劇場公開日 2018年11月24日

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「今回で3度目となる劇場鑑賞にて『エクソシスト』との類似性を見いだす」恐怖の報酬(1977) アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0今回で3度目となる劇場鑑賞にて『エクソシスト』との類似性を見いだす

2023年9月22日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、映画館、TV地上波

初鑑賞は1978年、92分にカット編集された『Wages of Fear』版にてでした。

1977年6月にアメリカで公開されたものの、評判が芳しくないらしいことが伝ってきており、公開の目処が聞こえてこず危惧していたところ、輸入レコード店頭に早めに並んだサントラLP『Sorcerer』のジャケットを観て「あれ?、これってそうなんじゃない??」と友人と。

なんでちっとも公開されないのか気をもんでいたところ、アメリカ国外では短縮版公開が決定との情報が伝わってきて、あまりのショックにゲンナリしました。
そのせいで、我が国での公開も先送りになり、結局9ヶ月近く遅れての公開に。

『エクソシスト』以降、3年近く期待を高まらせて待ち続けた挙げ句のこの仕打ちに、一挙にボルテージが下がり、ガッカリ度がマックスで結局ロードショー館には足が向かず、行くのを決めた友人からの感想に委ねました。
予想通りの、友人の「なんだかなぁ.....」を聞くことになりましたが、それでもやっぱり見過ごす事は出来ず、直後の2番館には速攻で行って鑑賞を果たした思い出です。

感想としては、アクションシーンの迫力は確かに凄いと感じるものの、特にフリードキン感を強く感じさせるレベルにはなく、悪く言えば、限りなく『派手な見せ場をウリにした、ありきたりなアクション映画』に近いものになってしまってた印象。
残念ながら、心に滲みるレベルの作品にはならなかったですね。

本当に、オリジナルの状態で観る事ができなかった口惜しさに打ちひしがれました。

結局、大して話題も呼ばないうちに劇場から姿を消し、後年のTV放送時にも同一バージョンでの放送だったこと区切りがついた如く、忘れられつつな作品となりました。
可成りあとのビデオソフト化時代になって、どうやら「元の北米版で収録」らしい事が言われたりしましたが、時既に遅く、誰も今更そのようなこと関心寄せるまでもなく、世は'80年代映画全盛時代の真っ最中という感じでしたから。
(そのうえ、本来の前半部分を当時の家庭用のTVで初めて観る事になったとしたら印象は悪そうで、評価は益々悪くとらえられ逆効果になりかねないです。)

しかしその後は、まもなくの時期の『クルージング 』を経て、その当時には全く何の話題にもなっていなかったので、何ら事前情報も無しでの鑑賞になったフリードキン作品に『L.A.大捜査線/狼たちの街 』がありましたが、如何にも同監督らしさ健在ぶりをもの凄く嬉しく思った久々の再会感に、何らか(復活)の予兆を覚えましたね。

そして二度目は、自らが複雑な権利関係を整理し、フリードキン氏自身の手によるデジタルリマスター復元版が2013年8月にヴェネツィア国際映画祭で上映された後、世界各国で上映された事が伝わってきて、ついに日本でも2018年11月『恐怖の報酬【オリジナル完全版】』のタイトルで公開される事が決定した、まさに苦節40年に及んだ悲願が叶う日がやってきたその時を迎えたあの日。

極力最大サイズのスクリーンでの鑑賞を望んで調べ、首都圏の上映館で最も規模が大きかったシアターサイズの「川崎チネチッタ」のLIVE ZOUND(CINE8)の鑑賞が叶い、当日、実際にその目にするまで、夢か現かな半信半疑な、なんとも信じがたい気分に包まれている自分がいました。

積年の宿願がかなったこともあり、ラストのその瞬間まで、いっ時もスクリーンから目が離せない強烈な集中力の”没入感”のうちにエンディングを迎えました。
なんか、'78年当時の高校生だった自分に「やっと観れて良かったなぁ」と言ってあげたい気持ちしましたね。
ある意味、全力集中で燃え尽き感あったので、その時期の再鑑賞には至ことなく終わりました。

その後も、細部を確認してみたい気持ちもあって、メディア等で再鑑賞などはしてましたが、時間が経つとやはり、もう一度劇場鑑賞の機会があったら行きたい気持ちも。

そして三度目は、突然にもたらされたフリードキン氏自の訃報のタイミングにて。
まさしく余りに衝撃的な突然の訃報に唖然でした。
そして、そのような時が来る前に自身の手で宿願を果たして復元版により再度世に問い、汚名を払拭し、私の眼前に『恐怖の報酬・オリジナル完全版』をもたらしてくれたフリードキン監督への敬意の念と感謝にたえない気持ちが湧き上がりました。

今回は、シネマート新宿のみの独自企画の5日間の期間限定追悼上映ということでしたので、9月16日(土)を選んで足を運びました。

それで表題のように、今回になって今更のように気づかされた点があり、それを記しておきたいのですが、それも今回の鑑賞に先立ち、 「ワーナー・ブラザース創立100周年記念!午前十時の映画祭」というタイミングで9月3日(日)に『エクソシスト・ディレクターズカット版』を鑑賞してからという、同月内に連続劇場鑑賞を果たすことが実現出来る、”これこそ正に千載一遇”と言える二度と再び無いだろう機会を得たことに起因しています。

そもそも『Wages of Fear』にされてしまった元の仏版『恐怖の報酬』に準じたタイトルを冠した初公開・短縮版では無惨な有り様なので、こうした関連性は不明瞭になってしまってると思います。

取り敢えず、我々の世代の映画ファンは「フリードキン監督の『エクソシスト』の次回作って、仏映画『恐怖の報酬』のリメイクなんだってっ!」と事前に海外からの伝聞から知った上で、期待値高めて待ち望んでいた経緯があるのですが、もしもそれを知らなかったとしたら?

恐らくいきなり『Sorcerer』=〔悪霊の力を利用する〕魔法使い、魔術師、と聞かされたなら、『Exorcist 』=悪魔払いの祈祷師との関連性を想像せずにはおられず、「関連作か姉妹編なのでは?」と思わされたに違いありません。
ちなみに監督は『Sorcerer』について、「 どれだけ足掻いても吹っ飛んでしまう。それは復讐、復讐、裏切りについてで、 運命を制御することができず、運命に打ちのめされていると感じること。」のような『逃れられない運命』の象徴のようにイメージしているようです。

それを表すかのように、劇中ではドミンゲスとニーロの乗った『 Lazaro』では無く、もう一方セラーノとカッサムの『Sorcerer』の方が破滅します。

世間的なアピールも含めて、そのような連想というか関連イメージも頭にあったのかもしれないと思いました。まあ、ある意味タイトルに於けるスピンオフというか.....

それと、分かりやすいところでは両作品ともに、劇中曲へのプログレッシブ・ロックの採用しているところが挙げられます。
当時としては珍しい手法で、『エクソシスト』にプログレ系のマイク・オールドフィールドによる既存曲「チューブラー・ベルズ」が使われたのは驚きでしたが、『Sorcerer』では独のプログレッシブ・ロック・バンド「タンジェリン・ドリーム」がサントラに初起用されているのを知ってビックリでした。
前作で良い手応えを感じてか、今作ではサントラ未経験バンドを、全編おまかせ的に採用になってるところが凄かった。

ユーロ・プログレッシブバンドの起用は、特に伊のゴブリンによるアルジェントの『サスペリア2 』(1975年)〜『サスペリア』(1977年)『ゾンビ』(1978年)等、『エクソシスト』以降は顕著になっていった感じします。
(プログレ・サウンドのシンセサイザー系サウンドは、数年後の「ブレード・ランナー」などに繋がっていったようにも感じられます。)

そして前述のこのサントラのLPジャケットから、当時の私らは原題が『Sorcerer』であることを初めて知ったのですが、ポスターなどよりも遥かに小さく暗い印象のあのLPジャケットから受けるイメージ、それはまさに「ホラー映画?」って….
赤文字で不気味に『Sorcerer』、ビジュアルは牙むいた怪物のようなのが、前方に四つん這い状態に倒れた人物目がけているかのようなそのさまは、初見では直ぐに『恐怖の報酬』であると連想できなかったくらいです。
友人と「あれ?、もしかしてコレって?」と良くよく見てくうちに「コレがそうかぁ〜!」とやっと理解しました。
が、そもそも「なんでこんな原題になったの….?、何の意味なの??」って、当時監督の意図が見えて来ず、奇妙に思ってました。

次に、最も重要に思ったのが映画の展開の仕方についてです。
今回『エクソシスト』を先に鑑賞して気付かされたのは、“悪魔”という存在が中心媒介となり、それまではお互いに何らの接点も無かった登場人物が、それぞれに自身の苦悩やバックボーンを持った人々の運命が、そこで交錯するというストーリーの展開の仕方についてでした。
そしてこの手法はその次回作であった今作『恐怖の報酬(Sorcerer)』(121分版)について発展形として活かされているとの解釈ができるかと。
ニトロ・トラック輸送を軸として、やはり「それまではお互いに何らの接点も無かった、それぞれが自身の苦悩やバックボーンを持った人々が、運命に引き寄せられるが如く、そこで交錯する」。
そして、全体のパートが前半の導入部と、後半のクライマックスへとなだれ込んで行く部分とで分けられる印象などが重なります。

これが最初に鑑賞した日本公開短縮版『Wages of Fear』となると、過去の経緯として短縮た回想処理にして、事が動き出した後の進行中に被せられてしまい、完全に台無しにされてしまいました。
これではもはや、フリードキン作品とは言いがたい、単なるアクション・サスペンス作品に成り果ててしまったのは言うまでもないです。

このような、監督の前作品からの発展形的な作品で最も典型的だったのは、ジョン・スタージェス監督の『荒野の七人』→『大脱走』が好例に挙げられます。

もう一つの重要なポイントとして、配役についてですが、両作ともに世界的に知名度のあるアメリカ人俳優は一人だけ配置し、その他の重要なのは役どころには、その時点ではまだそれほど一般に知られていないヨーロッパ系の俳優や、知名度よりも実力派を重視して俳優で固めている点ですね。

最も有名だった俳優は、『エクソシスト』ではベテランのリー・J・コッブ氏、今作ではロイ・シャイダー氏でした。

最後に、最も関連を思わせるのは、タイトル・バックや途中の山道の遺跡的な壁面にその姿を見せる、何らかの“石顔面”でしょう。
これは全く同じものでは無いものの、なんだか『エクソシスト』に登場するパズズの石像の顔を連想させるような、不吉感を纏っているのを感じさせるものがありますね。

今作では、前述の監督の弁による『運命(悪運)』の象徴ということなんでしょう。

蛇足ながら、この映画の凄まじいスタント・コーディネートを担当したのが『 大脱走』 でスティーブ・マックィーンのバイクジャンプなどのスタントダブルをやったバド・イーキンス氏、脚本は『ワイルド・バンチ』のウォロン・グリーン氏によるものであるところ、興味深いポイントのひとつです。

アンディ・ロビンソン
kossyさんのコメント
2023年9月27日

アンディ・ロビンソンさん、コメントありがとうございます。
確かに何度も観ると、人間関係や運命を感じることが出来るのだと思います。かなり奥が深いですね~

kossy