LAMB ラムのレビュー・感想・評価
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ひつじなの…それとも
一時中断していた作品。
全体に読めない展開でした
最後も・・
おとぎ話?かと
…ひつじ人間(首から上と左手が羊)
その下は人間という姿、容姿
…顔はひつじの顔で可愛いけど
体は人なのです(すごい違和感)
ひつじの被り物を被った子どもの様な
ふぅ~ん。なかなか入り込めません
主人公の女性は
子どもを失くしているので
育てたい気持ちはわかる
けど
母ひつじを殺した時は
…母親は私よ
と思ってのことだったのか
その為に愛する人を亡くす結果に。
どうして
羊からひつじ人間が・・
出てきたのか分からないから
最後まで何を言いたかったのか
メッセージが弱く感じる
少し思うことは・・
大切な人を奪うと
…奪った人も大切な人を
失うことになりますよと言うことかな
得体の知れない恐怖に取り込まれる
ポスターは宗教的な解釈へと誘うような聖母子を彷彿させるデザイン。
しかも、彼女の名前も「マリア」で、抱くのは子羊、つまり神の子羊=イエス・キリストを表象するもの。
これを聖母子像以外に解釈するのは無理があると言えるほど。むしろミスリードを誘っているのだろうか。
作中、どこも明確に描写するのを避けているようで、得られる情報が少ない。
例えば、登場人物の夫婦マリア・インクヴァルは子供を失っているが、いつどうして失ったのかは分からない。
どちらかと言うと、マリアの方が過去を引きずっているようで、夫婦の家には常に黒い雲が渦巻いている。
そんな夫婦の下に羊から羊でない「ナニカ」が生まれる。
マリアをその「ナニカ」をアダと名付け、我が子のように受け入れる。なんの疑問も持たず、それを受け入れ、愛する様に不気味さを感じる。
彼女の心は既に壊れてしまっているのだろうか。
いつの間にか夫・インクヴァルや後程夫婦の家を訪れたインクヴァルの兄もアダを可愛がるようになる。
特に兄の心境の変化の合間に入ってるシーンは、アダの存在をより不気味なものへと昇華させている。
物語のラストでより訳の分からない怖さが増幅する。
始終、不気味で意味不明な映画なんだけど、
最後まで観て、ようやく物語を自分なりに解釈できるようになった。
夫婦はアダを贈り物と捉え、幸せな家庭を送っているようにみえるが、
本当は悪魔に魅入られただけなのではないだろうか。
そもそも、アダの名前も人類に死という罰が課せられた原因を作った人間「アダム」から来ているから、
罪人の表象が天からのギフトにはなりえない。
自分の子どもの死を受け入れられないマリアの心の隙が悪魔に付け入られ、
「ナニカ」が羊から生まれた。その得体のしれないものに一切の疑問を抱かずに、
アダと名付けて、育ててしまうマリアの心はもはや正常とは思えない。
後の夫や義兄の変化から察するにマリアもアダを違和感なくかわいがるように
心を変えられてしまったと考える。
ラストの描写を経て、アダが何者なのかは見る人の解釈に委ねられている。
「悪魔の托卵」私にはそんな言葉が思い浮かんだ。
羊、犬、猫、そして「何か」
アイスランドの山間にある広大な羊の牧場。住んでいるのはイングヴァルとマリアの夫婦。そして犬と猫。過去に娘アダを亡くしていたことから羊から産まれた仔羊のような「何か」をアダと名付け育てる物語。
絶妙に肝心な部分を見せないように表現して、3章立てそれぞれでショッキングなシーンを見せてくれる。大自然を背景にして日常の農作業などを描き、数少ない会話によって観る者の想像力をかき立ててくれる北欧ならではの作品だった。
こうなってくると、言外の意味とかちょっとしたカットによって何か汲み取ろうとしたり、何のメタファーなのかと考えさせてもくれました。時間旅行について語るイングヴァル。「未来は知らない方がいい」とか、意味深な会話に引き込まれる。娘を死なせてしまった過去の過ちだとか、母羊を殺してしまうといった描写も絡んでいるかのよう。ところで、夫イングヴァルは妻マリアが3115の番号札を付けた羊を殺したことを知っていたのか?知らなかったのか?謎・・・
夫婦にとっては半人半羊の異形でも可愛い娘として育てている。もしや不遇な障がい者をも表現してるのかと思ったけど、やっぱり羊顔は可愛すぎる。突如現われた弟ペートゥルの驚きも束の間、すぐに馴染んで仲良くなるほどだ。そして破滅への道・・・
結局のところストーリーは大したことないし、最後に登場するヤツも番号札がついてなかったし、トラクターの故障原因や弟との不貞関係も意味をなさなかった。惜しい。伏線やメタファーが重要視される昨今の映画の中にあって、すべてなおざりになってしまってる。このままじゃイングヴァルが可哀想すぎる!まぁ、最後に苦痛を味わったのはマリアなんだろうけどさ。まぁ、雰囲気は楽しめましたよ。
観なきゃ観なきゃと思っているうちに公開終了となってしまいましたが、早くも見放題となっていたアマプラ。ありがたい。
おかしな事が静かに淡々と進んでいく
童話神話のような物語 アイスランドの美しい景色を添えて
むかし話に出てきそうな物語。
アイスランドの自然の美しい景色で神秘性が引き立っていた。
まあ、なんといってもアダちゃん。奇妙だけど愛らしい。アダちゃんに星4つといっても過言ではない。
自然の因果応報のような不条理のような恐ろしさが描かれているが、それを体現したヤツにはお口があぼーん。
ラムとは、生後1年未満の仔羊です。
夫婦が破滅していく…なんて書いてあったから、凄いのを期待していたけど そんなに面白くなかった。
羊を育てながら生活している夫婦。
ある日、いつものように羊の出産に立ち会っていると、羊ではない何かが生まれてきた。
過去に子供を亡くしていた夫婦は、生まれてきた仔羊?に“アダ”と名付け大切に育てていたが、突然その日は訪れてしまった……。
何しろ全てが抽象的過ぎて、何一つとしてハッキリと描かれていない。
全て観客に委ねる形なので、あのムキムキマチョメ〜ンが何者なのかも解らない。それも観ている人が自由に感じ取ってくれって感じですね。
「ローズマリーの赤ちゃん」みたいに “そいつ”が何処からかやって来て、羊に“植え付けた”訳だけど…そいつが何者なのか…サッパリ。山羊なら悪魔的な何かなのか?とも思うけど…羊???
まぁ、人間のエゴ的な話なのかな…。
アダと名付けられた仔羊?の生みの親?が窓の外でアピールしてたんだけど、奥さんがアッサリ射殺しちゃうんだよね。
でも結局は 目には目を、歯には歯を で 報復されるんだけど。
ダンナの兄弟(弟だっけ?)との関係性もよーわからんし、その辺りの説明もなにもなく丸投げ。
終わり方も唐突で ポカーンだし、どっちにしても、他の方の比較的高評価の意味は全く解らずで。
まぁ、「ラム肉」とか文字を打ち込むのもおぞましいんだけど、こんな赤ちゃんや幼児を美味しいって食べるくせに、「アダが可愛い」って言ってる人間はエゴの塊で、いちばん残酷で理解不能です。
ギリシャ神話や旧約聖書のイメージを重層的に重ねることを意図したものか
半人半羊といえば、パンやサテュロスが思い浮かぶ。半人半羊が羊飼いの家の羊舎に生まれ、娘を亡くしていた人間の両親に我が子として育てられるという本作のストーリーは、恐らくこうしたギリシャ神話の神や精霊を表すと同時に、旧約聖書エレミア書のエレミアの預言を背景に置いている。
したがって、一見、細田監督の「おおかみこどもの雨と雪」や、A24スタジオ系のストーリーが曖昧で雰囲気だけのホラー映画と似ているようだが、何らかの寓意を秘めているものと思われる。
例えば、羊飼いと羊の群れを監視する神であるパンを略取して、自分の娘の代わりに育てようとした人間には神の罰が下されるとか、子をバビロンに捕囚され滅ぼされたイスラエルの故事、欲望の象徴であるサテュロスに唆されて兄弟そろって兄嫁に欲情する…等々、イメージを重層的に膨らませることを意図しているのではないか。
しかし、残念ながら当方はギリシャ神話にもユダヤ教にも通じていない悲しさから、それを十分に味わうことは出来なかった。どなたかこの方面に詳しい方の解説を待ちたい。
映像美は良いのですが・・・
「ある視点部門」作品を見ると、いつもこうなる。
甘い、辛い、酸っぱい、しょっぱい、
熱い、冷たいとか、
まったりしてるとか、香ばしいとか、かぐわしいとか
芳醇とかもちもちとか・・・
日本語には味を表現する言葉が豊富で、
それは日本人の食に対する姿勢や
食文化そのもののレベルの高さが伺えるそうな。
カンヌのある視点部門の作品はなるべく追うように
しているが、そのほとんどが
「おもしろい」や「つまらない」という基準では
言い表せない作品ばかりだ。
そして、この映画。
見終わった後、さまざまな感想、考察が
頭の中に渦巻いて、
多分、今日思ってる感想と、明日思う内容は
違うんだろうなぁという複雑な思い。
そしてそれこそが、「映画」を見終わった後の
だいご味だと思っていつも見ている。
台詞や音楽は極力少なく、説明もなく、
しかし映像的にはしっかりと描いており、
ほとんど退屈せずに引き込まれてしまった。
現代社会を投影した話にも思えるし、
”母”という生き物の生きざまにも思えるし、
人と動物の境界線の話にも思えるし、
北欧神話の逸話にも思えるし、
何かのメタファーにも思えるし・・・。
「おもしろい」と「つまらない」の中間にある
全ての感情を包含している。
自分のなかの”ある視点”を変えれば
また別の感想が生まれる。
誰かと朝まで飲みながら話したくなる。
まさに”映画”の持つ魅力のひとつ。
である。
「ET」をもっとダークにした作品かと思ったが…
アダは神?
アダは異形で産まれたが、夫婦に幸せをもたらした。
不幸だった夫婦はアダを授かって幸せを得たのだ。
しかし、幸せが日常化する中で、母羊を殺したり、ゲームに興じたり、不貞をはたらいたり。
質素な生活から堕落した生活へと変化していく。
二人の様相は少しずつ変わっていく。
そして最後のヤツは悪魔の化身。
今までの幸せを全てかっさらうのである。
背景にはキリスト教の教えが軸となっているのではないだろうか。原罪を侵した者への罰を感じさせられた。
そしてアダは夫婦に幸せをもたらした神だったのでは?
最後ヤバッ
アダちゃんにメロメロ
人と何かのせめぎ合い
アイスランドってあまり知らず、人口少なそうで羊はたくさん放牧して食べてそうだくらいの先入観で映画を見る。
もしかしてアイスランドの人は羊に対し根源的な罪悪感?や疑い?の意識があるのか、日本人には分かりにくい感覚か?
アイスランドの大自然に人間がなんとかへばり付いてるようで、アダがその間を取り持つような気配は無く、主人公の女性はアダの母羊の頭を躊躇なく鉄砲で撃ち抜いてしまう。
なぜ羊人間は女で無く男を殺したのか?
アダ(アダム?)は羊人間と何処かに消えてしまう。
ともかく疑問ばかり浮かんだが、疑問の解答は不要な映画なのかもしれない。
最後どういうこと!?
と思ってネットで検索したら、母羊を殺したという罪を負った女が夫を失うことでその罪を償うことができたという意味があった、らしい?だから光が差していたのかな。
とにかくアダちゃんが可愛かった!本物のお父さんもアダちゃんもお尻がぷるんぷるんで良かった。本物のお父さんと幸せになるんだよ。
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