「重たい。けれど面白かった。」ある男 CBさんの映画レビュー(感想・評価)
重たい。けれど面白かった。
オープニングは、どこかの店らしき壁にかかっている、むこうを向いたふたりの男の写真?絵?のアップから始まる。そしてちゃんとエンディングにつながる。(なんと!)
まず言いたいのは、俳優陣。「すごっ」 のひとこと。妻夫木さん(聡)、安藤さん(サクラ)、窪田さん(正孝)、柄本さん(明)、清野さん(菜名)、真木さん(よう子)。安心して観られるにもほどがある。でんでんさん、きたろうさんもあちこちで観るな。こんな役にまで・・と、仲野さん(太賀)、河合さん(優実)! 小藪さん(千豊)で正直ホッとしてたよ(笑)
そしてその陣営だからこそ支えることができた、重たい重たいテーマだと思う。人はなぜ、「個人に責任のないこと」 にまで手を広げて、自分との違いを探し、区別(差別)しようとするのか。誰が両親か然り、生まれた国しかり。
いやあ、字にするだけでも重たい話。そして民主主義の中で、何よりも大切な観点。「みんな、違う」 は大切な基本的な考え方。思想が違う、信条が違う、宗教が違う。それは、それぞれ区別され、かつ多勢いようが少数しかいなかろうが、同等に尊重される。しかしそ 「個人に責任のないこと」 は、そもそも区別されるべきですらない。「あなたは殺人者の息子なのか」という言葉は、発せられるべきではない。そのことは、生まれてきた子供には責任のないことなのだから。
民主主義の教科書があったとしたら、最初の頁に書いてあるだろう。日本では民主主義教育は十分に行われないので、この年齢になった俺が、映画をみて学んでいるのが実情だ。
…などと固いことを言う映画ではないかもしれない。でも、この映画をみて、みんなが少しでも考えたら、またひとつこの国もよくなる、そんな感じ。
謎解きみたいで、ずっと見続けていられる映画。すばらしかったです。
----- ここからはネタバレ含んでいるかもしれません。観ていない方はお気をつけて -----
「息子」 は 「父」 の汚名を着たままずっと生きていなければならないのか。さらに広げて、在日3世になっても、なぜ外国人、韓国人と言われるのか。この国ではどうして 「普通」 と 「普通でない」 を区別したがるのか。たまたま「多数」でしかないものを、なぜ「普通」と呼ぶのか。人を 「個」 として見るのが苦手で、「どこかの集団の要素」 とみてしまいがちなのか? 国は違っても、人は同じ。だから本来「国」 という境目は不要なはず。俺たち人間にはなにかの限界があって、必要悪としての 「国」 という境目がまだ必要というだけであろうに。
一例をあげれば、「部落出身者かどうかを気にする」 ・・・いったい、いつの話を気にしているのですか? 「自分と人は違う」 という自覚は大切だし、その基準は多岐に渡るでしょうが、少なくともそれって意味がなくないですか?
今日は、よけいなことまで書いてしまった気がする。それだけ本作が提供している論点は深く重いのだろう。
----- ここまではネタバレ含んでいるかもしれません。観ていない方はお気をつけて -----
2023/7/15、近大さんのレビューを読んで、追記。
多数派である集団の安定を重視するか、少数派の個人の権利を重視するか、というのが政治の一つの軸だと思いますが、これまでの日本はかなり前者に偏っていると思います。だから、少数派に対して「普通じゃない」とか「変わっている」とか言いがち。それが、差別や偏見の原点。単なる多数派を「普通」と言う癖をなくさないと、少数派を「異常」と勘違いしてしまう愚かさから、脱却できませんよね。
そんなことを考えさせてくれる映画でした。
出自のせいで色眼鏡でみられるのは今でも多くありそうなことで、その辺のリアルさがありましたね。
今作からは外れますが、同和問題に関しては、東京出身の自分は今でもそんなものがあることを知らずに育ち、就職した際に受けた同和教育で、いまだに!?となって西の方の出身の同期と色々話しをした覚えがあります…四半世紀前ですが。