「過去が消せないなら、わからなくなるまで上から書くんだ。」ある男 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
過去が消せないなら、わからなくなるまで上から書くんだ。
原作既読。
映画は、小説にもでてきた、ルネマグリットの「複製禁止」という絵のショットから始まる。
戸籍ブローカーの仲介を経て、他人の人生を生きている男、他人に自分の人生を売った男の話。小説を先に読んでいるので、ああ、この男が殺人犯の息子として生きてきて、今、別の人生を生きているんだなという視点で見つめていた。何も知らずに観ていたら感じることのない疼きが心に刺さってくる。それは窪田正孝の物静かな佇まいがそんな感情を起こさせるのだろう。そして、最後に息子悠人がいう「父親が優しかった理由」がすでに頭にあるせいでもある。誰かになりすますことで、原誠は幸せだったのだろうと思う。(この子役、とてもよかった)
弁護士城戸役の妻夫木聡の表情が絶妙だった。谷口大祐の素性を探すことは、どこか在日である自分の本性をほじくり返す行為にも感じていたのでないだろうか。そのくせ、自分に害が及ばないのだから、傷つくこともない。だけど、そのかわり彼の中で何かが変わってしまった。あの、皮肉そうな笑顔もそうだし、どうも善意だけの行動には思えないんだよな。たぶん彼自身、変身願望があったのだろう。在日を隠したい気持ちが在日であることを晒しだしてしまう。小見浦の言う「先生は在日ぼくない在日ですね。でもそれは在日ってことなんですよ。」が的を得ているように。
正直、小説は設定が面白いわりにはなんかスカしていて満足度は低かった。それは作者の文章のせいであり、インテリ臭いマウントをとられている不快感のせいでもあった。だけど、映画は上質。余計な横道にそれず、核心へとずいずいと誘っていく。とてもソリッドな展開だった。ラストも、小説の幸福な着地点とは異なり、どこか城戸自身の変化や問題を抱えて終わる。小説にも城戸が試みになりすましてみる場面が、調査の途中の過程として登場するが、この映画では最後のここで出てくる。それは、なりすますことに妙な悦楽を知ってしまったような城戸の心の闇がちらついて見えた。(ただ、はっきりとなりすましたとは断言できない。そういう人がいた、ともとれる会話だったが。)
そしてまたルネマグリットの「複製禁止」が登場する。この鏡を覗いているのは誰なのかという想像の迷路に迷い込まれていく。ちなみにこれ、鏡の下に置いてある本はちゃんと反転しているのに、男はそうではない。そもそも鏡を向いているのに、向かい合っていないのだ。だからどこか感覚が狂わされる。まるで鏡張りの小部屋に閉じ込められているようだ。城戸も、こうして鏡に向かい合っている気分なのだろうか。その見ている自分は"どの自分"なのだろうか。ああどんどん迷い込んでいく。
そうそう、最後に初対面の男に城戸は自分の名を、何と答えたのだろうね。そりゃ僕は間違いなく、こう答えたと思う、・・・・・(ブチッ)。
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なんだよ!って思いますね。一応、タニグチがセオリーのようですが、ハラマコトだとざわつきは半端ないかも。