マイスモールランドのレビュー・感想・評価
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「気にせずにすむ人」と「気にしなくてはいけない人」
これは今年を代表する日本映画の一本だ。川和田恵真監督は大変才能のある作家であることをデビュー作で見事証明した。脚本も的確で、役者たちの芝居を引き出すのも上手い。在日クルド人が直面する理不尽な現実を見事に浮き彫りにする。是枝監督の分福の出身だが、どこか「誰も知らない」っぽさを感じさせるというか、是枝監督の演出力と社会を見つめる距離感の取り方などをかなり色濃く受け継いでいると思う。
日本人なら簡単に超えられる東京と埼玉の県境が、クルド人である主人公には大変に重たい境なのだという現実。日本人は県境を超える時、特別な感慨など持たないだろうが、県境を超えるだけでものすごく大変な思いをする人々がこの国にはいる。
マジョリティとは「気にせずにすむ人々」のことだと社会学者のケイン樹里安は言った。本作は、まさに「気にせずにすむ人々」と「気にしないといけない人々」の違いをわかりやすく描いている。サーリャは県境を気にして生活しないといけない。だが、日本人の聡太は県境などほとんど気にせずにすむ。
今もっとも観られるべき作品の一本。川和田恵真監督の才能を日本映画界は大切にしてほしい。
そして、機会があれば「東京クルド」というドキュメンタリー映画も一緒に観てほしい。
不条理な状況を知る糸口になる作品
「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれるクルド人。土地を奪われ戦い続けるも、立場を追われ難民として新天地へと向かう場合も少なくないなか、日本にも難民申請中のクルド人が2000人近く暮らしている。
ただ、難民のドキュメンタリーを目にすることはあるが、在留資格の線引きは正直なところ分からないことが多いのが現状だ。
この難題をドキュメンタリーではなく、フィクションとして描いた本作は、「知る」ことよりも「共感する」視点が大きい分、見る側は自然と、他人事でなく考えられるようになっている。
主人公は、家族とともに生まれた地を離れ、幼い頃から日本で育った17歳のサーリャ。現役高校生でモデルでもある嵐莉奈がクルド人のサーリャを演じていて本作が女優デビューとなる。役柄の大事なところを把握している透明感ある演技で、とてもデビュー作とは思えない風格を持つ。
さらに、『MOTHER マザー』で長澤まさみ演じる母親との関係に翻弄される息子という難役を演じ切った奥平大兼が、2本目の映画となる本作で見せる新たな顔にも注目したい。
脚本・監督は、「分福」所属で是枝裕和の監督助手を務め、本作で商業長編映画デビューとなる川和田恵真。確かに私は、本作を見ながら『誰も知らない』(是枝裕和監督)の空気感と空虚さを思い浮かべていた。
前向きで優秀なサーリャが引っ張るフィクションという面では未来志向で空虚には終わらないので、これからの社会の在り方を考える上でも見ておきたい作品だ。
新人監督が世に送り出した社会派青春ドラマの好作。上の世代も見習うべき
近年は日本でも、新人監督がこの国の社会問題を題材にし、啓発的なインパクトも見込まれる力作、好作でデビューする例が増えてきたように思う。藤元明緒監督が在日ミャンマー人家族の試練を描き、本作ともテーマが近い「僕の帰る場所」(2018)、HIKARI監督が脳性麻痺の20代女性の成長を描いた「37セカンズ」(2020)などが思い浮かぶが、川和田恵真監督によるこの「マイスモールランド」も、そうした流れに沿う一本だ。
もちろん、在日外国人やさまざまなマイノリティーと社会の関係性をめぐる問題は、劇映画でもドキュメンタリーでもたびたび扱われてきた。記憶に新しいところでは、諏訪敦彦作「風の電話」(2020)にも、埼玉県にある実際のクルド人のコミュニティーが登場した。「風の電話」も良作だが、モトーラ世理奈演じる主人公が旅人としてクルド人コミュニティーに立ち寄ったのに対し、「マイスモールランド」で嵐莉菜が演じる主人公は、日本人の若者とさほど変わらない普通の17歳であることが特徴的。家族とともに日本に逃れてきたクルド人だが、幼い頃から日本で育ち、高校やバイト先で周囲に馴染もうとし、将来は教師になる夢を持っている。そうした人物設定により、観客も感情移入しやすく、この問題を自分事として考えるきっかけになるように思うのだ。
邦画界には、問題意識が希薄で内に閉じた作品作りの傾向が確かにあり、“ガラパゴス”と揶揄されることもあるが、こうした若手たちの登場は頼もしいし、上の世代も大いに見習ってほしいと思う。
新星・嵐莉菜の今後に期待を抱かせる良作
第72回ベルリン国際映画祭のジェネレーション部門に出品され、アムネスティ国際映画賞スペシャルメンションが贈られた「マイスモールランド」。是枝裕和監督が率いる映像制作者集団「分福」所属の若手・川和田恵真監督の商業映画デビュー作だが、主演にはモデル出身の新人・嵐莉菜を抜擢。5カ国のマルチルーツを持つ嵐は、在日クルド人の少女サーリャに寄り添いながら丁寧に演じ切り、初めての映画出演としては及第点以上と断言できるほどの頑張りを見せている。これからどのような芝居を見せていくのかに大きな注目が寄せられる。
島国日本の意識改革
クルド難民申請NGからの居場所がなくなる、働けない問題の連鎖。
それぞれの立場でないと気持ちがわからないから、ホントにかわいそーだが強く生きなきゃね。
それほどエグい見せ方してないのでイマイチ。
改正出入国管理法、6月より施行を前に。
正直に告白すると、観ていて居たたまれなくなり、配信を何度も何度もストップさせながら、なんとか最後まで観た。
それくらい苦しい映画だった。
「取材に基づくフィクション」とうたいながら、描かれている内容は、どの場面を切り取っても、鮮血が滴るように「リアル」だからだろう。
主人公サーリャは、身内にも地域からも、通訳としての役割を期待されていることが描かれる。頼む方は「彼女のできること」のみに目を向けているので、「彼女がそこに割かなければならない時間や労力や心理的な負担」には思いが及ばない。
それはまるで、昨年末、NHKで放映された「デフ・ヴォイス」で描かれた、ろう者の家庭でただ1人聴者に生まれたコーダの草彅剛が、当たり前の役割として、父の余命宣告を手話通訳をさせられていたのと同様に映った。
仲の良い友達にも、自分の出自を話せない。
クルド人であることに誇りが持てず、手のひらについた染料を隠してしまう。
ちょっとした誤解からドイツ人と思われたことを訂正できず、自分からも名乗ってしまう。
等々…。
これらも、出自や自分に付随する何かを理由に差別されることを恐れる気持ちからくる自己防衛ということでは、とても普遍的な反応で、誰しも何かしら思いあたることがあるだろう。
国から、「不法入国者」という扱いを受けなければ、努力家で、家族思いで、大学推薦を勝ち取る力のある彼女は、小学校教師になるという夢に向かって、まっすぐ進める道が開けていたかもしれない。
大学進学の経済的な問題は生じるかもしれないが、実際彼女は3か国語を操り、ボランティア精神にも富み、実体験を持っているということから、小学校の外国籍支援や、日本語教室の教諭としては、またとない人材になりうることは間違いない。
けれど、それも難民申請の不受理で、水の泡。
調べてみると、元々、日本の難民認定率の低さは、世界の中で飛び抜けて低く問題視されてきたが、トルコ出身のクルド人に関して言えば、これまで認定者は0人。つまり、0%なのだそうだ。
(NPO法人 難民支援協会のHPより)
「本日よりこの在留カードは無効になります。」
と言って、パンチで穴を開ける田村健太郎演じる職員の無慈悲さ…。
仮放免されても、移動の自由は制限され、働いて稼ぐことも許されない。
これが人権侵害でなくて、なんなのか。
金をちらつかせて欲望を満たそうとするパパ活おやじの醜さ。
「日本語お上手ね」と話しかける老婦人の悪気のなさ。
事情を知った聡太の叔父や母も、結果的に「聡太とはもう会わないでやってくれないか」と、関わりを断つことで問題から目を背ける方向に動こうとするのは、こうした問題解決の経験の乏しさから来るのか。
大家の「こっちは善意で住まわせているんだから」発言の押し付けがましさも、「支援=思いやり」の利己的な満足感を想起させて、あっという間に相手が自分の思い通りに感謝の様子を見せなければ、怒りへと豹変しそうな危うさを感じさせる。
そんな中で、最初から最後まで、聡太とのシーンが本当に救われた。
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外国人の難民申請3回目以降は「強制送還の対象」とすることなどが盛りこまれた改正出入国管理法が、4月の閣議決定で、6月から施行されることになったそうだ。
日本は、本当に人権を大切にする国と、胸を張れるのだろうか?
国土はその小さな心の中に
正直、この作品について語れる知識がない。
どの程度リアルだとか、どれほどの苦しみかとか、どこに問題があるのかとか、何も知らない。
でもだからこそ、観てよかったと思う。
在留資格が失われた理由や、どうすれば取り戻せるかは最後まで明かされない。
もちろん誰でも彼でも受け入れていては国が立ち行かなくなることくらいは分かる。
だが、就労を禁じられてどう生き延びればいいのか。
せめて何の落ち度も選択肢もない子どもたちにだけでも、保障や援助はないものか。
主人公であるサーリャは、推薦がもらえるくらい勉学に励み、夢のためにバイトもこなし、家事も手伝う。
父も、兄弟のことのみならず「他のみんなのことも頼む」なんて、どれだけ重責を負わせるのか。
彼女がいなきゃ、もっと状況は悲惨だったろう。
美しさも相まって魅力的ではあったが、彼女がしっかり者すぎて問題がマイルドに見えてしまっていたかも。
友人2人は描写が薄いため、立場の違いの対比としての機能よりもパパ活への導線の印象が強い。
ロナヒや担任、恩師、許婚、聡太の母なども記号的。
コンビニ店長の葛藤や、「これからは好きなように食べろ」と言うまでの父の心理なども描写が足りない。
聡太も、現実的ではあるが無力なまま何も出来ず終い。
妹を残して崎山家を訪れたことや、みんなで旅行に行ったことなどのきっかけが描かれず、唐突な場面も多い。
そもそもこの作品自体、何も好転せず何の結論もない。
ドキュメンタリー以上たり得ないという意味で、映画としての評価は高くない。
しかし、映画だからこそ触れるきっかけとなる側面もあり、作品自体の価値は高いと思う。
国ガチャ&親ガチャ(国を持たないクルド人の悲劇)
この映画は観てるだけで逃げ場のない閉塞感に、
心が潰れました。
まず第一に国ガチャ。
クルド人に生まれたこと。
次に親ガチャ。
良い人だけれどこのお父さん、こんなに子供をたくさん
作っちゃダメだよ。
育てられる範囲で生みなさいよ!!
現実的な話しです。
サーシャの状況をみても、この幼い弟ロビン君。
可愛い盛りだけれど、この子が足枷になっています。
もう贅沢の言ってる場合ではないの。
気に入らない“いいなずけ“と結婚する。
聡太(奥平大兼)が一人前になるまで繋ぎ止めて結婚する。
この2つしかないですね。
本人(サーシャ)が、能力があって生活力が無ければ、
水商売で稼ぐか、
結婚して在留資格を取るか?
それしかないと思います。
日本人の貧しい人だって、サーシャと同じ苦労をしている。
この映画は難民問題をテーマとして、一人の真面目で、
一生懸命に働く一家を襲う悲劇を描いています。
クルド人は【国を持たない最大の民族】と呼ばれる。
遠くオスマントルコ時代(約2000年前)の戦いで、
トルコを追われたクルド人たち。
全世界に4500万人存在すると言われる。
国を追われたクルド人の多くはヨーロッパに住むが、
遠く日本の埼玉県川口市には1990年(約30年は前から)頃から
住み始めて2000人が住んでいる。
その中の一人がサーシャでありサーシャの家族である。
在留資格を持たない場合。
やはりそれなりの覚悟と危機管理能力が必要です。
日本も、もう少し移民を歓迎する国に変わる必要はあるとは思います。
日本の扉をたたく人
川口で暮らすクルド難民の女子高生の物語。
ハッピーエンドで終わることを祈りつつ・・鑑賞。
あの終わり方が一番ハッピーなのかもと思わせるほど、現実はもっと冷たく、厳しいのだろうなぁ・・。17歳の女の子が背負い込むにはあまりに重すぎる・・・難民問題。特にクルドに関しては・・異質を嫌い、排除しがちな日本社会にあって、ネガティブなニュースばかりが耳に入ってきて・、悪印象ばかりが社会に蓄積されている様にも思える・・。生きずらいだろうなぁ・・。
訪日する難民、善意の人もいれば悪意の人もいるだろう・・・
私たちの先祖が、島国の中で築き上げてきた、繊細で穏やか、安全な社会も、外来種に淘汰される在来種のようになってしまうのではという懸念、危機感もあるだろうし・・。
ヨーロッパの難民の治安問題に接すると・・なかなか一筋縄ではいかず悩ましい・・。
ただ、困っている人々に素直に手を差し伸べる、そんな強い善意が社会に満ちれば、悪意は消滅しないにしても・蔓延らず、悪意には居心地が悪い社会になるのでは・・と理想論者は思ってしまう。
嵐莉菜が美しい♪
※以前、移民難民問題を扱った「扉をたたく人」という、名作がありましたが・・やはり、切ない終わり方でした・・。
そもそも論を見つめ直せ
2022年度キネ旬ベスト13位
本作は公開時凄く見たかったのですが見逃してしまい、その後レンタルでも見つからず中々見ることが出来なかったのですが、やっとNetflixで配信されていたを見つけて直ぐに鑑賞しました。
しかし鑑賞できたのは嬉しいのですが、内容は予想していた通り今の日本社会にとって難し過ぎる問題を扱っている作品なので、感想も簡単には書けそうにもない作品でした。
映画って様々な社会にある問題を掬い上げ、多くの人々にその問題を知らしめるという利点はあるのだけど、その問題自体がまだ世界(国、若しくは人類)が解決出来ない問題の場合、観客はある時点で思考停止に陥ってしまう傾向にあります。
本作の場合も「フィクションとしてどのような結末にするのだろう?」と鑑賞途中からずっと思っていましたが、一個人にとっては問題が大き過ぎてモヤモヤとした気持ちが残るのは仕方ありませんし、スッキリとしたラストになる筈もない題材ではありました。
作中でのコンビニの店長や学校の教師やアパートの大家さんや難民の手助けをする弁護士さん等々の対応にも、何かもどかしさも感じつつ彼らも我々観客と同じ一市民であり、基本的に彼等も無力な存在でしかないのであって、憤りを感じるのは結果的に国の制度になってしまうのです。しかしこれも個別の問題全てに対応することなど不可能であり、現実に起きている災難や不幸に対しては結局無力であるのは同じです。
本作はノンフィクションではありませんが、この様な作品を作ったということ自体、本作のサンプル的な家族が存在するのは間違いないのでしょう。
そして「現実に起こり得る悲劇に対して、無力で何も出来ないとして切り捨てるのは違うだろう」と、観客に感じさせる事が最も重要であり本作の存在の意味だと思いました。
私を知る方々は私が政治嫌いという事はご存知なのですが、その理由として今の政治には「そもそも論」が無い(見えない)という事も、時々喋っています。その私が言う「そもそも論」という意味を、本作で例えれば分かりやすいのかも知れません。
本作での難民に対する役所の対応は正に日本の法律というか決まり事なのでしょう。
で、本作の家族が法律に従えば常識で考えて日本では生きていけないことは明白であり、この非人道的な処置を行っているという事も、法を定めた側は当然分かっているにも関わらず、それを執行する政治に対して私は「そもそも論」が無いと言っているのです。
早い話“人道”と“規則”に対して優先順位はどちらを上位にするか?という話なのですが、今の政治は明らかに“規則”を上位にしている様に見えるのが、私の政治嫌いの原因です。
勿論、世の中の人間全てが善人ではないからこその法律であり規則なのですが、そうでないない人達も半分いる訳で、その場合の特例も当然並行して考えなければならないという単純な話なのに、それすら出来ないのが今の世界なのですよ。
なので、こういう作品を見る度に怒りと無力感を同時に感じてしまいます。
作り手側もこの様な解決困難なテーマの物語の結末については当然試行錯誤があった様で、問題提起を一つだけに絞らずを何点かに分散させていた工夫には大いに感心させられました。
一番大きな難民の国の対応問題だけに絞ると悲劇にしかなり様がないので、他に在日外国人二世の親と子の(教育・言語・宗教・文化・アイデンティテイー等)意識格差問題と、思春期の親子関係の問題も絡め(分散させ)、更にジャンルとしても社会派映画としても青春映画としてもどちらでも捉えられる映画にしていたので、あの結末は良し悪しは別にして理解は出来ました。
(まあどちらにしろ、やり場のないモヤモヤ感は残りましたが…)
でも、今月見た旧作の『幸福』然り『修道女』『ジーザス・クライスト・スーパースター』然り、人類共通の解決できない事柄の中にこそ“人間”という生き物の真実が潜んでいるのでしょうね。
※もう何回目か忘れましたが、ログアウト状態となり再びログインすることが毎回出来ず、以前に書いた何百本以上のレビューが全て私の手元から消えてしまいました。(機械音痴の年寄りなので復活できません)
このレビューからまたゼロからの出直しです。
大きな課題
難民制度を題材にしたすごく重い題材です。
解決策が、現時点であるわけではないので、モヤっとした状況で終わるのが、映画としては残念ですが、重い課題として心に残ります。
腹が一番立つのが、資格が取り消されたことを正しく伝えないお役所仕事。
まさに日本の役所にありそうと思えてしまうところが、残念でしかたないです。
親だけ送還されて、子供は?とか色々と課題認識だけが残りました。
「多民族共生」の理念が揺らぎつつある今だからこそ、観ておきたい一作
本作の企画・公開時点ですでに、日本政府の難民認定に対する消極的な姿勢、そして名古屋で入管施設に収容中だったスリランカ女性が死亡した事件など、日本における難民問題は大きな注目を集めていました。
本作の舞台となった埼玉県川口市には、現在も作中に登場したような状況にあるクルド系の人々が多数居住していますが、彼らの状況は改善しているどころか、むしろクルド人、日本人双方の対立感情がより先鋭化しています。こういった状況だからこそむしろ、「不法移民」という言葉で、一律で違法性や犯罪性と結びついたイメージを押しつけがちな彼らの事情を知ることの重要性が高まっています。
本作は、複数の日本在住のクルド系の人々に対する聞き取りから作り上げた、まったくの架空の物語ではないにしても一種の創作なので、本作を観ただけで川口市におけるクルド人問題を理解したような気になることもまた、少々危険性ではあります。しかし不法就労を目的とした来日ではないにもかかわらず、難民申請の認定が非常に困難、というかほぼ不可能な現状であったり、意図せず不法滞在状態となった場合の「仮放免」措置が、就労を認めない、移動を厳しく制限するといったおよそ現実的ではない制約を課している、といった問題の一端を、主人公サーリャとその家族の生活視点から知ることができます。
映画としては、サーリャ演じる嵐莉菜の、映画初主演とは思えない存在感、特に目の演技の巧みさが強く印象に残る一方、妹役のアーリン(リリ・カーフィザデー)や聡太(奥平大兼)にももうちょっと物語があったんじゃないかなぁ、とも感じました。これは要するに、それだけ作中では描き切れていなかった奥行きを感じる人物描写だった、ってことなんですが。
社会問題を扱っただけでなく、一種の青春映画としても観ることができる、程よい甘さと苦さを伴った場面を差し挟んでいるところに、川和田恵真監督の、劇場公開長編映画としては初監督とは思えないような技量の巧みさを感じました。
特に、作中たびたび登場する、サーリャが自宅の洗面所で身支度を整える場面が、その時の状況や彼女の心境の変化を分かりやすく反映していて、アクセントとして効果的でした。もう一度この場面の描写の変化を追って観返したくなるほど。
本作が正面から描いた、日本における難民問題やクルド系の人々との共生の問題は、すぐに即効性のある解決策が浮かび上がる類のものではありませんが、少なくともその複雑な現状の一端を理解する上での、非常に多くの見方を提供してくれる作品でした!
この映画を見るまで
「クルド人」とはどんな人たちなのか知ろうとさえしなかった。
戸田公園近くの橋を、私たちは普通に渡るが、それができない人々がいることは、とてもショックだった。
今、川口市での様子がニュースで報道されるが、この映画を見ていなかったら関心を寄せることもなく、何が起こっているのかを知ることもなかったろう。
見てよかった。
クルドから来た難民 挫折から見い出す希望への道!
クルドから日本に来た家族が、保守、伝統を
重んじる気持ちが赤く染まった手のひらに
表現されていました。
クルド民の父親、妹、弟たちと一緒に暮らす
サーリャ。
家族のうち、1人だけクルドの言語と日本語を話せるサーリャ。
在日資格を失い、進学も危ぶまれる
サーリャの家族にはそびえ立つ国境、目に見えない壁がありました。
クルド民を見る日本人は、リベラル自由主義を唱えながら異質の目でクルド民を見ていました。
聡太は、サーリャを偏見の無い眼差しで見ていました。
他の日本人もクルド民の手助けとなりたい
日本の良き国民性が表れていました。
サーリャの澄んだ瞳、ハグをする所作は
美しい姿でした。
自分はクルド民だと胸を張って言える!
そんな近い未来をイメージするストーリーでした。
普通の女子高生として過ごしているはずが、クルド出身だからと難民認定...
普通の女子高生として過ごしているはずが、クルド出身だからと難民認定が却下され、徐々に居場所を剝ぎ取られてゆく様子。
世間のメディアは、国籍や人種などでラベルつけて煽るだけですが。裏には人知れずまじめな各国人さんもいること、再確認する契機になりました。
同じ人間なのにな
クルド人というだけで自国がなくなり日本に移住して住んでいるのに難民認定されなくなって、働くことさえできない。
島国で居住面積のアッパーが見えている日本では、どこかで線引きをしなければならないのだとは思うけど、同じ人間じゃないかよぉ…と虚しくなる。
主人公のサーリャが責任感が強くて、友達にも元先生にも好きピにも本当の自分を見せないし、相談もしないし弱みさえ気取られないように振る舞うのがまた泣ける。
好きピも、ぐいぐい突っ込んで聞くタイプじゃないけど、それくらいの方がサーリャには心地良かったんだろうな。
そんで妹の反抗期よ、私だったらお前も家賃工面するの手伝ってよーー!って言っちゃうだろうなー。あんな大人な対応できん。
最後はパパンが国へ帰る代わりに子供がビザを取得できる…ってところで終わるけど、ほんとに取れるのかな。
ビザを取得できても学校のお金とかどうするんだ…。もう養子にしたい。
そんでもって池脇千鶴の役作りすごくない?
特殊メイクなのかな…声は池脇千鶴なのに顔と体が別人でビビった。
難民認定はされず、特例で日本にいてもいいが仕事をしてはいけない。 ...
難民認定はされず、特例で日本にいてもいいが仕事をしてはいけない。
それでどうやって生活しろというのか、何とも無茶な要求をする。
父親は入管局に拘束され、17歳の少女が妹と幼い弟の面倒を見なければならないという。観ていて苦しくなった。
クルド人とは
日本に住んでいるクルド人は約2,000人といわれている。その多くが、埼玉県南部の蕨市と川口市に集まっている。彼らの多くは1990年代にトルコ政府の迫害を逃れて来日した難民である。日本では難民申請しても難民認定されるケースはほとんどないため、多くのクルド人は不安定な生活を送っている。
映画はこの難民申請不認定を題材にしている。クルド人の家族とともに故郷を逃れ、幼い頃から日本の地で育った17歳のサーリャは、埼玉県の高校に通い、同世代の日本人の生徒と変わらない生活を送っている。大学進学資金を貯めるため東京でアルバイトを始めた彼女は、東京の高校に通う聡太と出会い、自身の素性を明かすなど親交を深めていく。そんなある日、難民申請が不認定となり、一家が在留資格を失ったことでサーリャの日常は追い込まれていく。
在留資格を失って、サーリャは、高校に通えなくなり、大学進学の話もなくなり、バイトはクビになってしまった。生活のために働いていた父親も捕まり、入管に身柄を拘束されてしまった。県外への移動も制限されたため、サーリャと聡太は会うことがままならなくなった。難民鎖国日本の現状が垣間見えるが、逆に難民に認定された場合はどうなるのか、調べてみたら、永住者と同じ在留資格が与えられ、国民健康保険や国民年金に加入できるらしい。
この日本の難民政策に関しては現状が少しでも改善されていくことを要望するほかないが、私がこの映画を観て最も関心が高まったのは、日本にはあまり馴染みのないクルド人とはどのような民族なのかということだった。中東地域を中心に世界中に約3,000万人いるという国を持たない世界最大の民族、その外見や言語や文化はどのようなものなのか、埼玉県南部に実際に行って確かめてみたいと思った。
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