LAMB ラムのレビュー・感想・評価
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#71 人間の欲望に対する罰なのか?
冒頭は真っ暗な真冬から始まるのに、その後はずーっと白夜の世界。
最初白夜がわからなくて、こんなに明るいのになんで寝るの?って思ったもん。
その違和感は、羊の子供を自宅の部屋に連れて帰ったところから最後まで続く。
本来なら家畜として犬や猫よりも低い地位にいた羊が、主人公夫婦の感情によってのみ人間に格上げされ、それにより主人公達を違和感を感じるようになる。
大自然のなかで不自然さを表すことで世間の違和感を表現したかったのか。
【”異形・・”子を亡くした若夫婦に突然訪れた束の間の”幸せ”と、自然が産み出した人智を越えた”畏怖すべきモノ”の所業を荒涼たるアイスランドの山間地を背景に描いたダーク・ファンタジー作品。】
ー 近年の”異形”映画と言えば”ボーダー 二つの世界”(スェーデン映画)を思い出すが、北欧は長き冬により、昔からファンタジー作品が多数作られてきたのは、御承知の通りである。
トーベ・ヤンソンによる”ムーミン”も、ムーミン・トロールという異形の生き物たちを描いた作品なのである。-
◆感想
・冒頭から、台詞は暫くない。
荒涼たる雪原の中、羊の世話をするイングヴァル(ヒルミル・スナイル・グズナソン)と、マリア(ノオミ・パラス:ある意味、異形・・。スイマセン・・。)夫婦には笑顔はない。そして、画面は灰色の自然を写し出すとともに、異様な不穏感が漲っている。
ー 二人の数少ない会話から、彼らの子が亡くなっている事が分かる。そして、後半はその娘アダの墓も映る。-
・クリスマスの晩、白い羊が倒れる。扉は開いている・・。
そして、一等の羊が、”異形”を産み落とす。
ー だが、イングヴァルの表情は和らぎ、”異形”にアダと亡くした娘の名を付け、可愛がる。-
・そこに戻ってきたイングヴァルの弟ペートゥルは、”アダ”を見て驚く。(そりゃ、そーだ)そして、彼は”アダ”を連れ荒野に出て、撃ち殺そうとするが・・。
ー 今作で残念なのは、ペートゥルの位置づけが良く分からない所である。マリアに言い寄ったり、彼を何のために映画に出演させたのだろう・・。-
・”アダ”を産み落とした羊は、毎日我が子がいる部屋の前に来て鳴き続けるが、マリアは容赦なくその羊の眉間を撃ち抜く・・。
<そして、故障したトラクターを修理しに行ったイングヴァルの前に現れた、自然の産み出した”畏怖すべきモノ”。
”それ”は、無慈悲に彼を撃ち殺し、”アダ”と共に山へ戻る。
今作は、自然界には人間の知らない異形が多数いるという事を暗喩する、ダーク・ファンタジー作品である。>
■隣席の若者が、”アダ”の姿にクスクス笑っていたのが、自然の産み出した”畏怖すべきモノ”が現れた途端に、静になった事を思い出します・・。
深読みした方が良いのか?
140本目。
産まれた所を見せなかった時点、そういう事かと思ったけど、成長した姿を見て一瞬コントかとも思ってしまった。
日常生活での人に見られたらとか、社会的にとかといった展開のハラハラする感じは、この環境からではね。
でも、あの大人の半獣を見た時は、宗教的な何かとは思ったけど、そんな事を考える性格ではないので止めた。
傑作まで行きつけなかった不条理もの
設定は奇抜ながら、それぞれのシーンは常時不穏な空気を纏わせていて映像としての吸引力はまずまずだったと思います。
うまく脚本をコントロールすれば「極上の愛憎劇」も狙えたかもしれないです。弟さんがいろいろ問題児なので起点になるかと期待してたんですがとんだ肩透かしでした。
ラストは一気に深みがなくなり、期待していた伏線も崩壊したのであんなのなら要らない(笑)。
なげぇ〜
2022年劇場鑑賞216本目。
羊飼いの夫婦にあることが起きるという話なのですが、あらすじ全部書いても三行位で終わりそうな話を約2時間かけてやるので、このカットいる?というシーンが何回もありかなり退屈な映画でした。そのくせ隠し方露骨すぎて一番の衝撃シーンは先に予想ついちゃったし。
主人公二人も出来事をあっさり受け入れて葛藤もなにもないのでそこを楽しめるわけでもなく、見どころのない映画でした。
気味が悪いが内容は・・・。
結構期待していたのですがもっとホラーテイストかと思っていたらそういうモノでも無く内容も微妙でした。
結局は親からの復讐を受けたと言う内容なのか悪魔に魅入られたと言う内容なのか今ひとつわかりませんでした。
彼は何なんだ
アイスランドの寒々しい山間の羊飼いの夫婦に、もたらされる新しいアダ。
羊たちのシーンをじっくり魅せる冒頭以降は、羊たちの姿がない。
あの子のことを考えて殺された彼女以外売り飛ばしてしまったのか、そうも思えない。
どう生活しているやらだし。
アダはアダで水面や鏡に映る自分の容姿が両親たちと違うことに思い悩む姿も見える。
そして現れる彼。
最初、てっきり夫の方が犯した過ちの因果なのかとも思ったがさにあらず。
すごく雰囲気のよかった(妖しさや神秘性)序盤から、ありゃ、と肩透かしをくらった中盤以降。
締めも、納得することはなくても、もう少し何かなかったのかね。
アイスランドでの伝承とかがモチーフなのだろうか。それならベースがないからわかるけど。。
ワールドカップシーンだけは、若干シンパシーあった。
造形が良い
アレの造形が良い。最後のも。不思議な居心地の悪さがあって。そういうのって大事だと思う。
全般に、意図されていることとは思うが、長い。不気味な雰囲気もあれだけ長いと慣れてきちゃうな。
子羊だったり、処女受胎的に子供がやってきたり、聖書からの寓意が多々あるのだろうが、読み解けなかった。
しかし予想を大きく超えるものはなかった…
よって「件」のごとし
日本でも昔から「件」の存在が巷で噂に上る。
人面牛体の妖怪で、生まれると直ぐに死んでしまうのだが、
その際に一つの予言をし、それが必ず当たるとの言い伝え。
それにインスパイアされた
原作『小松左京』/漫画『石ノ森章太郎』で〔くだんのはは〕のような作品もあり。
もっともこちらは、牛の顔に人間の体と、
江戸時代の瓦版に描かれた姿とは真逆なのだが。
山奥に住む羊飼いの夫婦『マリア』と『イングヴァル』が、
ある羊の出産に立ち会うと、
生み落とされたのは、羊でもない、
人でもない異形の生き物。
しかし、嘗て子供を亡くしていた二人は
『アダ』と同じ名前を付け、
その者を育てる決意をする。
授乳期間を終え、二足で歩行し、
言葉も理解するようにもなり、
我が子同然に育った『アダ』を愛しみ、
幸せに満ちた暮らしが続いていた。
中途、突然訪れた、夫の弟が波風を立てたものの、
直ぐに治まり、家族は平和な日常を過ごせるはずだった、が
突然の悲劇が一家を襲う。
我が国でも、牛頭・馬頭の例があるように、
獣頭人体の存在は不吉のサインであるに違ないない。
西洋でも「サタン」の姿が、頭の両の角で描かれるように
羊頭人体は禍々しいものではないのか。
それを夫婦は知っていて、目を塞いでいたのか。
北欧で、獣人説話があるのかは知らないけれど、
本作では冒頭から、その存在が示唆され。
いつどのようなタイミングと形で姿を現すのかがサスペンスも、
今回のそれの提示のされ方は衝撃的。
思わず、ぞっとしてしまう。
とは言え、本作は
おそらく〔オーメン(1976年)〕の流れをくむものに思われ。
勿論、ディテールに地域らしい要素は混み込まれてはいるものの
斬新さには欠けるよう。
羊のアダ討ち
ラムは子羊
シープはオトナの羊
羊のお産は通常足が先。
頭が先だと、逆子?
ノオミ・ラパスがクビを引っこ抜いたのかと思いましたよ。
人間の会話より羊の鳴き声が100倍多い静かなゆったりとした映画でした。
人間の原罪的な因果応報がテーマ?
獣姦の歴史が絡んでいるのか?
キメラの獣人(獣神)が出て来ましたが、正直みたくはなかったです。
う~ん、よくわかりませんでした。
セダンから下ろされて放置される革ジャン男の正体がわかるまでがとても不気味でした。
マリアが産んだと思うよなぁ。
彼にはなんも説明ないし。
それでも、兄さんの嫁とヤろうとするのは相当なグズ野郎。ドラムは叩くし、なに?あの80年代テクノ風のMVは?
冒頭。アイスランドには野生の馬がいるんですかね?凍死しないの?
サスペンスホラーとしてはかなり異色で、ホラー映画ファンは肩透かしを食ったと感じるでしょうね。
私はノオミ・ラパスをずっと観ていられて幸せでした。
イミアリイミナシイミイミ
かなり期待していた今作。特別多く情報も入っていなかったので、まっさらな状態で観れることも良かったですし、当日は祝日とはいえ満席。もっと上映館数増やせば良かったのに…なとも思いつつ。
かなり深く考える物語かなと少し身構えていたのですが、良くも悪くもそこまで頭を使わなくていい作品だったなというのが最終印象です。
羊飼いの夫婦が、ある日生まれた羊のようで羊ではない何かを育て始めるところから物語がグッと進みます。冒頭15分くらいは大きく展開もなく、台詞自体もかなり少ないのでモヤモヤしますが、その我慢した分が動きが出した展開での異常性を強めているなと思いました。途中よく鳴く羊を撃ち殺すシーンは衝撃的でしたがひっそりと後半に繋がっていきます。
最初はちょい人間ぽいなと思う程度の体でしたが、成長していくたびに人間の子供の姿になっていくので、初見のインパクトが凄かったです。アニメでのデフォルメされた人間と動物の合体は笑って見れましたが、ここまでリアルになると笑うに笑えませんでした。容姿ではないですが「ビバリウム」の子供が大人の声を発した際に感じた不気味さがここにも存在していました。
途中で転がり込んできた旦那の弟にしれーっと羊人間を紹介するシーンは唐突なコメディで面白かったですが、夫婦は大真面目なので違和感を強く感じました。そりゃ弟はずっと疑ってかかるし、それでも兄からは「俺たちの幸せを邪魔しないでくれ」と言われるしで、弟と同じくらいモヤモヤとさせられました。唐突に羊娘アダと仲良くなっていたのは不思議でしたが、これはいい具合に終盤に繋がっていきます。
途中全く関係のないハンドボールのシーンがありましたが、あれは本当に意味の無い茶番だったなと思いました。楽しそうだったのは何よりです。
筋肉モリモリマッチョの羊(多分アダのお父さん)が銃で思いっきり旦那を撃ち殺したシーンは、妻がアダの実の母親を殺した腹いせもとい復讐のように思えました。少し弾けてはいますが、異常性を保ち続けて物語を終わらせたのはいい判断だったなと思いました。でもイッヌまで撃たないでも…。
所持していた銃は弟がアダを殺そうとした瞬間に現れて脅迫してなんらかの力で自身の思いを弟に伝え、銃を奪い取り、弟は旦那が殺される事を察し、妻をどうにかして現実から目を背けさせようとして誘惑していたんだろうなと解釈しました。あの切ない表情はそうだったのではと考えざるを得ません。
一章、二章に伏線を貼り、三章でサラッと回収するという感じで、あまり物語自体に多くのメタファーが込められていたり、強いメッセージ性が秘められているわけでは無かったです。そのためスローな展開や説明不足な点が気がかりとなり、面白さが爆発することは無かったです。A24の独特な視点で作られる映画たちのアイデアはとても好きなので、ぜひ物語としても面白いと思える作品をこれからも観続けていきたいです。
鑑賞日 9/23
鑑賞時間 13:10〜15:05
座席 D-11
羊人間より闇深きは人間の心
時代設定は現代のようだが、「昔々あるところに……」という語り出しがしっくりくるような、シュールで寓意を感じる物語。羊人間のようなものが生まれてくるという情報は予告で知っていたが、この異形の生き物が恐怖をもたらすかと思いきやそうではない(どころかアダちゃんめっちゃかわいい)。むしろ怖かったのは、その生き物を我が子として育てようとしたマリアの心の闇だ。
台詞が極端に少ない本作。冒頭、馬の群れと牧羊の姿が映され、そのうちの1頭に何かが起こる。アイスランドの人里離れた土地で彼らを飼育する羊飼いの夫婦。ここまでは完全に映像のみで語られる。
ようやく始まった会話シーンで夫婦は二言三言、タイムマシンについての話をする。妻マリアは過去に戻りたいような口ぶりで、何らかの苦悩を抱えていることが少ないやり取りから伺える。
その後も彼らのバックグラウンドを直接説明する会話は一切ない。だがマリアの言葉と夫婦の間に流れる雰囲気、のちにトラクターでひとりになった時に嗚咽するイングヴァルの描写で、彼らは望んだ子宝に恵まれなかったか、子供を亡くしたかした(のちの描写で亡くしたと分かる)のだということが伝わってきた。
やがて、羊の出産で「何か」が生まれる。ところが、カメラが映すのはマリアが驚く顔だけで、肝心の「何か」は映らない。普通の(?)ホラーなら羊水にまみれたままの全容をここぞとばかりにパンしておどろおどろしい劇伴を鳴らすところだ。
その後しばらく、その「何か」はおくるみにくるまれた姿や布団をかぶった姿でしか出てこない。視認出来るのは、普通の羊と同じ見た目の頭部のみ。やっと首から下が映ったと思ったら、さりげなくちらりと見えただけ。ここで、本作は異形の羊人間で怖がらせるホラーではないのだと察する。
マリアは羊人間に亡くなった娘の名前であるアダという名を付け、引き離された我が子を求めいつまでも鳴きすがる母羊を追い立て、しまいには撃ち殺す。最初は引き気味だった夫イングヴァルは妻が喜び家庭が幸せならとアダをかわいがるようになり、彼の弟ペートゥルも拒絶しそうな雰囲気から一変してアダを受け入れる。4人で楽しいひと時が流れ、夫婦には男女のムードが戻ってくる。
でも、それは略奪と殺生という罪の上に成り立ったかりそめの幸せだ。マリアは母羊殺しをペートゥルが見ていたことを知り彼を追い出すが、やがてアダの本当の父親(という説明もないがほぼそうでしょう)が、我が子を取り返しにやってくる。
この父親、アダと同じ半人半羊なのだがこれまたあまり怖くない。直前、ほのぼのシーンからのいきなりイングヴァル流血はぞっとしたが、大人羊人間の登場は恐怖よりも納得というか、そりゃ誘拐したみたいなもんだし取り返しにくるよねーと腑に落ちた感じだった。しかも彼がイングヴァルを始末する方法が超常的な力や怪力ではなく銃殺で、ものの怪っぽくない。
羊人間の存在に惑わされるが、一番ぞっとするのは、自らの心に空いた深く暗い穴を埋めるため、アダを可愛がる一方でその母親を躊躇なく撃ち殺したマリアだ。結局彼女は、アダも夫も失った。悲しい心の闇と因果応報を暗示する残酷な童話のようだ。
何しろ説明をぎりぎりまで省いた作品なので、他にもさまざまな解釈ができそうではある。クリスマス、羊、マリア、ペートゥル(→ペトロ)といったあたりはキリスト教の匂いもする(アダというネーミングは監督の直感で意味はないとのこと)。
監督によるとアイスランドに羊にまつわる神話などはないらしい。現地で羊は主に食用として飼育され、人間より頭数が多かった時代もあるという。羊のおかげで人間が生きてこられたとも言われるそうだ。通常なら3ヶ月ほど飼育した後に屠殺するとのこと。アイスランド国内の人が見ると、人間の子供のように振る舞う仔羊はまたひと味違ったインパクトがあるのかもしれない。
不思議だけど(だから)面白い
このゆっくりと積み上げられていくホラー風味ファンタジーはノオミ・ラパスはじめ役者陣の演技によって高められていく。そして脚本監督ヴォルディミール・ヨハンソン(だれ)の才能を証明してみせる。
見ていくうちに不気味とかじゃなく、かわいくなっていくアダ。山中で羊飼いとして暮らしながら、子を喪った哀しみを背負っている夫婦に、ある日突然訪れる生命の誕生=異物。山頂にかかる霧のように2つの要素が境も曖昧に溶け合う。言葉で説明されることなく、けどそれが結果的により効果的にこの不思議な物語に観客をじわじわと引き込んでいく。何をしでかしたのか(酒癖の悪さ?)、バンドメンバーたちによって捨てられる弟という外部の人の訪問によって異様さが際立ち問われる家族円満。そんなバンドマン弟の役割としては、そうした"異物"を人間は受け入れることができる(のだろうか)ということだろうか。
最後にやってくる正体がヤバすぎる…。多様性の中で、そうした視点を向けられる側にある人知を超えた存在からの拒絶というか好意的ではない反応。意味深な最後はもはや、山頂の霧が晴れるように心のモヤモヤがやっとある意味/本当の意味でスッキリしたのか、一種『ミッドサマー』的ですらあるとも思えた。不本意な形ではあれ肩の荷が下り解き放たれる、少なくともそう見えなくもなかった。哀しみを埋め合わせる代替のような存在にはその特異さも目に行かないのか、あるいは受け入れられるのか?そうしたものがやって来ると飛びついてしまうのが自然な人間の心情だろうけど、それすらもすべて失って初めて本当の意味で(残酷ではあるが)再出発を切れるのか?
山や家を背に/目安として歩を進めるのでなく、川の音を聞いて。そういう風に最後の最後まで明確な答えを与えてくれることはなく観客に問いかけてくる…という意味で、この作品は映画として切り取られる前からその後まで続いていく内容だなと思えてよかった。
↓※以外ネタバレ含みます↓
ゾオン系ラムラムの実を食べたガチムチイケメン羊人間が羊をはらませて、時機を見計らって(なぜかガッツリ人間に懐いた頃に?!)回収/迎えにやってくる(なぜか不機嫌そうに??!)
呆気ない
とにかくもの静かな映画、セリフの分量は圧倒的羊の鳴き声で、こんなに登場人物が喋らない映画も久しぶりに見た。この後こんな展開かな?あんなかな?とか考えているうちに一気にラスト。なんとまあ呆気ない。世界観にはしっかり飲み込まれたので自分的にはよかった。この監督の次回作が楽しみ。それにしてもなんでR15?
最後面食らった。摩訶不思議映画
観終わって頭の中が「?」だらけで監督は何を伝えたかったのかサッパリわからなかった。ある意味衝撃的なラストで置いてけぼりを食らいました。
ワンシーンがとにかく長い。台詞も少なかったので登場人物が何を考えているのかわかりにくい。ただ、怖い映画ではないので、ホラー苦手な人でも大丈夫。しかし、人間と半獣半人の生活の映像を流しているだけなので飽きるかもしれません。
オチがとにかく強烈なので観る際は自己責任で。
想定通りの序盤を観たくはないが
あの風景と鑑賞者の緊張感と恐怖感と期待感を意識したコマ送りはよく出来ている。
それでも時とともに不思議な生物に慣れてもっと見たくなって来る。
よく考えると欧州にはギリシャ神話のケンタウロスやピカソによく出てくるミノタウロスがあるだけにこの種の生物には違和感なく彼等は溶け込めるのだろう。
だからこそ森羅万象、
最後には生きとし生けるものを殺生してはならないことを教えられる。
予想より怖くもなく、数少ない出演者でよく出来た映画だった。
誰かを犠牲にした幸せは報いを受けることになる
羊から産まれたものの正体を明らかにしないまま、日常を淡々と描いていく静謐な映像が、緊張感とサスペンスを高めていく。
それの正体が判明した後は、いくら過去に子供を亡くしているとはいえ、その子と同じ名前を付けて、それを我が子のように育てようとする姿は、やはり異常に思えてしまう。そもそも、それを、可愛いと思う前に、不気味で気持ち悪いと思う方が、普通の感覚というものではないだろうか?
しかしながら、夫が言うように、本人が幸せならばそれで良く、第三者が、人の幸せにとやかく口を挟むべきではないのかもしかれない。
ただし、妻は、それを我がものとするために、本当の母親を亡きものとし、やがて、その報いを受けることになる。
どこか寓意が感じられるラストだが、他者の犠牲の上に成り立つ幸せは、決して許されるものではないということか?
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