白かった。妹の方が仕事や家族に貢献をしているけれど、その役割を奪うことができない。そんな妬みを抱えながらもルビーを認めている気持ちもあるし、やりたいことができないルビーの姿をもどかしくも思っている。妬みという負の感情があるからこそ、終盤の兄とのシーンはルビーに鋭く刺さる場面になっていて、自分のやりたいことに進んでいくきっかけにもなっている。こうした登場人物の行動の説得力が綺麗事な感情だけじゃないところに、人間味を感じてグッときた。
家族という一括りではなく、それぞれが考えるルビーへの気遣いがルビーを「大人」から卒業させていく。この見せ方が素晴らしい。
そしてルビーの中で隠していた「やりたいこと」を掬い取るマイルズとV先生の役割は、家族の距離感ではなし得ない、大切な役割だった。
特にV先生の指導シーンはどれも良かった。独特でありながら力づくでルビーの本心を引っ張り出そうとする指導が、ルビーを「大人」でもなく「シャイな10代女子」でもない、歌が好きな女の子にさせていく。この過程の描き方がすごく良かった。
「障害者の家族」ということがルビー自身を束縛するが、だからこそ手話を用いて特別な家族に届けることもできる。歌が好きな自分を見つめることができたからこそ、自身の置かれた環境を見つめ直すこともできた。鎧を脱ぐだけでなく、その鎧も自分自身だと消化したルビーの姿は、爽快感に満ちていた。
○カメラワークとか
・ピン送りが多い。「伝える」が難しいことを演出しているのかも。
○その他
・家族の対立を描く中盤の描写は少しステレオタイプな対立だなあと思ったりした。取材の日を伝えない母や監査の日に遊びにいってしまうルビーとか、行き違いのシチュエーションが急に出てきたような印象があって対立の作り方が粗く感じた。
母と朝食を摂るシーンでルビーが母は自己中だと話すシーンもあったから、それを伏線としているのだろうか。
コーダ(聞こえない親をもつ聞こえる子供のこと)
思ったより下ネタ過激でびっくり
お母さんと娘のシーンで大号泣
小学生の時にお母さん亡くしてるからああいう関係憧れる。いいなぁ。
お兄ちゃんも優しすぎて泣いた。
映画館であの静寂シーン体験したかった。
家族3人は実際にも耳が聞こえないらしい。だからあれほどリアルな演技ができるのか。耳が聞こえる有名俳優が演じるよりもこっちの方が大正解。
大切な出会い…
聴覚障害者の両親、兄の通訳をし、高校卒業後には経済的理由から家業である漁師になろうとしていたルビー。しかし、音楽教師に出会うことによって、才能を見出され、歌うことの楽しさ、友達との交流など、人間的に成長していく。家族も彼女の歌は聞こえないが、周囲の人の反応を見て、娘の才能、やりたいことに気付き、音楽大学への進学への夢を後押しする。聴覚障害というハンデを描くが、良い意味でも悪い意味でも、彼ら家族を聖人君子のようには描かいておらず、ユーモアを交えており、見ているこちらを元気付けてくれるような作品だった。彼女も素晴らしいが先生や家族も素晴らしかった。
明日も笑顔で生きていこうと思える作品。
聴覚障害をもっているがユーモアのある両親。
周りからバカにされようと、家族が楽しければそれでいいといった仲の良さが伝わってくる。
障害を持っていても明るいところは見習おうと思う。
でも、やっぱり声も歌も聞きたいんだよね。それが、娘だとよっぽど。そんな、少し弱い部分も見せてくれる。
この映画を見て、今までに無いほど綺麗でサラサラな涙が流れた気がする。
旅立ちのとき
「コーダ(coda)」とは聴こえない親を持つ、聴こえる子供をさす言葉だと言う。
ルビーはまさしく「コーダ」である。
だから日常生活の多くを耳の聴こえない両親・兄の通訳者として、
お金のこと、役所のこと、医院の付き添いと、17歳のルビーには荷の重い
過酷な日々。
オマケに早朝から漁の手伝いまで・・・。
この映画は2022年のアカデミー賞作品賞を受賞した映画で、
父親役のトロイ・コッツアーは助演男優賞を受賞した。
トロイ・コッツアーは自身も聾唖の俳優です。
彼無くしてこの映画の成功無し・・・そう思うほど、強烈な印象を
残しました。
本当に今時珍しいほどアクが強く個性的!
一番に胸を打たれたのは、
合唱の発表会でルビーが歌うので聴きに行きます。
合唱が終わりマイルズとのデュエットの途中で、
映画が突然、無音になります。
聾唖の両親には、こんな風に「無音のステージ」なのですね!
まわりが喝采をしてはじめて、娘の歌が素晴らしいことを知るのです。
「聴こえない」ことの切なさを、私も追体験しました。
映画は合唱指導のヴェルナルド先生の強烈に個性も有り、
音楽に溢れた楽しい映画です。
音楽シーン。
オーディションの「青春の光と影」
随分の古い曲をルビーは歌います。
カーペンターズの好きな私はとても懐かしく嬉しかったです。
2番からは会場の両親たちに手話を付けて歌うルビー。
グッと込み上げるシーンでした。
人生のステージに代打の必要な時は必ず来ます。
代打がレギュラーを取って変わることも普通に有りますね。
ルビーが音楽の勉強にボストンへ旅立つことになり・・・
住み慣れた我が家を離れて行きます。
(SEXが大好きなお父さんとお母さん)
その元気があればまだまだ頑張れます。
湿っぽくならずに前向きな素敵な映画でした。
確かに畜産より漁業
所々に納得できるところはあった。
家族の職業が変わった事や。
初潮が両親に話になってたり。
村長選が漁業組合になってたり。
ただ、若干エールの最後の歌の方が感動したかと。
説得力があった。
それでもいい
耳が聞こえない家族の中で1人だけ耳が聞こえる女の子がいる家族があった。
その子には、耳が聞こえない家族の為に自分を犠牲にして働く事があったりしていた。
そんな事を兄は、あまりよく思っていなかった。
年頃の女の子ならではの悩みがある中で自分の家族の苦しみを背負って頑張ろうとする少女の姿描かれていた。
耳が聞こえないとハンデは、健常者で到底分かり得ない事かもしれない。
自分が聞こえているから何となく相手に合わせてしまうかもしれない。
それでも自分は、相手の深い所まで近づく事が出来たら嬉しいなと思う。
現実は、なかなか難しいかもしれない。
でも、少しでも相手のことをを思うだけでも違ってくるのかなと感じました。
歌が胸打つ
耳が聴こえない家族の中でただ1人聴くことの出来るルビー。通訳として家族と他の人を繋ぐ役割を小さい頃から自然とやってきた。音楽に出会い、家族が共有出来ないものを目指す。ルビーの発表会を見に行ったあと、歌を手で感じようとする父とのやり取りで号泣した。
手話付きで歌うところも号泣。
どんな家族でも、かけがえのないものにはかわりない。
あーだこーだ
ろう者の子ども、ろう者、などマイノリティの可視化は普通にいいこと、というか然るべきことだと思う。見ていて勉強になったこともある。
自分も成人後わりとすぐに親の介護を手伝ったり、そのために自分の仕事や外出をかなり制限したりしていたので、ヤングケアラーの主人公の辛さに共感できるところがあった。またルビーはただでさえ高校生で、自分のことを親に理解してもらえてなかったので、本当に大変だなと思った。このあたり、ルビーが鼻水出るくらい泣いて悔しくて辛い気持ちを表現してくれたらよかったのに、と思う。
あと下品な内容を手話で言うときに字幕が無くなったのが気になった。手話を知らなくても大人なら見たらわかる手の動きだ、ということなんだろうけど、話してる本人は普通に話してるだけで、手話じゃなくて口話だったらそんなに面白いことを言ってないのではないかと想像した。それも口話に訳してくれなかったせいでよくわからない。確かにあの状況自体はユーモアがあって笑えるけど、その手の動きを見て確実に笑える聴者ってどういうこと?と思った。あと、どこかで手話付きで歌うだろうなと思ってたら案の定やってたので、日本のチャリティ番組と同じかよ、とツッコミたくなった。比べられるものではないけども。
コーダとかろう者とかを抜きにしたら割とふつうの家族物語かもしれない。抜きにはできないけど。
こんなすごい作品があるんだ
家族の中で主人公一人だけ健聴者で、でも音楽の才能が認められて……って設定を聞いたら、だいたいどんな話か分かるよね。そして、ストーリーはほぼ想像通りなの。
なのに、すごい。自分がなんで感動してるのか分からないんだけど、心が動いて、なんかその感動をどう表して良いのか分かんないから、やたら体を映画館のシートに押し付けながら観てた。
最初に主人公が「好きな男の子がいるから」って合唱クラブを選ぶところはベタなんだよね。
その最初のレッスンで一人ずつ歌ってくんだけど『ここで、主人公の才能でみんなを驚かせるのか!』と思って観てると、なんと主人公、教室から逃げ出すの。ここが、すごい。なんだこの展開。
そしてなんか分かんないけど、歌うようになる。この展開も分かんないけど違和感ないんだよね。
それで憧れの男の子とデュエットするようになって、いざこざ発生するのもベタ展開。
でもこの辺で、この男の子と、主人公のお兄さんを好きな女の子が「主人公の家族は一つにまとまっていて羨ましい」ってことを言うんだよね。
耳が聴こえないっていう障害があるけど、それだけ逆に結束強くて良い家族じゃないかっていう。
まあそれからイザコザあって、主人公が家族との約束をすっぽかすと、それで問題が起きて、解決するためには「もう、私が音楽学校を諦めて、ここに残るしかないんでしょ」ってなる。
ここでお母さんのキャラ設定がすごいんだよね。お父さんとお兄さんは「家族のために主人公を犠牲にできない」って感じなんだけど、お母さんは「残ってくれて嬉しい」って言えちゃうの。すごいよ。
そしてお母さんとのやり取りでは、主人公が「私だけが家族で除け者だった」と言い、お母さんは素直に「そうね」と答える。さらに「あなたが生まれて聴力検査をしたとき、ろう者なら良いと思った。そうでないと分かり合えないと思った」って、すごいね。健聴であることが問題なんだよ。
ここ、障害があることは必ずしも悪いことじゃなくて見ようによっては良いことでしょって主張だと思うんだよね。そして問題を発生させるのは障害の有無じゃなくて、マイノリティであることだって言ってるんだと思うの。主人公は家族の中でマイノリティだから、難しいことが起きてんだよね。この問題提起もすごい。
そして主人公の晴れ舞台の発表会。みんなは合唱に聞き惚れてるんだけど、お母さんとお父さんは退屈なのね。合唱が聴こえないから。そりゃそうだ。それで手話で「夕飯どうする?」とかやってるんだけど、そのことが主人公にだけ分かる。主人公は歌を聴いて欲しいんだけど、その声が届かない。
どうする?ってなって、主人公と気になる男の子のデュエット。『ここで圧倒的な歌声で感動させるんだ』と思って観てると、なんと、音を消す演出なんだよ。お父さんとお母さんには、このコンサートはこう見えてるんだっていう。それで、その中で、歌は聴こえないけど、みんなの反応から、娘のすごさは理解するっていう。
とにかく何から何まですごかったな。
こんなすごい作品を創れる人たちがいるんなら、その人たちに創ってもらって、他の人はそれを観るだけでいいじゃないかとすら思ったもん。
でも名作も駄作もあるほうが面白いから、色んな人が色んな作品創って欲しいね。
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