ユンヒへ : インタビュー
同性への恋心に「特別な何か」はいらない――中村優子が語る、映画「ユンヒへ」の誠実さ
韓国と日本に生きるふたりの女性の愛を描いた「ユンヒへ」が公開中だ。韓国でシングルマザーとして暮らすユンヒと、日本で伯母と暮らすジュン。20年前のふたりの初恋が、北海道・小樽を舞台に語られる。
※本記事は、「ユンヒへ」の内容に触れています。
韓国の地方都市で高校生の娘と暮らすシングルマザーのユンヒ(キム・ヒエ)のもとに、学生時代をともに韓国で過ごした友人で、いまは小樽で暮らすジュンから1通の手紙が届く。20年以上も連絡を絶っていたユンヒとジュンには、互いの家族にも明かしていない秘密があった。手紙を盗み見てしまったユンヒの娘セボムは、そこに自分の知らない母の姿を見つけ、ジュンに会うことを決意。ユンヒはセボムの計画を知らずに、誘われるがまま小樽へと旅立つ。監督は、本作が長編2作目となる新鋭イム・デヒョン。2020年に第41回青龍映画賞で最優秀監督賞と脚本賞、2019年に第24回釜山国際映画祭でクィアカメリア賞を受賞している。
とても薄いガラスでできたような映画だ。驚くほど美しいのに、簡単に壊れてしまいそうで、大切に扱わなければと思わされる。イム監督は、これまで韓国映画で取り上げられることが少なかった中年女性の同性愛を、特殊なものにすることも、性的なものにすることもなく、抑圧された社会に“ただ”生きる女性たちの物語として描いた。
本作で日本人の父と韓国人の母のあいだに生まれたジュン役を演じたのは、「ストロベリーショートケイクス」の中村優子。中村は、役作りのために貰ったというキム・ヒエの高校時代の写真を、「いまも大事に、宝物としてとってある」とほほえむ。
劇中で、ユンヒとジュンの恋は、直接的な言葉や表現を一切使わずに描かれる。ふたりが恋愛関係にあった20年前の韓国では口に出せなかった強烈な思いを、陳腐なセリフで語らせない演出に、キムと中村の静かに燃えるような演技が光っていた。迷いなく、真摯に劇中のふたりについて語り、言葉以上のものを投げかける中村の瞳は、ユンヒに恋をするジュンのそれだった。(取材、文・編集部/写真・根田拓也/ヘアメイク・佐々木恵枝/スタイリスト・浜辺みさき)
――本作の準備稿をラブレターのように感じて、すぐに思いの丈をマネージャーさんにメールしたと伺いました。そのときはどのようなことをお伝えされたのでしょうか? 脚本への第一印象を教えて下さい。
誠実という言葉が真っ先に出てきます。人が生きることに対してこんなにも真っ直ぐに、真摯にあたたかく見つめてくれる、その眼差しが脚本のどこを読んでも詰まっていて。この本と、ジュンという役に恋をしてしまったのだと思います。どうしてもやらせていただきたいと思いました。迷いはなかったです。人間を細やかに見つめ、伝えようとする脚本でした。
マネージャーに送った文章はそんなに長いものではなかったのですが、朝まで待てず、すぐに返事を出しましたね。この作品をやらせてもらえるならば、強い情熱を持って挑みますということと、どうしてもやらせて欲しいということを、真正面に、衝動的に。
それをそのまま(監督に)お伝えしてくれたようで……、もうちょっと丁寧に書けばよかったかなと(笑)。でも却って、思いがストレートに伝わったのかもしれません。
――今作には相手への好意を示す直接的なセリフがありません。ジュンの感情の機微を表現するために意識されたことなど、役作りについてお聞かせください。
まず、いつも演じるうえで、(そのキャラクターが)そこに至るまでの背景と、いまその人間の心を占めるものは何かという2つのことを特に深く追究していきます。ジュンの場合は、当時彼女が生きた環境を私が知らないので、その肌触りを知りたいと思い、ちょうど翻訳版が出たばかりだった「82年生まれ、キム・ジヨン」を読みました。そして、すごくショックを受けたんです。
家父長制が根強いことは日本も変わらないのですが、私の予想よりもそれは遥かに強固で、いま現在も社会のなかで女性たちが苦しんでいて。ユンヒとジュンが愛し合った時代はさらに10年くらい遡るので、それを考えると……。1982年生まれでもこんなに苦しい環境なのに、その10年前で、そのうえレズビアンという性的マイノリティです。社会はいま以上にふたりの関係を許さず、秘密にしておかなければ生きていけなかった。その重圧はどれほど凄まじかったのだろうと。逆に言えば、その環境すらも止めることができなかったふたりの愛は、いかに強かったのかと、想像を深めていきました。
同時に、ずっとジュンの心のなかに在るユンヒへの思いを強く作っていくことが、ジュンとしての佇まいにいきてくるだろうと考え、当時のユンヒの顔が見たいと思ったんです。ジュンが愛していた当時のユンヒの顔を、どうしても知りたいと。それで、韓国のプロデューサーさんにお願いして、キム・ヒエさんの高校時代のお写真をいただいたんです。それが可愛いんですよ(笑)。いまも大事に、宝物としてとってあります。それを毎日見ながら、どんな笑い方をしたのだろう、どんな匂いだったのだろう、髪の毛の感じはどうだっただろう、一緒に歩いた場所はどんなところだったのだろうととりとめもなく想像して。ユンヒそのものに対する思いを積らせていきました。
――同性愛者であるジュンを演じるうえで、ユンヒに抱いた思いは自分が異性に恋をしたときの感覚と何も違わないという気が付いたとお話されていますが、そう思うに至った感情や思考の変化についてお聞かせください。
最初は、自分はレズビアンではないので、何かこれまでと違うヒントを、特別な何かを見つけなくてはならないと思っていました。韓国の本作公開1周年記念のオンラインイベントで、司会の方から「ジュン役を演じたことで、実生活に変化はありましたか」と質問を受けたんです。撮影して以来、気が付くとジュンが側にいるような感覚がずっといまもあるので、いつ何が変わったのか、そのときはパッと答えを見つけられませんでした。ただ、その質問が引っ掛かって、私はいますごく大事なことを聞かれていて、同時に何かとても大事な発見をしているということだけは確信したんです。
それは何だろうと一晩考えて。そして、最初はヒントを見つけようとしていたけれど、いつの間にかその考えそのものを忘れていた、という事実に辿り着きました。ユンヒがとても愛しい。彼女を思うときのその気持ちが、いままで自分が実生活で感じてきた異性に恋をしたときの気持ちと何も変わらないと。ハッとしました。あの質問がなかったら、まだ気が付いていないかもしれないくらい、(ユンヒへの恋心は)自然なことでした。
最初は頭で考えようとしていたのだと思います。でも、脚本が大変優れていて、目の前にいらっしゃるキム・ヒエさん演じるユンヒが本当に魅力的で。さらに、繊細な脚本を具体化するヘアメイクさんだったり、衣装さんだったり、美術さんだったり、皆さんの仕事が細やかで、現場への信頼感が集中力を高め、圧倒的な小樽の雪景色があって。そういうものすべてが、頭で考える余計なものを取っ払ってくれて、ジュンとして、ただただユンヒに対する思いにフォーカスさせてもらえたのだと思います。
――マサコ伯母さんがジュンをハグしようとするシーンで、ジュンが照れて言う「なによ」というセリフに、少しイントネーションの違いを感じました。ジュンは劇中でずっとなまりのない日本語を話していましたが、このシーンには特別な演出があったのでしょうか?
あれは北海道弁なんです。あそこだけなんですよ。すごくなまるわけではないのですが、北海道弁がちょっと出ちゃう。と言うよりも、出しちゃう。あそこだけ、監督がそう演出されて。本当に細やかですよね。動揺や恥ずかしさで、わざと茶化して(方言を)出してしまうような。
――冬の小樽での撮影はいかがでしたか?
ようやくユンヒと会えるというシーンは、本当に寒くて夜遅くだったんですけれど、ふと「あと数カットで終わってしまう」と気が付いたんです。本当に……ちょっとNGを出そうかなと思ってしまうくらい、終わりたくない時間でした(笑)。
――ふたりの再会のシーンも、静かで非常に繊細な演出と演技が傑出していました。
もし、もう少し再会までの時間が短かったり、もう少し環境の重圧が軽かったりしたのなら、ふたりは抱き合えたかもしれない。でも、あそこで立ち尽くしてしまうくらい時間の層があったんですよね。抑圧ゆえに積もった愛の層と。最初の準備稿では、ほんの少しだけ、話をしたんです。でも、決定稿になったときには会話を削いでいて……痺れましたね……。言葉を交わさず、ただ、見つめ合うだけ。人間、思いが強いほど言葉にならないものだし、監督がそういう機微を鋭く汲み取って形にされるのが、お若いのに本当にすごいなと思いました。
――劇中で、ユンヒは韓国で結婚して子どもを持ち、ジュンは日本で独身のまま暮らしています。ジュンにその選択肢があったこと、ユンヒの娘が母親をジュンと再会させたいと思ったことに希望を感じました。
ユンヒの場合は、家族に結婚させられましたが、ジュンはそういったところから離れて、伯母であるマサコさんとふたりだけでひっそり暮らしています。
ジュンは、(両親が離婚する際に)自分に関心のなかった父親を選びました。もし母親を選んでいたら、同性愛者である娘を心配し続け、干渉し続けるでしょうから。本人の為だと微塵も疑うことなく、娘の人生に介入して来たはずです。ユンヒの家族がそうしたように。ジュンは断絶された恋の苦しみと、未来の地獄から逃げてきたんです。
マサコ伯母さんは、社会一般的なものが唯一のものとは考えていない人。だから、当然ジュンが結婚してもしなくても大したことではないし、きっとユンヒとのこともなんとなく分かっているけれど、それについて自ら立ち入る事をしない。ジュンのことを愛しているけれど、所有しようとしない人です。ジュンはそんな人の側にいられたから、(同性愛者であることを)積極的に明かすことはしないけれど、自分であることを完全には殺さずにいられたのでしょう。瀕死のようなものであったとしても。ユンヒは、一旦男性と結婚し、自分のアイデンティティを殺して、残りの人生は罰だと思って生きて来ました。
深傷を負って生きるジュンと、1度死んでしまったユンヒ。そしてその深傷を癒す陽だまりであり続けたマサコ伯母さんと、ユンヒの命を取り戻させた、新たな春そのものであるセボム。映画のなかの“女性たちの連帯”が、いまも確かに存在する数多のユンヒとジュンへ、希望の光となって優しく照らし続けてくれることを祈っています。